お田鶴さま(3)
――船が出たのは、あくる未明である。
お田鶴さまは、老女のはつと若党の安岡源次、小者(こもの)の鹿蔵をつれ、胴ノ間の一角を定紋入りの幕で囲んだ席に入った。
「竜馬殿も、ここいらせられまするように」
とお田鶴は声をかけてくれたが、竜馬は、
「いや」
と、いったきり、船の上に出てしまった。好きなようにさせろ、という顔つきであった。
そのあと、老女のはつがお田鶴さまにささやいて、
「だいぶ、変わり者のようでございますね。うわさでは、文字もろくに読めないと申すではありませぬか」
「左様なことはありませぬ。兄上(宮内)が申されていた話では、韓非子(かんぴし)という難しい漢籍を、あるとき、竜馬殿は無言で三日も睨んでおられたことがあるそうでえす」
「三日も」
はつは、おかしそうに笑って、
「文字も読めないくせに」
「いいえ、三姉の乙女どのが教えたそうですから、文字は読めます。書も、我流の変な書体だそうですけれど、どんな字も書けます」
「まんざらの阿呆でもないのでございますね」
老女は、竜馬に好意を持っていない様子である。郷士の分際で、家老の妹に、へいつくばらないのが、腹が立つのだろう。
「阿呆どころか、その韓非子を三日も睨んでいて、四日目に、小高坂塾の池次作先生が坂本家に遊びにお見えになったとき、堂々とお論じになったそうです。池次先生は、聞きながら震え上がってしまわれた。聞いたこともない解釈だったものですから」
「でたらめだったのでございますね」
「そうでもありません。学者ではとても考え付かない面白い解釈だったからです」
「しかし漢籍の訓(よ)みがくだらないというのによく分かったものでございますね」
「天稟(てんぴん)があるでしょう。人の中には、先人の学問を忠実に学ぼうとする型と、それよりも自得していという型の二つがあるといいます。竜馬殿は後の型で、その心が並外れて強い人だと思います。そういう型は、唐土の曹操のように乱世の英雄に多い、と兄上が申していましたから、田鶴は一度、その乱世の英雄に会ってみたいと思っていました。ところがいざ、お会いしてみると」
「どうでございましたか」
「引き入れられるような所のあるお人ですね」
「それは、お嬢様――」
はつは、こわい顔をして見せた。
そのころ竜馬は、船の艫(とも)で潮風に吹かれながら、梶を取っている老人の姿を、子供のような熱心さで見つめていた。老人があきれて、
「旦那、よっぽど船がお好きと見えますな」
「ああ、好きだな」
乱世の英雄にしては、無邪気すぎるほどの眼である。
「旦那、ひとつ、梶を教えましょうか」
「それよりも、おれやらせてくれ。お前はそこについていて、いちいち手直してくれればいい」
竜馬は、梶取りに弟子入りしてしまった。
この鳴門丸の梶取りの老人は、讃岐(さぬき)の仁尾(にお)の生まれで、七蔵といった。
七蔵は、つくづく感心した。
(なんとか勘のええお侍じゃろう)
竜馬は半日のうちに、梶の取りからはおろか、かぜの呼吸、帆のあしらい方まで呑み込んでしまったのである。船頭の長左衛門も、これには驚いて。
「好きというのは、恐ろしいものでございますのう。旦那はこの分では、よほど学問もできなさるじゃろ」
「学問の方で、そっぽを向いている」
「そっぽ、と申しますと?」
「縁がない、ということさ」
持ち前の無愛想さで言った。
船頭長左衛門も梶取りの七蔵も、この十九歳の若侍がすっかり気に入ってしまい、まるで海賊の若大将にでも仕えるような態度で、竜馬を遇しはじめた。竜馬には、人を慕い寄らせる香りのようなものがあるのだろうか。
その夜は、お田鶴さまたちのいる胴ノ間にはおりず、寝ずの番の水夫(かこ)が休息する船尾のとまぶきの屋根の下で寝た。
翌朝、七蔵老人が船尾へ行くと、竜馬は、まわし一つの素裸で屋根の下からゆっくり這い出てきて、
「おい七蔵、この姿だ。何とかしろ」
「へっ。どうかなされましたか」
「脱いだ」
竜馬は、突っ立っている。
