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楼主: アツキ

「路真」の翻訳

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 楼主| 发表于 2004-9-11 21:35:41 | 显示全部楼层
今日は休みなので、全文を仕上げました。 一部政治にかかわる内容もありましたが、私の勉強不足でよく分からないので、翻訳できせんでした。ご了解お願いします。 声明 摘自网路真话说当年,小说「路真」,作者:张晓虎。 纯属学习翻译练习。请不要擅自转载。 不能说出真理就说点真话吧。她叫路真,我就说说求学路上关于她的真话。  「真理」については何も語れないが、「真実」なら、多少出来る。彼女、「路真」という。学生時代に知り合った彼女の真実の話をしてみたいと思う。 二十六年前,我们在春寒料峭的二月进了大学。我们是动乱十年后首批高考进来的大学生。从百分之二的概率中冲杀出来的,得意得很呐。从农民越过工人,直接成了大学生,连续跨过两级社会等级,得意得脚下轻飘飘的,好长时间都不敢相信这是真的。    二十六年前、厳しい余寒が続く二月に大学に入学した。我々は十年動乱の後、初めて入学試験を受け、合格した大学生だった。百分のニの合格率を突破して勝ち抜いてきたので、意気揚々なのだ!農民の立場から、工場で働くサラリーマン労働者階級を飛び越し、直接大学生になったので、いわゆる社会階級を一気に二段も登りつめたようなもので、天にでも上ったような気分になり、しばらくの間は夢ではないかと信じられなかった。 适应校园环境后,也觉出了两大不爽:一是号称荷花池的臭水塘,装满了排水沟引来的臭水,把清幽幽的环境熏得臭烘烘的。如果只远看不近观,尤其是晚上看水波荡漾的灯影,似乎还可以哄骗自己,感觉这环境还不错。人不能败自己的兴嘛。第二不爽,就是我们好多同学集十年于一炉,多半都来自社会下层,营养不良磨难太多,精神压力大。跟前几届特权大学生比起来,算弯腰驼背歪瓜裂枣。  その後、大学の環境に慣れたものの、不愉快に感じたことが二つほどあった。一つは「蓮の池」と呼ばれる臭い水溜りだ。排水溝の匂いが閑静な辺りに充満している。呼吸するたびに耐え難い匂いが鼻を掠(かす)めていく。その池に近寄りさえしなければ、遠くからの眺めは悪くない。特に夜になると、水面に映り込んでいる灯火の影は、風に散らされ水面に輪になって広がっていく。騙しだまりではあるが、時にはいい環境だなあと思ってしまう。人は誰もが快(こころよ)さを保つ必要があるのだ。二つ目は同期の大部分は十年の苦労を経て、やっと社会の「どん底」から這い上がってきた人々で、栄養不良か、苦労やストレスが多かったせいか、先輩の特権大学生と比べると、まるでいびつな人達ばかりだった。 她就在这个时候出现了。进校后不久,在学校迎新大会上,她代表七七级学生发言,一身朴素衣裳,平平常常走上台。坐到麦克风前埋头读稿子,散开的短发垂下来,遮住了大半张脸,使她看上去有迷一样的风采。  そんなときに、彼女が現れた。新入生の歓送会に、彼女は77年級の学生代表に選ばれた。ごく普通の装いの彼女は、落ち着いた様子で舞台に上がって、マイクの前に腰をかけ、原稿を読み始めた。前に垂れ落ちたショートヘアで、顔の大半が隠された。そんな謎めいた魅力は彼女を一層輝かせた。 只听见播音员一般字正腔圆的普通话,抑扬顿挫舒缓有序地从大喇叭里流淌出来。她那绚丽深沉充满激情的字句,是我有生以来闻所未闻的,在我空白的胸腔里镗镗嗒嗒地敲。她的声音沙哑而锐利,有一种特殊的穿透力,直逼人的心底。她的激情中蕴涵着一份悲壮,感染着整个会场,使几千人的大操场鸦雀无声。