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日本語のあいまいさについて
僕はこういうのが気になる。たとえば「パンがご飯に代わった」という文を考えてみる。これは、①「パン→ご飯」という意味だろうか、②「ご飯→パン」という意味か?
どちらの意味にもなる。「俺は今まで朝食にパンを食べていたが、この頃はご飯を食べることが多くなった」という意味(①)にもなるし、「今まではご飯を食べる人が多かったけど、それがこの頃ではパンを食べる人のが多くなった」という意味(②)にもなる。
例文を作ってみる。「僕は朝食はパンが多かったが、この頃はパンがご飯に代わった」だと、①だ。「日本人は伝統的にご飯を食べてきたが、最近ではパンがそのご飯に代わった」というふうに。
「彼の好きな彼女」という文はどうか?「彼が彼女を好き」(③)なのか、「彼女が彼を好き」(④)なのか?これもどちらの意味にもなる。つまり、「彼の好きな彼女はもう日本にはいない」なら(③)だし、「彼の(ことが)好きな彼女は、彼のそばを離れない」なら(④)だ。
留学生の人はバイトをしていたが、ある日出かけると、「もういいです」と言われたという。「もう来なくていいです」という意味だが、それなら「もう駄目です」と言うべきではないか、と。日本語は分かりにくい、と。たしかに、なぜ承認であるはずの「いいです」が、断る言葉になるのだろう?
「断る」という言葉も、「拒絶する」という意味でも使うし、一方で「誰に断ってここに入って来た?」という場合は、承認をもらう、という意味で、180度違うということはないが、170度ぐらいは違う感じがする。これは、僕が感じるところでは、「一線を画す」ということかもしれない。「あなたと私の間に一線を画す」となれば、拒絶だし、「あなたの承認がない状態から、承認をもらった状態に移る」となれば、後者。
よくこんな曖昧な言葉を何千年も使い続けるなあと思うけど、そこは以心伝心なのかな。まあこんな例をあげずとも、主語のない文が作れるという時点ですでに超あいまいだけど。
もしかしたら、民族の知恵がこういう曖昧さを意図的に残しているのかもしれない。文脈とか空気で察する訓練を人にさせるように。俺は聞いたことがあるが、ドイツ人も、日本人と同じでものを作るのが得意で、たとえば工作機械なんて言ったらドイツ製や日本製が世界で1番2番じゃないか?でも、ドイツ人の作る機械というのは、ガッチリしてて壊れにくくて誰にでも使えるようなのが多いそうだ。日本人の作るものは、繊細だけど、使う人が不器用だったら使えないものが多いとか聞いたことがある。
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