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[其他] 第2弾「逐次通訳のノートテイキング指導」 日本獨協大学先生の論文

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发表于 2009-11-1 02:41:12 | 显示全部楼层 |阅读模式
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1.2 ノートの意義

 ノートの役割について、全ての文献に共通して書かれていることは、以下の通りである。

1.2.1 通訳者の記憶を補助する手段

 「三分間以上の発言になると全てを記憶できない」(鄭)と時間を明示した例もあるが、そのほかの文献では、発言の長さに関する記述はない。実際、何もノートしなくても記憶できる発言の長さを規定することはきわめて難しい。記憶しやすいかどうかは、起点言語にあらわされた内容と、通訳者の知識の両方にかかってくるからである。起点言語の内容から考えると、一般的に言って、意味を見いだせない音や数字等の羅列を長時間記憶することは困難だが、ストーリー性のあるものは記憶しやすいと言えるだろう。しかし、ある通訳者にとっては意味のない音の羅列が、別の通訳者にとっては確固たる意味を持って聴取されることもあり得る。通訳者の世界知識の広がりによってノートの内容も変化するはずだ。たとえば、同じ企業で長年にわたってインハウス通訳を行っているような場合、業務内容と発言者の論理展開を熟知した通訳者は時には数分間の発言をごくわずかなノートで、あるいはそれもなしに、伝達する事が可能だろう。一方、予備知識の全くない通訳者がいきなりこの企業に呼ばれ、テクニカルな話題の通訳をさせられた場合は、数秒間に満たない専門用語でも逐一書き留めておかなければ、その音をそのまま再現することさえできないかもしれない。その場の状況における通訳者の位置、知識、経験あるいは発言者の話し方、速度、話の内容、論理展開の仕方等々によって、記憶の補助手段として記録が必要な内容も変化すると考えたほうがよい。補助する必要のあるものは、個々の通訳者によって同じではない。これが「ノートは個人差が大きい」ゆえんであろう。

 したがって、ここで「記憶」と呼ばれているものは狭義の「短期記憶」としてではなく、通訳者の脳内に蓄えられた「知識」すなわち「長期記憶」も含むものと考えるべきではないだろうか。また、全く同じ内容の談話を繰り返し通訳する場合でもない限り、通訳を行うには、話題に関する知識だけでは不十分で、発言者個人の意見や話の展開も伝える必要があるため、通訳者が熟知している内容であっても自分の知識(長期記憶)だけに頼って訳出することは不可能である。忠実な逐次通訳を行うには、談話の内容理解と同時に論理展開の分析も必要になり、ノートにもそれが求められる。

1.2.2 通訳者の理解を補助する手段

 ノートに「記憶の補助」よりも、さらに積極的な役割を見出すこともできる。すなわち「ノートを取るには、発言をさらに分析理解する過程が必要となるため、ノートは通訳者が発言者の意図を理解する手助けとなる」(鄭)というものである。

 ノートの取り方については、後述するように、どの文献を見ても原発言の構造を反映した図式的なノートの方法を提唱している。このようなノートを取ることを心がけると、原発言を聞いて内容を理解すると同時に、その構造を分析し、情報を整理する習慣が必然的に要求されることになる。つまり、ノートの形式自体が発言の理解を促進する要素になり得るということだ。耳から入ってきた音声を内容のあるメッセージとしてとらえ、さらにその内容と構造を紙の上の空間に再現することで、理解をより促進するためには、ノートの形式にも通訳者それぞれの個性を超えたある普遍的な法則性が発見できるのではないだろうか。ひとが言語を理解するとき、受け取った言語の内容をどのように処理すればより深い理解が得られるかを研究することは、より効果的なノートを実現するうえで決して無意味ではないだろう。さて、ここに一つの注目すべき論点がある。逐次通訳のノートに直接の関連した論文ではないが、文章理解を促進するための「空間配置」に関して考察を行っている。下記に引用してみたい。

読みのプロセスを『見る』(三宅・野田1998;月刊『言語』2月号)
 「文節または文を1単位としてカードをつくり、それを空間上に配置しながら読む。--中略-- カードの山とA3程度の紙を渡して紙面上の好きな位置に置きながら読んで欲しいと頼むと、ほとん どの人がごく自然に空間を利用して「読む」。自由に配置して良いと言われて、それでもなおカードを 上から順に下まで一次元的に並べたという被験者はほとんどいない。その意味ではこの「空間配置読 み」は読みに隠されているある種の自然な構成のプロセスをそれほど負担なく顕在化させるものだと 考えてよいのではないかと思われる。」
 「(カードを)自由配置条件と直列配置条件による読みを行い、理解度の違いを見る--中略--全体 として自由な配置をすることが、より注意深い読みや意味的な構造をとらえた的確な理解を促進して いると考えられる。配置しつつ、配置について考えながら読める、といったこの方法の特徴がこの促進の原因であるのかもしれない」

