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发表于 2004-2-27 23:00:00
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お茶がはいりました
以前、ラジオを聴いていた時のことです。
国語学者とアナウンサーの対談番組で、二人が、言葉についてそれぞれの立場から意見を述べていました。
「日本語では『お茶がはいりました』とか『お風呂が沸きましたよ』というような表現の仕方をするでしょう。ああいう表現方法は外国語ではほとんどみられませんね。もっと正確に『私がお茶をいれました』としか言わないでしょうね」。
よく言われる日本語の曖昧さについて、国語学者が指摘をしていました。
「そうですよね。お茶やお風呂が主語になるなんて、変ですよね」。
アナウンサーもその意見に同調の相槌を打ちます。
聴いている私も、「そうだよなあ……」と半分以上納得しているのですが、少しばかり坊さん風をふかせて考えてみました。
確かに、誰かがお茶をいれ、誰かがお風呂を沸かすわけですから、○○が、と人が主語にならないと、変と言えば変です。
しかし、仏さまはそう簡単には物事を見られません。原因と結果だけからするならば、私が(原因)がお茶をいれた(結果)、となるのですが、仏さまはその間に「縁」という間接原因を考えられます。
この場合の間接原因は、お茶の葉、急須、湯飲み、お湯、ポット、もっとさかのぼればお茶や急須や湯飲みを作った人、その材料まで加えられるかもしれません。
そうなると「私がお茶をいれました」とはあまり威張って言えなくなってくるような気もしてきます。
昔の人はこの間接原因のことを「お蔭さまで」と表現しました。
「お元気ですか」「ええ、お陰さまで」。なんともいい響きの言葉ですね。 |
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