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[好书推荐] 甲賀忍法帖 (山田風太郎忍法帖1)

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发表于 2008-4-16 17:21:59 | 显示全部楼层 |阅读模式
  目 次

 大秘事
 甲賀ロミオと伊賀ジュリエット
 破虫変(はちゅうへん)
 水遁(すいとん)
 泥の死仮面(デス・マスク)
 人肌地獄
 忍法果し状
 猫眼呪縛(びょうがんしばり)
 血に染む霞
 魅殺の陽炎(みさつのかげろう)
 忍者不死鳥
 破幻刻々
 最後の勝敗

[ 本帖最后由 bgx5810 于 2008-8-17 18:55 编辑 ]

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 楼主| 发表于 2008-4-16 17:23:07 | 显示全部楼层
    大秘事


     【一】


 |舞扇《まいおうぎ》をかさねたような七層の天守閣を背景に、二人の男は、じっと相対していた。
 日が照ると、二人のからだは透明になり、雲が影をおとすと、二人の影は|朦《もう》|朧《ろう》とけぶって、消えさるようにみえた。無数の目がそれをみていたが、どの目も、しだいにうすい膜がかかってきて、いくどか対象をふっと見失うような気がした。
 それでも、だれひとり、目がはなせなかった。五メートルばかりはなれてむかいあった二人の男のあいだに交流するすさまじい殺気の波が、すべての人びとの視覚中枢に|灼《や》きつけられていたからだ。といって、二人が白刃をかまえているわけではなかった。どちらも手ぶらであった。もし人びとが、さっきこの庭で二人がみせた、「術」に|胆《きも》をうばわれなかったら、いまの殺気の光波もみえなかったかもしれぬ。
 ひとりは、名を|風待将監《かざまちしょうげん》といった。
 年は四十前後であろう。|瘤《こぶ》|々《こぶ》したひたいや頬のくぼみに、赤い小さな目がひかって、おそろしく|醜《みにく》い容貌をしていた。背も、せむしみたいにまるくふくらんでいたが、手足はヒョロながく、灰いろで、その尖端は異様にふくれあがっていた。手の指も、わらじからはみ出した足の指も、一匹ずつの|爬虫《はちゅう》みたいに大きいのだ。
 ――先刻、この男に、まず五人の侍がかかった。未熟にして斬られるのは望むところとは本人の殊勝な申しぶんであったが、|仕《し》|手《て》はいずれも|柳生流《やぎゅうりゅう》の|錚《そう》|々《そう》であったから、当人のかまえをみてあきれた。申しわけのように大刀はもっていたが、まるで|案山子《か か し》のように無芸な姿にみえたからである。
 ふいに、二人の武士が、「あっ」とさけんでよろめいた。片手で両眼を覆っている。声もかけず、将監の方から攻撃に出たのである。何が、どうしたのかわからなかったが、あとの三人は|狼《ろう》|狽《ばい》し、また逆上した。剣をとって相対したうえは、すでにたたかいの開始されていることはいうまでもないことだから、「不覚」と|愕《がく》|然《ぜん》として、|刃《やいば》を舞わせて殺到した。
 将監は横にはしった。そこに天守閣の石垣の一部があった。つむじ風のように追いすがる三本の乱刃からのがれて、彼はその石垣にはいあがったが、おどろくべきことは、彼が敵に背を見せなかったことだ。すなわち、彼の|四《し》|肢《し》は、うしろむきに石垣に吸いついたのである。いや、四肢ではない、右手にはいぜんとして刀をさげていたから、左手と両足だけだが、その姿で、|蜘《く》|蛛《も》のように巨大な石の壁面をうごくと、二メートルばかり上から、三人を見おろして、きゅっと笑った。
 笑ったようにみえたのは、口だけであった。その口から、何やらびゅっと下にとぶと、三人の武士はいっせいに目をおさえて、キリキリ舞いをした。先刻の二人は、まだ顔をおおったまま、もがいている。風待将監は背を石垣につけたまま、音もなく下におりてきた。勝負はあったのである。
 将監が口からとばせたのは、異様なものであった。それは|慶長銭《けいちょうせん》ほどの大きさの粘液の一塊であった。通常人なら|痰《たん》とよぶべきものであろうが、将監のそれがいかに|粘稠度《ねんちゅうど》の強烈なものであったかは、五人の武士の両眼に|膠《にかわ》のごとくはりついたまま数日後にいたってもとれず、それがとれたときは、いずれも|睫《まつ》|毛《げ》がすべてむしりとられたことからでもわかった。
 ――かわって、やはり五人の侍の相手になったのは、伊賀の|夜《や》|叉《しゃ》|丸《まる》という若者であった。
 若者というより、美少年である。服装は山国から出てきたらしく粗野なものであったが、さくらいろの頬、さんさんとかがやく|黒《こく》|瞳《どう》、まさに青春の美の結晶のようであった。
 五人の武士をまえに、これも腰の|蔓《つる》まきの|山刀《やまがたな》に手もかけなかったが、そのかわり、黒い縄のようなものをもっていた。この縄が、実に信じられないような威力を発揮したのである。それは縄というにはあまりにほそく、力をくわえればたちまちちぎれそうにみえながら、刃をあてても鋼線のようにきれなかった。日光の下に、|眩《めくる》めくようにかがやくかと思えば、日が|翳《かげ》ると、まったくみえなくなった。
 たちまち、一本の刃が、この奇怪な縄にからまれて、空中たかくはねあげられた。|鼓《こ》|膜《まく》をきるようなするどいうなりを発して横になぐる縄に、二人の武士が|大《だい》|腿《たい》|部《ぶ》と腰をおさえてくずれふした。縄は夜叉丸の両手から、二条となってたぐり出されていた。そばへ肉薄するどころか、あとの二人も、三メートル以上もの位置で、投縄にかかった|獣《けもの》みたいに縄にくびをまきつけられて悶絶した。
 あとできくと、それは女の黒髪を独特の技術でよりあわせて、特殊の獣油をぬった縄だということであったが、それは人間の皮膚にふれると、鉄の|鞭《むち》のような打撃力をあらわした。|太《ふと》|腿《もも》をうたれた一人などは、鋭利な刃物できられたように肉がはじけていたのである。それが十数メートルものびるかと思えば、まるでそれ自身生命あるもののごとく|旋《せん》|回《かい》し、反転し、|薙《な》ぎ、まきつき、切断するのだからたまったものではない。しかもそれが刀槍とちがって、夜叉丸自身の位置、姿勢とはほとんど無関係とみえるのだから、相手は攻撃はおろか防御の手がかりもないのであった。
 ……そしていま、それぞれ五人の武士をたおしたこの二人の奇怪な術者は、|魔《ま》|魅《み》のように音もなくあい対したのである。
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 楼主| 发表于 2008-4-16 17:23:29 | 显示全部楼层
 天守閣にかかる初夏の雲が、ウッスラとうすれてきた。雲が|蒼《そう》|空《くう》に溶けるのは、ほんの数分であっても、なぜか|永《えい》|劫《ごう》のながさを思わせる。それに似た時間がながれた。……
 風待将監の口が、きゅっと笑った。間髪をいれず、夜叉丸のこぶしからうなりをたてて噴出した縄が、旋風のごとく将監を薙いだ。将監は地にふした。その|刹《せつ》|那《な》、人びとはすべて、大地にはった灰いろの巨大な|蜘《く》|蛛《も》を幻覚したのである。縄にうたれたのではなく、みごとに避けたことは次の瞬間にわかった。|四《よ》ツン|這《ば》いになったまま、将監の笑ったとみえる口から、うす青い粘塊がびゅっと夜叉丸の頭へとんだからだ。
 それは夜叉丸の顔のまえで、空にかききえた。夜叉丸のまえには、円形の|紗《しゃ》の膜がはられていた。それがもう一方の手で旋回されている縄だと知って、将監の顔にはじめて狼狽の|相《そう》があらわれた。
 四ツンばいのまま、後方へ、ツ、ツーと|水澄《みずすまし》のように逃げたが、そのまま頭をさかさに、天守閣の|扇勾配《おうぎこうばい》の石垣へいっきにはいあがったのには、見ていたものすべてあっとどよめいた。
 追いすがった夜叉丸の縄のさきから、将監のからだがとんで、|初重《しょじゅう》の白壁にはりついたとみるまに、|唐《から》|破《は》|風《ふ》のかげにきえて、そこから粘塊をびゅっと下へ|吐《は》きおとした。しかし、夜叉丸の姿はそこにはなかった。もう一方の縄が屋根の一端にからみついて、彼のからだは宙にういていたからである。
 将監が、青銅の|甍《いらか》をはしって、その縄をきったとき、夜叉丸はすでに他の一条をべつの一端に投げていた。ゆれる|蓑《みの》|虫《むし》は死の糸をふき、はしる蜘蛛は魔の|痰《たん》を吐いた。|眩《めくるめ》く初夏の雲を背に、この天空の死闘は、あきらかに人間のたたかいではなかった。妖異な動物――いやいや、人外の魔物同士のたたかいであった。
 うなされたようにそれを仰いでいた人びとのうち、まず手をふって左右をふりかえったのは老城主であった。
「もうよい。止めよ、半蔵。この勝負は明日にいたせと申せ」
 天守閣の決闘は、すでに三層に移っている。このまま経過すれば、一方の死は必定で、たぶん双方ともに命をうしなうことは明白であったろう。しかし、老城主の口から次に出た言葉は、ひどくしぶいものであった。
「町のものどもの見世物と|相《あい》|成《な》ってはならぬ。|駿《すん》|府《ぷ》は大坂がたの|間《かん》|者《じゃ》でみちみちておるのじゃ」
 家康である。
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 楼主| 发表于 2008-4-16 17:23:45 | 显示全部楼层
     【二】


