|
楼主 |
发表于 2008-4-16 17:43:52
|
显示全部楼层
【二】
甲賀卍谷の男たちに、この谷に住む忍者が、だれがいちばん恐ろしいかときけば、彼らはちょっと考えて、それから異様な笑顔になって、それは陽炎だとこたえるだろう。
口から槍の穂を吹く地虫十兵衛にあらず、|蜘《く》|蛛《も》の糸を張る風待将監にあらず、全身|鞠《まり》のごとく膨脹し、また縮小する鵜殿丈助にあらず、万物の形状と色彩中に没入する霞刑部にあらず、泥の|死仮面《デス・マスク》[#電子文庫化時コメント 底本のみにルビ、他出に合わせ中点を挿入した]によって、自在に他人の顔となる|如月《きさらぎ》|左《さ》|衛《え》|門《もん》にあらず、全身吸盤と化するお胡夷にあらず、さらに、あらゆる術を術者自身に|酬《むく》わしめる瞳術をもつ甲賀弦之介ですらない。
それは実に、死の|息《い》|吹《ぶき》をはなつ陽炎であった。
そして、恐ろしいのは、彼女が美女だということだ。しかも、彼女が死の息吹をはなつことを熟知し、一族に|峻厳《しゅんげん》な統制力をもつ甲賀弾正の支配下にあり、そのうえ強烈な自制力をもつ男たちでなければたえきれぬほどの。――
さすが伊賀の薬師寺|天《てん》|膳《ぜん》にも、陽炎の秘密がわからなかったのもむりはない。陽炎の息吹は、つねに死の匂いをふくんでいるのではない。ただ彼女の官能に点火されたときにかぎったのだから。
これは、陽炎にとっても実に悲劇だ。彼女は結婚生活というものをもつことはできない。ある種の昆虫には、交尾のクライマックスで雄をくいころす雌があるが、彼女の母もそうであった。法悦のあえぎの吐息を吸って、三人の男が死んだのだ。そして陽炎は、三人めの男によって生まれたのである。
三人の犠牲者は、甲賀弾正によって命ぜられた。それはただこの恐るべき遺伝の血脈をつたえんがためだ。そして甲賀卍谷の宿命として、彼らはすべてよろこんでこの奇怪な種つけの|祭《さい》|壇《だん》にのぼったのである。――
陽炎は成熟した。やがて、母とおなじように、女子が生まれるまで、彼女に何人かの犠牲の男たちが選ばれるはずであった。事実、弾正がこんど駿府へ旅立つ以前に、だれかしらその候補者の腹案があったようなふしがある。夜々、しばしば卍谷の|囲《い》|炉《ろ》|裏《り》ばなしで、若者たちがそのことについて語りあっていたくらいだから。
陽炎と三三九度の盃をかわすことは、すなわち死の盃をのむことである。それはもとより恐ろしい。恐ろしいが、若者たちにそれを避けようとするものはひとりもなかった。むろん神聖|厳粛《げんしゅく》なる卍谷の|掟《おきて》が、彼らに服従を命じる。しかし、それ以外に、死をもってしてもいちど彼女と交わりあいたいという欲望をかきたてるものが、たしかに陽炎にあったのだ。華麗な|食虫花《しょくちゅうか》にひきよせられる虫のように。
いや、例を虫にたとえるまでもない。人はこれをわらうことはできない。この世のあらゆる女が、青春のいっとき別人のように|爛《らん》|漫《まん》と匂いだして、この世のすべての男が、盲目的にその魔力の|虜《とりこ》となるではないか。結婚というものが、これと大同小異の神の摂理によるものではないか。
陽炎は、娘となるまで、じぶんの秘密を知らなかった。そして、知るにおよんで苦しんだ。
けれど、その苦しみは、ただじぶんの肉体の悲劇を知ったからではなかった。その種類や機能はちがうが、もっと恐ろしい肉体的な秘密をもつ忍者はほかにもうんといる。いや、卍谷の人間のほとんどすべてがそうだったといってよい。陽炎の苦しみは、彼女が弦之介を恋していると自覚したときに発したのだ。
幸か、不幸か、彼女の家柄そのものが、卍谷でも、甲賀弦之介の妻となってもふしぎではない家柄なのであった。彼女は、おなじような家柄の、おなじような年ごろの娘たちをみて、ひそかにじぶんの美を誇った。そのうえ、彼女は、その性質も容貌に似て、|緋《ひ》|牡《ぼ》|丹《たん》のような華麗さをもっていた。少女のころ、いくたび彼女は弦之介の花嫁たる夢をゆめみたことであろう。
それなのに、じぶんが、恋するものを、恋する最高潮に殺すべき宿命を負った女であることを知ったときのおどろき!
