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[其他] 东南大学日本文学作者介绍续(11~20)

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发表于 2008-4-8 13:56:34 | 显示全部楼层 |阅读模式
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 03:20 编辑

第11課 鳥
作者紹介
大江健三郎(1935~ )。小説家、評論家。日本ペンクラブ副会長、芥川賞選考委員。愛媛県に生まれた。東京大学仏文学科卒業。東京大学在学中に?奇妙な仕事?を発表。?死者の奢り?で作家として認められ、1958年?飼育?で芥川賞受賞、新しい文学の旗手的存在となる。1994年?万延元年のフットボール?、?個人的な体験?などでノーベル文学賞を受けた。初期の短編では、死?挫折?戦争?疫病?監禁等の限界状態下にある若者の世界を、独特の文体で想像力豊かに追求した。その後、?見る前に跳べ?、?われらの時代?などの作品で現代の青春の精神風景を描き、また人間の自由と連帯、責任のあり方を、?青年の汚名?、?個人的な体験?などの作品で、さらに?万延元年のフットボール?、?みずから我が涙をぬぐいたまう日?などの作品で日本の風土に根ざした人間の深層を追及している。また、ほかに?厳粛な綱渡り?、?持続する志?、?鯨の死滅する日?、?ヒロシマ?ノート?、「沖縄ノート」、「核時代の想像力」などのエッセーもあり、対談?原爆後の人間?、インタビュー録?世界の若者たち?、ノーベル文学賞受賞記念講演「あいまいな日本の私」もある。
第12課 たこになったお母さん
作者紹介
野坂昭如(1930~ )。小説家、元?参院議員、日本ペンクラブ理事。神奈川県鎌倉市に生まれ、早稲田大学文学部仏文科中退。少年期に体験した戦災による妹の死、放浪、飢餓が独自のアナーキーな思想、生き方を決定した。大学在学中、様々なアルバイトをし、コント作家、CMソング作詞家などをする。1963年「エロ事師たち」を刊行、そのモラルの世界に彼の思想ははっきり示されている。1968年戦争?占領体験を描いた?火垂るの墓?、?アメリカひじき?の両作で直木賞を受賞、以来秩序への反逆を独特の戯作的文体で哀しみをベースに作品化し始めた。‘‘焼跡闇市派’’を自称し、歌手やタレントとしても知名度が高い。1972年?面白半分?編集長として?四畳半襖の下張?裁判で刑事事件の被告となる。1974年参議選に立候補し落選したが、1983年に当選。世俗に激しくかかわる一方、ぼうだいな小説やエッセイを量産し続けている。他の作に?一九四五?夏?神戸?、?骨餓身峠死人葛?、?死屍河原水子草?、「砂絵呪縛後日怪談」、?俺はNOSAKAだ?、?日本土人の思想?などがある。
第13課 水泥棒
作者紹介
黒井千次(1932~ )。小説家、日本文芸家協会理事、日本近代文学館専務理事、芥川賞選考委員。東京都に生まれ、本名長部舜二郎。1955年3月東京大学経済学科卒業、4月、富士重工に入社、勤務する傍ら小説を書き続け、1970年退社し、作家生活に入る。1958年、?青い工場?を発表、1969年、?時間?が芥川賞候補になり、翌年、?時間?によって芸術選奨?文学部門新人賞受賞。1984年、?群棲?で谷崎潤一郎賞受賞。初期の頃は企業体験を生かし、巨大企業に生きる労働者の生態に焦点を当て、メカニズムによる人間疎外のテーマが多かったが、近年は日常性そのものの混沌と不安を描くようになり、純文学路線を歩んでいる。作品はまた、?走る家族?、?五月巡歴?、?隠れ鬼?、「星からの一通話」、?眠れる霚に?、?たまらん坂?、短編集?指?涙?音?、随筆集?草の中の金の皿?、?任意の一点?などもある。