 慶長十九年四月の末、駿府城内で、この不思議なたたかいを見ていたのは、|大《おお》|御《ご》|所《しょ》家康ばかりではなかった。
 将軍秀忠をはじめ、その|御台所《みだいどころ》|江《え》|与《よ》の方、ふたりのあいだに生まれた竹千代、国千代の兄弟、それに本多、土井、酒井、|井《い》|伊《い》などの重臣もつめておれば、|金《こん》|地《ち》|院《いん》|崇《すう》|伝《でん》、|南《なん》|光《こう》|坊《ぼう》|天《てん》|海《かい》、|柳生《やぎゅう》|宗《むね》|矩《のり》などの顔もみられた。すなわちここに、草創期の徳川一族、幕府首脳のすべてがあつまったといってよい。大坂冬の陣が起こったのはこの年の十月のことだから、いま家康が「大坂の間者」云々といったのは、じつにさもあるべきことと思われる。
 ただこのなかに、二個の「異物」がまじっていた。それはこのような、きらびやかな一座にあって異物的な感じをあたえるというより、どんな人間世界にまじっても、かならず人びとの心に、まるで天外からふってきた冷たい|隕《いん》|石《せき》みたいな印象をのこすに相違ない。
 家康のやや前方に、五メートルほどのひろい間隔をおいて|坐《すわ》っている老人と老女であった。いずれも雪のような白髪で、その下の皮膚は老人の方は革みたいに黒びかりし、老女は冷たく|蒼《あお》かったが、それにもかかわらず、このふたりには、|並《なみ》いる千軍万馬の|驍将《ぎょうしょう》たちにおとらぬふしぎな精気があった。
 あいたたかっていた二人の男が、風のようにはしってきて、手をつかえた。風待将監は老人のまえに、夜叉丸は老女のまえに。
 老人と老女は音もなくうなずいてみせたが、ぶきみな目は、おたがいに相手がたの術者にじっとそそがれた。老人は夜叉丸に、老女は風待将監に。
「大儀であった」
 わけへだてなく、思わず声をかけたのは家康だが、そのまま目を一方にむけて、
「|又《また》|右衛《え》|門《もん》、どうじゃ」
 といった。
「恐れいってござりまする」
 柳生宗矩はあたまをさげた。|但馬《たじまの》|守《かみ》に任ぜられたのは後年のことだが、徳川家の剣の師たるの地位はすでに占めていた。
「忍法がいかなるものかはとくと存じておるつもりではござったが、これほどまでのものとは――さきほどの弟子どもの|醜態《しゅうたい》をせめるよりは」
 彼のひたいには、うすい汗さえにじんでいた。
「柳生の|庄《しょう》とは隣国の伊賀、|甲《こう》|賀《が》に、かような忍者がひそんでおることを|存《ぞん》ぜなんだ|拙《せっ》|者《しゃ》の不覚、ただただ恥じいるばかりでござります」
 家康は宗矩をしかるどころか、大きくうなずいて、
「半蔵、めずらしいものを見せてくれた」
 末席に|侍《はべ》っていた|服《はっ》|部《とり》半蔵は両手をついたが、若い顔は|会《かい》|心《しん》の微笑でいっぱいであった。
「半蔵。甲賀|弾正《だんじょう》と伊賀のお|幻《げん》、それからあの忍者両人に|盃《さかずき》をとらせえ」
 スルスルと老人と老女の方へ寄る半蔵から、家康は顔をまわして、左右をかえりみた。
 一方にならぶ|嫡孫《ちゃくそん》竹千代、その|乳母《う ば》|阿《お》|福《ふく》、|傅《もり》|役《やく》青山|伯《ほう》|耆《きの》|守《かみ》、また土井|大《おお》|炊《いの》|頭《かみ》、酒井備後守、本多佐渡守、南光坊天海ら。――
 また他の一方にならぶ将軍秀忠、御台所江与の方、その次男国千代、傅役朝倉筑後守、本多|上野介《こうずけのすけ》、井伊|掃部《かもんの》|頭《かみ》、金地院崇伝ら。――
 深沈たる家康の目で見わたされて、彼らはきゅっと全身がひきしまる思いがした。いまや徳川家の相続者について、大御所からおどろくべき一つの|賭《かけ》の宣言が発しられようとしているのである。
 すなわち、三代将軍たるべきものは、竹千代か、国千代か。
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 楼主| 发表于 2008-4-16 17:24:06 | 显示全部楼层
 家康は七十三歳であった。
 彼は大坂に最後の一|撃《げき》をくわえようとしていた。|豊《とよ》|臣《とみ》|秀《ひで》|頼《より》は、家康のすすめにしたがい、|太《たい》|閤《こう》供養のため京都東山に大仏殿を建立したが、この四月なかば、いよいよその|巨鐘《きょしょう》の|鋳造《ちゅうぞう》にとりかかった。この大仏殿の建立そのものが、大坂がたにおびただしい出費をさせようという家康の遠謀によるものであったが、彼は、この巨鐘成るのあかつき、その|鐘銘《しょうめい》に難題をつけて開戦する予定であることは、すでにこの座にある|謀《ぼう》|臣《しん》たちとはかって、ひそかに断をくだしていたところであった。例の「国家安康、君臣豊楽」の八文字を、豊臣が家康を|調伏《ちょうぶく》するものというむちゃくちゃないいがかりであるが、家康にとっては、手切れの|口《こう》|実《じつ》さえつかめば、なんでもよかったのだ。この|一《いち》|事《じ》で、家康は生涯の|化《ばけ》の皮がはがされて、いまに|古狸《ふるだぬき》の名をのこすことになったのだが、それも|所《しょ》|詮《せん》は、彼の七十三という年齢からきた焦り以外の何ものでもない。家康は、このごろめっきりとおのれの肉体の衰えをかんじていたのだ。
 たたかいは勝つであろう。しかし、敵の城がおちるまでに、一年かかるか、二年かかるか、それは計画のほかにあった。はたして大坂城の最後の|炎《ほのお》を、この目の黒いうちに見ることができるか、どうか、それは保証のかぎりではなかった。
 家康は、おのれの|生命《いのち》の落日を背に、ぬっとそびえる大坂城の黒い影をみた。そして、その落日の|彼方《かなた》に、もうひとつ、さらに巨大な雲の影を夢魔のようにみたのである。
 それは、わが亡きあとの徳川家のゆくすえであった。秀忠のあとをつがせるものは、竹千代か、国千代か。兄か、弟か。
 兄にする、長子相続制にするとは決しかねるものがあった。この十一と九つの幼い兄弟を見ていると、彼自身まよわざるをえないのだ。なんとなれば、いずれも愛する孫ながら、兄の竹千代は、どもり[#「どもり」に傍点]で、人まえに出て口もハキハキきけず、うすぼんやりしているところがあった。これにくらべて弟の国千代は、はるかに愛らしく、かつ利発な子なのである。――愚かなる兄か、聡明なる弟か。
 いま、孫のことで悩みつつ、つくづくと思い出すのは、じぶんの子たちの運命である。三十五年前、家康は|長子《ちょうし》の|信《のぶ》|康《やす》をうしなった。信康が武田と内通しているといううたがいを織田信長からうけ、徳川家存続のために、涙をのんで信康を殺さざるをえなかったのだ。彼に自刃をすすめる使者にたったのは、伊賀組の首領たる服部半蔵であった。
 後年しばしば、家康は信康を死なせたことににがにがしい|愚《ぐ》|痴《ち》をこぼした。関ガ原の|役《えき》に、「さてさて年老いて骨のおれることかな、せがれがいたらば、これほどのこともあるまいに」と嘆息をもらしたせがれとは、この信康のことで、それほどこの長男はたのもしい|麒《き》|麟《りん》|児《じ》であったのだ。彼さえ生きておれば、何のこともなかったのである。
 次子が|結《ゆう》|城《き》|秀《ひで》|康《やす》で、第三子が秀忠だ。思うところあって、家康はこの篤実な秀忠をおのれの後継者としたが、そのため秀康がどれほど不平満々として狂態の人生をおくったか。なまじ彼が勇武の|性《せい》であるために、家康、秀忠が、どれほど彼をもてあましたことか。
 相続ということのむずかしさを、家康は心根に徹して思い知らされていた。徳川家ばかりではない。織田家においても、信長青春の半生は、弟|信《のぶ》|行《ゆき》の叛乱に消磨されたことを、彼はこの目でみている。どこの家でも、いつの世にもおこりうることなのである。
 知っているだけになお迷い、彼は、秀忠とその御台所が、長子竹千代よりも次子の国千代を可愛がっているらしいのを、黙然として見すごしてきた。そしていまや、徳川家の内部では、竹千代派と国千代派がわかれて、ぬくべからざる|嫉《しっ》|妬《と》と反感をなげあっていることを知らなければならなかったのである。
 秀忠はともかく、御台所の江与の方と、竹千代の乳母|阿《お》|福《ふく》とが、たがいにあい似たつよい気性のため、先天的に反発しているようにも思われる。江与の方の母は、信長の妹お|市《いち》の方で、阿福は、その信長を殺した|明《あけ》|智《ち》第一の重臣斎藤|内蔵《くらの》|助《すけ》の娘だから、両者の相容れざる根もふかい。阿福はのちの|春日《かすが》の|局《つぼね》である。これに、他の|侍妾《じしょう》、それぞれの|傅《もり》|役《やく》から重臣までが、両派にわかれてからんできた。竹千代には、天海、土井、酒井。国千代には、崇伝、井伊。陰湿冷静な本多佐渡、上野介までが父子両派にわかれてあいゆずらないのだから、骨がらみだ。
 この冬、阿福のお茶に毒を入れてあるのが事前に発見された。それと前後して、国千代が暗夜の|狙《そ》|撃《げき》からあやうくまぬがれた。
 このままにしてはおけぬ!
 このままに推移すれば、たとえ大坂はほろぼしたところで、徳川家の|土《ど》|崩《ほう》|瓦《が》|解《かい》することは、鏡にかけてみるがごとしだ。
 しかも、いかなる断を下すべきか? さすがの家康も、焦燥し苦悩した。|厳《げん》たる長子相続制か。しかし万一その長男が暗愚なるとき、どんな悲劇をまねくか、戦国の世に生きぬいてきた家康は、諸家の興亡にまざまざとみてきたとおりだ。|順《じゅん》にこだわらず、頼むにたる子を選ぶべきか。それから起こる|葛《かっ》|藤《とう》は、秀康、秀忠の|悶着《もんちゃく》で骨のズイまで味わわされたことだ。この問題がどれほどむずかしいかは、この事件で家康がある一つの重大な決定を行なって、それが「|神《しん》|祖《そ》|御定法《ごじょうほう》」として徳川家の|掟《おきて》となったにもかかわらず、しばしば歴代の将軍をきめるさい、なお深刻な波がくりかえされたことからでもわかる。……|余《よ》|人《じん》はしらず、家康だけは、これを三代将軍のみならず徳川千年の命運にかかわる|大《だい》|事《じ》と見た。
 そのためにも、いっそういまの内争を、両派の納得するかたちで解決しなければならない。しかし、長年にわたり、からみにからんだ利害、|恩《おん》|怨《えん》、感情のもつれを一挙にとくすべがあろうとは思われぬ。しかも、事はいそぐのだ。|明日《あ す》をもしれぬおのれの余命、また最後の戦争を眼前に、いまのいま解決しなければならないのだ。そして、なおいっそう重大なことは、この内部抗争を、断じて大坂がたにかぎつけられてはならぬという至上命令であった。
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 楼主| 发表于 2008-4-16 17:24:27 | 显示全部楼层
 ……この早春の雪ふる夕のことである。家康は駿府の城に天海僧正をまねいて、秘室に対坐した。天台の|血脈《けちみゃく》を受けるという名目であったが、その実、このふたりが密語したのはこの一事であった。そして天海は、|瞑《めい》|想《そう》ののち、おどろくべき解決法を提案したのである。
「――いずれを理をもってとき、情をもってなぐさむるとも、もはやかくあいなっては、とうてい一方がサラリと|肯《うべな》うものとは存じませぬ。……いかがでござる、いっそ両派より、それぞれ、その望みを一身に負った剣士を出させ、その勝敗によって決しては」
 家康は目をあげて、天海をみた――。南光坊天海も一応竹千代派ではあるが、むろん、それより徳川家をいかにすべきかということに苦しんでいることは同様だ。
 剣法の選手の勝敗に両派の運命を|賭《か》ける! いかにも武門の相続争いにふさわしい男性的な方法であるが、またあまりに単純にすぎる。さすがの怪僧天海も、この|内《うち》|輪《わ》もめだけには、よほど手をやいたとみえる。
「一案じゃ。しかし、剣の勝負には、時の運不運と申すこともある。時の運がすなわちおのれの運とあきらめてくれればよいが、何せ、あきらめのわるい女どももからんでおるのじゃ。さて一人対一人の勝負で、彼らが|得《とく》|心《しん》してくれればよいがのう」
「それでは三人ずつ」
「その三人をえらぶことで、こんどは両派それぞれの内輪もめを起こしはすまいか」
「五人ずつ」
「…………」
「十人ずつ。これなら、両派の精鋭、時の運とばかりは申せず、みれんののこることもござるまい」
 家康はうなずいたが、やがてかぶりをふった。
「十人ずつ、そこまでたたかえば、両派とも納得はするであろう。じゃが、十人ずつの剣士をえらぶとすれば、必然、両派の家々にひろくまたがろう。土井と井伊、酒井と本多……相たたかわせるは、|無《む》|惨《ざん》でもあり、ばかげてもおる。のみならず、争いはいっそう深みにはまり、また公然のものとなる。大坂方に知られずにはいまい。これは徳川家の大秘事なのじゃ」
 天海は、目を半眼にしたまま、雪の音をきいていた。深殿の|幽寂《ゆうじゃく》は、さながら山院のようである。ふっと大きな目を見ひらいた。
「忍者」
 と、つぶやいた。
「忍者?」
「されば、忍者をつかわれてはいかがでござる。……雪の音で、ゆくりなくもむかし雪の一夜、江戸|麹町《こうじまち》の安養院で、先代の服部半蔵からきいた話を想い出してござります。――甲賀と伊賀に、源平のむかしより、あくまで|和《わ》|睦《ぼく》せず、千年の敵としてにくみ合う忍者二つの一族があるとか。……そのため、彼らのみ、どうあっても服部のなかだち効をそうせず、いまだそれぞれ伊賀と甲賀にひそんで、ただ服部家との|約定《やくじょう》により、たがいにあいたたかわずにおるまでとのこと、もし服部家がその|手《た》|綱《づな》をとけば、血ぶるいして闘争をおこすは|必定《ひつじょう》にて、まことにこまった奴らと、半蔵が嘆息したのをきいてござる。いかがでござろう、その二つの忍法の一族を、竹千代さま方、国千代さま方の二つに当て、いま服部家に命じて、その手綱を放させ申しては」
 天海はぶきみな笑いをもらした。
「これならば、大坂がたに知られるおそれなし、またその両族すべて血の海に没しても、徳川家のさむらいに傷はつきませぬが」
 家康はながいあいだ考えこんでいたが、やがてひとりごとのようにいった。
「服部か。あれは信康を殺しにいった男じゃが、こんどは孫の一方を葬むるという一事にも、また伊賀者をつかわねばならぬか?」
 にがい笑いが、|皺《しわ》だらけの顔にはしった。まことにこれが実現するならば、徳川家の運命をにぎるものは、まさに忍者の一族だといってよかったからである。しかし、それも家康じしんの命令であることは、|陰《いん》|鬱《うつ》な皮肉であった。
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 楼主| 发表于 2008-4-16 17:24:52 | 显示全部楼层
     【三】


