あるとき、無理に連れて来られた高校生で、椅子を後ろにむけ、私に背を向けれて座った子が居た。このようなときは、われわれはむしろ①やりやすい子が来たと思う。( t# Y9 H9 x* ^
有一次,有一位被勉强带来的高中生,他椅子朝后,背对着我坐着。这种时候,对我们而言,不如说这是更容易应付的孩子。
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こんな子は会うや否や「お前なんかに話をするものか」と対話を開始してくれている。そこでそれに応じて、こちらも「②これはこれは、僕とは話す気が全然ないらしいね」などと言うと、振り向いて、「当り前やないか(注1)。③こんなことしやがって(注2)、うちの親父はけしからん……」という具合に、ちゃんと対話がはずんでゆくのである。
9 V" S& q% }7 f3 f' K这样的孩子,见面的时候,就摆出一副“跟你哪有什么可谈的”态度面对你,
# c+ ^. Y8 q2 s+ W& A) w; P2 D% i这时,如果我也顺着他的态度说“唉呀呀,好象一点都不想跟我说话哦,”对方就会回过头来,说:“当然啦,谁叫我老爸他不讲理……”,就这样,谈话就很顺利地进行了下去。, f7 X5 U6 i7 z
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④こんなときに私が落ち着いていられるのは、心のなかのことは、だいたい51対49くらいのところで勝負がついていることが多いと思っているからである。
! n+ T1 b: L8 R2 }/ k在这样的时候之所以我能够沉得住气,主要是因为我觉得在心里,很多时候胜负是51比49。
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この高校生にしても、カウンセラーのところなど行くものか、という気持の反面、ひょっとしてカウンセラーという人が自分の苦しみをわかってくれるかも知れないと思っているのだ。人の助けなど借りるものか、という気持と、藁にすがってでも(注3)助かりたい、という気持が共存している。( ⑤ )、ものごとをどちらかに決める場合は、相反する気持の間で勝負がきまり、「助けをかりない」という方が勝つと、それだけが前面に出てきて主張される。しかし、その実は⑥その反対の傾向が潜在していて、それは、51対49と言いたいほどのきわどい差である ことが多い。 Q, Z: \! G4 A, H& X3 V
就拿这个高中生来说,虽然他的心里一方面认为:为什么要接受心理咨询呢,岂能接受心理咨询呢,但是另一方面却也认为:心理咨询师或许明白自己的苦楚也说不定。岂能接受他人的帮助和抓住救命稻草也想得到帮助的这两种心情在人心里是并存的。2 |% ^ N* @, |8 H5 G1 ]) [
决定一件事情,其实胜负是取决于相反的心态之间,“不需要别人的帮助”这一方取胜的话,就会表现出前面的主张来。但是,潜意识中存在着与之相反的倾向,这就是我想说的,很多时候是51比49的险差。1 k9 F# G0 p) I2 V c
5 h$ E0 h/ Q8 z$ t) b 51対49というと僅かの差である。しかし、多くの場合、底の方の対立は無意識のなかに沈んでしまい、意識されるところでは、2対0の勝負のように感じられている。サッカーの勝負だと、2対0なら完勝である。従って、意識的には片方が非情に強く主張されるのだが、その実はそれほど一方的ではないのである。; I" a1 E' \! X1 v
51比49只有一点点的距离。但是,很多时候,心里的对立沉没在潜意识之中,在意识层面流露的,却感觉像2比0那样。从足球的角度,2比0是绝对胜利的。在意识层面,虽然有一方会表现得非常地强烈,其实却并非如此。 |