会场上空回旋激荡起昂扬向上的力量。那是经过轰轰烈烈的打打杀杀、压抑太久后需要释放的另一种激情,对理性真情的惨痛呼唤。她的话音正好代表了这股力量,是我们七七级学生经过青少年期十年磨难后,从心底发出的呼喊。我多么以她自豪啊!把她看做我们的代言人,差点爱上了她,对她产生了强烈的好奇心:她是何方人士?学校怎么发现她选中她的呢? スピーカーからアナウンサーのようなきれいな標準語の、緩やかな口調に適度な強弱を加えたスピーチが流れてきた。華麗で深みのあるスピーチは、生まれてはじめて聞いた声かのように、心の鐘を鳴らしてくれた。彼女の声はハスキーで、シャープさも兼ね備えている。人々の心の奥底まで浸透する力を持っている。情熱に溢れるスピーチは悲壮感を漂わせながら、会場の隅々まで響き渡り、何千人も収容できる邉訄訾颔珐`ンとさせた。会場の空気は昂揚の力に満ちた。それは大革命に注いだエネルギーと違ったもう一つの無名な力であり、心の底から痛みを伴いながら理性と真実への叫びのようなものだった。スピーチはこの無名な力を有形な言葉に変換したかのように、青少年時代に十年試練を受けた我々77年級生徒の心を代弁してくれた。彼女は我々の自慢だ!我々のスポークスマンだ!彼女に恋してしまいそうだが、その前に、彼女は何者?学校側はどうやって彼女を選んできたのか、という強い好奇心に僕は襲われた。   令我欣喜的是:她竟然就是我们系的同学。她这么好的文采,应该在中文系。然而却不,她选择了哲学系,她要追求比文字更深刻的东西。好奇心驱使我很快晓得了她的一些情况:她叫路真,她才气十足的老爸,编了两部文革前脍炙人口的电影:《岸边激浪》和《秘密图纸》。小时候,我觉得这两部电影好看极了。在碧海银沙上痛歼美蒋特务;清秀沉着的田华智取情报,都是使娃儿兴奋的情景。  嬉しいことが一つあった。彼女はなんと僕らと同じ学科なのだ。文学才能のずば抜けた彼女は中国文学科に行くべきなのに、この哲学学科を選んだのだ。文学よりももっと深層にある学問を求めたいに違いない。彼女への好奇心に駆られて、僕はすぐに彼女に関する情報を集めてきた。彼女の名は「路真」といい、才気溢れる彼女の父親が文化大革命の前に、二本の映画を手がけて、大ヒットさせた。「岸辺に打つ波」と「秘密の図画」だった。幼いときに、僕はこの二本の映画がとても好きだった。真っ青な海辺の白浜で、アメリカと台湾からのスパイを捕まえ、清楚で沈着な主人公田華がとんちで敵から情報を取り出した。子供だった僕たちはすっかり映画のとりこになった。 文革风暴把她老爸卷走了,她从名剧作家的千金,瞬间堕为黑帮子女。痛苦迷惘中,她为自己取了这个名字,想寻找真理和悲剧的答案。难怪她的底蕴这么丰厚,她的话语里承载着少年丧父的惨痛的情感,饱含了迷茫中追寻人生答案的青春激情。再看到高年级光鲜高大的同学时,我自惭形秽感减少了,底气更足。啷个嘛?我们不靠关系是硬斗硬考进来的。我们有追求知识的激情,我们有路真这么出色的同学。你们有独立思考追求真理的勇气么?你们除了坐享种种特权、长得壮实之外还有啥?这么偏执的比较,其实并不影响工农兵学员中出人才。这种自问自答,不过使自己心里好受点儿,以此强化虚弱的自尊。 文化大革命の嵐に彼女の父親は巻き込まれ、消されてしまった。名作家のお嬢さんから突然社会のどん底に落とされた。さまよいの果てに、彼女は自分の名前を「路真」と改名し、真理と悲劇の原因を探ろうとしていた。家庭のしつけが良かったわけだ。幼いときに父親と死別した悲しさが彼女のスピーチに重く影を落としていたが、同時に人生の答案を求めたいという青春の情熱が満ち溢れていた。顔色麗しくて健康そうな先輩たちと並んだ時に、彼女の存在は僕の劣等感を半減してくれた。