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日米開戦--日本近代史

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发表于 2008-1-2 22:53:22 | 显示全部楼层 |阅读模式

 なぜ日本はアメリカと戦争をすることになったのか、これは、明快な論理で説明のできることではない。日本の73倍もの大戦力を持ち、世界最大の工業力を持ち、第1次世界大戦後、イギリスを追い抜いて、世界第1の先進工業国となったこの大国を相手にして、まだまだアジアの中進国でしかなかった、小国日本が勝てる見込みがあったのであろうか。これは誰でもが考えることであり、それほど難しい問題でもなかった。勝てるはずがないことは誰でもが知っていた。だから、アメリカと戦争をするなどということは、狂気の沙汰であった。

 しかし、それを選んでしまった日本の指導者達。どうしてそうなってしまったのか。このことを理解しないかぎり、日米戦争を知ることはできないのである。

 日本にとって、不況からの脱出は、日本、満州、中国の経済ブロック(日満支経済ブロック)をかため、その資源と人間を日本の経済発展のために効率よく使うことであった。しかし、それは決してうまくいってはいなかった。満州における中国民衆の抗日の戦い、中国戦線の泥沼化、これらは日本経済の足を引っ張っていた。特に、中国戦線は日本にとってどうにも成らない状態であった。負けているわけではないが、勝っているわけでもなかった。しかし、中国を支配していないことは確かであった。かかるのは膨大な軍事費ばかりであった。中国戦線の打開は、日本経済の死活を握る重要問題であった。

 これを解決するために、日本が考えたのが北進論であった。ロシア、シベリアへの侵攻によって、シベリアの資源と広大な土地を手に入れることによって、中国戦線への糧とする、これしか道はなかった。日本にとって、鉄、石炭、石油はのどから手がでる程、欲しい資源であった。満州、中国ではそれはまかなえなかった。戦争政策の続行と工業発展はこの資源にかかっていた。しかし、1938年,1939年のソ連との戦闘における敗北は、北進論を不可能にしていた。残る道は南進論である。インドシナ、インドネシア、フィリピンへの侵攻である。そこには、日本が求める石油資源があった。しかし、そこは、フランス、イギリス、オランダ、アメリカといった、列強の植民地であった。

 南進論を進めることは、それらの国々と戦うことになるのは明白なことであった。誰が、この無謀な計画を進めるだろうか。それらの世界的な列強と戦争して勝てることなど、不可能であることは誰でも分かり切っていることであった。しかし、日本にとって中国戦線をそのままにしておくことは、じり貧になることであった。どうしても、中国戦線を打開するために、石油資源が必要であった。しかし第2次世界大戦の開戦と緒戦におけるドイツの快進撃は、手詰まりの日本に、一瞬の光明を与えた。インドシナ、インドネシアを支配していた、オランダ、フランスがドイツに降伏したのである。また、イギリスも連夜のドイツ軍の空襲に防戦一方となっていた。願ってもない情勢の変化であった。日本がこの地域に侵攻したとしても、とても日本と戦う余力は、それらの国々にはないように見えたのである。日本は迅速に行動した。まず、ドイツ、イタリアとの防共協定を3国軍事同盟へと発展させると、ドイツ支配下のオランダ政府に対して、インドネシアの石油、ボーキサイト、ニッケル、天然ゴムなどの貴重資源を日本の輸出することを承認させた。また、1940年9月、仏領インドシナに侵攻し、インドシナから中国、重慶の蒋介石政権へと伸びていた援蒋ルートの切断を目指した。また、タイ国と友好条約を結ぶと、タイ国内での日本の軍事行動を認めさせた。このような日本の行動に対して、イギリス、オランダは、日本への石油など輸出を禁止し、アメリカは日本への航空機用ガソリン、屑鉄の輸出を禁止した(ABCD経済封鎖)。この時期に日本は、ガソリンの75%、屑鉄の50%をアメリカからの輸入に頼っていたのである。

 アメリカからの、それらの禁輸は日本にとって決定的な打撃となった。アメリカを敵に回しては成らない。当時の日本政府も軍部、そう考えていた。アメリカはまだ、第2次世界大戦には参戦していなかったのである。ドイツと同盟を結んでいた日本にとって、インドシナを支配している、国々は敵国であり。これとの戦争はやむを得なかった。それに、ドイツによって、それらの国々は痛めつけられていた。しかし、アメリカだけは違った。無傷であるばかりか、強力な軍隊と世界一の工業生産力を持っていた。アメリカが、日本の南進を認め、日本と戦わないようにすることが日本にとって最も必要なことであったし、それなくして日本は先には進めなかった。しかし、1940年になって、アメリカ、ルーズベルト政権は第2次世界大戦への参戦を決定していたし、ドイツとの戦いとともに、その同盟国であり、アジアで連合国の列強の支配地域を侵そうとしていた日本との戦争も決意していた。後は、戦争のきっかけが欲しかっただけである。ルーズベルトにとっては、いまだ参戦に消極的であったアメリカ国民の世論を参戦へと大きく変えるには、アメリカ国民がドイツ、日本に対して「怒り」を持つようになる事件が必要であった。

