筋肉のマヒのため、自宅からスクールバスに乗るまでの200メートルを歩くのに数十分かかる少女がいた。日々大きな苦痛を背負っているとみえた少女には、しかし、朝の楽しみがあったという。
一位少女由于肌肉麻痹,步行从自家到乘坐校车的200米距离,也要花数十分钟。这位看似每天都承受着痛苦的少女,却坦言早晨也有着自己的乐趣。
まず喫茶店の前で、店員の女性とあいさつを交わす。言語障害もあるので、周りには「うーうー」としか聞こえないが、女性には「おはよう」と聞こえている。仕出屋の前で最初の休みをとり、猫のクロにもあいさつする。
しだし‐や【仕出し屋】料理や弁当などの仕出しをする家。また、その人。
首先在咖啡店门前,与女店员进行寒暄。由于有语言障碍,在周围人听来只是简单的“唔——唔——”声,而对少女而言,听起来却是“早上好”。她在外卖店门前作了第一次休息,还对那儿的猫咪库乐打了招呼。
続いて、まばらに木の生えた所で休み、おしまいの休みは草花の植えてある家の前でとる。マツバボタンにそっと触れて、朝のあいさつは終わる。「少女の朝の数十分の生活を知ったとき、わたしは衝撃を受けました……この少女によって、『子どもが見える』ということの意味を教えられました」。灰谷健次郎さんが「希望への橋——わたしの子ども原論」に書いている(『子どもが生きる』所収・世界思想社)。
接着,她在树木生长稀少的地方休息,最后一次休息则选在一户种植花草的人家前,她用手轻碰马齿笕,以此结束早上对生灵的问候。灰谷健次郎在《通往希望之桥——我们孩子的原理》 (收录于《孩子生活》·世界思想社)中这样写道“闻知少女这数十分钟的早晨生活,我深为震动……这个少女,教会了我们‘孩童所见’这个词汇的含义”。
小説「兎の眼」や「太陽の子」で知られる灰谷さんが、72歳で亡くなった。神戸で小学校の教師を務めた経験に立ち、学校や大人の社会への厳しい論評を続けた。
因小说《兔之眼》《太阳之子》而闻名的作家灰谷先生, 72岁时逝世了。他以自己在神户担任小学教师的经验,一直坚持对学校和成年社会做出严厉的评论。
「子どもの発する声から人間所在の危機を推察することは十分可能なのに、そうしようとしない教師は自らの人間性を見出せないままでいる、という悲劇まで加わる」(『学校のゆくえ』岩波書店)。
“倾听孩子的心声便极有可能推测出人类所存在的危机,然而不愿意如此的教师,甚至可能造成悲剧,一直也都无法发现自身的人性”。 (《学校的发展》岩波书店)。
子どもたちを見るだけではなく、見つめなければ「子どもが見える」ことにはならない。現代の家庭や教育の現場を照らす手がかりを、あの少女や命あるものたちとの触れ合いで得たのだろう。
我们不该仅仅眼望孩子,如果不给以关注的话,便无法知道“孩童所见”。对于反映现代家庭及教育现场状况的手段,或许通过那少女或某些生物,我们也会有些许收获吧。
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