咖啡日语论坛

 找回密码
 注~册
搜索
查看: 1552|回复: 8

[词汇问题] 包子和馒头日语怎么说?晕!

[复制链接]
发表于 2007-5-22 22:21:28 | 显示全部楼层 |阅读模式
请问高手!包子和馒头日语怎么说?晕!
回复

使用道具 举报

发表于 2007-5-22 22:24:48 | 显示全部楼层
饅頭まんじゅう 馒头

[ 本帖最后由 ronger528 于 2007-5-22 22:28 编辑 ]
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2007-5-22 22:27:43 | 显示全部楼层
中華饅頭 包子 ちゅうかまんじゅう

[ 本帖最后由 ronger528 于 2007-5-22 22:40 编辑 ]
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2007-5-22 22:37:46 | 显示全部楼层
谢谢啊  不过请写个假名啊   怎么读啊!
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2007-5-22 22:38:44 | 显示全部楼层
最好是音调是几都说说啊   谢谢  达人!!
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2007-5-22 22:40:47 | 显示全部楼层
中华馒头还可以自己拼出读音   包子请赐教一下  谢谢!!
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2007-5-23 06:30:20 | 显示全部楼层
包子:中華まん(ちゅうかまん)
馒头:マントー、餡無し中華まん(あんなしちゅうかまん)、具無し中華まん(ぐなしちゅうかまん)
日本的饅頭(まんじゅう)和中国的馒头或包子完全不一样,你只说まんじゅう的话免不了招人误会。

※参考
肉包:肉まん(にくまん)
红豆包:あんまん
http://esearch.rakuten.co.jp/rms ... &x=0&c=1831
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2007-5-23 09:17:35 | 显示全部楼层
谢谢楼上的    解释得真详细!
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2007-5-23 09:57:11 | 显示全部楼层
馒头∶
中国式蒸しパン.マントー.
『注意』日本の「まんじゅう(饅頭)」とは異なり,小麦粉だけで中にあん・具などは入っていない.あんこや肉・野菜などが入っているものは“包子baozi”という.
包子∶
(中にあんの入った)(中華)まんじゅう包子(パオズ).肉まんじゅう
详情请看以下∶
小麦粉、米粉、そば粉など、粉類の皮で各種の餡{あん}を包んで蒸したもので、蒸し菓子の代表。蒸し上がりの皮をふっくらさせるため、ヤマノイモのふくれを応用した薯蕷{じょよ}まんじゅうや、甘酒の絞り汁を加えて酒素{しゅそ}の発酵作用を利用した酒{さか}まんじゅうに大別されるが、このほか全国温泉地などにみられる膨剤を使った大衆的なまんじゅうもある。薯蕷まんじゅうはまた薬{やく}まんじゅうともよばれた。ヤマノイモは不老強精に卓効があり、山薬と称したところから薬まんじゅうの名が生まれた。まんじゅうは下側を平らに、上部を丸く形づけて蒸し上げるが、上部も平らにして小判形にしたものや、こんもりと盛り塩をしたように腰高につくるものもある。腰高まんじゅうは職人の技術も優れていなければならないので、まんじゅうとしての格式が高い。
 まんじゅうの起源は、中国の三国時代に蜀漢{しょくかん}(蜀地方を中心に劉備{りゅうび}の建てた国。国号は漢)の丞相{じょうしょう}となった諸葛孔明{しょかつこうめい}(181―234)が南征したとき、人間を殺してその首を神に供えれば戦いは有利になるとの進言を退け、小麦粉を練った皮で羊と豚の肉をくるみ、人頭をかたどって蒸したものを捧{ささ}げたのが始まりという。これに類似したものは、奈良時代にわが国にもたらされた唐菓子{とうがし}類のうちの、?飩{こんとん}(小麦粉を水でこね、その中に細かく刻んだ肉を包み、丸めて蒸したもの)にみることができる。いわば今日の中華肉まんじゅうの姿である。また『吾妻鏡{あづまかがみ}』の建久{けんきゅう}3年(1192)11月29日の項に、五十日百日{いかももか}のお祝いに「十字」を贈ったとある。この十字は蒸餅{じょうへい}、つまりまんじゅうの異称である。表面に十の字の焼き印を押したのでこの名があるとされるが、当初はまんじゅうの皮が無残に裂けるのを防ぐため、十字の切れ目を入れたものと考えられる。
 その後、1242年(仁治3)に中国宋{そう}から帰国した聖一{しょういち}国師(円爾{えんに}弁円)が、博多{はかた}で粟波{あわなみ}吉右衛門に酒まんじゅうの仕法を伝授したという話もある。しかし酒まんじゅうが世に出るのは1461年(寛正2)の、本の字まんじゅう(駿河{するが}屋)以降で、14世紀の中ごろに元{げん}から亡命した林浄因{りんじょういん}のもたらした薯蕷まんじゅうが、一足早く名声を得ている。このまんじゅうの出現が、わが国での菓子史の事実上の始まりともみられるのは、それまでの菓子が主食との判別がつきにくい性格であったことや、十字とよばれたもの、あるいは伝来当初の酒まんじゅうが、それほどに豪華な菓子ではなかったからであろう。林浄因の一族は林{はやし}氏塩瀬を名のり、この菓子司の一族から『節用集』を著し、俗に饅頭屋宗二といわれる学者や、名僧を輩出したほか、塩瀬羽二重{はぶたえ}や塩瀬袱紗{ふくさ}なども世に出し、室町以降の茶道の興隆とともに塩瀬まんじゅうの地位を不動のものとした。一方、酒まんじゅう系も本の字まんじゅうに続いて、1635年(寛永12)に黒川円仲が御所に献上した酒まんじゅうをもって高名になった。これが虎屋{とらや}の酒まんじゅうであり、以後、塩瀬の薯蕷まんじゅうとともに、格式あるまんじゅうとして今日まで名声を二分してきた。
回复 支持 反对

使用道具 举报

您需要登录后才可以回帖 登录 | 注~册

本版积分规则

小黑屋|手机版|咖啡日语

GMT+8, 2025-1-31 07:32

Powered by Discuz! X3.4

© 2001-2017 Comsenz Inc.

快速回复 返回顶部 返回列表