 論文に付された配置図を見ると、その配置の方法は、プロの通訳者が共通して提唱している逐次通訳のノートと似通った点が非常に多い(この点に関しては、3.ノートテイキングの実際で詳述する)。
   こうして見ると、プロの通訳者がノートを取るときに行っている作業は、線状に連なって現れる音声を聴取しながら語の意味を認知し、さらに語が出現する順序を手がかりにして構造的な意味をとらえ、その構造を支える情報単位(文節や文など)に適宜切り分けて局所的な理解をしつつ、それがあるまとまった概念になっていく過程で、局所的に理解した単語やイメージなどを構造に留意しつつ紙面空間に配置して書き留めていく、ということになろう。また、局所的な理解を積み重ねるにしたがって構造的な理解が生じ、さらに全体的理解によって局所的な理解の方向修正をすることも可能になる。そこで、訳出された目標言語は必ずしもノートに記されたままの表現を用いないという現象が生じる。
   また、ノートには手の動きそれ自体の果たす役割もある。文章を書くときに、実際にペンを走らせたり、キーをたたいたりすることで、それまでぼんやりとしていた思考が明確化し、さらに新たなアイデアが生まれた経験は誰にでもあるだろう。手を動かして、文字や記号として書き留めることで漠とした思考が具体的な形を持って現前するという側面をおろそかにはできない。書くことで自分が理解した内容を紙の上に定着させ、再確認するという役割もノートに認めてもよいのではないだろうか。

1.2.3 コミュニケーションを促進する手段としてのノート

 ノートは時として、話し手や聞き手にとっても意味を持つものとなり得る。逐次通訳を行っているときに、話し手または聞き手がすぐ横にいるような場合、通訳者の手元をのぞき込む人は非常に多いものである。時には長広舌の通訳を支える手段に対する純粋な好奇心から、時には話し手が通訳者の理解したところが正確かどうか知りたいという気持ちから、また時には訳出が始まるまで待てず、少しでも早く内容を知りたい聞き手の視線がノートに注がれる。話し手や聞き手の視線を察知した通訳者は、(その余裕があればの話だが)彼らに理解しやすいようにキーワードや数字などを見やすく書いて目配せなどをすることもある。このような状況のもとでは、ノートは通訳者の訳出のためだけにあるのではなく、話し手や聞き手をコミュニケーション成立のための共同作業に引きずり込む役目も果たしてくれる。よく通訳者は「黒子」とか「透明人間」が理想だと言われる。しかし、これは通訳者が当面の話題に関して話し手と同等かそれ以上の知識を有し、完全に話し手の自己の一部として作用する場合、またはよくできた同時通訳の場合のみに言えることである。一般に逐次通訳の場合は、話し手・通訳者・聞き手の三者が共同作業者として全体のコミュニケーションを作り出すほうが望ましく、通訳者の存在が完全に忘れ去られるのは却ってよくない。話し手に自らの話の内容が通訳者を通じて外国語に転換されることを意識させるうえで、ノートは効果的な小道具になり得る。
 通訳者が自分の話を聞いて理解しながらノートを取っていることを意識した話し手は、通訳者など眼中にないといった調子で滔々と話し続けることはなくなり、より正確な伝達を達成するために協力的になる。また、理解と分析を前提とするノートを実行すると、話が理解できなくなった時点で話し手にストップをかけて質問をすることもできる。これも話し手に通訳者の存在を意識させる方策の一つである。
    聞き手にとってはどうだろうか。話し手が自分には理解できない外国語で話している間、聞き手は退屈している。そこで、退屈しのぎに、または早く内容を知りたいという気持ちから、通訳者のノートをのぞき込む。このときにもノートは聞き手に対して具体的なキーワードや数字を伝達するばかりでなく、通訳者が話を確実に理解できているという情報をも伝達することで、通訳者に対する信頼感を生じさせ、より効果的なコミュニケーションを実現する役目を果たすことが可能なのである。だが、このような場合にはあまり乱雑なノートを見られては却って逆効果となるので、注意しなければならない。

2.ノートテイキングの方法

2.1 ノートの原則

 「理想的なメモの取り方などない」(篠田・新崎)、「個人に独特のもので、決まった方法はない」(西山、水野)というのが、これまで通訳養成校で繰り返されてきた言い方である。当然、通訳の話題の違いや、それぞれの通訳者の知識の程度によってノートの方法や量も異なってくるから、完全なマニュアルを作ることは不可能だ。また、ノートだけで逐次通訳の全てが解決するわけでもない。しかしそれでも「通訳の真髄である逐次通訳を支える唯一の手段」(大谷)と呼べるほどにノートの果たす役割は大きいわけで、通訳を職業技能の訓練として行おうとするのであれば、「個人差が大きく自分で開発するしかないから、教えられない」と言って無視するわけにはいかない。実際、ノートは二義的なものという位置づけにもかかわらず、通訳学習に関する文献でノートに言及していないものはなく、大体において以下に述べるようなノートの二大原則で共通している。それぞれについて考察してみよう。

2.1.1 空間配置で構造を明示する図式的なノート

 文字や記号の配置を考えることで、原発言の構造的な理解を促進する効果がある。発言が聞こえてきた順序通りに線状にズラズラと書き並べたノートは、文法構造や談話の論理展開を把握しなくても書ける。つまり、理解と分析のプロセスを経ていないノートということになる。しかし、もしも文を主語、動詞句、挿入句等々と談話を分析しながら、あるいは談話全体から見た場合は、話題の提示、説明と例示、エピソードの挿入等々と構造を把握しながら、その構造に応じて適切な位置に書き留めることを意識的に行うならば、通訳者は自ずと理解と分析の過程をたどることになるだろう。これを特に意識せずに瞬間的に行えるまでの言語能力を取得していることがノートの前提であり、聞きながら情報を切り分け、構造的に整理していく反応が遅ければノートを取ることはできない。ひとが文章を読む時に、情報を切り分け並べ替えることで理解が促進されることは、「読みのプロセス」に関する研究(三宅、野田1998)でも言及されている。これはサイト・トランスレーションにおけるスラッシュリーディングにも見られ、逐次通訳のノートもまた起点言語が音声言語であるという違いはあっても、やはり同じ原理が働いていると考えられる。
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