第14課 海と毒薬
作者紹介
遠藤周作(1923~ )。小説家、日本文芸家協会理事、にっかつ芸術学院院長、芥川賞選考委員、1985年~1989年日本ペンクラブ会長。東京に生まれ、慶応義塾大学文学部仏文学科卒業、雅号狐狸庵山人。父の転勤で幼いころ大連に移り、父母の離婚で9歳のとき日本に戻り神戸に住む。10歳で洗礼を受ける。1943年慶大に入学、1947年?カトリック作家の問題?を発表。1950年、フランスへ留学し、リヨン大学で現代カトリック文学を研究し、1953年帰国。1955年?白い人?で芥川賞を受け作家生活に入る。1966年?沈黙?で谷崎潤一郎賞受賞。初期の評論活動から一貫して流れているのは、日本の文化風土とキリスト教を母胎とする西欧の文化風土の比較考察にあるといえよう。日本特有の汎神論と西欧の一神論との対比、特にキリスト教の日本への土着過程に注目した構想に特色がある。著書に?海と毒薬?、?イエスの生涯?、?侍?、?留学?、?死海のほとり?などの純文学と、エッセイ?狐狸庵閑話?、?ぐうたら人間学?や大衆向けのユーモア小説?おバカさん?、?大変だァ?などがある。
第15課 いとしのブリジット?ボルドー
作者紹介
井上ひさし(1934~ )。小説家、劇作家、日本文芸家協会常務理事、直木賞選考委員、こまつ座座付作者。山形県に生まれ、本名内山廈、上智大学文学部フランス語学科卒業。在学中から浅草のスメリップ劇場で文芸部員兼進行係りとして働き、放送作家としてスタート。1964年からのNHKテレビの人形劇?ひょっこりひょうたん島?の台本で世に知られ、1969年戯曲?日本人のへそ?で注目された。1971年?モッキンポット師の後始末?で小説界にもデビュー。1977年岸田戯曲賞を受けた?道元の冒険?などで喜劇作家の地位を獲得する一方、中間小説作家としても活躍し、?手鎖心中?で1972年上期の直木賞を受賞。‘‘笑いの魔術師’’ ‘‘現代の戯作者’’などといわれた。1981年?吉里吉里人?で日本SF大賞受賞。以後、戯曲、小説、エッセイに数多くの話題作を生み、多才ぶりを見せている。著書に?四十一番目の少年?、?おれたちと大砲?、?青葉繁れる?、?木の枕草紙?、?偽原始人?、?劇作者銘々伝?、劇曲に?国語元年?、?頭痛肩こり樋口一葉?、?人間合格?、?表裏源内蛀合戦?、?珍訳聖書?、?小林一茶?などがある。
第16課 伊豆の踊り子
作者紹介
川端康成(1899~1972)。小説家。大阪市天満此花町に生まれた。1924年東京大学国文科卒。2歳で父、3歳で母、10歳で姉を失った。大正3年祖父が死んで全くの孤児となる。病床の祖父が写されている?16歳の日記?が処女作。一高時代最初の伊豆の旅での経験が?伊豆の踊り子?に描かれた。大正10年東大同級生らと第6次?新思潮?を発刊。?招魂祭一景?などを発表。?新思潮?の発刊を通じて菊池寛を知り、以後恩顧を受けた。大正13年横光利一らと?文芸時代?を創刊、新感覚派の中心メンバーとなる。川端は、横光と共に、その代表作家と注目されるようになるが、川端はその運動の中心的存在であったわけではない。むしろ表現上の実験はあるが伝統的抒情を基本として、虚無的態度を強め、独自の美意識を求め感性の昇華に努力する。主な著作に?感情装飾?、?16歳の日記?、?伊豆の踊り子?、?雪国?、戦後に?千羽鶴?、?山の音?、?古都?などがある。昭和23~40年日本ペンクラブ会長をつとめ、33年には国際ペンクラブ副会長に推されるなど国際的作家として活躍し、43年に日本人として始めてのノーベル文学賞を受賞。47年4月、逗子マリーナの仕事部屋でガス自殺をした。?川端康成全集?(全35巻?補2巻、新潮社)が刊行されている。