 甲賀伊賀の忍者と徳川家との|縁《えにし》は、ふしぎにふかい。
 そもそも、忍法といえば、なぜ甲賀と伊賀の|独壇場《どくだんじょう》となったのか。それには、これらの国の複雑に入りくんだ山と谷の地形のために無数の小|土《ど》|豪《ごう》の|割《かっ》|拠《きょ》しやすかったこと、また|京《きょう》にちかいために、|平《へい》|家《け》や|木《き》|曾《そ》や|義《よし》|経《つね》の残党が潜入した形跡があること、さらに南北朝の勢力争いの大きな舞台となったこと――などの地誌的、社会史的な事情があげられるけれど、これらはかならずしも甲賀伊賀にかぎったことではあるまい。
 ともあれ、すでに|壬《じん》|申《しん》の乱で叛乱をおこした|大《おお》|海人《あまの》|皇《おう》|子《じ》が伊賀の忍者をつかったという記録のあること、義経の家来伊勢三郎|義《よし》|盛《もり》が伊賀の忍者であったという伝説のあること、|近江《おうみ》の名族佐々木|六角入道《ろっかくにゅうどう》が|足《あし》|利《かが》将軍に抗したさい、甲賀侍がその配下となって足利勢をなやまし、世にこれを「甲賀|鈎《まがり》の陣」といってふしぎがられた事実。――などから、伊賀甲賀の忍法の由来するところ、遠くまた深いとはいえる。しかも、これらにいずれも共通していることは、彼らがつねに時の権力者へ反抗する側にたっていることで、そこに彼らの反骨またはぶきみな野性といったものが感じられる。――
 戦国時代にはいると、いうまでもなく「忍びの術」の用途は、多々ますます|便《べん》じた。|諜報《ちょうほう》、|斥《せっ》|候《こう》、暗殺、放火、|攪《かく》|乱《らん》――それらの必要から、群雄はきそって忍者をもちい、これを「夜盗組」「|乱《らっ》|波《ぱ》」「|透《すっ》|破《ぱ》」などと称した。そしてけっきょく、実戦裏に、甲賀伊賀の忍びの術がもっともその精妙なことが証明されたのである。甲賀者、伊賀者はあらそって諸家に買われ、またそれに応じて、その国でも、甲賀五十三家、伊賀二百六十家などとよばれるほど忍法の諸小派がおこるにいたった。
 しかし、やがて彼らにとって受難の時代がきた。信長の天下統一がすすむにつれ、その|布《ふ》|武《ぶ》の|鉄《てっ》|蹄《てい》をうけなければならなくなったのだ。それには、京にちかいという地理的な必然性もあったにはちがいないが、それより信長という人間が、おそらく彼もまた大いに忍びの者を利用したにせよ、先天的にそういう妖気ただよう薄明の一族を好まなかったせいではないかと思われるふしがある。したがって、彼らもこれに抵抗した。これが世に「|天正《てんしょう》伊賀の乱」といわれるものである。
 この「国難」にあたって、がんこに各流各派をまもっていた甲賀伊賀の土豪たちは結束した。いくどかの抗戦ののち、|衆寡《しゅうか》|敵《てき》せず彼らはふみにじられたが、その抵抗ぶりがあまりに効果的で、織田軍はみごとに|翻《ほん》|弄《ろう》され、信長自身狙撃されてあやうく命びろいしたこともあったくらいだから、あとの|掃《そう》|滅《めつ》ぶりも無慈悲をきわめた。|城砦《じょうさい》はすべてやきはらわれ、神社や寺もことごとく破壊され、信長は、僧俗男女をとわずみな殺しにせよとさえ命じた。かくて亡民となった彼らはちりぢりばらばらになって逃亡し、そのおもだったものは|三《み》|河《かわ》にはしって、徳川家にたよった。そこには伊賀の名族服部半蔵が以前から|仕《つか》えていたからである。
 甲賀者、伊賀者に、もっともふかく目をつけていたのは家康であった。いかに彼がその利用価値を認めていたかは、のちに幕府をささえるものの重大な一つに|隠《おん》|密《みつ》政策があったという事実によってもうかがわれるが、そのため彼ははやくから、甲賀伊賀の|地侍《じざむらい》たちをつとめて召しかかえるようにしていた。その|頭分《かしらぶん》が服部半蔵だったのである。
 服部家は、平家の末孫、あるいはそれ以前から伊賀の一郡を領していた家柄といわれるが、半蔵がこのころすでに家康にいかに重用されていたかは、れいの信康自刃に際し、死の使者としてむけられたことからでもわかるが、この伊賀の乱以後、家康はいよいよ甲賀伊賀のひそかなパトロンとなり、また服部半蔵は、忍者たちの総元締の地位をかためるにいたった。
 家康は、信長の手から、つとめて甲賀伊賀をかばってやっていたが、その|報酬《ほうしゅう》はのちに、家康「生涯の大難」の第一といわれる伊賀|加《か》|太《ぶと》越えのとき、あたえられることになる。すなわち、本能寺の変にさいし、たまたま家康は信長にまねかれて|上《かみ》|方《がた》見物にきていたが、この変事によって本国三河との連絡をたたれ、遊びの旅だから供のものもきわめて少数であったし、まったく進退きわまって、いちじは自害をかんがえたくらいだったのである。このとき、間道づたいに|山《やま》|城《しろ》から甲賀へ、さらに伊賀から伊勢へとぶじ家康をみちびき、護衛したのは、服部半蔵の呼び声に嵐のごとくあつまった甲賀伊賀の忍び組三百人であった。
 この功によって、半蔵はのちに八千石の服部|石《いわ》|見《みの》|守《かみ》となり、江戸|麹町《こうじまち》に屋敷をあたえられ、伊賀同心二百人の頭目となる。いまにのこる|半《はん》|蔵《ぞう》|門《もん》の名は、彼の屋敷のまえにあったから生じたものであり、|神《かん》|田《だ》に甲賀町、|四《よつ》|谷《や》に伊賀町、|麻《あざ》|布《ぶ》に|笄町《こうがいまち》(甲賀伊賀町)という町ができたのも、そこに甲賀者、伊賀者が住んだからである。家康だけは、みごとに彼らを飼いならした。
 それにもかかわらず、家康の半蔵をみる目は、決してふッきれたものとはいえなかった。とくに、それは老年にちかづくにしたがって暗くなった。半蔵が、死んだ信康を思い出させるのだ。じぶんが命じたことなのだからどうにもしかたがないが、それだけにいっそうやりきれない気持になる。殺したくない子であった。愚痴のすくない家康に、信康だけはただ一つの理性の日かげに消えやらぬまぼろしであった。半蔵はそれを感じて、ふかく身をつつしんだ。麹町に安養院という寺をつくり、信康の|供《く》|養《よう》|塔《とう》をたてて、日夜|読経《どきょう》に余念のない生涯をおくったのはそのためである。
 彼は慶長元年に死んで、子があとをついだ。これがいまの服部半蔵である。そしていまや家康は、二代目の半蔵に、またもや憂鬱だが絶対に必要な使命をさずけなければならぬこととなったのだ。

 甲賀伊賀の忍者一族、ほとんどすべて服部家の支配下にあるのに、ただ、たがいにあいいれないばかりに、手をたずさえて世に出ることを拒否し、ふかく山国にこもっているという忍法の二家。
 服部家に積年の大恩あるゆえに、その|誓《せい》|言《ごん》をまもり、あいたたかうべき鮮血をあやうくおさえているという奇怪な宿命の二族。
 その両家の首領は、半蔵の|秘牒《ひちょう》によって、ようやくこの駿府城内にその姿をあらわした。
 甲賀弾正と伊賀のお|幻《げん》。
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 楼主| 发表于 2008-4-16 17:25:15 | 显示全部楼层
 そして彼らはそれぞれの配下によって、いま世にある忍者とはまったく類を絶するぶきみな秘術を展開してみせたのである。それは忍法の勝敗によって、三代将軍をきめようという奇想に、柳生宗矩がくびをかしげたからである。もっとも、これは宗矩にかぎらない。この相続という重大事に関係のあるものは、ことごとく、こんなえたいのしれない勝負によってじぶんたちの運命を決せられることに疑心と不満をもつのは当然である。家康ですら、内心、なお迷っているところがあった。ただ、いかにかんがえても、ほかにこの|乱《らん》|麻《ま》の政争を断つ快刀がなかっただけのことだ。
 しかし、いまやさすがの柳生宗矩も、完全にこの奇想によって地上にえがき出されるであろうたたかいのすさまじさを了解せざるを得なかった。ほかのだれしもが、それをみとめた。忍者の変相、速歩、跳躍などが常人をこえていることは知らないではない。それはギリギリの肉体と精神の鍛錬によるものだ。が、それだけに、そこにはある限界がある。これは剣法においてもおなじことだ。しかし、いま目撃した忍者ふたりの神技は、あきらかに人間の――いや生物の、肉体の可能性の範囲にありながら、しかも常識を絶したものであった。
「弾正」と、家康は老人によびかけた。
「風待|将監《しょうげん》と申すものの業には感服いたしたが、そちの弟子には、あのような妙術をもつものが、まだほかにおるか?」
 老人はさげすむように将監をちらとみた。吐き出すようにいった。
「服部どのの御内示を承わり、敵にみせてもまずさしさわりのない、いちばん手軽なやつを召しつれましてござる」
「将監がいちばん手軽なやつと申すか」
 家康はあきれて弾正をみたが、こんどは老女のほうをかえりみて、
「お幻はどうじゃ」
 お幻はうすきみのわるい|笑《え》|顔《がお》になって、だまって白いあたまをさげただけであった。
「十人――いや、そちたちをのぞいて、あと九人|要《い》るぞ」
「わずか、九人。ほ、ほ」
 さすがの家康が、なぜか背すじに冷水のつたわるのをおぼえた。きっとふたりをにらみすえて、
「そちたちは、徳川の世継ぎを定めるために、たたかってくれる|所《しょ》|存《ぞん》があるか」
「徳川家のおんためとは申さず、服部どののおゆるしさえあれば、いつなりと」
 と、老人と老女は同時にこたえた。
「ゆるす、ゆるす。先代がそなたらにかけた誓いの|手《た》|綱《づな》をいま解くぞ。甲賀か、伊賀か、勝ちの帰するところ、恐れ多くも将軍家の天命をさずかりたもうおん方がきまるのじゃ。いまだかつて、これほど大いなる忍法の争いがあったか。よろこんで死に|候《そうら》え」
 と、思わず服部半蔵はすすみ出てさけんだ。
 彼は、父が死ぬまで|大《おお》|御《ご》|所《しょ》秘蔵の信康君に死の使者になったことを悔いていたのをわすれることはできなかったのだ。服部家にかかる雲をはらうはこのときとかんがえたのである。しかし、こんどの使命とて、決して大御所が|欣《きん》|然《ぜん》としてあたえたものでないことを若い彼はしらぬ。また父が生涯、ついにこの二門を甲賀伊賀に封じこめていたことの恐るべき意味を知らぬ。
「さらば、弾正、お幻、そちたちのえらぶ九人の弟子の名をしるせ」
 と、家康は小姓にあごをしゃくった。
 小姓が、筆、|硯《すずり》と、細い二巻の巻物様のものをささげて、甲賀弾正とお幻のまえにすすみよった。
 巻物をひらくと、白紙であった。二巻の巻物に、老人と老女は筆をはしらせ、また交換した。それから家康にかえされた。そして次のような名と文字がかかれていったのである。