自信さえ湧いてきた。なんだよ!お前たちと違って、俺らは実力で受験して入ってきたんだぜ!知識を求める情熱というものを持っているんだ。路真のような仲間もいる!お前らには独自で考え、独自で真理を求める勇気など持っているのか?親の七光りで健康そうに育っただけじゃないか、ほかに何があるっつうの?もちろん、このような極端で偏屈な対抗意識は、先輩の中から人材が輩出することになんらの影響もなかった。自分の快さを保ちながら、虚弱化した自尊心を強化するための自問自答に過ぎなかった。 说实话,她并不是我欣赏的娇小可人长着尖下巴颏儿的四川美女。她年纪应该比我大一点,身高大约一米六六,宽皮大脸身板结实,一头倒长不短的直发不作任何修饰,大眼烁烁有点鼓,眼眶稍微凹下去,皮肤栗色偏暗,象南洋味十足的马来人。但我仍止不住地高看她倾慕她,她象高高在上不可企及的女王,塑在我的脑海里。 正直に言うと、彼女はタイプではなかった。僕のタイプは小柄であごがほっそりとした四川美人である。彼女は僕より年長だし、身長は約166cmもある。平べったい顔で丈夫そうな体に、長めのショートヘアが直毛で無造作に垂らしている。目は大きくて輝きがあり、眼球がやや膨らんでいて、まぶたがややへこんでいる。栗色の肌で、南洋味たっぷりのマレーシア人にも似ている。それでも、僕は常に彼女を見上げながら、一途に傾慕し続けた。彼女は聖なる女王のように、僕の心に居座った。   进校一年多后,七七级的才子学生,开始发表反思文革的伤痕文学。路真是校广播站的播音员。记得那天中午,喇叭里传来卢新华《伤痕》的广播小说:深沉惨痛的故事,沉郁凄厉的声调,把我们好多人都吸引到学校礼堂旁来,大家端着饭碗,站在树下路边,单双杠旁,边吃边听。学校有好几个播音员,感觉是路真在朗诵。只有她的声带才这么厚重,这么丰沛而有层次。  入学して一年後、77年級の多才な学生たちは、文化大革命を反省するいわゆる「傷文学」を発表し始めた。路真は学校の放送部員だった。ある日の昼休みに、スピーカーから卢新华の小説「傷跡」が流れてきた。入りこんだ痛ましいストリーと、ふさぎこんだ声を聞いて、たくさんの学生が講堂側に集まってきた。皆弁当を持って、道端の木の下や、邉訄訾纹叫邪簸魏幛肆ⅳ林工蓼辍③偷堡蚴长伽胜椤⒎潘亭蚵棨い皮い俊7潘筒繂Tは何人もいるはずだが、今日は路真が放送していると直感した。彼女だからこそこんな重厚な声が出せる、しかも、感情豊かで遠近感がはっきりしている。 当她播到高潮:女儿回家,探望错怪了九年的妈妈,忽闻妈妈的死讯,冲到医院里望着妈妈冰冷的遗体,尖锐凄厉地哭喊:“妈妈!妈妈!妈妈!你看看吧,看看吧,我回来了——妈妈……”多少悔恨凄凉,人生的痛苦无助,从呼喊中喷涌而出。听得我在阳光下汗毛炸立,背脊一阵一阵发冷,喉头哽咽发紧,饭都吃不下去了。人间最珍贵的亲情,轻易就遭荒诞的年代剥夺了。这何尝不是路真含着泪水在心底呼唤自己永远失去了的爸爸呢?这种失去亲人的痛苦呼喊,任何别的人想装都装不出来。  小説のクライマックスにさしかかった。娘は長年に渡って誤解していた母親を見舞うため、9年ぶりに家に帰った。そこで、思いもよらぬ母親の死亡を知らされた。娘はその足で病院に駆けつけた。冷たくなった母親の遺体と対面した娘は、「母さん!母さん!目を開けて、お願いだから、目を開けてよ、娘が帰ってきました・・・母さん!・・・・!」悔しさの滲み出るその悲しみと、やり場のない苦しみと、娘の叫び声が一緒になって一気に噴出してきた。日差しの下でその話を聞いていた僕らは、全身鳥肌が立ち、背筋がゾクゾクし、のどが詰まったようで、ご飯を飲み込むことも出来なくなった。人には肉親の愛情こそが最も貴いものなのに、もろくも時代の流れに嘘のように消されてしまったのだ。