中国人は清明と冬至にお墓参り習慣が持っている。昨日、お天気だった。空には雲ひとつもなかった。おじいさんのお墓参りに行くというより、郊外の新鮮な空気を呼吸しにいくほうが適当だ。気がさわやかだった。
お墓は町から20分ぐらい離れているところ。西山の付近。金宝三という、公園みたいなところで、人のお骨が埋められている。墓園の周りの三方は山に囲まれて、その一方は湖に向かっている。山に松の木がたくさん伸びっている。日差しが暖かくて、ピクニックのいいところまで思っていた。
墓地は山の斜面にある。棚田みたいに、一階一階にしている。各骨箱が並び埋められている。一階の幅は約1メートルあって、ちょうど骨箱が入れるサイズだ。日本は磁器の丸い箱が多用されているが、中国は木製の四方形の箱を使っている。線香をあげる習慣は同じだが。日本ではお墓参り時にきれいな水を持って、墓石を水で洗う。中国では果物、お酒など持って弔いをする。
墓石にはなくなった人の写真を飾っている。わけが知らない、私がこともの時から、こういうところに行ったら、墓石を読む習慣を持っている。一階、一階、各墓石を読んでいく。これらの人はみんな、この世にいったことがあるよね。しかし、いまはもう、いなくて、静かにここで寝ている。
「おや~ずいぶん若いよね、この人」、親戚の指差しに従って、視線を向いた。ある墓石にずいぶん若い女性の写真が貼られている。「この写真、普通の写真じゃないの?」あまりに驚きほど、私が言い出した。その写真はある森を背景にして、黄色な葉がひらひら光っている。あの女性は斜めに座って、優しい笑顔で撮られている。美人だよねと思っている。この写真、どう見ても、墓石に不似合い写真だ。墓石には死者の簡単な履歴が書かれている。生:一九七六年一月二十六日。死:二〇〇六年六月十二日。
急になくなったのだろう。写真の準備までもできないほど、急になくなったのだろう。風が静かに吹いて、急に泣きそうな感じ。私の心にはいろんな感情が湧いてきた。が、相手はたっだ静かに寝ているだけ。
「おい~帰るぞ」父に呼ばれた。「何を見ているの?いいから、帰ろう。来年まだ見に来て、あの「人」、来年もここにいるから」。
そうだね、来年もいるの。来年、再来年、十年、二十年もずっとここにいるよね。思わず、笑った。わけのわからないことで、笑った。
「生きているうちに、ちゃんと生きていけ。というのは、われわれが死んだら、長い長い時間で死ぬから」。この話をしたのは誰かがもう覚えていないけど。確かにそうだと思っている。生きているうちに、毎日毎日大事にしなければいけない。明るくて、笑顔で世界に向かって、友たちに向かうこと。時間を無駄にしないこと。人に優しく付き合うこと。
だって、明日、もうこの世にいないかもしれない。そうすれば、みんなが自分の笑顔、優しさだけ覚えってくれる。
あの女性の写真みたい。今彼女の家族、友たちの心に深く刻んでいるのは、彼女がもうこの世にいないことより、彼女の笑顔だよね。そうか、そうか、きっとそうだよね。
そう考えている私は思わず笑った。周りは何の音もない、たっだ風が木を揺らす音、鳥が歌う声が響いている。
|