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サッカー選手中田の引退宣言および中文訳、

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发表于 2006-8-31 04:06:38 | 显示全部楼层 |阅读模式
“人生とは旅であり、旅とは人生である” 2006.07.03


~1985年12月1日 - 2006年6月22日~

俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。
8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。

あの頃はボールを蹴ることに夢中になり
必死でゴールを決めることだけを目 指した。
そして、ひたすらゲームを楽しんだ。
サッカーボールは常に傍らにあった。

この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。
山梨の県選抜から関東選抜、U-15、U-17、ユース、そしてJリーグの一員へ。
その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。

五輪代表、日本代表へも招聘され
世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。

サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。
サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。
それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、
“糧”となり、自分を成長 させてくれた。

半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に
約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。

何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。

サッカーは世界で最大のスポーツ。
それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。
時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び
時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。

プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。

けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後
サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。

ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ
込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ
挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

そして、思った。

どこの国のどんなスタジアムにもやってきて
声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン――。
世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の声援――。
本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。

サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。

最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに
「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。

俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。

ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、
何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。
正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…
ちょっと自信がなかった。

けれどみんなからのmailをすべて読んで
俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、
それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は
間違っていなかったと自信を持って言える。

何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのは
とても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”が
きっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。

だから今、俺は、安心して旅立つことができる。

最後にこれだけは伝えたい。

これまで抱き続けてきた“誇り”は、
これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。
でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ
守ることが出来たものだと思う。

みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。

そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと
乗り越えていけると信じられる。

新しい旅はこれから始まる。

今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれど
サッカーをやめることは絶対にないだろう。
旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりに
ボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。

これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”




ひで


人生如旅遊、旅遊即人生  2006.07.03


1985年12月1日~~2006年6月22日

我踏上「足球」之旅、大約有了二十個春秋。記得八歳那年的腊月寒冬、従日本山梨県某郷村小学校園的角落走出了難忘的第一歩。

当時脳子只有踢球、就是拚個死活也想着進球。想起来、日子過得非常快活!足球它日伴夜随着我。

誰知這旅程会這様長久、竟連我自己也万没想到。順利通過了山梨県及関東地区選抜之後、加入U-15、U-17和青年隊最終成了日本甲級倶楽部隊員。其後、遠渡重洋赴欧州渡過了我足球人生的大半。又幾経被招為奥運代表、世界杯代表、赴世界各地参賽。

不管任何時候「足球」它始終占据着我的中心
「足球」它給与了我很多很多、
喜悦、悲傷、朋友以及考験...

 当然、不是一切都那様平穏順利。因些我得到的所有一切、成了難能可貴的経験、成了我精神上的食糧、促我成長。

 早在半年前、我決定踢完徳国世界杯後、退出己有10年歴史的職業足球界。

這并非有特別的原因、其理由也不能特定確一。総之、要従「足球之旅」卒業、走上尋求自己的新旅程。

足球――是具世界最大規模的一項目体育運動。球迷甚多、媒体更是関注。球員們在衆人期待之下、為争奪勝利而負起責任。

有時、它們賛賞得令你産生錯覚、覚得自己干什麼都能成功!
有時、它們批評得甚至去完全否定自己的存在価値!

成了職業運動員後、有人問「你喜歓足球嗎?」、可老実説自己当時没能爽直地回答「喜歓!」。為争奪勝利負責、這種令人尊貴的感覚着実令你鼓舞和感動。可是孩子時対足球的那種純然天真的感情却在日益淡薄。

然而没想到做為職業選手的最後之役――6月22日巴西之戦一旦結束、連我也予想不到的発自内心的「自己是多麼熱愛足球!」這一感情突然爆発了。本来這種感情是唯恐会傷害它而特加小心地隠蔵在自己心底厚壁的情感。本来它也是出自為保護自己、有時顕得無機質、像没有感情似的、又有時故作不在乎。但最後的最後、這厚壁終是崩潰並転化為一股感情的奔流。巴西之戦一結束、当我最後一次把草坪上的毎一個感覚刻記銘心、一次一次将激動的心平静了下来。然而、当我最後一次向着支持我的観衆致礼時、這抑制着的感情又一次噴発了出来。

