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发表于 2007-8-27 13:28:45
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1、これから二十年、三十年たって、戦後文学をどう評価するかといったら、戦後文学を戦後的理念と一緒に評価して、その一対自身がアルケオロジーの対象になるような形で取り上げるのでなかったら、これは話にならないだろう。
2,30年后,有关对战后文学的评价上,如果不把它与战后理念配对作为考古学的研究对象(来评价)的话,这个评价还会有什么意义呢?
2、僕が富岡さんの終焉論に不満なのは、限定の仕方が、七十年とか七十八年とか、人が死んだ時点に象徴させて言う。それは外的に何かが起こったという言い方で、やはり僕は奥野さんに感じるのと同じ様な不満を感じるんですよ。
我之所以对富岗先生的终结论不满,就在于其(所采用的)限定方法,以70年或者是7,8十年这种人的死去作为象征的做法。这种说法等同于(终结)起源于外在因素(人的死亡),这一点上我有着和奥野先生所感受到的同样的不满。
これって 富岡幸一郎の「戦後文学のアルケオロジー」への書評?
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