路真の涙声は心の奥底から死別した父親への叫びではなかろうか。このような二度と会えない肉親への叫びは、他人ではまねの出来るものではなかった。   可惜她跟我不是一个组,好象连校都不住。平时根本看不到她的身影,就算看到也不敢跟她说话。她丰腴的脸庞上神态恬静,有曾经沧海后的宽厚平和,绝少凄苦和仇恨。她的目光柔和内敛,总是抿住的嘴唇含着隐约的笑意。以至我把抿嘴唇当作文明的象征,看成具有高度自我意识的表现。看到她我才感到:经常隙着嘴唇,漏出几颗门牙到处招摇,多傻气呀。我无形中受到她影响,当着别人的面,尽量不让自己的嘴唇无意识地隙开。  残念なことに、彼女は僕と同じクラスではなかった。学校に寄宿もしていないようだ。普段は彼女の姿をあまり見ないし、偶に会えたにしても、声をかけることは出来なかった。彼女のふっくらとした頬にはいつも安堵の笑みが宿っていて、苦難を仱暝饯à酷幛畏gやかさと平和な表情が多く、苦しみや憎しみの表情はほとんど見せていなかった。眼差しは柔らかくて控えめだった。笑うときも口を開いて大笑いではなく、口元で微笑むだけだった。故に、僕は口を閉じることが文明の象徴だと見なし、高度な自我意識の表現だと思ってしまった。いつも唇を緩め、前歯を露出していた自分は、バカ丸出しもいいところだと反省した。彼女の影響を受け、その後、人の前ではなるべく自分の唇を意識するようになった。 她平日说话,也是一口标准的普通话。话本来就不多,更少和男生说话。我那时说不来普通话,搞不清平舌卷舌,辨不出舌侧音、后颚音。一说就得压低嗓子降调八度,既别扭又怕说错,嘟嘟囔囔节节巴巴傻了一样。以至别人诧异地看着我,以为这人就这么傻气低能。我至今没有打破四川方言比普通话低一等的错觉。虽然我的方言土语,比普通话表达起来更生动流畅。当时只能仰望高高在上,占尽了电台、电影优势的普通话。  彼女はいつも標準語を使っていた。もともと口数の少ない人らしい、特に男性との会話はめったになかった。当時の僕は標準語が苦手で、側面音や軟口蓋音などの区別がよく分からなかった。話すとなると、やたらに声のトーンを落としてしまう。緊張のあまりに話がもつれて出てこないときもしばしばあった。周りには随分変な目で見られ、IQの低い奴だと思われたに違いない。今でも四川方言より標準語の方が優勢だと僕は思っている。本当は僕の方言は、標準語より表現力が何倍も豊かで、しかも流暢そのものだったのに!ラジオやテレビを占領した優勢な標準語は、当時の僕には高嶺の花のようで、ただ見上げるしかなかった。 距离使人陌生,容易产生权威感。想不仰视她都不行,我根本就没得打破神话、近之不逊的机会。就算机会来了又啷个?从内容到发音,我能跟她流畅对话么?我晓得没得能力跟她平等对话。只好故作矜持,远远地悄悄地仰慕她。  こうした距離感によって隔たりが生まれ、彼女はまるで権威的な存在になった。僕はいつも彼女を仰ぎ見するしかなかった。その神話を破り、彼女に近づけるチャンスは訪れなかった。話の内容から発音まで、僕は流暢に彼女と対等で話できる状況ではなかった。そこで、僕はわざとはにかんでいるかのように装い、遠くからひそかに彼女を慕っていた。 那天黄平说:路真要来给同学照相。建议我们去蹭一张。我也耍过相机,我爹出于好奇,买过一个八块钱的长江牌135相机。我们少儿时代,摆弄着拍过两卷黑白照片,自以为拍得还可以,但我还是厚着脸皮,屁颠屁颠地跟了去。一来这是接近她的机会,二来对有电影厂背景的她怎么拍照有好奇心。那时节,电影厂是叫人仰视的上层建筑。 ある日、黄平に誘われた。路真が写真を撮りに来るそうで、一緒に行かないかと。僕もカメラを弄ったことがある。