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5月21日会社の同僚と謎めいた待望のdavincicodeを見てきた。
かつて真実であったかのように、過去は人間の想像で蘇る。
二度と映像になるはずもない感情や闘争までが、迫真の“歴史”となり、スクリーンの前の観客に迫ってくる。
仮に、現世でイエスの後裔がいるとしたら、神の威厳は両極端へ走ることでしょう。神は人間の神である以上、哀れで滅びも一瞬であるようにさえ思えた。ちょっとした作者の気紛れが天国のLeonardo Da Vinciにまで迷惑と思うが、天国といった別世界は作者にとて好都合であったことは間違い。いすれにしても騒いだほど魅力のある映画ではないことは確かだ。
人間は時にほんの一瞬油断しただけで、次に進むべき手掛かりを見失ってしまう。直感としてイエスがかつて迷い込み佇んだことのある迷路は未だに存在し、彼は重い十字架を背負い今もそこにいるような気がする。
“彼”に平和は見えない。われわれに平和が訪れないかぎり。。。 |
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