彼女は絶望し、あきらめた。しかし、弦之介の花嫁となる女は、それではだれかということに、他人以上のつよい関心をとり去ることのできなかったのはいうまでもない。
そして、弦之介が宿敵伊賀のお幻一族の朧をえらんだことを知ったとき、一様に意外とした卍谷の人間のなかで、もっとも|嫉《しっ》|妬《と》と怒りにもえたったのは陽炎であった。甲賀の娘なら、ぜひもない。なんぞや、あのお幻婆の孫娘とは――というのは、彼女の心理的弁解であって、実は嫉妬と怒りのあらわな|吐《は》け口をえたからだといってよい。
じらい、陽炎は、かつてかんがえたことのない毒々しい空想にひたった。
じぶんは毒の息をもつ。弦之介は、敵が害意をもって術をしかけるとき、その術を術者自身にかえす術をもつ。しかし、じぶんに害意はないのだ。ただ弦之介を恋するだけなのだ。もしも、じぶんが弦之介に抱かれるならば、はたして息は彼を殺すか、じぶんを殺すか?
陽炎は、弦之介を殺してやりたいようにも思い、またもしそんな日があるならば、じぶんが死んでも悔いないと思ったりした。そしてそんな空想にひたるとき――彼女の吐息はすでに|杏《あんず》の花のような死の香りをはなっているのであった。
――しかるに、一党の統制者、甲賀弾正は死んだ! ――恋する弦之介は、いまや朧と、ともに天をいただかざる宿敵の縁にもどった!
こんど鍔隠れ一族との争闘の火ぶたがきっておとされたことについて、心中だれがいちばん狂喜したかというと陽炎であろう。もとより、それで弦之介とじぶんのあいだに新しい希望が生まれたというわけではない。現実には、依然として恋してはならぬ鉄の|掟《おきて》が存在する。しかし、満足のあまり、その乳房のおくで、陽炎はみずからその掟を解いたのだ。現実の掟を知ればこそ、欲望はいっそうせつなく恋の炎をかきたてるのだ。甲賀の男たちが、陽炎こそもっとも恐るべしと考えるのもむべなるかな。かくて陽炎は、彼女じしん無意識に、不可抗的に死の息吹をはなつ。ましてや卍谷を出て以来、弦之介とならんであるき、おなじ屋根の下にねむるという|千《せん》|載《ざい》|一《いち》|遇《ぐう》の機会をえたのである。この旅の途上、彼女の息にふれる|生命《いのち》あるものに呪いあれ。
水口から東へ――道が伊勢路にはいったころから、一日はれていた空は、またもや暗雲におおわれはじめて、東海道はまた雨となった。
なんといっても女連れであり、それにかならずしも早くゆくばかりが目的の旅ではない。鈴鹿峠をこえるころ薄暮となり、一行はその夜、|関《せき》の|宿《しゅく》に泊った。
すなわちここは、過ぐる日、如月左衛門と霞刑部が、伊賀の夜叉丸を|斃《たお》したところ――なんのへんてつもない顔で、ぼそぼそとあの死闘を物語る左衛門の忍法ばなしに夜がふけて――やがて、左衛門が別室に去り、豹馬も去った。
「陽炎、そなたもゆけ。ねむるがよい、明日ははやいぞ」
と、夜具をなおしたり、|行《あん》|灯《どん》をのぞいたり、いつまでも去りがてな陽炎に、弦之介はいった。
はっとしたように陽炎は行灯のそばに坐って、
「まいります。明日は|桑《くわ》|名《な》から、船でございますか」
「いや、この雨では、船が出るか――風も出てきたようだ。陸路をまいろうと思う」
と、いって、ふと弦之介は陽炎の顔をみた。じいっとこちらを見つめているまっ黒な目――思わず、吸いこまれそうな情感にうるんだ目だ。と――そのとき、どこからか灯をしたってまよいこんできた|蛾《が》が、陽炎の顔をかすめて、はたと落ちた。
弦之介がはっとしたとき、陽炎のからだがくねって、おもく熱い肉が、たわわにどっと彼のひざへくずれてきた。
「陽炎!」
「好きです、弦之介さま。……」