父が好奇心のあまり、8元で長江という銘柄のカメラを買ったことがある。子供のときに、そのカメラでニ、三回白涡凑妞虼椁辍⒊隼淳吆悉蓼ⅳ蓼ⅳ坤茸约簻鹤悚筏郡长趣ⅳ盲俊:瘠蓼筏い人激い胜椁狻ⅳ韦椁辘椁辘柔幛恧摔膜い皮い盲俊1伺私扭~好のチャンスだ。映画制作所の背景を持つ彼女の腕にも興味津々だった。あの頃は、映画界は上層社会のものだと思われていた。 我们忍受着荷花池边随风飘荡的淡淡臭味,以理科大楼作背景,分别照了几张像。她果然又给了我小小的惊奇:用一块一米见方的自制反光板打光。虽是晴间多云的天气,她还是让人中规中距地举着反光板,增加暗部的亮度,透出专业水准和认真劲来。她和一个同伴,礼貌周到地为我们五六个同学拍照,除了她们之间相互细声说一言半语外,几乎没说啥话。   僕らは「蓮の池」の臭いを我慢しながら、理科教堂の建物を背景に、何枚か写真を撮った。案の定、彼女は凄い技を使って僕らを驚かせた。なんと1メータ四方の自家製反射板で光を調整してくれた!その日、晴れというより曇りがちだった。彼女はもう一人のパートナーに反射板を持たせ、暗い部分の明るさを調節した。プロめいた厳格さと真面目な一面を見せてくれた。彼女とパートナー二人で、礼儀正しく僕ら五、六名の生徒の写真を撮ってくれた。彼女たち二人の間のひそひそとした必要に最小限の会話以外に、ほとんど喋らなかった。 盼了几个星期,问过几次黄平,快要失望的时候,照片终于捎来了,是当时少有的四寸规格,比街上洗相铺的照片大四陪。我的形象惨不忍睹:咧嘴傻笑又急忙想收住,嘴唇无所适从,挤得翘了起来;眼睛没敢看镜头——主要是怕看镜头后面她的眼睛,斜觑着别处。因为紧张,神经质地笑得脸上的赘肉嘟了起来,把眼睛挤小了一半,成了虚眯眼。人也没站伸展,两手拘谨地背在背后,衣服裤子皱皱巴巴,全然没了我以前在公社女知青面前曾有的潇洒自信。  写真はいつ出来るかなと何週間も待っていた。黄平君に聞いても知らないというから、諦めようとしたところに、それが届いた!当時としてはかなり珍しい四つ切サイズの写真だ!写真屋の普通サイズより四倍も大きい写真だった。僕の写った姿は酷かった。笑おうとした口が急に閉じようとして、戸惑いの末に口が膨らんでいた。カメラ目線ではなかった。カメラの向こうにある彼女の目線と合わす勇気すらなかったので、宙にそらしていた。緊張のあまりに、顔面神経が引きつり、頬の贅肉を強調したかのように笑っていた。そのため、目が普段の半分ぐらいに縮まり、半開きのようになってしまった。背筋も伸ばしていない、両手は背後に隠し、衣服も皺くちゃだった。以前田舎の若い女の子に見せていたダンディーな自信など、かけらもの残らず消えてしまっていた。   大三时同学们开始自发地学跳交谊舞。大家经常在饭堂惨白的水银灯下,用录音机放送磁带音乐,在水泥地上跳得尘土飞扬。少数胆大的在当中跳,更多胆小的站在旁边看。我一边羡慕地看着别人跳,一边听到班上的头面女生,在前面不远处肆无忌惮地奚落着:“我一看到我们班上的男生就有了,又矮又糙,还自以为不得了。哼!我一点跟他们跳舞的兴趣都没得。”我经常这么傻站着,看够了舞场上移动的女生身影后,忍受荷尔蒙的刺激,叹着气回到宿舍。  大学3年生のとき、社交ダンスが流行った。学生たちは食堂の薄暗い水銀灯の下で、ラジカセの音楽に合わせながら、よく社交ダンスをしていた。大勢の足踏みでコンクリートの床に積もった埃が、食堂中に蔓延していた。勇気のある人は真ん中でダンスをし、勇気のない多くの人は周りでただ見ていた。僕はダンスをしている人たちを羨ましく眺めていたら、クラスの女の子の声が聞こえてきた。「うちのクラスの男子、見るだけでもう嫌よな!背が低くてがさつ!その上、ジコチュウ!最低よな!あんな人とダンスする気さらさらないわ。」