 甲賀組十人衆
[#ここから2字下げ]
甲賀|弾正《だんじょう》
甲賀|弦《げん》|之《の》|介《すけ》
|地《じ》|虫《むし》|十兵衛《じゅうべえ》
|風待将監《かざまちしょうげん》
|霞刑部《かすみぎょうぶ》
|鵜殿丈助《うどのじょうすけ》
|如月《きさらぎ》|左《さ》|衛《え》|門《もん》
|室《むろ》|賀《が》|豹馬《ひょうま》
|陽炎《かげろう》
お|胡《こ》|夷《い》
[#ここで字下げ終わり]
 伊賀組十人衆
[#ここから2字下げ]
お|幻《げん》
|朧《おぼろ》
|夜《や》|叉《しゃ》|丸《まる》
|小豆《あずき》|蝋《ろう》|斎《さい》
|薬《やく》|師《し》|寺《じ》|天《てん》|膳《ぜん》
|雨《あま》|夜《よ》|陣《じん》|五《ご》|郎《ろう》
|筑《ちく》|摩《ま》|小《こ》|四《し》|郎《ろう》
|簔《みの》|念《ねん》|鬼《き》
|蛍火《ほたるび》
|朱《あけ》|絹《ぎぬ》
[#ここで字下げ終わり]

 服部半蔵との|約定《やくじょう》、両門争闘の禁制は解かれ|了《おわ》んぬ。右甲賀十人衆、伊賀十人衆、たがいにあいたたかいて殺すべし。のこれるもの、この秘巻をたずさえ、五月|晦日《みそか》駿府城へ|罷《まか》り出ずべきこと。その数多きを勝ちとなし、勝たば一族千年の栄禄あらん。
  慶長十九年四月
[#地から2字上げ]徳川家康

 弾正とお幻は、一巻ずつ、それぞれの名の下に血判をおした。それを巻くと、家康は、二巻ひとにぎりにして宙になげた。二巻は空でわかれて、左右におちた。
 甲賀弾正の血痕を印した巻物は国千代の方へ、伊賀のお幻の血痕を印した巻物は竹千代の方へ。
 国千代は甲賀に、竹千代は伊賀に、三代将軍たるべき運命は、いまこの恐るべき忍法の二門の手中にしかと身をゆだねたのである。
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 楼主| 发表于 2008-4-16 17:25:43 | 显示全部楼层
     【四】


 まっかな夕日にぬれて、甲賀弾正とお幻はたたずんでいた。
 駿府城外、|安《あ》|倍《べ》|川《がわ》のほとりである。たったいま、それぞれ二つの秘巻をいだいて、西へ風待将監と夜叉丸がかけ走ったところだ。
「お幻婆、妙な話になりおったな」
 と、弾正がひとりごとのようにいった。
「さればよ、四百年のむかしから、陰陽二流の忍法を争って、ともに天をいただかなかったそなたの家とわたしの家が、それぞれ孫の恋にひかされて、ようやく|和《わ》|睦《ぼく》しようとしていた矢先に」
「朧と弦之介は、いまごろ|信楽《しがらき》の谷で逢うているやもしれぬな」
「ふびんや、しょせん、星が|違《ちご》うた!」
 ふたりは、顔をそむけた。朧は老女の孫であり、弦之介は老人の孫であった。
 ふいに弾正がふかい声でいった。
「わしたちがそうであった。若いとき、わしは伊賀のお幻を恋うたぞい」
「それをおいいやるな」
 お幻は白髪をふりたてた。
「四百年にわたる両家の|宿怨《しゅくえん》じゃ。わしたちとおなじ|運命《さだめ》が朧と弦之介のうえにきたのじゃ。|祝言《しゅうげん》の日どりまでかんがえていたとき、服部家から忍法争いの封をといてこられたことこそ恐ろしき天意」
「婆、やるか?」
「おお、たたかわいでかよ」
 ふたりは、|物《もの》|凄《すご》い目を見かわした。
「婆、おぬしは甲賀の|卍谷《まんじだに》十人衆をよく知るまいな」
「知っておるのも、知らぬのもある。ふ、ふ、なにが甲賀の忍法など、――弾正どの、おまえさまこそ、伊賀の|鍔《つば》|隠《がく》れ十人衆をよくは知るまい? 四百年、血と血をまぜ合うて、闇の中にかもしあげた魔性の術を。よいかや、伊賀組十人は――」
「九人であろう?」
 と、弾正はいった。
 お幻はだまって、弾正をにらんだ。黒ずんできた夕焼けのなかに、その顔が墨のように変わって、両眼がとびだした。その|皺《しわ》だらけの鳥みたいなくびの両側に、キラキラとなにやらひかっていた。
 甲賀弾正は、音もなく四、五歩はなれて、お幻とむかいあい、ふところから、一巻の巻物をとり出した。
「お幻婆、これは、さっき夜叉丸がもっていったはずのものじゃが、このとおりわしのふところにある。夜叉丸のたわけめ、まだ気がつかず、西へはしっておることであろう。将監によって、まず甲賀組だけが、討つべき伊賀の十人の名を知る。いいや九人を――」
 さっと巻物をふると、例の忍者の名をつらねた文字があらわれた。その伊賀のお幻の名のうえに、朱の棒がひいてあった。
 それなのに、お幻は一語ももらさず、なお石のように立っている。そのむき出した両眼から、涙が頬につたわった。弾正は凄絶きわまる笑顔でそれを見まもっていたが、
「|南《な》|無《む》。――」
 とさけぶと、その口から、ぷっと何かを吹いた。それはひかりつつ、お幻のくびにまっすぐにつきとおった。針だ。ふつうの吹針のように微小なものではなく、二十センチもあるかにみえる針であった。さっきお幻のくびの両側にひかっていたのもそれで、老婆のくびは十文字に針で縫われていたのである。
 お幻は両手をあげて、同時に二本の針をひきぬいた。その口から怪鳥のようなさけびがほとばしり出た。その意味を弾正は知らなかった。次の瞬間、お幻は水けむりをあげて川にふしたからだ。針には|血中《けっちゅう》にはいれば獣をも即死させる猛毒が塗ってあった。
「お幻婆、ふびんじゃが、忍法の争いはこういうものだ。やがて追いおとす九人の伊賀衆を|冥《めい》|途《ど》で待て」
 と、弾正はつぶやいて、巻物をまきかけたが、ふとそれを河原におくと、
「殺さねばならぬ敵じゃが、これもむかしおれの恋うた女、せめて水に葬ってやろうかい」
 とつぶやいて、なかば水につかった老婆の|死《し》|骸《がい》を足で川へおしやった。
 ぱっと異様な羽ばたきをきいたのはそのときである。弾正はふりかえって、一羽の|鷹《たか》が河原においた巻物を足でつかんでとびあがるのをみた。一瞬に、さっきのお幻の断末魔の声が、それを呼んだことを知った。身をひるがえそうとして、その足を冷たいかたいものにつかまれた。弾正は水中にたおれた。
 弾正はふたたび|起《た》たなかった。そのあおむけになった胸に、青い手ににぎられた針がつきたてられていた。老婆はうつ伏せに、なかば弾正にのりかかっている。ズズ、ズズと、そのままふたりはながれだした。
 残光のなかに、鷹はひくく|旋《せん》|回《かい》した。足でつかんだ巻物は、いまは完全にひらかれたまま風にふかれて、ふたりの顔をなでた。ゆるやかにとぶ鷹の下を、しずかにながれつつ、お幻の青い手が弾正の胸の血のりをなぞると、巻物の「甲賀弾正」の名のうえに朱の棒をひいた。日が沈んだ。

 青い|三《み》|日《か》|月《づき》に、美しい|血《けっ》|相《そう》を黒ずませて、伊賀の夜叉丸がかけもどってきたころ、お幻と弾正の|屍《かばね》は、白髪を波にあらい、もつれさせつつ、|駿《する》|河《が》|灘《なだ》をながれていた。かつて恋しあったというこのふたりの老忍者の魂は、鎌のような|弦《げん》|月《げつ》のうかんだ夜空で、いまそのからだとおなじように抱きあっているのか。いいや、おそらくは現世のみならず、魔天にあっても|永《えい》|劫《ごう》の|修《しゅ》|羅《ら》の争いをつづけているであろう。
 ともあれ、この甲賀伊賀の忍法争いのまっさきに、その両頭目はまずあい|搏《う》って、おたがいを葬り去ったのだ。
 そして、なお|殺《さつ》|戮《りく》の秘巻をいだいて、風待将監は甲賀|卍谷《まんじたに》へひた走る。いや、それよりも、もう一つの巻物をつかんだままの鷹は、闇黒の天をついて、伊賀へ、伊賀へ。――
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 楼主| 发表于 2008-4-16 17:26:03 | 显示全部楼层
    甲賀ロミオと伊賀ジュリエット


