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[天声人语] 20100615桦之微笑

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发表于 2010-6-15 15:35:04 | 显示全部楼层 |阅读模式
いくらかの熱を帯びて顧みる日が、各世代にある。60代半ばから上には1960(昭和35)年6月15日もその一つだろう。半世紀前のきょう、日米安保条約の改定に反対する学生デモが国会構内に突入、警官隊との衝突で22歳の東大生樺(かんば)美智子さんが死んだ▼控えめだが芯のある女性だったという。全学連の活動家として、読書と集会に明け暮れる日々。そろそろ卒論を、と話していたそうだ。死に顔はほほえんでいるようだったと、肉親の手記にある▼新条約は成り、岸首相は退いた。続く池田内閣は所得倍増を掲げ、戦後は経済の季節へと移る。『樺美智子 聖少女伝説』(文芸春秋)を著した江刺昭子氏は、日本人の意識や生活は、皇太子妃と樺さんの「二人の美智子」から変わったと見る。一人は命を捨てて重い扉を開いたと▼雨上がりの午後、彼女が眠る多磨霊園を訪れた。墓碑に刻まれた高校時代の詩「最後に」は、こう結ばれる。〈でも私は/いつまでも笑わないだろう/いつまでも笑えないだろう/それでいいのだ/ただ許されるものなら/最後に/人知れずほほえみたいものだ〉▼学生運動は全共闘などに受け継がれたが、もはや大衆を熱くすることはなかった。片や、冷戦後も極東には緊張が残り、米軍はそこにいる。沖縄が示す通り、異常も長く続けば日常にすり替わる▼あの頃、幼子までが口ずさんだ〈安保反対〉の声は弱い。日米同盟を「国際的な共有財産」とたたえたのは、ほかならぬ全共闘世代、菅首相である。樺さん、まだほほえんでおられようか

(回顾那些干劲十足的日子在各个时期都有。像上世纪六十年代1960(昭和35年)年6月15日也是这样吧。半世纪之前的今天,反对日美安保条约的学生游行闯进国会内部、当时22岁的东京大学学生桦美智子与警卫队发生冲突而倒致死亡、她本是个保守的女性,做为全学连的积极分子整日埋头于看书和集会。听说平时总说:“马上得提交论文了”。在她的父母的手记中这样写着:“美智子死的时候好像在微笑着”。之后新条约得到了确立、岸信介首相退位了。之后的池田首相提出了国民所得倍增计划、战后进入了经济时代。由江刺昭子创作的《桦美智子 圣少女传说》(文艺春秋)介绍通过皇太子妃与桦美智子(二个美智子)看到了日本人在意识、生活等方面的转变。在雨后的午后拜访了一个是宁愿舍弃自己的生命也要打开那扇重重的大门的人,她一直沉睡着多磨灵园。在她的墓碑上刻着高中时代的一首诗《最后》“即使我永远都不会笑;永远都不能笑;那也没有关系,只要能被宽恕,我只想在最后那一刻一个人静静地微笑”学生运边被全共伐所替代,不久没有了全民的热情。一方面、冷战后在远东地方仍残留着一种紧张感,美军驻扎在那里。正如冲绳所展示出来的一样,在异常并长时间被替管的那些时期,反对安保的声音很弱,即使连年幼的小孩都不敢提。把日美同盟颂扬为国际共有财产是全共伐时代的菅首相。桦美智子,你还在微笑吗?)
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 楼主| 发表于 2010-6-17 16:49:12 | 显示全部楼层
出于学习,希望各位高手帮我修改修改。。。谢谢。。。
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