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楼主 |
发表于 2008-4-11 12:54:59
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【二】
……七日たったろうか。十日たったろうか。
月が西に沈みかかった夜明け前のことであった。いつものように城太郎は、ある民家からむすびを仕入れて大仏に帰って来た。
仏頭がおちたあとの突起に綱をひっかけ、音もなくスルスルと彼は胎内の底へ下りて来た。
例の巣に、右京太夫はまだ眠っている。闇黒の中であったが、闇にも見える忍者城太郎の眼のせいばかりでなく、夜光虫のように|仄《ほの》びかって浮かんでいる右京太夫の美しい寝顔であった。
彼の巣は、右京太夫の寝床より一段下の※[#「※」は「木+共」Unicode=#6831]木の上に作ってあった。右京太夫を目覚めさせないように、そこにいちど横たわった城太郎は、ふと大仏の首の穴からのぞく蒼い夜明け前の空から、ヒラヒラと白い一枚の紙が舞いおちて来たのを見て、がばと身を起こした。
|猿《ましら》のように|跫《あし》|音《おと》もたてず、※[#「※」は「木+共」Unicode=#6831]材をそっとわたって、彼はその紙片を受けた。
「なんじ空摩坊に|尾《つ》けられたり。
空摩坊はなんじのゆくえをつきとめ、馳せかえりぬ。三人の|眷《けん》|属《ぞく》を呼ぶためならん。おそらくは右京太夫さまを伴いて脱出するのいとまなからん。
われ、なんじの身代りとなりて彼らの眼をそらすべし。なんじの行者衣装をこの綱に結べ。いそげ」
城太郎は、はっとして空を仰いだ。高い首の穴に何者の影もない。
敵のたくらみか、といちど思った。が、ふたたび紙片に眼をおとした彼は、思わず心中にうめいた。見おぼえのある文字だ。それは篝火を奪われたあと、伊賀街道で失神からさめたじぶんの懐にあったふしぎな紙片とおなじ筆蹟であった。
あれはなにびとか、といまでもときどき彼は思い出すことがある。わからない。そしてまた、先日猿沢の池で根来僧らと激闘したとき、法師らを四散させた黒衣の騎馬隊を思い出す。あの紙片を残したものは、その黒衣の騎馬隊とつながりがあるのではないか? また右京太夫からきいたところによると、その一人が右京太夫を三好義興のところへ送りとどけたという。
猿沢の池でのときは、ふと服部一党のことを思ったが、右京太夫の一件をきけば、服部一党がそんなことをするわけもなく、ましてやあの伊賀街道の忠告書をかんがえると、あのとき伯父の半蔵が弾正の|爪《そう》|牙《が》たる根来僧のことを知っているわけはないのだから、この疑いはいよいよ否定される。
といって、ほかに思いあたる人間はこの世にないが――少なくともそれはじぶんに悪意のある人間ではないらしい、城太郎は漠然と感じていた。
城太郎は、いまこれらの思いを、刹那に脳裡によぎらせた。一瞬、彼は迷い、つぎの一瞬彼は決意した。
この突然の警告には従うべきである。ここにいるのは、じぶんだけではない。迷うことは、ぬきさしならぬ危地に陥ることだ。ことは遅延をゆるさない。
彼は、クルクルと下帯ひとつになり、きものを垂れ下がった綱にむすびつけた。信貴山城を逃げるとき盗んできた刀だけは※[#「※」は「木(きへん)」+「共」Unicode=#6831]木上においた。
なんの声もなく、綱は頭上にひきあげられていった。
すぐに、きものの消えた綱だけがふたたび垂れ下がってきた。それから、また一枚の紙片が。――「隙を盗んで、大仏を逃げよ」
夜明け前の奈良をあるいていた空摩坊は行者姿の笛吹城太郎の姿を発見し、襲撃しようとして右京太夫のことを思い出した。それで彼を尾けた。
城太郎が首なし大仏の中に消えたのを、さすがに彼はアングリと口をあけて見あげていたが、一息ほどの思案ののち、疾風のように馳せ去った。三人の仲間を呼ぶためだ。
ようやく根来僧も、あの伊賀の若い忍者が最初に思ったほど手軽いやつではないと観念をあらためていた。味方ながら無双の魔人とゆるしていた羅刹坊、水呪坊、風天坊らが、着々と討ち果たされたことを思えば、それも当然だ。
たちまち空摩坊は、金剛坊、虚空坊、破軍坊をつれて大仏の前に駆けもどってきた。
いかにも――空摩坊が城太郎の巣をさがしあてたことを知った人間がたとえ同時に城太郎に、脱出を忠告しても、すくなくともたおやかな右京太夫を伴っているかぎり、両人ともに逃げることは不可能であったにちがいないほどわずかな時間であった。
「……うーむ」