     【一】


 山また山の甲賀伊賀の|国境《くにざかい》は、まだ晩春だった。|土岐峠《ときとうげ》、|三《み》|国《くに》|岳《だけ》、|鷲《わし》が|峰《みね》|山《ざん》などの連山には、ひるならば|鶯《うぐいす》が鳴きしきっているのだ。
 いまは夜明け前だ。糸のような三日月が、西の山脈に沈みかかっていた。
 まだ鳥も獣もねむっているその時刻。――|信楽《しがらき》の谷から土岐峠へむかって、風のごとくあるいてゆく二つの影がある。
「|弦《げん》|之《の》|介《すけ》さま」
 うしろの、まるで大きな|鞠《まり》みたいにふとった影が、カン高い声で呼んだ。
「弦之介さま、どこへゆくのでござる?」
「|朧《おぼろ》どのにあいにゆくのだ」
 と、さきの長身の影はこたえた。うしろの影はしばらくだまってあるいていたが、
「これはたまげてござる。いくら祝言の約束を交した相手とはいえ、はや夜ばいとは恐れ入った。……しかし、わるくはないな、おれも――」
 と、ニヤニヤしているらしいひとりごとで、
「いつか伊賀屋敷でみた|朱《あけ》|絹《ぎぬ》という女――まるであの三日月みたいな感じの美女であったが、おれがふとっちょのせいか、あんな女が虫が好くわえ。したがって、あの女もおれのようなふとっちょを虫が好く。へへ、弦之介さまは朧さまのところへ、おれは朱絹のところへ、主従そろって夜ばいとやらかすか。伊賀の連中、きもをつぶすであろうな」
「たわけめ」
 甲賀弦之介はしかって、|厳粛《げんしゅく》な声で、
「|丈助《じょうすけ》、お|祖父《じ い》が、いかなる用で駿府へくだったか、お前は知っておるか」
「徳川家忍び組の頭目、服部半蔵どのの書状によれば、甲賀弾正子飼いの忍者ひとりを召しつれよ、その術を大御所のご覧にいれたいとござったが」
「それをお前はどう考える?」
「どう考えると申しておそらくは弦之介さまと伊賀の朧さまとの祝言まぢかきうわさを服部どのがきいて、それならばもはや両家の宿怨がとけたものと見なし、両家そろって世に出でよとのおすすめであろうと――弾正さまがお前さまにお話なされたのを承わってござるが」
「そうなれば、お前はうれしいか」
 ふとった影はだまった。
 遠くから、さあっと夜風が樹々を鳴らしてくると、ややあって雪のようなものが満面に吹きつける。山桜だ。――もう道らしい道もない山の中であった。ふとった男は、|鵜《う》|殿《どの》丈助という。うす暗い三日月にうかんだ顔は、鼻も頬も唇もダラリとたれさがったような|滑《こっ》|稽《けい》な異相だ。それが、くしゃくしゃっとゆがむと、ツイとうしろへさがった。
 そこにふとい二本の立木があった。樹の間隔は三十センチぐらいしかなかった。ところが、ダブダブとふとって、その倍はありそうな|樽《たる》みたいな丈助の影が、そのあいだをスルリとむこうへぬけたのである。
「正直なところ、あんまりうれしくはござらん」
 と、樹の向こうで、おじぎをしながら、もちまえのカンだかい声を殺していった。
「お前さまがお怒りなさることはよく存じておりますがな。これは、おればかりではない、地虫十兵衛、風待将監、霞刑部、如月左衛門、室賀豹馬ら……みな大不服です。われわれは、いつかきっと伊賀のお幻婆一党をたたきつけたい、われらが忍法をもって血泡をふかせたい、伊賀ついに甲賀に敵すべからず、と敵に腹の底まで思い知らせたい。――お、そうおれをにらみなさるな、お前さまの目にはとうていかなわぬ。――でもな、こんどの祝言をお前さまが望まれ、弾正さまがうなずかれたうえは、おれたちは家来、決してじゃまはいたさん、それどころか、これでお前さまがお幸せになるんなら、何の異議かこれあらん、よろこべ、よろこべと、おれはしきりにみなを説いているくらいで――」
「かたじけない。それゆえ、おれはお前だけを|供《とも》につれて忍び出てきたのじゃが」
 と、弦之介はしずんだ声でいった。
「おれは、お前らをばかだと思う。あれほどすさまじいお|祖父《じ い》の仕込みを受けて、これほど恐ろしい秘術を身につけたわれら一族が――これはお幻婆の一党もおなじであろう――たがいにあい|縛《しば》って、この山中にうずまっておるとは愚かしさのきわみだ。いつのころからか、おれはこう考えだした。お幻婆の孫娘、朧と|夫婦《めおと》になろうとは、この考えから思い立ったことだ」
 甲賀弦之介は、どこか知性の匂いすらある秀麗な青年だった。暗い月明りだが、そのながい|睫《まつ》|毛《げ》のおとす影には、|瞑《めい》|想《そう》的な憂愁のかんじがある。
「しかし、そう思って、むりをして朧にひとめあったとたん、そのようなさかしらな思案はけしとんだ。そのような|智《ち》|慧《え》、かけひきをぬき去っても、あの|娘《こ》を敵とすることはできぬ、こう思ったのだ」
「お前さまが、朧さまに|惚《ほ》れなさったのじゃ」
「なんとでもぬかせ。お幻の孫でありながら、あれにはなんの芸もない。きけば、あらゆる婆の仕込みも、一切無効無益であったとか、その嘆きがなければ、あの婆は朧を甲賀にくれる弱気は起こさなんだであろう」
「しかし、おれは朧さまのまえに出ると、からだが破れ紙みたいになるような気がする。ふしぎでござる」
「あの|娘《こ》が、太陽だからだ。太陽のまえには、|魑魅魍魎《ちみもうりょう》の妖術など、すべて|雲散霧消《うんさんむしょう》してしまう」
「だからこわいと申すので……われら一族が雲散霧消しては一大事」
 鵜殿丈助は、|樹《き》のあいだからまんまるい首をつき出し、おそるおそるいった。
「弦之介さま、ここでひとつ思いなおしては下されませぬかな?」
「丈助」
「へ?」
「胸さわぎがいたす。きのう夕日をみているうちに、ふっと恐ろしい影が胸にさしたのだ」
「はて?」
「駿府にまいられたお|祖父《じ い》のことだ」
「弾正さまが、どうなされたと仰せでござる」
「わからぬ。わからぬから、もしや伊賀の方へ、お幻婆より何か知らせがありはせぬかと、さっき急に思いたって、朧どののところへききにゆく気になったのだ」
「や?」
 と、丈助はふいに夜空をあおいだ。たかい杉林の空を、そのときはばたきとともに、異様な影がかすめすぎた。
「なんでござる?」
「鷹じゃ、しかも、足に白いながい紙片をつかんで――」
 甲賀弦之介もいぶかしげにその|行《ゆく》|方《え》を見おくっていたが、急にきっとふりかえった。
「丈助、あれをとらえてまいれ!」
 あっとカンだかい声をのこすと、鵜殿丈助はかけだした。
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 楼主| 发表于 2008-4-16 17:26:29 | 显示全部楼层
     【二】


 はしるというより、ころがるといった方が適当だ。
 甲賀の忍者鵜殿丈助は、夜空をあおぎながら、|鞠《まり》のように山をころがっていった。鞠と違うところは、山を上へ転がる点だが――。
 いや、それだけではない。空を見ながらはしるのだから、彼は幾十本かの樹に衝突した。たしかに衝突したとみえるのに、次の瞬間、彼はなんの異常もなくむこうへかけぬけている。彼はけむりか。いや、そうではない。これを高速度に撮影したら物体に激突したとたん、彼のからだのあらゆる部分が、鞠のごとくくぼむ奇怪な現象がハッキリみえたかもしれぬ。じっさい、二、三度ははねかえって、あおむけにころがったこともあるのだが、再び自動的にはねかえってまたはしりだすのだ。鞠とするなら、これは|生命《いのち》ある鞠であり、意志力をもつ鞠であった。
 どこから夜の大空をとびつづけてきた鷹か、――しかし足にながい紙片をつかんで、鷹はみるもむざんにつかれはてていた。その影が、さっと頭上の杉|木《こ》|立《だち》をかすめたとたん、鵜殿丈助は、はしりながら|小《こ》|柄《づか》を投げた。
 月明りにキラ――とひいたひかりの糸のはしで、鷹はバサと大きな羽根の音をたてた。が、みごとに小柄を空にそらして、たかく飛び立っている。しかし、そのはずみにつかんでいた紙片を足からはなした。紙片はヒラヒラと杉木立のあいだをひるがえりつつおちてくる――。
 鵜殿丈助は、下でその一端を受けとめた。が、他の一端がまだ地上につかないうちである。背後で、フガフガと空気のもるような声がきこえた。
「それをこちらにもらおうか」
 丈助はふりかえって、そこにひとりの老人の姿を見とめた。からだが釘のように折れまがり、林をもれる|蒼《あお》い|斑《ふ》にひかる|髯《ひげ》は地を|掃《は》いている。
「おう、これは、伊賀の……|小豆《あずき》|蝋《ろう》|斎《さい》老ではないか」
 丈助は|狼《ろう》|狽《ばい》した。
「いや、しばらくぶりです。実はこれから、弦之介さまのお供で、伊賀の方へまいるところで――」
「…………」
「な、なに、夜ばいではござらぬよ。その、例の駿府ゆきの件につき、お幻さまから何か知らせはなかろうかと、胸騒ぎが――」
「それをこちらにもらおうか」
 と、小豆蝋斎は|挨《あい》|拶《さつ》をかえさず、フガフガとくりかえした。
「いまお前が小柄をなげた鷹は、お幻さまのお鷹。――」
「な、なんだと? あれが?」
 鵜殿丈助は、ふっと手にひきずった紙片に目をおとした。あきらかに何やらかいた巻物だ。
「してみると、あの鷹は駿府にいったお幻さまからきた鷹か」
「さようなことは、お前の知ったことではない。その鷹に小柄をなげたお前の|仕《し》|業《わざ》はおって|窮命《きゅうめい》するとして、まずそれはこちらにもらおうか」
 丈助はだまって蝋斎を見つめていたが、何思ったか、その巻物をクルクルと巻きはじめた。
「なるほど、さすがはわれらが弦之介さま――弦之介さまに知らせた虫というのはこのことか。駿府よりとんできた鷹、その鷹がもってきたこの巻物――これはちょいと拝見いたしたいな」
「ぷっ、これ――うぬのまえにおるのは、余人でない、伊賀の小豆蝋斎であるぞ。相手をみて、口から出放題のことを申せ」
 老人の目がぶきみなひかりをはなってきた。
「へへへへ」
 と、丈助は笑いだした。
「それそれ、それだ、蝋斎老。この巻物は仰せのごとくそっちのもの、おわたしするのに異存はないが、さっきからのそっちのフガフガした口が――あとでおれを窮命するの、相手をみてからものを言えの――口のきき方が気にくわん」
「なんじゃと?」
「蝋斎老、四百年来の宿敵が今まで服部家におさえられ、ちかくは両家の縁組で、いっさいがっさい水に流してしまうとは――めでたいこともめでたいが、心残りといえば心残りであるな、そうは思わぬかな、蝋斎老」
 丈助、何を思いついたのか、からかっているようなヘラヘラ声だ。
「というのは、蝋斎老、|貴《き》|老《ろう》の忍法がな、はっきりとは知らんが、うわさにきくと、どうやらおれの忍法と|一脈《いちみゃく》あい通じるものがあるらしいぞ。どうも他人のような気がせん、おれのお祖父か|伯《お》|父《じ》|貴《き》のような――とはいえ、伊賀と甲賀、どこまでちがうか、どっちが強いか、どうじゃ、喧嘩ではない、服部家との約定もあれば、決して喧嘩をするつもりはないが、ひとつここでないしょで遊んでみる気はないか」
「丈助、忍法の遊びは、生命を|手《て》|玉《だま》にとるも同然じゃぞ」
「いやかな、蝋斎老、それならこの巻物はわたさない――ということにしておこうか」
 地にはうほど折れまがっていた老人の腰が、キューッとのびた。のびると、まるで|物《もの》|干《ほし》|竿《ざお》をたてたようだ。この変化に、さすがの鵜殿丈助が、ポカンと口をあけて、見あげ、見おろした。
「ほ。――」
 と嘆声をもらしたとき、小豆蝋斎の足がはねあがって、まんまるくふくれあがった丈助の下腹をすさまじい勢いで蹴りあげていた。
 まるで、|楔《くさび》をうちこむような打撃であった。|常人《じょうじん》ならば、この足の一撃で腹部に穴があいたであろう。……鞠をうつような音がして、丈助は三メートルばかりうしろへはねとんでいた。
「いささか、こたえたぞ蝋斎老」
 一瞬に、はげあがったひたいに苦痛の汗がふき出し、しかめっ面となったが、鵜殿丈助はニヤリとして、いぜん、巻物をつかんだ片腕をあげていた。
「しゃっ」
 蝋斎は口のなかで異様な|激《げき》|怒《ど》のうめきをもらすと、ツツとまえへ出た。――
 腰に山刀をさしてはいたが、老人は抜かなかった。たとえ抜いても、使用は不可能であったろう。なぜなら、そこは、月光がいく千匹の夜光虫のように浮動するのみの、無数に林立する杉の山だったからだ。
 これが遊びか。先刻蝋斎が、忍法の遊びは生命を手玉にとるものといったが、まことにそれは恐るべきスポーツであった。丈助は杉木立を楯にクルクルとにげた。それを狙って、蝋斎のひょろながい手、または足が、その尖端に目があるもののように追い打った。老人のからだは数本の木のこちら側にあるのに、その手や足は、鞭のように|湾曲《わんきょく》してはしるのだ。その襲撃の姿態は、|章魚《た こ》のように怪奇であった。この老人は骨がないのか。いや、その四肢の尖端が触れるところ、小枝、木の葉を刃物のごとく切りとばす威力をみるがいい。実に小豆蝋斎は、全身に無数の関節があるとしかみえなかった。その証拠に、その首、腰、四肢は、常人ならば決して湾曲も回転もしない位置、方角に、湾曲し、回転したからである。
「化物爺いめ!」
 さすがの丈助が、眼前にせまった蝋斎の、顔と胴と足が三重に前後にいれちがっているのをみたときは、|金《かな》|切《きり》|声《ごえ》で悲鳴をあげた。
 そのダブダブした頸に、蝋斎の手が|蔓《つる》のようにまきついた。丈助の顔が|腐熟《ふじゅく》したかぼちゃみたいにくろく変わった。
 蝋斎はふるえ声で笑った。
「この頓狂者め、小豆蝋斎の|業《わざ》を思い知ったか」
 ギューッとしめつけた腕の輪が、頸骨だけの直径になった。蝋斎は片手をのばして、丈助のダランとたれた手の巻物をとろうとした。
 そのせつな、腕の輪が汗でヌルリとすべったかと思うと、鵜殿丈助のからだは、また一メートルばかりむこうへぬけ出していたのだ。みるまに、からだが袋に風をふきこんだようにぽんとふくれあがったのである。
「あっ」
 蝋斎は、|呆《ぼう》|然《ぜん》自失した。
 ひとを化物と呼んだが、化物はじぶんの方だろう。この鵜殿丈助という男のからだは、いかに打撃しても、いかに絞めつけても、まさに|風袋《かざぶくろ》のごとく効果がないのであった。おなじ異常な柔軟性をもつとはいえ、蝋斎のからだを骨の鞭とするならば、これは巨大な肉の鞠といおう。
「年だな、蝋斎老」
 と、鵜殿丈助はダブダブと筋肉を波うたせて笑った。小豆蝋斎の|白《しら》|髪《が》とひげは、汗のためにねばりついた。
「いや、おもしろかった。どうやら、おれが勝ったようだな。それでは約束どおり、この巻物は、遊びの|褒《ほう》|美《び》としておれがもらってゆこう」
 カンだかい声でヘラヘラと笑いつつ、鵜殿丈助のまんまるい影が、杉林のむこうへころがってゆくのを、小豆蝋斎は、全身の骨をこわばらせて見送っているだけであった。肉体の疲労よりも、精神的な絶望感が、この老人のからだを|虚《うつろ》にしたようであった。
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 楼主| 发表于 2008-4-16 17:26:58 | 显示全部楼层
     【三】