ふりあげた顔の、花のような唇から匂い出す吐息――魔香に目まいをおぼえつつ、あわててつきのけようとして、弦之介は逆にひしと陽炎を抱きしめた。
「陽炎、みよ、わしの目を!」
灯にひかる金色の目を、陽炎は、見た。どうじに、こんどは彼女が目をとじて、ガクリとなった。陽炎は彼女自身の毒の息に|麻《ま》|痺《ひ》したのである。
|枕《ちん》|頭《とう》の水さしの水を陽炎の口にそそいで、彼女の目をひらかせたとき、弦之介は蒼白な顔色をしていた。抱きしめて、目を見させたことによって、|間《かん》|一《いっ》|髪《ぱつ》の危機をきりぬけたのだが、愕然としたのは、いまの一瞬ではなく、この女がじぶんを恋していることを知ったことであった。
恋する男を殺す女! 陽炎をつれてゆくことは、腹中に毒をのんで旅するにひとしいではないか。
「陽炎、そなた、わしを殺す気か?」
からくも、弦之介は笑った。じっと女の目から目をはなさず、
「たわけたふるまいをいたすと、おのれ自身の命はないぞ」
「死にたいのです。弦之介さま、いっしょに」
「ばかな、死にたければ、あの人別帖の伊賀者を殺してから、死ね」
「伊賀者すべてを? ……朧もですか」
すでに彼女は、朧を呼びすてにした。弦之介はうっと息をつめて沈黙した。陽炎は、きしり出るような憎悪の声をもらした。
「女のわたしには、朧は殺せませぬ。――弦之介さま、あなたが朧をお討ちなされますか?」
雨の音が、たかくなった。風が、樹々を鳴らした。
「討つ」
と、弦之介はうめいた。討てぬ、とはいえなかった。
陽炎は弦之介を見すえたまま、
「さようならば」
と、|凄《せい》|然《ぜん》と笑った。
「わたしは、伊賀の男たちみんなに身をまかせましょう。わたしひとりで、伊賀の男たちすべてを殺すこともできるつもりでございます」
そして、陽炎は去った。
その深夜だ。――ふいに甲賀弦之介は魔睡におどろかされたように、むくと身を起こした。忍者の耳は、眠りの中でも起きている。いや、たとえ耳はねむっていても、第六感ともいうべき感覚がめざめて、敵のちかづくのを見張っているのだ。弦之介の耳も、第六感も、人間のしのびよる気配はまったく感じなかった。それにもかかわらず、何物かに驚愕して、彼はがばとはね起きたのである。
弦之介の目が、天井の一点をにらんだ。|芯《しん》がつきたか行灯の灯がくらくなって、|模《も》|糊《こ》たるうす闇に、その目は黄金いろのひかりの矢をなげあげた。もし曲者が伊賀の忍者ならば、たちまち苦鳴をあげてたたみの上にころがりおちるはずであった。
しかし、弦之介がみたのは、人間ではなかった。それは一個の卵をくわえて、紅玉のような目でじっと見おろしている一匹の蛇であった!
「おおっ」
絶叫して、彼は宙におどりあがった。その手から、片手なぐりに一閃の光線がはしって、蛇はまっ二つになって斬りおとされていた。――が、血潮とともに、血潮でないものが、刀の|鍔《つば》もとでぱっととびちったのである。
さすがの弦之介も、相手が人間でないので、これは思わぬ不覚であった。とびちったのは、切断される一瞬、蛇の吐きおとした卵の内容だったのだ。しかも、それはふつうの卵ではなかった。――
ただならぬ気配に、豹馬と左衛門と陽炎がかけこんできたとき、甲賀弦之介は刀身を片手にぶらんとさげたまま、座敷の中央に棒のように立ちすくんでいた。
「弦之介さま!」
三人は、さけんだ。
弦之介の片手は、両眼をおさえていた。ややあって、恐ろしいうめきが、その唇からもれた。
「豹馬。……わしは目をつぶされた。……」
三人は、息をひいた。
――伊賀者は来た。まさに来た。しかし彼らの姿はなく、蛇をつかって襲ってきたのだ。そして、東海道における最初の接触で、駿河までまだ六十里あるというのに、若き首領甲賀弦之介は、その最大の武器たる瞳をふさがれてしまったのである。 |
|