 日本との戦争を決意し、そのきっかけを探していたアメリカ、それに対して、アメリカと戦争をしないために、何とか妥協策を探ろうとしていた日本。この両者は、1940年から1941年にかけて、盛んに交渉を重ねた。アメリカ側代表、ハル国務長官と日本側代表、野村駐米大使との交渉において、アメリカ側が日本に示した条件は、①領土主権の尊重(日本の中国からの撤兵)②内政不干渉(中国政府への不干渉と傀儡政権の否定)③機会均等(中国への経済進出の開放)④現状維持(インドシナなどの列強の支配権の尊重)であった。

これは、日本の満州、中国からの撤退とインドシナへの侵攻の否定を求めたもので、日本にとって、とうてい受け入れることのできないものだった。アメリカとの妥協は成立しなかったのである。アメリカ側は、日本がこれを認めることはないと読んで提案し、日本を追いつめることによって、日本を対米戦争に引きずり込もうとしたのである。

 日本にとっての日米開戦は、緒戦の大勝利から始めなければならなかった。そのためには、アメリカ軍の主力を奇襲のよって叩くことが必要であった。そのために選ばれたのが、アメリカ太平洋艦隊の母港であるハワイ真珠湾である。アメリカ側には、日本が開戦に傾いていることに気づかせずに交渉を続け、一方で密かに大軍を結集して、真珠湾を攻撃する。これが日本のたてた計画であった。しかし、アメリカ側は早くから、日本が開戦の準備をしていることは、暗号解読によって知っていた。ただし、それがどこから始まるかは知っていたかどうかは定かではない。ともかく、日本が奇襲を行った、12月8日(アメリカ時間では12月7日)のハワイ、真珠湾では、日本軍が攻撃を仕掛けてくるとは知らなかったし、それへの準備も全くしていなかった。日本は、計画どおり12月7日まで、アメリカとの交渉を続けていた。そして、攻撃の1時間前に交渉を決裂させることを決めていた。しかし、実際には攻撃の1時間後に交渉打ち切りをアメリカに告げることになった。これがアメリカをして、「汚いやり方」と言わしめることになった。日本軍は事前に密かに、千島列島の択捉島に兵力を集中すると、ハワイに向けて出発していた。全兵力は、空母6隻であった。12月8日午前3時20分(アメリカ時間、12月7日(日)午前7時55分)空母から飛び立った日本の航空隊は、真珠湾にいた、アメリカ太平洋艦隊の艦船に対して爆撃攻撃を行い、戦艦5隻、巡洋艦1隻を撃沈し、アメリカ側に大損害を与えた。アメリカ側の被害は、戦死者2334人、負傷者1341人、市民の死者68人、負傷者280人であった。これに対して日本側の被害は戦死者64人、捕虜1人と軽微であった。日本の奇襲は大成功したのである。これが、有名な「真珠湾奇襲攻撃」である。この「不意打ち攻撃」によってアメリカ国民は怒りが爆発し「リメンバー・パールハーバー」の合い言葉の元、日米戦争へと進むと同時に、第2次世界大戦へのアメリカ参戦へと国論が一気に傾いていったのである。そして日本は、全く勝つ見通しのない、無謀な戦争へとまっしぐらに突き進み、破滅へと向かうことになったのである。

コラム

 日本の真珠湾奇襲攻撃は、アメリカにとっては「汚いやり方」であり、ゆえに、この「汚い手を使った国」日本をうち負かすための戦争は「正義の戦争」であった。2001年9月11日、アメリカ、ニューヨークの貿易センタービルを襲った「同時多発テロ」に対して、ブッシュ、アメリカ大統領は「これは真珠湾攻撃と同じだ」といった。62年後の起きたこの事件に対してまでも、アメリカ人の意識の中に「パールハーバー」が残っていることは、この事件によって、アメリカ人がいかにプライドを傷つけられたかを物語っている。しかし、本当に真珠湾は「奇襲攻撃」であったのであるかどうかについては、諸説がある。アメリカ側は、日本軍が真珠湾を攻撃することは、事前に日本軍の暗号を解読することによって知っていたとする研究があるからである。ルーズベルト、アメリカ大統領はこれを知っていて、あえて現地軍に知らせず、日本軍の攻撃に任せたというのである。なぜなら、当時、ルーズベルトは第2次世界大戦への参戦と日本との開戦を決定していたが、アメリカ国民の世論は伝統のモンロー主義によって、参戦にも開戦にも否定的であったからである。イギリスのチャーチル首相からの要請もあり、アメリカの参戦が大戦の行方を左右することを熟知していたルーズベルトは、その機会をうかがっていた。日本の真珠湾奇襲は、その最良の機会となるとルーズベルトは判断し、黙認したというのである。これが真実であるとなると、真珠湾で死亡した人々は、アメリカ開戦のための「人身御供」ということになるのである。

 この説はかなりの信憑性を持って、戦後語られてきたが、近年、アメリカ側から、暗号解読は成功していなかったとの研究が出され、両論は未だに論争中であり、真実は分かっていない。しかし、重要なことは、アメリカはこの時にすでに、日米開戦を決定していて、日本は開戦を望んではいなかったのであり、その日本をいかに戦争に引きずり込むかをアメリカは計っていたということである。そのために、アメリカはわざわざ、日本の飲めない条件を日本に示したし(ハルノート)、日本をどうしようもない状態に追い込むためにも、ABCD経済封鎖)を実行したのである。

 この戦争は、インドシナの支配をめぐる列強同士の争いであり、どちらが善でどちらが悪といった見方は間違いである。アメリカが正義の味方であるとするアメリカの見方は、戦争の本質を見ない独善なのである。
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