そうして、僕はいつも呆然と外側で傍観していた。ダンスでぐるぐる回っていく女性の後ろ姿を貪欲な目線で追ってから、ホルモンの刺激を抑え、ため息をしながら宿舎に帰っていくしかなかった。 从大三开始,《中国青年》一直在讨论潘晓的文章《路啊!为什么越走越窄?》,大意是问苍天问社会问自己:打倒“四人帮”的狂喜后,在科学的春天里,女青年的人生路,为何越走越困惑越暗淡?路真也许突然醒豁:追求人生路上的真理,不象取名字那么简单,或者不必再那么外露?或者她找到了自己的真理?总之不知啥时候,她又改回了她原来的名字——郑佳佳。我当时还没有彻底死心,怀着天将降大任于斯的激情,愚顽地幻想着能走出自己写作的宽广大路,还指望能活得五彩斑斓浪漫柔情,并不太理解她为啥放弃这个响当当名字。  同じく大学三年生の時、新聞(?)「中国青年」では潘晓の文章、「人生の道よ、なぜ狭くなっていく?」について、公開の討論が行われていた。神様や社会に問いかけ、「四人組」が失脚したあと、科学の春を迎えてきたのに、どうして若い女性の人生の道がだんだん暗くなるのか?そんなときに、路真は、人生の真理を求めることは、名前の付け替えのように簡単ではないのだと、突然悟ったのか、それとも人間が丸くなったのか、或いは彼女は自身の真理を見つけたのか、とにかく、いつの間のか、彼女の名前は元の名前――鄭佳々に戻っていた。当時、僕はまだ世直しの夢を持ち、情熱に燃えていた。作家になる大きな夢もかたくなに見ていた。色鮮やかでマンチェックな将来に希望を持ち続けた僕は、彼女が「路真」という響きの良い名前を捨てることに理解できなかった。   二十年后同学聚会,听说她去美国改学了计算机,现在搞软件编程。叹服之余,我似乎多了些理解:这可能就是她最真实的人生路吧,最适合她的路,就是她最真实的理。      二十年後の同窓会に、彼女はその後アメリカへ行き、大学に入り直し、コンピュータ電子学を専攻し、今はソフト開発の仕事に従事しているという話をはじめて聞いた。さすがだなと感嘆しながら、彼女への理解も出来たような気がする。これは彼女の真実な人生であろう。彼女にとっては自分にふさわしい道であるこそ、一番の「真実な理由」というわけだ!   唉!说了她一大阵儿,我却连话都没跟她说过。   まあ、長々と彼女のことを話したが、いまだに彼女と会話したこと、ないんだ!
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 楼主| 发表于 2004-9-12 21:31:27 | 显示全部楼层
休日だから?誰も読んでくれません。さびしいなぁ!
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发表于 2004-9-12 21:50:01 | 显示全部楼层
長過ぎる。目が疲れた。見たくでも……。 今度ゆくり、ぜひ拝読させていただきます。ねー。
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发表于 2004-9-14 11:26:00 | 显示全部楼层
この時代の人間は大抵一ひねり二ひねりしてから文を進めていくのですから、 最初の「不能说出真理就说点真话吧」というのは「真理」の現実を触れながら、 一見主観的に「真理」に関して無知のように見せておいて、 本当は「真理」においての客観的な環境を訴えながら<「真理」を言っちゃだめだろう?じゃあ、真実だったら許せるだろう。>というようなニュアンスのことを言いたいところでしょうね。
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