且頓時令我覚到、不論在那一個国家的那一面球場上、喊唖嗓門不断伝来的那「~NAKATA~」的呼声、対呀!這呼声整々支持了我10年一道走完了這個旅程。

在足球這一旅程中、「日本代表」這一称号具有着特殊的意味。
在最後一場与巴西的比賽当中、我始終只想着「到底我能給選手們、同事們、観衆們伝達些什麼呢?」

本届世界杯賽、我覚得日本代表隊有較大的可能性。説起日本選手、着実個人技術水平高、速度快的大有人在。可惜的是不知如何去百分百去地発揮自己。就為着這一点、四年来尽了我的努力。時而連声鼓励、時而高声怒叱、甚至譲別人都生気了。遺憾的是自己到最後也没能巧実地把自己的心情伝達給他們。

世界杯的戦果是不言而諭的。這対声援我們的球迷深感抱謙。

大会之後仔細想了一想、通過足球我能給大家伝達些什麼?感受些什麼?説実話真没有信心也没有把握。可詳細閲讀了大家的毎一封電子郵件、発現這麼多人能理解我的心情。現在我可以自信地説、当上職業運動員之後、我一貫所持的“姿態”是正確的。

没能伝達好我的心情而驟然離開、是令人難受的。可我相信、理解我心情的“大家”会継続支持新選任的代表、支持甲級聯賽、支持日本的足球界。

所以、我安心地離開、踏上新的旅程。

最後我想強調一点:

我一貫保持的“姿態”与“自豪”、今後也将成為我人生的“根基”与“自信”。然而、這一切又是全靠大家的“声与音”才堅守下来的。

我決心胸蔵大家的“声与音”、于心無愧地渡過人生旅程。不管今後遇上多大困難、雖離開了職業選手也会強有力地走到底。

新的旅途開始了。

在旅途中、或是小巷、或是小草地、或是小球場、我也許会替代交談去和誰踢々球。当然不是做為職業選手、可足球依然在我心中。那是因為我終于找回了自己小学生時候的初衷。

最後請允許我向一斉在球場戦闘過的戦友、所有相関的人員、以及自始至終相信和支援我的“大家”説声
「謝々」



中田

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 楼主| 发表于 2006-8-31 04:07:37 | 显示全部楼层
感觉中文译的很差,本来的日文写的很美
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发表于 2006-8-31 07:02:49 | 显示全部楼层
人生とは旅であり、旅とは人生である
旅游听上去太轻松了。
人生如旅程,旅程如人生。


山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。
従日本山梨県某郷村小学校園的角落走出了難忘的第一歩。

1)[乡村],不必加吧。如果你肯定那是农村的话。
觉得日本的乡下的概念和中国的不太一样。

2)校庭:学校の運動場や庭。
校庭には、通常、砂場、鉄棒、のぼり棒(棒のぼり)、相撲用の土俵、トラックなどの運動設備がある。小学校では、ジャングルジムやブランコなどの遊具も見られる。校庭は、屋外で行う体育や、朝会、運動会などの用に供される。また、昼休みには児童・生徒の遊び場として使用することもある。

在山梨县的一所小学操场的一角开始了我的旅程。


あの頃はボールを蹴ることに夢中になり
必死でゴールを決めることだけを目 指した。
そして、ひたすらゲームを楽しんだ。
サッカーボールは常に傍らにあった。

ゲーム,这里指比赛形式的练习。

那时只想着踢球,一心为了进球而拼命地练习。
然后,一个劲儿的享受练习比赛的乐趣。
可以说是人不离球,球不离身。


整体看来,我觉得你翻得很好,就是有些地方修饰词过多,有点夸大。
既然是中田选手的亲笔,应该体现出朴素,坦诚的感觉。

[ 本帖最后由 jinjin17 于 2006-8-30 23:03 编辑 ]
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