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同性愛者と言えば、「いったいどうして同じ性別の人間を好きになったんだろ?」と、多くの人はそう思うだろ。同性愛者としての私は、その要因が主に心理的なのだと思う。
幼い記憶の片隅には、不愉快に冷たい壁だらけだった。病気のせいで無口な性格を作られちゃって、友達もできなかった。時々、こんな病気はどうして私を選んだのだろうと思った。
彼との出会ったのは、六年前のことだった。大学を入ったところの私は、単純でならなかった。同じ寮で住んでたので、だんだんと何でも気軽に話し合える友達になってきた。好きという気持ちまだ気づいてなかったけど、寂しい時だって辛い時だって、彼の側にいたかった。そういう感覚は始めてだった。いつでも私の心を支えてくれてた彼は、好きな意味を教えてくれてきた。
季節が廻って、つい卒業の日が近づいてきた。私にとって、実現しなきゃならない願いが一つあった。何でも気軽に話し合える友達なら、素直になきゃって、彼に秘密を留保するのはできなかったという。そう思うと、「君が好きで、切なさばかり気がしてたから、普通人になってほしい。もし私のことを気にしなったら、友達のままでもいい?」と、メールで彼に届いた。ひどいことくらいをしなきゃいいと、返事した。
私はもう愛される権利を失っちゃったから、二度と何かを失いたくないの。彼との繋がりが消えちゃわないように、自分の感情を騙してた。無理矢理に彼のことを何気なく忘れるのはとうていできなかった。しかし社会や家族からの圧力に直面すると、しようがないだろう。愛が深まれば深まるほど苦痛が募った。夜が長すぎて、小さな光まで暗闇の深くに沈んでゆく。いつ夜明けが来るの?
去年の9月に、私は院生として遼寧にやって来て、彼はサラリマンになった。彼が側にいない生活に慣れなかったから、毎日毎日、来る日も来る日も彼のことを思った。会いたい会えない日々を重ねるたびに、强さも切なさになった。「人は過去に生きるものにあらない」 と自分に教えながら、新しい生活の試みを始めよう。でも、私は自分を勝つことができなかった。忘れたくないことばかり、幸せっては遠すぎたかな。現実はあまりにも残酷で厳しすぎて、夢さえ与えてくれなかった。
今年の冬休みに、一度彼に会うに行ったことがある。相変わらず私を思い切り笑わせたり、一緒に買い物に町中へ行ったり、夕飯の後で近くの公園を二人で散歩したりして、まるで昔に戻るみたいだった。でもさ、気まずい時もある。そういう時私は少し後悔の気がした。彼に「好きだ」という言葉を言い出さなかったら、今はもっと気軽に自分の遣りたいことをしてるだろ。私の好きな気持ちをはっきり知ってるはずなわりには、相変わらず丁寧に私の世話になったのは、傷つかないためかも知れと思ってた。
時間が経つにつれて、彼のことを忘れてから新しい恋に落ちるのも無理はないと思ったけど、結局はやっばりできなかったんだ。彼と恋に落ちるのは過ちと言うなら、正しいことは何?誰かが教えてくれない?どれほど好きでも、私たちは未来はないだろ。悲しくたって切なくたって、諦めたくないから、もう一度信じてみたい。果てのないときの中で、彼に出会ってよかった。明日はどうになるか分からなくても、今の自分を認めて生きてるのが一番大切だと思う。私たちの物語はいつまでも続いてる。
個人的なプライバシですから、日本語で返事してください。
Since involving privacy, please reply in Japanese.
[ 本帖最后由 mizuho_2006 于 2008-5-24 20:24 编辑 ] |
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