中国では深刻な就職難が続いている。2月の国家発展改革委員会(National Development and Reform Commission)の発表によると2006年、25万人の新社会人に対し創出される職はわずか11万人分だという。写真は長春(Jilin)で15日、人目を引く格好でゴキブリ退治用のえさを売るセールスマン。(c)AFP
中国経済は急成長を続けているのに、なぜか大学生の就職情況は厳しくなる一方。有名企業の限られた採用枠に大勢の学生が詰めかけ、競争率は時には数千倍に達する。そこから有名企業の新卒採用枠を「金飯碗」(金の茶碗)と呼ぶようになった。探しても探しても見つからない、金の茶碗のように珍しいものだという意味である。
かつて計画経済の時代。
絶対に倒産したりクビになったりすることがなかった国営企業の仕事を「鉄飯碗」(絶対に割れない鉄の茶碗)と呼んだ。「金の茶碗」は言うまでもなくそれをもじったものだ。とにかく手に入れるのが大変で得難い貴重なものという意味が込められている。
政府の公式なデータでは新卒大学生の就職率は約70%とされている。しかしこれは最終的にどこでもいいからとりあえず職につくというレベルの話で、大学生諸君の実感としては、周辺で見聞きする限りもっと悪い。さらには政府関係研究機関の報告などからは「新卒学生の半分近くは事実上、失業している」といった話も聞こえてくる。というのは、実は表面上は職についていても、実は無給の仕事であったり、極端に勤務条件の悪いアルバイト的な職種であったりすることも少なくないからだ。
とにかく職が決まらない
先日、北京のある日系企業が新卒学生向けの合同会社説明会に参加した。知名度も高くない小さな会社で、採用は1人の予定だったが、ブースを開くや学生の列ができ、夕方の終了時刻まで人が途切れない。日本語が一定のレベルで読み書きできる人を条件にして、簡単な面談を通じて受け取る履歴書を絞ったが、1日で200人近い学生の資料が集まった。
ほとんどが有名大学で、中には東北地方や華南一帯から列車に乗ってやってきた学生や日本からこの説明会のためにわざわざ飛行機に乗ってやってきた留学生もいた。
この会社は結局、今回は適当な人がいないということで採用を見送ったのだが、最終選考に残った10数名の学生に対して1カ月近く後にまた電話してみたら、その後就職が決まっていたのは1人しかいなかった。日本語が堪能な有名大学の学生でこの情況なのだから、他は推して知るべしであろう。
あっと言う間に数千人の応募が
新聞報道によると、国有携帯電話会社の江蘇省移動通信が新卒の募集広告を出したら、人気業種ということもあって、あっと言う間に7000人の応募が殺到。ほかにも有力な国有企業や欧米の外資系企業では軒並み1人の採用枠あたり2000人以上の応募がある情況という。これではまさに「金の茶碗」に違いない。
こうした情況が発生する背景には、大学生に対する人材需要が思ったほど伸びていないこと、逆に新卒学生の供給が急激に増えたという両方の原因がある。
中国は近年、年率10%もの高度成長の下、外資系を中心に製造業の進出と規模拡大が続いている。しかし中国は「世界の工場」と言われるように、比較的労働集約的な業種の進出が多い。そうした業種では、技術系学生は別として、大卒者を大量に必要とする管理部門の機能は比較的小さく、ホワイトカラーの数がもともと少ない。そのためとくに文科系の学生に対する求人は経済成長率ほどには増えないという傾向がある。
増える技術系高校卒業者への求人
逆に職業高、中学の就職率は軒並み伸びており、政府のデータによると、中等職業学校の就職率は00年の85.4%から04年の95.4%に、高等職業学校卒の就職率は03年の56%から05年には62%にそれぞれ上昇している。こちらはさしずめ「金の卵」というべきかもしれない。
その一方で4年制大学が送り出す卒業生数は増え続けている。中国政府は2000年頃から大学制度の大幅な改革に着手、大学の新設ラッシュと入学定員増が続いている。この数年で学生数は一気に2~3倍に増加、このアンバランスが新卒学生の就職難を生んでいる。私個人はあまり実感していないが、「最近、新卒大学生の質が明らかに落ちた」という感想を持っている企業関係者は少なくない。
どうやらこの様子だと「金の茶碗」を追い求める新卒学生の苦難の道はそう簡単に終わりそうにない。
カテゴリー[ 中国社会 ], コメント[1], トラックバック[0]
登録日:2006年 08月 21日 10:52:22
コメント
2000年頃の「高等教育改革」が当時の経済成長をけん引するためにわざと考えられた手段しかないということは最近指摘されています。どうんな方法を使ってもなかなか内需があがらないという状況の中、国の専門家たちは国民が子供の教育に金を惜しまないという特徴を掴んで、では学生数を増やしたらどうだという考えを検討しました。いわゆる「教育産業化」というプロジェクトがうちあげられ、確かに一定の効果を収めました。ですが、ともに生じた副作用もかなり深刻なものになっているようです。当初は経済が活発になるとともない、雇用状況も改善していくことで余りの卒業生を吸収できると想定していたようですが、現状を見ればわかるようにまったくズレでした。教育を犠牲して内需を拡大させるのは毒酒を飲んで渇きを癒したいという考えとまったく同じだと思われますので、こんな結果になるのも当然のことでしょう。ならば今度はマスターの人数を増やして、現在の就職難をさらに数年後にずらしたらいかがと政策は再びこのような傾向を示している。まさか同じ轍を踏むことになるでしょう。 |