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发表于 2008-4-30 09:23:32
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二
お路は、悪夢のつむじ風に吹きまわされていた。
のしかかってくる十平次のノッペリとした顔だ。ふいごみたいな息づかいだ。それから、男と女のあえぎ声だ。「ああ! さげすむなら、お蔑み、あたし、もうせつなくって、せつなくって!」その声がいやらしい男の声に変る。「さわがねえでおくんなせえまし、それ、これが十平次の色指南。……」
お路は、無意識に舌をうごかせた。じぶんの口の中におしこまれてきた十平次の舌のぬるりとした感じがよみがえったのである。恐ろしいのは、それより、そのとき彼女のからだをはしった吐き気のするような|恍《こう》|惚《こつ》感だった。わたしはそんなに淫らな女だったのか、わたしは十平次に犯されたもおなじことではないか。彼女は夢の中でさけんだ。「おゆるし下さいまし、旦那さま。……」
十平次の幻影が、ふいに夫主膳の顔に変った。ああ、あのとき、一瞬ではあったが、暗い月のひかりに、十平次が夫の顔にみえたのはどういうわけだったろう? そして、十平次はたしかにいった。
「やい、旦那もみんな承知のうえのことだぞ。……」
夫の顔が、また十平次に変った。十平次がじぶんを抱き、夫がお紋を抱いて、もだえている。黒いつむじ風のなかに、四人の男と女が、白いはだか姿でからみあって、グルグルとまわっている。お紋を抱いているのは、十平次か、夫か。わたしを抱いているのは、夫か、十平次か。……
「助けて下さい、助けて下さいまし――」
旦那さま、という声は口の中できえたのに、お路は名を呼びかけられた。
「お路、お路」
彼女は眼をひらいた。そして|行《あん》|灯《どん》のそばに、腕をくんで気づかわしそうにのぞきこんでいる人の姿を見出した。それが夫の顔だったのに、彼女は恐怖の眼を見ひらいたまま、しばらく声も出なかった。
「どうしたのじゃ? いったい――」
お路は、じぶんが夜具の中にねかされているのに気がついた。
「どうした?――わたしは、どうしたのでございましょう?」
「それはこちらでききたいことじゃ。わしがかえってみると、そなたがここにたおれておる。びっくりして、寝かせてやったが、心配なので、ここにこうして坐っていたのだ」
お路は、はじめてじぶんがあの着のみ着のままの姿であることと、夜具の外に懐剣がおちていることに気づいた。しかし、ぎょっとしたのは、何よりもいまの夫の言葉だった。
「かえってきた? 旦那さま、いつ――」
「さあ、もう夜半近かったであろうか。|藤《ふじ》|井《い》どののところで|馳《ち》|走《そう》になっての、ほろ酔いきげんでかえってみると、この始末じゃ。お路、病気か、それとも何か変ったことでも起ったのか、中間部屋に十平次もおらぬが――」
お路はがばと起きなおった。みだれた姿もわすれて、
「旦那さま! 旦那さまは、ほんとに藤井さまのところへゆかれて、夜中にかえっておいでなされたのでございますか?」
「何をいっておる。そう申して家を出たではないか。うそだと思うなら、藤井どのにきいてみろ」
「けれど、けれど、夕方、旦那さまは中間部屋で――」
「わしが中間部屋で?」
「あのお紋という女と――」
「お紋と、わしが何をしていたというのか」
お路は、絶句した。主膳の眼がひかってきた。
「お路、そなたは何やら、ききずてならぬことを申す。わしが中間部屋でお紋といっしょに寝ていたとでもいうのか。そなたはそれを見たと申すのか!」
「いいえ、それは見ませぬが……」
お路は、急速に動揺してきた。じぶんは見なかった。しかし、何となくあれは夫だという感じがした。それから十平次も、「いま中間部屋で、お紋といい目をみていなさるのは旦那さまで――」といった。が、いまにして思えば、お紋のあの言葉づかいはどうしたものだろう? いかに安御家人でも、侍に町人の娘がおまえ呼ばわりするものだろうか? そういえば、あの十平次のいったことなど、とうていあてになるものではない。――けれど、それではあのとき、中間部屋にいた男はだれだろう?
