横浜中華街の中に、中華系の児童らが通う塾がある。名前は「寺子屋」。言語の習得に苦しむ子どもたちの手助けになればと、横浜山手中華学校教諭だった符順和さん(65)が5年前に開いた。30人以上の子どもが集まり、教室は学校のようなにぎやかさだ。
午後2時すぎ、ランドセル姿の子どもたちが次々に教室に入ってきた。福建会館4階に借りた教室には6、7人が座れる大机が4卓並ぶ。
「符老師(ラオシー)」「今日のおやつは何?」「問題がわからない」――。
符さんに向け、あちこちから声がかかる。「おしゃべりするのはやめて勉強に集中しなさい」。机の間を歩き回って、座っている暇はない。
符さんの父親は広東省出身で、関東大震災の前年1922年に来日。符さんは日本で生まれた。知的障害者施設の職員を経て、横浜山手中華学校の幼稚園に。その後、小学部教員になったが、80年、中国語の勉強をきちんとしたい、と中国の大学に2年半ほど私費留学した。
04年春に退職したが、児童の保護者から勉強をみてほしいと頼まれ、同6月に寺子屋を開いた。
華人の子弟といっても、親の世代から日本に住んでいる家庭の場合、日常生活では日本語を使うことが多いため、小学校入学まで中国語をしゃべれない児童も多い。逆に中国で生まれた児童の場合、日本語が理解できずに、勉強についていけないケースも多いという。
子どもは一人ひとり習熟度が違うため、符さんはそれぞれのレベルにあった教材を選んで教えている。ただ児童が30人以上に増えたため、日曜日を除いて、ほとんど休みを取る余裕がない。退職後に取り組む予定だった華僑史研究も進んでいないという。
符さんは「言葉でつまずく児童は多い。入塾希望者を全員受け入れてあげたいが、1人では限界もある。ボランティアで教えてくれる人がいたら手伝ってほしい。中国語ができなくても、教えられる勉強や仕事はたくさんある」と話している。 |