「船働きに大小は邪魔だからな。しかしこの裸ではどうにもならぬ。水夫の脱ぎ捨てたぼろでもよいから、おれに着せろ」
七蔵は横っとびにとんで、麻と木綿でつぎはぎした布子(ぬのこ)を持ってきて竜馬に着せた。縄の帯を締め終わると、
「どうだ、水夫に見えるか」
「見えまするとも。かこどころか、お若いながらも、ずっしりした大船頭じゃ。お侍にしておくのが、もったいないくらいでござりまする。いっそ、大小を捨てなさるか」
と冗談のつもりで言ったのだが、竜馬は大真面目で考え込んでしまった。が、やがて七蔵を見、
「考えてみたが、やっぱり船頭はだめだな。俺はこれから江戸へ修業に出て、日本一の剣術使いになるつもりでいるからな」
「けっこうなことでございまする。しかし旦那なら剣術をやっても、きっと日本一になりなさる」
「お世辞を言うな」
「しかし、旦那は戦国の昔なら、きっと海賊大将にでもおなりになるお方じゃな」
「物取りか。ばかにしちょる」
「高松の講釈場でこんな咄(はなし)を聞きました。石川五右衛門が捕まったとき、泥棒が何が悪い、太閤(たいこう)秀吉こそ天下を盗んだ大泥棒ではないか、ともうしたげにござりまするが、盗むなら、やはり天下を盗むほうが、男らしゅうござりまするな」
「お前は、たいそうな学者だな」
播磨灘(はりまなだ)は、ほどよく晴れている。
翌々日、鳴門丸は大坂の海に入り、帆を徐々におろしつつ、安治川尻(あじかわじり)の天保山沖に入って、七つの碇(いかり)を投げ入れた。七蔵老人が、
「お別れでござりまするな。ご精進なされてきっと日本一の剣術師匠になられましょ」
「ああ」
竜馬は、もとの旅装束(しょうぞく)に戻っている。
やがて艀舟(はしけ)が、鳴門丸の舷側(ふなべり)に群がってきた。客を岸へ運ぶためのものだが、そのうち一隻は、船首(へさき)に三つ葉柏(ばがしわ)の土佐の藩旗をつけている。お田鶴さまのために、大坂の留守居役が気を利かせて差し回したものだろう。
竜馬もそれに便乗した。
舟は、いったん尻無川の川口へ廻って北上し、九条村中洲の松の岬を廻って木津(きづ)川にはいるころには、舟はすでに市街の中を漕いでいた。
(ほう)
高知の城下町で育った竜馬は、両岸にならぶ蔵、町家をみて目を見張った。はじめて見る殷賑の府である。お田鶴さまも楽しそうに、
「竜馬殿、さすがに天下の富を集散する浪花(なにわ)の地でありまするな」
とはしゃいた。
そのとき船は大きく揺れ、東に折れて、せまい運河に入った。
長掘川である。
やがて橋二つを潜って、鰹座橋の下に舟はついた。
岸に、ナマコ塀をめぐらした蔵作りの堂々たる屋敷が見える。土佐の大坂藩邸である。
この一帯を白髪町といい、町名は土佐の木材の産地白髪山からとられた。白髪山から切り出された木材が、海を渡ってこの川岸(かわぎし)に着き、大坂藩邸を通して売りさばかれる。
藩邸の両側には、鰹、紙、材木など土佐物産の問屋がひしめいていた。
「竜馬どの、まるで土佐に戻ったような感じがいたしますね」
「はあ」
竜馬は、ここでお田鶴さまと別れるべきだと考えていた。
お田鶴さまの宿所は、この藩邸のなかの「御殿」と呼ばれる建物である。藩公か重臣だけの宿所になっており、竜馬は、身分柄、そこには止まれなかった。
竜馬は、すでに歩き出していた。町々の暮色(ぼしょく)が深くなっている。
「竜馬殿、どこへ参ります」
「江戸へ」
背を見せまま、竜馬は答えた。急がねばならぬ。まだ道は、百四十里もあるのだ。
「それは分かっています。今夜は、この蔵屋敷でお泊まりなさい」
「……」
「なぜ、お返事なさいませぬ」
「私は郷士だからな」
微笑して見せた後は、あなたと身分が違う、といったつもりなのであろう。
それから半時のちに、竜馬は、天満の八軒家の船宿に行くために高麗橋を渡ろうとしていた。
暗い。
提灯を持たない竜馬は、橋の欄干に身を摺り寄せるようにしてそろそろと歩いた。
その時不意に背後から、
「おい」
と声を殺して呼びかけた者がある。
あっ、と竜馬は前へ跳んだ。袴のすそが、切り裂かれたのが、足の感触分でかった。 |