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 楼主| 发表于 2008-4-8 13:57:10 | 显示全部楼层

17~20

本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 03:20 编辑

第17課 城の崎にて
作者紹介
志賀直哉(1883~1971)。小説家。宮城県に生まれ、東京で育つ。学習院を経て、東京大学文学科中退。明治43年4月武者小路実篤、有馬武郎、木下利玄、里見弴らと?白樺?を創刊。ここに作家としての生涯の道が確立されたわけだが、それ以前からの小説家志望は実業家として成功を収めた父親からの容認を得ず、年一年と両者は対立して確執を深めた行った。だが、壮年期に入り、初めて長年にある父親との不和が解けてしまう。以後、青年期の動乱は去って、壮年期の静謐な調和的生活が続き、そのまま老年期を迎える。志賀氏の作品は私小説、心境小説と呼ばれるものが多いが、その簡潔で厳しい文体は近代散文の典型として高く評価されている。昭和24年、文化勲章を授章。主な作品に?暗夜行路?、?和解?、?城の崎にて??小僧の神様?などがある。?志賀直哉全集?(全14巻、岩波書店)が刊行されている。
第18課 赤ままの花
作者紹介
堀辰雄(1904~1953)。小説家、詩人。東京都の生まれ。東京大学国文科卒。芥川竜之介、室生犀星に師事。大正15年、中野重治らと?驢馬?を創刊、作品や翻訳を載せた。最初の小説?ルウベンスの偽画?を発表したその年(昭和2年)、芥川竜之介が自殺した。師芥川氏の衝撃的な死は若い堀に彼自身の道を歩ませることになった。このころから結核を病んだ堀は、文学的資質のせいもあったが、生涯数少ない作品を長い構想の後に丹念に書き発表後も改訂を止めない型の小説家となった。しかし、その数少ない作品は西欧の文学伝統を日本に実践しようとした先駆であり、第二次大戦後のロマンチックな長編小説の続出は、彼の開拓した地平において始めた可能であった。主な作品に、?聖家族?、?風立ちぬ?、?幼年時代?、?菜穂子?などがある。?堀辰雄全集?(全11巻、筑摩書房)が刊行されている。
第19課 こころ
作者紹介
夏目漱石(1867~1916)。小説家、英文学者。本名、金之助。東京生まれ。1893年東京大学英文科卒業後、松山中学校(旧制)?第五高等学校(旧制)などの教職を歴任後、1900年、文部省留学生となり、イギリスへ留学した。1903年に帰国し、第一高等学校(旧制)?東京大学で英文学を講じた。処女作?吾輩は猫である?によって世に認められ、以後?倫敦塔?、?坊ちゃん?、?草枕?、?野分?などを発表、文名を高めた。1907年教職を辞し、朝日新聞社専属執筆者として入社、本格的な作家生活に入る。最初の新聞連載小説?虞美人草?の文明批評のシテンを継承しつつ、?三四郎?、?それから?、?門?の三部作に近代人の愛と罪を掘り下げ、生死の間をさまよった修善寺大患と愛娘ひな子の死を体験後、?彼岸過迄?、?行人?、?こころ?の後期三部作まで人間の信と死を追求、自分の過去を照射した?道草?を経て、?明暗?連載中に没した。広く深い教養と社会的関心のもとに、近代日本人の生き方を根源的に問い続け、朝日文芸欄を主宰して自然主義を相対化した姿勢は余裕派と見られた。評論に?文学論?、?文学評論?、?現代日本の開化?などがある。
第20課 忘れえぬ人々
作者紹介
国木田独歩(1871~1908)。詩人、小説家。本名、哲夫。銚子市生。少年時は山口県下で過ごす。1891年東京専門学校(早大)中退。在学中植村正久により洗礼を受けたが、やがてキリスト教から離れた。青年時代は大分県佐伯での教師生活の他、主として徳富蘇峰の下で?国民の友?や?国民新聞?の編集に従事。佐々城信子との恋愛結婚に破れてのち文学者として立ち、はじめ詩人として?独歩吟?などを発表、ついで?源叔父?を初め?武蔵野?、?忘れえぬ人々?などをもって小説に転じた。しかし文学にのみ安住できず?報知新聞?、?民声新報?、?近時画報?などの記者?編集者となり、あげくに独歩者を設立して出版事業を始め、作家生活を分断した。独歩の作は総じて名もない存在(小民)の平凡な物語を天地宇宙の永遠の中にとらえる体の詩的?浪漫的なものが多いが、中期あたりから現実的?運命論的なものも多くなり、死を前にした晩年の?竹の木戸?、?二老人?に至って、それらを止揚した清澄な境地をかいま見せた。天性の短編作家で、多彩な形式を書き分けたが、文壇的には不遇で、晩年に至って自然主義の先駆として一躍脚光を浴びた。

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发表于 2011-1-5 13:01:24 | 显示全部楼层
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发表于 2011-1-10 13:53:02 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 03:20 编辑

浙师大也用这本书,跟上外用的课本是不是不一样的啊,我看课本内容都不一样的说

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发表于 2011-1-12 11:31:38 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 03:20 编辑

有考江苏日本文学的,加我一起学阿339222732,加的时候注明一下~~~

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