大仏を仰いで、四人の忍法僧はうなった。彼らは大仏の右肩に座っている白い行者姿を発見したのである。その上に腰を下ろし、立てた片膝に頬杖ついている姿は、下界の惨たる灰燼のあとをながめて、|修《しゅ》|羅《ら》の世をなげくあまり忘我の境にあるとも思えたが、ちかづく四人に気がついたふうもなくそのままの姿勢でうごかなかったのは、彼らを小馬鹿にしているようにも見えた。
「金剛坊!」
と、破軍坊がいった。
「きゃつをあそこから追い落とせ!」
「また首の穴に逃げこむかもしれぬぞ」
「ならばいよいよ袋の鼠だ」
「よし!」
さけぶと、金剛坊は腰の帯にさしつらねた天扇弓をひとつかみして、ビュッと大空へ投げた。それは大仏の右肩の空でパッとひらくと、例の針を下へむけて、雨のごとくふりそそぎはじめた。
行者は立ちあがった。それはふいに根来僧に気がついたようなあわてたそぶりであった。あわてたそぶりで、彼は大仏の右肩から右腕をつたい、タタタタと右掌まで駆け下った。
「きゃつ!」
四人がさけんだのは、大断崖に似た金銅の壁をすべりもせず、足に吸盤のあるように駆け下りたその体術と、右掌のかげにかくれて姿を消したその|狡《こう》|猾《かつ》さに思わず心で地団駄ふんだうめきであった。
大仏の右掌は垂直にちかく立てられている。――
「乗れ」
と、虚空坊がいって、背中からぬきとった長大な傘をぱっとひらいた。
その上に、金剛坊、空摩坊、破軍坊が軽々ととび乗った。みじかい傘の柄が虚空坊の両手のあいだでキリキリとおしもまれると、傘はフワと空に舞いあがってななめ上に――大仏の左掌に向かってながれ飛ぶ。
左掌の上に達すると傘は自然とたたまれて、その掌の上に三人をこぼし、あと大仏の右袖に軽くぶつかってそのまま台座へすべりおちてゆく。
「笛吹城太郎」
「きょうこそこの大仏とおなじく首なしにしてくれるぞ」
左掌の上に三人の忍法僧は、ならんで立ってわめいた。大仏の左掌は水平で、そのひろさは、たたみ四畳半くらいであった。
そこに立てば、右掌のかげにすっくと立っている行者の姿はまる見えだ。――とはいえ、そのあいだの距離は、なおちょっとした峡谷ほどあって、それに行者頭巾の布をまわして眼ばかりのぞかせた笛吹城太郎がどんな表情をしているのかはよく見えぬ。
破軍坊の腰から一条の鎖がほとばしり出た。それが横に旋回したかと思うと、たちまち二丈ちかい鋼鉄の棒のように空中へ上がっていって、そのままいっきに右掌のかげの城太郎めがけてたたき落とされた。
行者は飛んで避けた。
五本の指が壁のようにさえぎって前へはすすめぬ。うしろへ飛んだ彼をめがけて、その頭上に無数の天扇弓がながれ飛んだ。――と、ふいに、
「おおっ」
と、空摩坊がさけんでよろめいた。その右肩に天扇弓ならぬ一本の矢がつき立っている。――
とみるまに、そのあたり一帯――巨大な金銅の肌に、|霰《あられ》のような音をたてて矢があたり、折れ飛ぶのが見えた。
「黒衣の騎馬隊だっ」
下界で絶叫がきこえた。虚空坊の声だ。
左掌の上の三人は、大仏の前――|黎《れい》|明《めい》の灰燼の中に十騎あまりの黒衣の影がまっ黒な馬にのって、なお弓に矢をつがえているのを見た。
「きゃつら――また現われたか?」
うめいたとき、右掌のかげの行者頭巾は白鷺みたいにいっきに大仏の右膝にとびおり、さらに台座へと跳躍した。天扇弓を斬りはらったため、彼はすでに抜刀している。
「待てっ」
台座の下にいた虚空坊は、すべりおちて来た彼の武器「かくれ傘」をまだ拾ってはいなかった。
発狂したようなわめき声をあげ、台座から羽ばたきおりる行者めがけて大薙刀で斬りつけた虚空坊は――相手の姿勢からたしかに胴斬りにしたと思ったのに――ただ軽くなった薙刀の柄を空振りして、みずからキリキリ舞いをしただけである。
大薙刀を千段巻きから斬っておとした山伏は、そのまま灰燼のあとをななめに逃げてゆく。――その向こうには、なお矢をつがえた黒衣の騎馬隊が、にくらしいほどおちついて、輪乗りしながら待ち受けていた。
「きゃつら」
「のがすな」
大仏の左掌から肩の矢をひきぬいた空魔坊と破軍坊もまろびおちた。
逃げていった行者を馬の一頭にひきずりあげ、相乗りさせると、黒衣の騎馬隊は悠々とひきあげにかかっている。
まだうずたかく残る灰を黒煙のごとく蹴ちらして、虚空坊、破軍坊、空摩坊は追っかけた。いまは彼らは、笛吹城太郎そのものよりも、この黒衣の騎馬隊のたとえひとりでもひっとらえて正体をあきらかにせねば腹の癒えぬ思いであった。 |
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