「日本銀行は誰のものか」。経済学者だった大内兵衛氏は、「朝日ジャーナル」が創刊された59年に、そんな表題の論文を寄せた。「金融は産業の血液であるが、中央銀行はその心臓である。全国の各銀行はその血管である。金利は、すなわち脈搏(みゃくはく)である」
《日本银行究竟属于谁?》。这是已故的经济学者大内兵卫,在《朝日杂志》创刊59周年之际,所投稿论文的题目。论文中写道,“金融是产业的血液,而中央银行则是产业的心脏。全国各家银行是产业的血管。利率是其脉搏。”
日銀という心臓が、金利という脈搏を変えないことを決めた。この利上げ見送りという結論は、政治の圧力によるものではないかとの見方があるようだ。
日本银行这个心脏,决定了不改变利率这个脉搏。似乎有观点认为日银静观利率或是由于政治压力之故。
確かに、自民党の幹部らが利上げを牽制(けんせい)する発言をしていた。日銀の福井総裁は圧力説を否定したが真相は分からない。
确实,自民党干部们曾表示将扼制利率的上扬。但日银总裁福井否定了压力说,这使得真相扑朔迷离。
旧西ドイツの中央銀行総裁を務め、「ドイツマルクの守護者」とも称されたというフォッケ氏が、次のような趣旨のことを述べている。中央銀行の指導管理を、政治すなわち政府に従属させようとするなら、その政府機関は、通貨や金融問題で中央銀行の当局者より高度の専門知識と実際的経験を有することが必要だ(『健全通貨』吉野俊彦訳・至誠堂)。
时任前西德中央银行总裁、被称为“德国马克守护者”的福克,发表了如下观点。如果让中央银行的管理从属于政治,即政府,那么政府机关就必须在货币及金融方面,掌握比中央银行的管理层更为深厚的专业知识和实践经验。(《健全货币》吉野俊彦•至诚堂)
この通りだとすれば、政治や政府が圧力で日銀を指導管理することは、本来は不可能なのだろう。それなのに疑われるのは、やはりあの村上ファンドへの出資があったからか。
事情果真其然,那么政治和政府以施加压力的方式对日银进行指导管理,根本就不可能出现的吧。尽管如此,仍备受质疑的,怕还是因为日银对村上基金进行投资一事吧。
フォッケ氏は、中央銀行は各家庭の主婦のささやかな家計や一般大衆預金者に対して責任を負っているとも述べた。福井氏も思いは同じかも知れない。しかしゼロに近い預貯金の金利とはけた違いの利益をあげる出資を、総裁になっても続けていた。そのことへの疑問が、日銀が打ち出した「脈搏」への疑問にもつながっている。
福克还这样说过,中央银行对每位家庭主妇细小的家庭开支和大众存款者都负有责任。福井或许也持有相同想法吧。但他在担任总裁后仍进行与几近为零的存款利息有着巨大差别的高效益投资。人们对此事的疑问,与日银“脉搏”跳动的疑问联系在了一起。 |