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第2次世界大戦のはじまり--日本近代史

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发表于 2008-1-2 22:49:02 | 显示全部楼层 |阅读模式
 世界恐慌の被害がもっとも大きかった国は、ヨーロッパにおいてはドイツであった。ドイツは第1次世界大戦の敗北によってすべての海外植民地を失い、国内においてはアルザス・ロレーヌ地方及び、ザール炭田を失った。加えて莫大な賠償金はドイツ経済を破壊した。このドイツ経済の復興を担ったのがアメリカによる借款であった。これによって順調に復興を遂げていたドイツ経済を襲ったのが、世界恐慌であった。アメリカの恐慌はアメリカの対ドイツ借款を停止させた。これによる資金不足に加えて恐慌によるドイツの対外輸出の減少はドイツ経済をますます痛めつけた。恐慌対策として列強のとったブロック経済圏形成は、ドイツ製品を世界市場から閉め出したのである。このようにしてドイツは底なしの不況の中に落ち込んでいった。

 この時にドイツに現れたのが「ナチス党」(ドイツ国家社会主義労働者党)である。ナチスとそのリーダー、「ヒットラー」はドイツの不況の原因をベルサイユ条約とそれをドイツに強制したイギリス、フランス、アメリカなどの列強のせいにした。また、ドイツ人の敵として「共産主義者」と「ユダヤ人」をあげ、これを攻撃した。ナチスのこの宣伝は不況下のドイツ人の心をとらえた。1933年、ヒットラーは合法的な選挙で政権を握ると、全権委任法を制定し、自ら独裁者の地位についた。ヒットラーは、ドイツの独裁者となると、ベルサイユ条約を一方的に廃棄し、軍備の増強に乗り出した。そして、1936年にはラインラントに出兵すると、これを併合した。

 これに呼応したのがイタリアであった。イタリアもドイツと同様に、世界恐慌の被害の大きかった国である。イタリアでも極端な国家統制による国家社会主義と軍備の増強と侵略戦争を主張するファシスタ党が勢力を拡大し、党首のムッソリーニが1922年に独裁的な権力を握っていた。この二つの国の共通点は、ともにイギリス、フランスなどの列強と比べると後発の資本主義工業国であったことと、そのために海外植民地が非常に少ないか、ほとんどなかったことである。これらの国が世界恐慌の中で生き抜くためには、自国の経済圏を形成するしかなかったが、そのための植民地がなかった。世界はすでに、先発の先進工業国(列強)によって、分割統治されていたのである。ドイツは先陣を切って、この秩序への挑戦を試みた、これが第1次世界大戦であった。しかし、これに破れたドイツにとっては、再びの世界再分割への挑戦が必要であった。イタリアの事情も同じであった。イタリアは1935年、アフリカのエチオピアに侵攻するとこれを併合した。事情がにていたのは日本も同じである。

 アジアの後発資本主義国、日本も同じ道をアジアで進めていた。これが満州事変であり、日中戦争であった。これらの3国は、この路線を強力に押し進めるために、国内において極端な全体主義体制をとり、国民の自由な権利をことごとく否定した。また、強力な軍事力の増大を謀り、軍国主義体制を作っていた。いわゆる「ファシズム体制」である。当然のこととして、これら3国は共通の敵を持つこととなった。持てる国であった、先進資本主義国である。イギリス、フランス、アメリカ、オランダなどの列強諸国である。これらの国々は、自らの利益を守るために団結していた。ドイツ、イタリア、日本が既存の列強支配の植民地に侵入しこれを奪うことがないように、また、これから列強諸国が支配を広げようとしていた地域にこれらの国々が進出しないように監視していた。国際連盟はこれら列強支配の場であった。故に、国連は、日本の満州支配を認めなかったし、イタリアのエチオピア侵攻、ドイツのラインラント進行を非難した。表向きは「中国やエチオピアの主権の侵害」が理由であったが、本心はこれらの国々の矛先が自国の支配権に及ぶことを恐れたのである。日本が国際連盟を脱退すると、イタリア、ドイツも続いて脱退し、3国は急速に接近し、1937年には日独伊3国防共協定を結び、同盟国となっていった。いわゆる「ファシズム同盟」である。

 ドイツのこのような動きに対してイギリス、フランス、アメリカは、最初は黙認の態度をとっていた。それは、ヒットラーが反共の姿勢を強く示していたからである。先進資本主義国であるそれらの列強諸国にとって、最大の敵はドイツ、イタリア、日本ではなかった。それは社会主義ソ連であった。資本主義を根本的に否定する社会主義とその輸出を目指してコミュンテルン(国際共産主義運動)の活動を続けているソ連、スターリン政権こそ、最も恐ろしい敵であった。ドイツの侵攻の矛先がソ連社会主義政権であるならば、これほど都合のいいことはなかった。ソ連が解体され、そのために力を使い果たしたドイツをその後に叩きのめせばいいのである。まさに漁夫の利を得ようとしたのが列強諸国であった。だから、ヒットラーが1938年、オーストリアを併合し、チェコスロバキアのズデーデン地方を併合しようとしたときも、ミュンヘンにおいてこれを黙認したのである。(ミュンヘン会議)イタリアも1939年、アルバニアに侵攻するとこれを併合した。

