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小説家、英文学者の夏目漱石は、慶応3年(1867)現在の東京に生まれました。本名は金之助です。東京帝国大学卒業後、松山中学、五高などで英語、英文学を教えます。明治33年には、文部省の命でイギリスに留学し、帰国後は、一高、東大で英文学を講じます。一方、「ホトトギス」の高浜虚子に誘われて「吾輩は猫である」「坊っちやん」などの小説を発表して文名をあげます。やがて専門作家として立つことを決意し、明治40年にいっさいの教職を辞して朝日新聞社に入社します。「三四郎」「それから」「門」の三部作や、「彼岸過迄」「道草」など数々の名作を執筆し、小説のほかに、文明批評や漢詩、俳句などを著わしています。特に俳句では、東大在学中に正岡子規と同級であったことから親交を結び、多くの句を残しています。大正5年(1916)胃潰瘍のため、49歳で亡くなりました。
漱石は、明治27年の春頃から肺結核の兆候が現れ、療養につとめたもののはかばかしくなく、また、さまざまな苦悩から次第にノイローゼ気味になってしまいます。親友の菅虎雄に相談して円覚寺で参禅することにし、明治27年12月の末から翌1月7日まで円覚寺の帰源院に滞在しました。この参禅の体験を、後年「門」や「夢十夜」のなかに描きました。 |
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