 月沈んで、甲賀の国、伊賀の国の谷々に、ひときわ濃い闇がたれこめた。
 が、それを分かつ山脈には、|黎《れい》|明《めい》のひかりがさしはじめていた。もう満山チチチチと小鳥がさえずり、草の露がきらめきだしている。
 とはいえ、この時刻、甲賀信楽の谷から伊賀へこえる土岐峠で、春の|精《せい》のような明るい声がながれた。
「まっ、弦之介さま!」
 |蒼《あお》みがかってきた空を背に、五つの影が立っていた。
「おう、朧どの!」
 下から、若い鹿のように|灌《かん》|木《ぼく》をヘシ折ってかけのぼってくる影をみながら、うれしそうな声がふりかえって言った。
「だから、わたしがいったではないかえ? きのう夕方からただならぬ胸さわぎ、甲賀へゆけば溶けるように思ったが、見や、心をあわせたように弦之介さまもこちらへお越しあそばした。弾正さまから、何かお知らせがあったにちがいない。おう、弦之介さまのあの笑顔、きっときっと、よい知らせに相違ない」
 彼女は薄紅の|被衣《かつぎ》をかぶっていた。そのうえ、夜はまだ明けていなかった。――なのに、その娘から透けて出るようなかがやきは、気のせいだろうか。
 伊賀の忍者の頭目お幻の孫娘、朧である。
 しかし、うしろにひかえている四人は、彼女のはずんだ声に対して、夜明前の闇が四つわだかまったよう黒ぐろとだまりこんでいる。
 侍女らしい二人のうち、ひとりは皮膚の|蒼《あお》|白《じろ》い、うりざね顔の妖艶な女で、もうひとりは小柄な、むしろ|可《か》|憐《れん》な感じをあたえる娘であったが、この小娘の頭上にじっとのぞいてみえるものに気がついたら、だれだってぎょっとするにちがいない。蛇なのである。飾りではない。襟もとからくびすじをひと巻きしてはいのぼっているその蛇は、乙女の髪の|香《か》を|愛《あい》|撫《ぶ》するように、チロ、チロ、とほそい舌を吐いているのであった。
「はて、蝋斎老はどうしたかの」
「急に何やらを空にみてかけ去っていってから、だいぶになるが」
 と、二人の男は弦之介を見おろしながら、ポツリとこんな話をかわした。薄明りでまだよくみえないが、そのせいかひとりはまるで土左衛門のように|蒼《あお》ぶくれた顔で、もうひとりは、総髪というより|凄《すさま》じいモジャモジャあたまだ。
「弦之介さま!」
「朧どの、どうなされた?」
 甲賀弦之介は|峠《とうげ》にのぼってくると、笑顔をけし、けげんそうにかけ寄ってきた。
「お、これは|朱《あけ》|絹《ぎぬ》、|蛍火《ほたるび》に、|雨《あま》|夜《よ》、|簔《みの》の面々じゃな、みなうちそろって、何事が起こったのじゃ?」
 朧はコロコロと笑った。こちらからききたいことを向こうからきいてきたのがおかしかったらしい。が、さすがにふっとま顔になって、
「いいえ、何やら昨夜より、朧はお婆さまのことで胸さわぎしてなりませぬゆえ、甲賀にゆけばもしや弾正さまからお知らせがあるまいかと――」
「それこそ、こちらの承わりたいことだ! わしも同じような不安にかられて急に出てまいったのだが――」
 弦之介はじっと朧をのぞきこんだが、|被衣《かつぎ》のかげのおびえた瞳をみると、急ににっと白い歯をみせて、
「いや、大事ない! よし何事が起ころうと、甲賀弦之介がおるかぎりは!」
 と、力づよくさけんだ。
 それだけで、朧のまっ黒なつぶらな目は、さんさんたるひかりをおびた。
「ああ、やはり来てようございました。わたしは弦之介さまにお目にかかっただけで、わけもない不安は雪のようにきえました」
 四人の家来の陰気な目をしりめに、朧は幼女のごとく|天《てん》|真《しん》に弦之介にすがりつく。――
 だれがこれを四百年このかた|憎《ぞう》|悪《お》と|敵《てき》|愾《がい》をからませあった怪奇な忍法二族の|嫡孫《ちゃくそん》同士と思おう? それは|一《いち》|抹《まつ》の妖しい雲も翳りもない、生命にみちた青春の画像のようであった。おそらく、さしもかたくななおたがいの祖父や祖母のこころを|溶《と》いたのも、この若々しい甲賀伊賀合体の未来図であったろう。
 匂うようなひかりが、ふたりを包んだ。太陽がのぼってきたのだ。
 そのとき、まだ|模《も》|糊《こ》とうすぐらい谷の方から、一つの声が追いかけてきた。
「おおいっ……おおいっ」
 四人の従者はうなずいて、
「や? 蝋斎老か。――」
「いや、わしについてきた鵜殿丈助というやつの声だが」
 と、弦之介はふりむいて、小くびをかたむけ、
「のんき者め、いままで何をしておったか。――いや、先刻ここへくる途中、一羽の鷹が巻物様のものをつかんで飛んでおるのをみて、丈助に追わせたのじゃが」
「鷹が!」
 とさけんだのは|蓬《ほう》|髪《はつ》の男だ。伊賀の忍者、|簔《みの》|念《ねん》|鬼《き》という。――
「もしかすると、それは駿府のお婆さまのつかわされたものではないか」
「なに、お婆さまのお鷹?」
 朧も息をひいた。蒼ぶくれの雨夜陣五郎が手をうった。
「さては、さっきの蝋斎老が、ものもいわずにかけだしていったのはそのためか!」
 五人が不安な顔を見合わせているところへ、下からまるい袋のようなものがころがりのぼってきた。
「やあ」
 と、みなを見まわし、例のカンだかい声で、
「こりゃ、ご一同、おそろいで何でござる?」
「丈助、鷹は?」
 と、弦之介がするどくきいた。
「ああいや、えらく骨を折りました。なに、鷹ではござらん、鷹のおとしていったこの巻物を手に入れるためにな」
 しゃあしゃあとした顔でふところからとり出した巻物をみて、「お!」と念鬼と陣五郎が一歩ふみ出した。
「左様、存じておる、存じておる、これは駿府のお幻婆さまからおくられたものでござるとな。へへへへ、これをとるため、先刻、小豆蝋斎と大汗かいて鬼ごッこじゃ。甲賀と伊賀、忍法くらべをして、勝った方がこれをもらうと。――」
「丈助っ」
「と、おいでなさると思った。なに、遊びでござるよ、だから鬼ごッこと申したではありませんか。伊賀の衆、くわしくは蝋斎老からきかれた方がよろしいが、要するに、甲賀と伊賀との忍法遊びに拙者が勝った証拠には、これ、ご覧のとおり――」
 と、さし出した巻物を、弦之介はあらあらしくうばいとって、
「お婆さまからきたものなら伊賀衆のもの、何をいらざる|悪戯《いたずら》をいたす。――朧どの、はやく見られい」
 受けとって、その巻物を朧がひらこうとしたとき、
「待った!」
 と、雨夜陣五郎がさけんだ。
 朝の太陽が、その姿を無惨なばかりに照らし出していた。それは実に|吐《はき》|気《け》をもよおすほどぶきみな人間であった。顔は水死人のようだが、その頸、手の甲なども、皮膚がウジャジャけて、|青《あお》|黴《かび》がはえているようなのだ。
「その巻物、弦之介さまのまえでひらくことはなりませぬ」
「陣五郎、何とえ?」
「駿府にまいられたお婆さまと甲賀弾正どのを待つものは、雨か風か、まだ判然とはいたさぬ。そのお婆さまが鷹をとばせて知らせようとなされたその巻物のなかみは――」
「陣五郎、よしこの世に何が起ころうと、伊賀と甲賀の両家のあいだにかぎって、もはや雨風の吹くいわれはない」
「それはそうありたいと拙者も念じ申すが、朧さま、その両家はまだ縁組したわけではありませぬぞ。現在ただいまは、何と申しても|不《ふ》|倶《ぐ》|戴《たい》|天《てん》ともいうべき宿怨の間柄。……お婆さまよりの|秘《ひ》|巻《かん》、甲賀衆に見られては|留《る》|守《す》をあずかるわれわれの|責《せめ》がはたせぬと申すもの。――」
 ネチネチとした声にはあきらかにまだ甲賀へ|釈然《しゃくぜん》たらざるものがある。それにこちらの丈助たちもおなじことだ。――と弦之介はかなしげな片笑みをうかべて、
「道理じゃ。わしは向こうへいっていよう。丈助、こい」
 と、しずかに背をみせた。丈助は(なんだ、せっかくおれがとったものを)といいたげに、まんまるい頬をいよいよふくらませて、あとをふりかえりふりかえり、ついてくる。――と、そのうしろから巻物を|無《む》|造《ぞう》|作《さ》に四人に投げて、朧もあるいてきた。
「どうしたのだ、朧どの、お婆さまよりの知らせを見られぬのか」
「いえ、そんなことより、弦之介さま、どうぞ伊賀のものどもの無作法をゆるしてやって下さりませ」
 涙ぐんで、|哀《あい》|怨《えん》なまなざしをひたむきにすがりつかせてくる朧をみると、弦之介はヒシと抱きしめてやりたいいとおしさをおさえて、そばの|山椿《やまつばき》を一輪むしりとり、朧の|被衣《かつぎ》[#電子文庫化時コメント 底本のみルビ「かずき」]にさした。
「いやいや、なにせ、四百年にわたる悪縁の両家じゃ。陣五郎がああ申すのもむりはない。思えば、これを溶くのも容易でないが、朧どの、よいか、われわれが|鎖《くさり》となろう、甲賀伊賀を永遠にむすぶ、きれいな鎖に!」
 雨夜陣五郎、簔念鬼、朱絹、蛍火の四人は、草の上に巻物をひろげ、頭をよせたままじっとうごかなかった。太陽を背に、四羽の不吉な|鴉《からす》のように。
 朧がふりかえって呼んだ。
「陣五郎、お婆さまは何といってこられたえ?」
 雨夜陣五郎はゆっくりとこちらを見た。水死人が水底から呼ぶような声でこたえた。
「御安心くだされい、朧さま。……駿府城内、大御所と服部半蔵どののおんまえで、伊賀甲賀の和解まったく成り、お婆さまと甲賀弾正さま、あいたずさえて、これより春の江戸見物をしてかえると。――」
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 楼主| 发表于 2008-4-16 17:27:23 | 显示全部楼层
     【四】


