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[其他问题] 平假名的来源问题

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发表于 2007-2-20 05:45:54 | 显示全部楼层 |阅读模式
平假名是从中国的草书过来的

那他的发音和古汉字是不是差不多?

比如“宇”在唐朝的时候难道是发“乌”的音
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发表于 2007-2-20 06:40:31 | 显示全部楼层
唐朝人知道得比较清楚
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发表于 2007-2-20 09:17:52 | 显示全部楼层
【万葉仮名】
もと中国で、インドや中央アジアなどの外国の地名・人名などを表すのに「身毒」Hindu、「阿弥陀」Amitaのような用法があったが、本邦でもこの方式は、5世紀ごろの文献のなかにすでに人名などの表記に使用されている。8世紀(奈良時代)になると、人名、地名はもとより、動詞や形容詞などの単語や、さらに進んで短い文の表記にも使用され、歌謡をこの方式で記したものも多く出現した。8世紀初頭の『古事記』や『日本書紀』はその例である。8世紀中葉に成立した『万葉集』は、和歌4500余首を集録するが、そのなかで万葉仮名はもっとも盛んに使用されている。それは分量のうえからも、内容上のバラエティーからもいえることである。8世紀の文献には「風土記{ふどき}」『歌経{かきよう}標式』「仏足石歌碑」など、万葉仮名を用いたものが多いが、同じ時期の「祝詞{のりと}」「宣命{せんみよう}」などの口誦{こうしよう}を主とした文献では、正用の漢字に添えて万葉仮名を小書きにした、いわゆる「宣命体」が発達した。さらにまた、当時の仏僧の著述のなかにも、万葉仮名による和訓の注記が往々にしてみられる。このような状態は、次の平安時代以降にも伝統的に継承され、脈々として近世にまで及んだ。しかし、平仮名、片仮名の創案・発達に伴い、その用法は限定されていった。
 万葉仮名の用法には大別して「音{おん}仮名」と「訓仮名」とがある。前者は漢字の字音に基づいたもので、「阿(ア)米(メ)」「烏(ヲ)等(ト)?(メ)」などがそれであり、後者は国語の音に基づいたもので、「八間跡(ヤマト)」などがそれである。『古事記』『日本書紀』などの訓注や歌謡はすべて音仮名を用いたが、『万葉集』の歌では音仮名、訓仮名を併用し、ことに訓仮名のなかには、「鶴鴨{ツルカモ}」「八十一」(クク)、「神楽声」(ササ)、「山上復有山」(イデ)のような特異な用法のものまで含んでいる。「五十{イ}蜂音{ブ}石花{セ}蜘蛛{クモ}荒鹿{アルカ}」などは、故意に動物の名を連ねた例で、戯書{ぎしょ}とよばれるが、これも訓仮名の一種とみられる。訓仮名はこのほか『古事記』や『日本書紀』、古文書の神名・人名などに用例があるが、一般の語の場合は音仮名が多かった。その音仮名も、もとになった漢字音の種類によって、「止{ト}」「?{ガ}」「巷{ソ}」「移{ヤ}」などの古音、「奴{ヌ}」「美{ミ}」などの呉{ご}音、「娜{ダ}」「磨{バ}」などの漢音の別があったが、そのうち呉音関係のものがもっとも多く用いられた。また、呉音の語尾を省略したものがあり、「天{テ}」(tienのnを省略)、「良{ラ}」(langのngを省略)、「禰{ネ}」(nieiのiを省略)、「末{マ}」(mu?tのtを省略)など、その例である。
【平仮名】
平仮名は万葉仮名の全画を極度に草書化して生じた、日本独特の音節文字である。現在一般に用いられる字数は47字で、ほかに「ん」を含めて48字となる。その字体と、字源と考えられる万葉仮名は次のとおりである。
い(以) ろ(呂) は(波) に(仁) ほ(保) へ(部) と(止)
ち(千) り(利) ぬ(奴) る(留) を(遠) わ(和) か(加)
よ(與) た(太) れ(礼) そ(曽) つ(川か) ね(祢)
な(奈) ら(良) む(武) う(宇) ゐ(為) の(乃)
お(於) く(久) や(也) ま(末) け(計) ふ(不) こ(己) え(衣) て(天)
あ(安) さ(左) き(幾) ゆ(由) め(女) み(美) し(之)
ゑ(恵) ひ(比) も(毛) せ(世) す(寸)
ん(无)
*「へ」は「部の草体の略字体」
*「よ」は「與の略字体の古体」
 上の字体は、1900年(明治33)の「小学校令施行規則」によって統一されたものであるが、このほかにも、「変体仮名」が用いられることがあり、ことに右の統一以前には多くの異体字が行われていた。なお、「かきくけこさしすせそたちつてとはひふへほ」の20字については濁点を加えて「がぎ……ぼ」とし、「はひふへほ」の五字については半濁点を加えて「ぱぴぷぺぽ」とする。また、「ゐ」「ゑ」の二字は「現代かなづかい」では使用しない。
平仮名の作者は、弘法{こうぼう}大師空海とする説が古くからあるが、確かな根拠はない。平仮名の古例は平安初期の9世紀末ごろまでさかのぼるが、それは空海没後数十年を経ている。平仮名の作者を特定することはむずかしいが、おそらく当時の識字階級のなかに求むべきであり、当初はかならずしも女性とは限らず、むしろ男性の書記や教養人の手によって発達したのではないかと思われる。8世紀末ごろ以後、書簡文などに、一字一音の万葉仮名を草体化して連ね書いたことがあったが、しだいにその字体の簡略化が進み、9世紀末には、現行のような平仮名字体が成立していたらしい。10世紀初頭の勅撰{ちょくせん}の『古今和歌集』が平仮名によって記されたのは、この文字がすでに完成して、公的場面に登場するにふさわしい資格を備えていた証{あかし}と認められる。ついで10世紀末には、漢詩と和歌を併載した『和漢朗詠集』がつくられたが、そこには漢字と平仮名との併用がみられる。平安中期における『枕草子{まくらのそうし}』『源氏物語』などの女性仮名文学の隆盛は、平仮名の発達が一因をなすといわれる。平仮名の当時書写の資料をみると、10世紀末ごろまでは比較的単純な字体が多く、字母もわりあい少数なのに、11世紀以後にはかえって複雑な字体が増加し、字母の種類も多くなる。これは、当時の書道の隆盛により、平仮名の字体に変化が求められた結果と思われる。その傾向は中世以後にも長く伝えられ、字体も平安時代以来ほとんど変わらぬままに現在に及んでいる。その使用範囲も、平安時代に女性が中心であった伝統が後まで続き、女性や子女の世界に主として行われた。鎌倉時代以後、「法華経{ほけきよう}」や『論語』など、漢文の和訳本が平仮名で書かれたものがあるが、おそらく婦女子の読者を対象としたものであったと思われる。また、古くは平仮名文はほとんど平仮名ばかりで、漢字を交えることが少なかったが、中世以後にはしだいに漢字を混じたものが増加した。
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