 しかし、列強諸国の姿勢が変化し、一気にドイツとの戦争に傾いていったのは、1939年8月、ドイツがソ連と独ソ不可侵条約を結んだときからであった。ドイツの矛先がソ連から自らの方に向かうことが明らかになったからである。ヒットラーのねらいは、全ヨーロッパの支配と、アフリカ、西アジアのイギリス、フランス植民地であった。ドイツとイタリアは軍事同盟を結ぶと、ドイツは1939年9月ポーランドに侵攻した。これに対してイギリス、フランスはドイツに対して宣戦布告をし、ここに第2次世界大戦が始まったのである。ドイツのポーランド侵攻と同時にソ連もポーランドに侵攻し、ドイツ、ソ連によってポーランドは分割統治されてしまった。また、ソ連はフィンランドの一部とバルト3国、リトアニア、エストニア、、ラトビアにも侵攻し、これを併合した。これは、ドイツとの秘密協定によるものであった。

 ドイツは、ポーランドを支配すると、その矛先を西に向け、電撃作戦により1940年5月にはデンマーク、ベルギー、オランダを、6月にはフランスを降伏させた。そして、7月にはイギリスへの攻撃を開始した。ドイツにしたがってイタリアもイギリス、フランスに宣戦布告した。このようにして始まった、第2次世界大戦は、緒戦におけるドイツの快進撃によって、1940年には、イギリス、ソ連をのぞく、ヨーロッパの全域がドイツ、イタリアの支配下に入ったのである。ドイツはその後、北アフリカ戦線に兵を進め、その支配を拡大しようとした。劣勢のイギリスをはじめとする連合国側は、アメリカの参戦を待つばかりになっていた。

コラム
 第2次世界大戦をファシズム陣営(同盟国側)と民主主義陣営(連合国側)の戦いであるとする見方は、多くの歴史書や教科書、そして映画などによく見られるものである。これによると、自由と民主主義を圧殺し、戦争を起こした同盟国は悪玉で、これと戦った連合国は自由と民主主義を守る正義の国であり善玉ということになる。アメリカやイギリス、フランス映画では、大戦の描き方はすべてこれで、連合国の将兵や将軍、政治指導者は「英雄」に祭り上げられている。しかし、これは連合国の自国を善玉に仕上げるための宣伝である。この戦争の実像は、「先進資本主義国と後進資本主義国の植民地再分割戦争」である。ここには、善も悪も存在しない。世界恐慌という未曾有の不況の中で、それぞれの国々がとった対策がもたらした世界的な対立の結果でしかないのである。

 後進資本主義国であった国々は、先進資本主義国であった国々への挑戦を国を挙げて行うために全体主義的な「ファシズム体制」をとった。もちろんこれは、国民の自由な権利を侵害し、反対者を弾圧し、多くの人命を奪った。これは悪である。侵略を受けた国々の人々にとっても大変は被害を受けた。侵略した国々の行いはもちろん悪である。国内統一のために悪者にされたユダヤ人を虐殺したことは、もちろん、とんでもない悪である。しかし、これらの国々を戦争に追い込んだ世界の体制のことを問わなければ、この戦争の本質は分からないのである。この戦争に勝った先進資本主義国も同じように、他国を侵略し、多くの人々を殺してきたのである。そのような、資本主義国の植民地政策、帝国主義政策そのものを問わないかぎり、この戦争の善悪を語ることはできないのである。

 1941年、イギリスのチャーチル首相とアメリカのルーズベルト大統領が大西洋上で会談し、発表した「大西洋憲章」において、領土不拡大、各国の自決権の尊重、開放的な国際経済体制、平和と安全のための国際協力が唱われたが、イギリスもアメリカも戦後において、自国の植民地を手放そうとはしなかったし、植民地の独立運動を軍隊によって圧殺しようとした。ここに見られるのは、植民地保有国のエゴだけである。
ドイツ、イタリア、日本の侵略戦争と虐殺行為は犯罪行為であるし、徹底的に事実究明と責任追及、そして補償がなされなければならないが、これらの国々だけが悪人であるのではない。

コラム
 ドイツ、イタリアに現れた独裁者、ヒットラー、ムッソリーニは大悪人、狂人として扱われることが多い。確かに彼らの行ったことは「正気の沙汰」ではない。
しかし、歴史的に見るときに重要なことは、彼らは国民に圧倒的に支持されていたということである。日本の天皇もそうであるが、国民がこぞって支持したのはなぜかを考えることこそ重要である。「国民が頭がおかしかった」「軍部や政府にだまされた」といった見方は、科学的ではない。国家や組織が壊滅の危機に立たされた時に、民衆はこれらのような独裁型の指導者を選ぶ傾向があるのである。民衆の歴史的、民族的な他民族に対する憎悪、劣等感を利用して、民族の統一を計ることは、歴史上何度も行われてきたことである。またこうすることによって、民族の統一を図り、国家の危機を乗り切ろうとすることも歴史的には珍しいことではない。ナポレオンが行ったことも同じことである。重要なことは、このような形で国家の危機を乗り切る方法は、決して問題の解決には成らないことを民衆が学ぶことである。戦争によっては何事も解決しないことを学ぶことである。そのためにはヒットラーを狂人扱いにすることによって問題の本質を見ないような見方を止めることである。

[ 本帖最后由 021vista 于 2008-1-2 22:50 编辑 ]
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