「まあ、やっぱり!」
「それはよかった!」
 ぱっとかがやくような顔を、朧と弦之介が見合わせて、そちらへもどりかけたとき、雨夜陣五郎はすばやく巻物をまいて、こちらへあるいてきた。
「弦之介さま、先刻の御無礼おゆるし下され。容易に心をゆるさぬ忍者の習いが悲しき|性《さが》となり――」
 彼は、せいいっぱいの笑いをたたえていた。土左衛門の笑顔というやつは、どうもいただけない。
「が、これにて、万事決着。|重畳《ちょうじょう》しごくに存じまする。さて、こうなってみれば、あなたさまがやがてわれらの|主《あるじ》となられる日もまぢかいと申すもの。……あなたさまと朧さまが、胸の符節を合するがごとく、けさこの甲賀伊賀をへだてる土岐峠でおあいあそばしたのも、思うにめでたき天の|配《はい》|剤《ざい》でござろう。さてもよい折、いかがです。これよりいっそ伊賀まで足をのばされては?」
「ああ、それはほんとうによい思いつき!」
 と、朧は手をたたいてよろこんだ。
「弦之介さま、ね、どうぞおいであそばせ、そして伊賀の者ども一同にあってやってくださいまし。お婆さまがおかえりになったとき、伊賀の者たちみなが、ちゃんと弦之介さまになついていたら、どんなにびっくりするでしょう。お婆さまはどんなによろこぶでしょう。……」
 弦之介はしばらく朧の童女のような明るい笑顔をみていたが、
「まいろう」
 と、大きくうなずいた。それから、ふりかえって、
「丈助、お前は甲賀にもどって、わしがこういう次第で伊賀へいったと一同につたえておけ」
「弦之介さま、お待ち下さい」
 と、鵜殿丈助はくびをふった。
「それは軽はずみと存ずる。敵のまッただなかへ――」
「何を申す。もともと朧どののところへゆこうとして出てきたのではないか」
「それが、さっきまでとは少し事情がちがいます。なんだか、こんどは、拙者の方で胸さわぎが――」
 弦之介は苦笑した。
「お前も習いが|性《さが》となったか。いや伊賀の衆も、すべてがわしに心を許しておるわけでもあるまい。さればこそ、今朧どのの申されたとおり、これをよい折に、伊賀の面々にあって、みなの心をといておきたいのだ」
「ご心配なら、おぬしも来られたらどうじゃ。甲賀の方へは、わしなりあの念鬼なりがまいって知らせておくが」
 と、笑いながらいう陣五郎を丈助は見かえして、
「いってもよいがな」
「そうなされ、いっしょに花見の酒を飲もう」
「そのまえに、いまの巻物をみせてくれ」
「なに」
「はたして甲賀と伊賀の和解が成ったかどうか、その巻物のなかみをこの目でみなければ、もはや一歩も伊賀へはいることはならん!」
 と、さけんだ。
 簔念鬼が、うしろでかすかにうなった。このとき丈助はみなかったが、念鬼の頭に実に奇妙な現象が起こった。その|蓬《ほう》|々《ほう》たる|総《そう》|髪《はつ》が、まるで生き物のように、かすかながらぞうっと逆立ったのである。
 朧がうなずいて、すすみ出た。
「陣五郎、わたしも見たい、巻物をおひらき」
「かしこまってござる」
 と、陣五郎は巻物をひらきかけたが、ふとその手をとめて顔をあげ、ニヤニヤと笑った。
「いや待て、しばし――丈助どの」
「あん?」
「見せるのは容易じゃが、ちょっとそのまえにおぬしにきいてもらいたいことがある」
「なんじゃ」
「先刻、この巻物をとるのに、わが方の小豆蝋斎老との忍法くらべに勝ったといわれたな」
「くやしかろうが、そのとおり」
「うむ、いかにもいささかくやしい。どうじゃ、ここにいるわれら四人のうち、だれかひとりともういちど忍法くらべをする気はないか。それで、もしこっちが負けたら、この巻物のなかを見せるが」
「それはならぬ」
 と、弦之介はあわてて声をかけた。
「さっきの丈助の悪ふざけは、あとで叱りおく。ゆるしてやってくれい。もはやそのような争いはよすがいい。巻物などは見ずともよい」
「それでもな、忍法に負けっぱなしでは、伊賀甲賀合体ののちも、われらいささか肩身が狭うござるでな」
 と、陣五郎は|煽《あお》るように、そそるようにいった。
「いや、どうせ遊びでござる。生命に別状ない法で――」
「よし、やるぞ?」
 と、ついに丈助はうなずいた。笑っている。
「で、どなたさまとな?」
 陣五郎はふりむいて、妖艶な朱絹の顔をみた。
「先ず、わしのみるところ、あれといい勝負であろう」
「女とか!」
 と、丈助はあきれたような、憤然としたような声をあげたが、すぐダブダブと顔の肉を波うたせて、
「いや、朱絹どのとか。おもしろい。やあ、朱絹どの、実はわしはまえからそなたにちいっと|惚《ほ》れておるのじゃよ。えへへ、その、何じゃ、弦之介さまと朧さまのご祝言のあと、わしがこんどはそなたを嫁にもらいたいものだと念願していたくらいで――」
「わたしが負ければ、あなたのお嫁になりましょう」
 透きとおるような頬に、紅もちらさず朱絹はいった。
「や、それはまことか、かたじけない! わがものと思えば、いよいよその美しさはいや増すな、そのそなたとたたかうのは世にも切ないが、ことのなりゆき是非もない! ところで、勝負はいかがいたす?」
 巻物への疑いなど忘れはてたように、この巨大な肉の|鞠《まり》は浮かれきっている。
「刀を用いては相なりませぬぞ」
 と、朧がいった。不安と興味のいりまじった目がキラキラとかがやいている。弦之介はついに沈黙した。
「うむ、ちょいとそれを拝借」
 丈助はふと簔念鬼のついている|樫《かし》の棒をとって、朱絹に手渡すと、
「朱絹どの、それでわしにかかられい。腕でも顔でも、わしを打ってもし血が出たら、わしの負けじゃ。それよりさきに――」
 へらへらと笑った。
「わしがそなたをまるはだかに|剥《は》いだら、わしの勝ち、どうじゃ?」
 たまりかねて弦之介が声をかけようとするまえに、朱絹は冷やかにうなずいた。
「よろしゅうございます。では」
「いざ!」
 ぱっとふたりはとびはなれた。
 暁の春光にみちた土岐峠にむかいあった二人の異風の忍者――女の朱絹は棒をななめにかまえ、まんまるい鵜殿丈助は大手をひろげて――見ている弦之介の顔から、ふっと微笑がかききえた。それは朱絹の姿から吹き出す容易ならぬ殺気に、これはと目を見はったのである。しかし、女だ、一心不乱になるのもむりはない!
「えやっ」
 白刃のようなひかりをひいて、樫の棒がはしった。丈助は回転してさがった。空をながれた棒は、稲妻のごとく|燕返《つばめがえ》しにこれを打つ。例の鞠をうつような音がして、丈助は笑った。笑ったその顔のまんなかに、かっと棒がメリこんだ。たしかにそれはメリこんだが、棒がはなれると丈助の顔はぽんともとどおりにふくれて、またゲラゲラと笑った。
「あっ」
 朱絹がとびすさった。それを追って、丈助の笑顔がぐうっと朱絹にせまると、抱きかかえるようにしてその帯をつかんだ。|独楽《こ ま》のように朱絹は回って必死にのがれつつ、うしろなぐりに棒で|薙《な》いだ。解けた帯を両手でつかんで、丈助はへいきで顔をつき出して、わざとななめに打たせたが、そのせつな、
「勝負あった!」
 という雨夜陣五郎の叫びに、憤然たる目をこちらにむけた。が、いま棒でうたれた顔には、なんたること、ななめに鮮血のすじがひかれていたではないか!
 みなのどよめきにはっとしてその顔に手をあてて、丈助の表情に|驚愕《きょうがく》の波がひろがった。
 一瞬、|阿《あ》|呆《ほう》みたいに立ちすくんだ鵜殿丈助は、もういちど手を顔面にやって、
「おれの血ではない!」
 と叫んだ。その|滑《こっ》|稽《けい》な容貌が、みるみる|憤《ふん》|怒《ぬ》の|凶相《きょうそう》にかわると、天からおちる樽のごとく朱絹に|殺《さっ》|到《とう》した。
「これは、うぬの血だっ」
 きものに手がかかると、それは裂けて、朱絹は上半身むき出しになった。ひと目みるや否や、さすがの甲賀弦之介が、おう! とのどの奥でさけんだ。朱絹の裸身は|朱《しゅ》|色《いろ》にぬれていた。肩、腰、乳房――いちめん、|淋《りん》|漓《り》と鮮血をあびて、
「勝負は、まだっ」
 と、さけぶと、恐怖の目を見張っている鵜殿丈助めがけて、幾千万かの血の|滴《しずく》をとばせた。おお! この女は血を吹くのだ。その全身の毛穴から、血のしぶきを噴出するのだ!
 ――古来、人間の皮膚に生ずるウンドマーレーと呼ぶ怪出血現象がある。なんの傷もないのに、目、頭、胸、四肢からふいに血をながすものであって、ある種の精神感動が血管壁の透過性を|昂《こう》|進《しん》させ、血球や|血漿《けっしょう》が血管壁から|漏出《ろうしゅつ》するのだ。思うに、この朱絹は、この怪出血現象を意志的にみずから肉体に起こすことを可能とした女であったに相違ない。
 目をおおい、空をかきさぐる丈助の姿が、真っ赤な|一《いっ》|塊《かい》の霧につつまれた。それは|茫《ぼう》とひろがり、日のひかりまでが赤くなり、くらくなり、この世のものならぬ|妖《あや》しいもやのなかに朱絹の姿もきえ――その奥から、
「ま、まいったっ」
 と、鵜殿丈助の|絶叫《ぜっきょう》がきこえた。
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 楼主| 发表于 2008-4-16 17:27:49 | 显示全部楼层
    破虫変(はちゅうへん)


