▼小沢一郎氏の名は「一」になるはずだった。東京府会議員をしていた父佐重喜(さえき)さんが、正しく読ませる苦労は親限りにしたいと考えた。ところが、母親が一だけではあんまりだと、役所に届ける道で「郎」をつけたという(大下英治『一を以(も)って貫く』)
小泽一郎先生的名字本应该是“小泽一”。(原因在于)曾经担任东京府会议员的父亲佐重喜先生考虑到(自己名字晦涩难念),不想让儿子再因为名字难念而困饶。但是,据说他的母亲认为只有一个一字的话也太简单了,所以在前往申报名字政府机关的路上又加上了一个“郎”字。(大下英治《一贯到底》)
▼民主党の臨時党大会で、小沢代表の続投が決まった。きょう自民党が選ぶ、おそらくは同じ「長男の名前」を持つ新総裁と、総選挙に向けて「党首力」を競うことになる
在民主党的临时大会上,通过了小泽代表的连任决议。他将和自民党今天选举产生的,十有八九是同样拥有“长男名字”的新总裁一起,在总选举中竞争“领导力”。
▼指導者の必須は、説いて聞かせる力だろう。とりわけ難局では、打開のための「苦」と、先に待つ「楽」を、情と理を総動員して語り尽くさねばならない。人前でしゃべるのが嫌いという小沢氏は、党大会の演説で「変わろうと努力を続けている」と照れた。さて間に合うか
能够说服大众的能力大概是领导人所必须具备的。尤其是在困难的局面中,领导者必须动之以情,晓之以理,竭尽全力地将为了打开局面所要经受的“苦”和将来的“乐”都明确告诉民众。不喜欢在人前演讲的小泽氏,在临时大会的演说中害羞地说:“我会继续努力改变的”。不过,现在还来的及吗?
▼その演説には、情も理もそこそこあった。ただ声はかれ、原稿に目を落とす時間が長い。「努力」も道半ばの印象だ。むしろ、記者会見で見せた正直なこわもてぶりに味があった
在演讲中他做到了动之以情,晓之以理。但是,声音嘶哑,目光落在讲演稿上的时间过长。给人一种努力了却半途而废的印象。还不如在记者招待会上装作毕恭毕敬接受采访的姿态还有味道。
▼小沢氏は、田中角栄、金丸信、竹下登といった自民党の本丸に仕えた。「だから、僕はいわば『日本的コンセンサス』の免許皆伝です」と語ったことがある。その免許をぬるま湯に捨て、自民党の外側から政治改革に挑んで早15年が過ぎた
小泽氏曾经在拥有田中角栄、金丸信、竹下登等首相的自民党中心内阁工作过。所以,他曾说过这样的话:“因此,我深得所谓《日本式的共识》的真传”。(然而他却)将那真传秘籍丢弃于温吞水式的(自民党),从自民党的外挑起了政治改革的序幕,自那时以来已经过去了15年。
▼66歳。心臓に治療歴がある。「最後の闘い」を目前に控え、政治家としての型は変わるまい。道すがら「郎」が加わるような変身が望めないなら、ごつい素をさらし、政権交代を望む世論に訴えるほかない。ちなみに一郎も太郎も、歴代の首相に一人ずつである。
(小泽氏)今年66岁,有过心脏病治疗史。直面即将到来的“最后的战斗”,作为政治家的形象已经不可能有所改变。既然不寄希望于象在半路上追加一个“郎”字那样的变身,那也就只能暴露出顽固粗鲁的真实自我,向希望政权交替的民众发出呼吁。顺便提一下,在历代的首相中,(叫)一郎和太郎的都各有一名。 |