「これ」
恐怖の眼を宙にすえているお路の肩を主膳はつかんだ。
「そなたは気でもどうかしたのではないか。何があったのじゃ、申せ!」
その顔は、この日ごろのどこか|無《ぶ》|頼《らい》の|匂《にお》いをおびた夫の顔ではなかった。ずっとまえの、まじめで真剣な夫の――厳然たる眼が、ひたとじぶんを見すえていた。ああ、あたしはやっぱり途方もない考えちがいをしていた! そう思うと、うれしさとくやしさが、全身をつきあげてきた。
「旦那さまがわるいのでございます!」
一声そうさけんで、彼女は夫のひざに身をなげかけた。童女のような|嗚《お》|咽《えつ》に背を波うたせながら、
「旦那さまが、あの十平次などをつれておいでになったり、紋服をおやりになったりなさったので、こんなまちがいが起ったのでございます!」
「紋服? あれはばくち[#「ばくち」に傍点]のかた[#「かた」に傍点]じゃ。しかし――まちがいとは?」
お路はぐいとひきあげられた。
「まちがいとは何じゃ。お路、そなたは十平次とどんなまちがいを起したというのじゃ?」
はじめて、お路は|愕《がく》|然《ぜん》とした。じぶんはもとより、夫もまた潔白であったという感動のために、当然受けなければならないそんな疑惑が念頭をはなれていたのである。しかし、貞節で、|或《あ》る意味では、|稚《おさな》い武家の妻としては、それは当然な心理であった。
主膳は、|凄《すさ》まじい眼で妻をにらみすえた。
「そうか、そうであったか。……そなたがここにたおれていたのを、はじめ医者を呼ぼうか呼ぶまいかと迷って、ついにやめたのは、実はそのことを案じていたればこそだ。……ううむ、|彼奴《きゃつ》、侍の女房を――」
「あなた、ちがいます!」
お路は悲鳴のような声でさけんだ。
「わたしは潔白でございます。十平次めは、あたしをとらえて理不尽なふるまいに及ぼうといたしました。けれど、わたしは身をまもりぬいたのでございます。それだけは信じて下さいまし!」
「その姿でか?」
主膳は口をゆがめて、血ばしった眼でお路のからだを見まわした。お路の一方の乳房はまる出しであった。
「彼奴、どこへ|逐《ちく》|電《てん》いたそうと、きっと見つけ出して、ぶッた|斬《ぎ》ってくれる!」
「斬って下さいませ! あの男を――けれど、|成《せい》|敗《ばい》あそばすまえに、あの男にきいて下さりませ! わたしの身の上に何のこともなかったことを――」
お路は、夫にしがみついて絶叫した。主膳はうめくように、
「十平次めは、にげた。そなた、何として身の|証《あか》しをたてる?」
「身の証し――ああ! それがたてられるなら、どんなことなりと――」
身もだえしながら、ふいにお路は、十平次に口を吸われたことを思い出した。悪寒が背すじを|這《は》った。思わず口ばしった。
「にくい、あんなことをして、にくいあいつ!」
この場合、そのさけびが、夫にどんな反響を起すかを、彼女は悟ることができなかった。ふいに、けがらわしいものをふりはらうように、夜具のうえにつきたおされたのである。
主膳は立ちあがって、妻の姿を見おろした。お路は、じぶんの胸も足もあらわになっていることを知っていたが、|哀《かな》しみと苦悩のために、ただあえぐばかりで、身づくろいする気力もなかった。
ふいに主膳の眼に、どんよりとした雲がかかった。片頬がピクピクとひきつり、唇がゆるんで、みるみるあの自堕落な、虚無的な顔に変ってきたのである。
「ふう――身の証しをたてられるなら、どんなことをしてもよいと申したな」
と、つぶやくと、お路のそばにかがみこんだ。
「これ、お路、あいつに口を吸われたであろう、この口を――」
といって、美しいお路の口の中へ指をつっこんだ。
「ふむ、この舌をしゃぶられたであろうがな」
お路は、ただ涙をながしているだけだった。主膳は依然としてどんよりと濁った眼でそれを見たが、
「そして、乳房もいじられたなあ。きゃつのことじゃ、そのくらいのことはしたであろうのう」
と、乳房をもみねじった。お路は悲鳴をくいしばって、ほそい胴をくねらせた。
「彼奴は、どんな手つきで腹をなでた? 教えてくれい、お路、十平次めから受けた色指南を教えてくれい。……」
妻のからだをもてあそび、いじくりまわしつつ、主膳は恍惚たる声だ。いつしか彼は夜具の上に坐ったまま、お路を抱きしめて、いつかのようにその口を吸っていた。
くやしい! 疑いもはらさないでこんなことを! というせつない絶叫が、しだいにお路の心の底で鈍磨してゆく。青い眉をしかめ、白い指を夫の背にくいこませ、彼女はくやしさと愛欲のいりまじったすすり泣きをあげた。
夫婦とはいえ、ふたりがこれほど狂熱的な|愛《あい》|撫《ぶ》をかわしたことはなかったろう。異常な設定と異常な心理からもえあがった情欲が、ふたりを獣のような|昂《こう》|奮《ふん》の|坩堝《るつぼ》に|熔《と》かしたのだ。|仄《ほの》かな行灯のひかりをあびて、ほとんど全裸にちかいお路は、白い蛇のようにのたうちまわった。じぶんの声が、中間部屋できいたお紋そっくりのあの恥ずかしい声であることを知りながら、お路はそれを天からふってくる音楽のようにきいた。
ほんとうにつつましやかなこの武家の妻を、こう変えたのは夫の力だけであったか。そうではなかった。結局あの十平次のせいだ。すくなくとも、あの事件のせいだったといえる。泥のようにつかれはて、しびれた官能の底で、お路は「十平次の色指南……」とつぶやいた。唇は笑い、彼女は|嵐《あらし》のすぎ去ったあとのようなけだるい幸福感に|睡《ねむ》った。
しかし、嵐は去りはしなかった。
それから、どれほどの時刻がたったであろうか。唇をまたやさしく吸われて、彼女はまどろみの中でかすかに舌さきをうごかせてそれにこたえたが、急にふっと眼をあけた。舌が異様に冷たいものにふれたような感じがしたからだ。
彼女はひしと夫にしがみついていた。ねむりにおちいったときのそのままの姿態であった。が、それは夫ではなかった!
十平次だ。十平次が|枕《まくら》をならべて、じっと眼を――傷つけられたはずの眼には一点の血のあともなく、冷たく笑うように眼を細めた顔を彼女にむけていた。 |
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