     【一】


「お|幻《げん》さまは死なれた」
 と、その男はいった。女のようにやわらかな声である。
 色白で、ノッペリとして目がきれながで、ややふとりかげんのからだにも、女のように柔らかな線があったが、ふしぎなのは、その年だ。総髪の黒さといい、美しい顔だちといい、一見、三十になるやならずとみえるのだが、そのくせひどく老人のような気がする。それはなぜだかわからない。しいていえば、皮膚に全然つやがなく、|唇《くちびる》が紫色だということだろうが、とにかく異様な老齢を思わせる魔性の印象が、この男にあった。
 伊賀のお幻一族で、お幻がひとりだけ対等にあつかっていた|薬《やく》|師《し》|寺《じ》|天《てん》|膳《ぜん》という男である。
 いったい、彼はいくつなのか。いま彼をとりまいてうずくまる五人が、|小豆《あずき》|蝋《ろう》|斎《さい》をもふくめてすべて子供のころから、彼はいまと寸分変わらぬ薬師寺天膳であったのだ。このとおりの若いノッペリした顔をして、しかも四、五十年もむかしの天正伊賀の乱の思い出ばなしなどを、よくお幻さまと話していた記憶がある。――
 そのお幻さまからきた秘巻を手にいれて、まず|雨《あま》|夜《よ》陣五郎や|簑《みの》|念《ねん》|鬼《き》がこの男を呼びにやったのは当然だが、従者格の|筑《ちく》|摩《ま》|小《こ》|四《し》|郎《ろう》をつれていそいでやってきた薬師寺天膳は、巻物をひとめ見るやいなや、
「お幻さまは死なれた」
 と、断定したのである。
 伊賀と甲賀の国境、|土岐峠《ときとうげ》のうえである。かれんな紅一点、|蛍火《ほたるび》の姿もまじり、山桜が吹雪のように蒼空を舞う春の山上、一見のどかな点景ともみえる六人だが、これは恐ろしい伊賀の忍者|評定《ひょうじょう》。
 さっき、ここであった甲賀|弦《げん》|之《の》|介《すけ》と|鵜殿丈助《うどのじょうすけ》は、|朧《おぼろ》と|朱《あけ》|絹《ぎぬ》に伊賀屋敷へ送らせた。もし朱絹と忍法くらべをして、じぶんのからだから血がながれたら、伊賀へまいろう――と大言壮語した丈助は、朱絹の全身から噴出する血の霧のなかに打ちすえられて、筋肉を鞠とする機能も故障をおこしたのか、たしかに|痣《あざ》だらけ|瘤《こぶ》だらけ血だらけとなって、ベソをかきかき、主人の弦之介とともに伊賀の谷へくだっていったのだ。――
「そして、甲賀|弾正《だんじょう》も死んだな」
 と、薬師寺天膳は、巻物のなかの、弾正お幻の名にひかれた血の線をみながら、|凄《せい》|然《ぜん》とつぶやく。
 母ともたのむ|頭《とう》|目《もく》の死を耳にして、だれもさけび声ひとつたてなかったのは、さすが忍法一族の修練であろう。しかし、うなだれてすわったままの五人のあいだから、音波でもなければ光波でもない、しかも面もむけられないような殺気の|渦《うず》がまきのぼった。
「おれも、そう見た」
 と、顔をあげて、雨夜陣五郎がうなずいた。
「じゃによって、弦之介には、甲賀と伊賀の|和《わ》|睦《ぼく》なって、お婆さまと弾正は手をたずさえて江戸見物にいったとごまかしたが」
「弦之介と丈助めをわれらの方へおびきよせたは何よりだ。きゃつらはすでに袋のねずみ。――」
 と、簑念鬼が歯ぎしりして笑った。その髪が、蛇のように逆立った。
「いや、丈助はともかく、弦之介は容易に討てぬぞ。あれの目、不可思議な|瞳術《どうじゅつ》は、敵ながら恐ろしい。――それに、あれに惚れた、朧さまが、こまったものじゃて」
 と、天膳はかぶりをふった。筑摩小四郎が、
「朧さまに、お婆さまの死をつげ、この巻物をみせても承知はなさるまいか?」
「弦之介を敵とする――それを承知させるのに、手をやくぞ。きっと、ダダをこねなさる。ひとさわぎじゃ。そのうち、弦之介に気どられてしまうがおちじゃ」
「と、すれば、どうするのだ」
「朧さまには、だまっておけ。ここしばらく、朧さまと弦之介は、あのまま甘い夢を語らせておくがよい」
 と、天膳はうす笑いした。が、その目に、ぞっとするような|陰《いん》|鬱《うつ》な|嫉《しっ》|妬《と》と憎悪の炎がもえてきえたようだ。
 しかも、それを押さえる意志力が、この男にあった。冷然として、
「それより、この巻物がいちはやくこっちの手中にはいったことこそ幸せ、まずここにならんでおる甲賀組の面々――弾正、弦之介、丈助をのぞき、あと七人を片づけよう。その手足を断ってから、ゆるゆると弦之介を料理したほうが|利《り》|口《こう》でもあるし、また甲賀組全滅の惨状をきゃつに見せつけてからのことにしたほうが、快くもある」
「おもしろい! うれしいぞ、服部家の禁が解かれたとは! なんの甲賀のへらへら忍法!」
 と筑摩小四郎が、こみあげるような|喜《き》|悦《えつ》の笑い声をたてた。まだはたち前後の田舎じみた若者だが、腰にものすごい|大《おお》|鎌《がま》をさしている。
 みんな、魂の底からの|歓《かん》|喜《き》がふきのぼってくるのを禁じえない表情を見あわせたなかに、ひとり不安そうな目をむけたのは蛍火であった。
「天膳どの、それにしても|夜《や》|叉《しゃ》|丸《まる》どのはどうなされたか」
 駿府にお幻婆にしたがっていった夜叉丸は、彼女の恋人だった。
「さて、それがわからぬ。夜叉丸の名に棒はひいてないが――」
 指をおって、
「生きておるなら、鷹がけさ夜明け前にここに飛んできたとすれば、駿府をとび立ったのはおそらくきのうの夕――同時に駿府を夜叉丸が出たとすれば、今夜半か、あすの夜明け前にでもかえってくるはずじゃが」
 天膳はちょっと思案していたが、すぐに顔をあげて、
「夜叉丸同様、気にかかるは、弾正について駿府へいった敵の|風待将監《かざまちしょうげん》じゃ」
 と、目をひからせた。
「おそらく弾正も、これと同様の巻物を将監に託して甲賀へ送ったであろう。……それを断じて甲賀の手に入れさせてはならぬ」
「いかにも!」
「何はともあれ、まず将監を中途に待ちうけてたおし、その巻物をうばいとらねばならぬ!」
「よし、おれがゆく」
「いいや、おれが」
 と、念鬼と小四郎が、先を争って立ちあがった。
「よし、雨夜だけ伊賀へもどれ」
「なぜ?」
「事はいそぐ。|刺《し》|客《かく》はこのまま立つ。弦之介主従、いやそれより|朧《おぼろ》さまに何ごとも感づかせぬのが一仕事じゃ。うまくあしらいつつ、見張っておれ」
「弦之介――討てれば、討ってようござるな」
「フフフフ、それァ望むところだが、しくじって、騒ぎだされれば、すべてぶちこわしだ。陣五郎、わしたちがかえるまで、むりはするな」
「しからば、そのように――」
「さて簑、筑摩、それに蛍火に蝋斎老、わしもゆこう。相手は弾正がわざわざひとり駿府への供を申しつけたほどの風待将監じゃ。念には念をいれて、五人でかかれば、万に一つも討ちもらすことはあるまい。これ小四郎、何を笑う? 忍者の争いに、一騎討ちなどの|見《み》|栄《え》はいらぬぞ。ただ、勝つ、殺す、相手をまちがいなくたおす、これが何よりの大事だ。さあ、ゆこう」
「|信楽《しがらき》の谷を通るのでござるか」
「いや、敵の巣に伊賀者五人がはいって、さてはと感づかれてはならぬ。きのうの夕方、駿府を出たとして、いかに将監でも一昼夜に五十里走るがせいぜいであろう。さすれば、さよう、きゃつが甲賀の国の入口|鈴鹿峠《すずかとうげ》にかかるは、はやくともきょうの夜と思う。甲賀にまではいって待ち受ける必要はない。伊賀から伊勢へ出て、|関《せき》と鈴鹿峠のあいだあたりに網を張っておれば充分じゃ」
 そして、薬師寺天膳は、すでに血ぶるいしている伊賀の精鋭たちを見まわして、|愛《あい》|撫《ぶ》するように笑った。
「フフフフ、さようにうれしいか。それほど|愉《たの》しいか。お婆さまが死なれたのは無念のきわみだが、またついに甲賀とたたかえる日がきたと思えば、一同本望であろう。いざ、ゆくか?」
「まいる!」
 一瞬ののち伊賀と甲賀をへだつ春の山脈を、東へ、東へ、黒い流星のごとくとんでゆく五つの影があった。
 いずれもこれ常人の想像を絶する妖幻の|秘《ひ》|技《ぎ》を身につけた恐るべき忍者たち、いかに家康を驚倒させた魔人風待将監といえども、はたしてこの五人の待ちぶせをのがれうるや|否《いな》や。
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 楼主| 发表于 2008-4-16 17:28:27 | 显示全部楼层
     【二】


 伊賀伊勢甲賀の接点にそびえる|油日山《あぶらひやま》をかけわたって、まるで五羽の鳥みたいに夕焼けの鈴鹿峠の山路へとびおりてきた伊賀の忍者たちは、まむかいの、|支《し》|那《な》の古画にも似た|筆《ふで》|捨《すて》|山《やま》の怪奇な山容には目もくれず、そのままたッたと東海道を関の宿の方へかけくだっていったが、突如、
「待て」
 と、薬師寺天膳がさけんだ。
「なんだ」
「いまの|山《やま》|駕籠《か ご》にのっている人間を見たか」
 やはり、鈴鹿峠を東へくだってゆく山駕籠を追いぬいて、百メートルもすぎたところである。
「いや」
「あれは、たしかに甲賀の|地《じ》|虫《むし》|十兵衛《じゅうべえ》。――」
「なにっ」
「きゃつ、何のために東海道をくだるか。ひとつ、ひッとらえて窮命してやろう」
「地虫十兵衛、きゃつの名もたしかあの巻物のなかにあったな。窮命もへちまもない。これはもっけの幸せ、いまここでたたッ斬れ」
 と、簑念鬼がふりかえって、舌なめずりをした。
 そのあいだにも、山駕籠は矢のようにはしってきたが、こちらの五人が立ちどまったのをみて、あやしむようにその速度がゆるんだ。
「蛍火、かがめ。あとのやつはさきにゆけ」
 と、天膳はすばやく命じた。
 念鬼、小四郎、蝋斎が何くわぬ顔してあるきだすと、蛍火が|路《ろ》|傍《ぼう》にうずくまり、天膳がその肩に手をかけた。ちょっと足をいためたか、腹痛でもおこした旅の娘を|看《かん》|護《ご》しているふうにみえるが、
「蛍火、駕籠かきだけを殺せ」
「はい」
 とは知らぬ山駕籠は、さっとふたりの|傍《かたわら》をかけぬけて、十歩はしって、ふいに駕籠が地を|磨《す》ってとまった。前後の駕籠かきは、棒立ちになっている。その手が宙をかきむしっていた。それも道理、ふたりのくびには、いつのまにか一匹ずつの蛇がまきついて、すでにのどの血を吸った赤い舌を三角の頭から吐いていたではないか!
 声もなく、ふたりの駕籠かきは、身をねじってどうと崩折れた。天膳と蛍火が駕籠のそばへあゆみよったとき、さきへいった三人もかけもどってきた。蛍火が腕をさしのばすと、二匹の|蝮《まむし》はそれをつたって、母のふところにかえるように、スルスルと彼女の胸へはいってゆく。
「地虫十兵衛」
 呼ばれて、
「おいよ」
 と、この場合、|拍子《ひょうし》ぬけするほどボンヤリした声とともに、にゅうとひとつの大きなあたまがのぞいて、みなを見まわした。
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