咖啡日语论坛

 找回密码
 注~册
搜索
查看: 631|回复: 0

041118《天声人語》手机

[复制链接]
发表于 2004-12-2 16:09:12 | 显示全部楼层 |阅读模式
041118《天声人語》手机 路地を歩いていた。先の方の四つ辻に、子犬を連れた男性が立っていた。こちらから見て右を向き、誰かと話している。相手の姿は角の家に隠れて見えない。やがて辻に近づき右手を見ると、そこには誰もいなかった。死角になっていた男性の左の耳もとに携帯電話があった。 我在街上走着。看见前面的十字路口处站着一个男子,牵着一条小狗。从我这儿看去,他正脸朝右边在和什么人说话。而谈话的另一方的身影被拐角处的房子挡着,看不见。等我走近一看,却发现那里没人。原来是处在我视线死角处的,那个男子的左耳朵上贴着一只手机。  いわば一人一人が電話ボックスを持ち歩くようになって、そうはたっていない。しかし本紙の世論調査では、20代の3割が「ない生活は考えられない」と答えた。 当然还没到所谓人人都抱着电话亭走路似的程度。但据本报的社会调查,20来岁的一代人中有三成答道“没有手机的生活简直无法想象”。   「これからも携帯は下手なままでいます」。明治学院大教授、辻信さんの意見に、下手な一人として共感を覚えた。携帯の便利さは、速さと効率を競う社会での便利さで、半面、人と人が向き合うことで得られる大切な「つながり」が失われていると述べる。いつでもどこでも、つながりを求めながら、つながりの薄れる時代なのか。 “我今后仍将不擅用手机”。这是明治学院教授辻信先生的意见,对此,同样不擅用手机的我也有同感。他述说道,手机的便利,是争取快捷和效率的社会性便利,而另一方面,也正因为这种便利,人们面对面交谈所能获得的“交情”正在消失。现在已到了一个无论何时何地都在寻求“交情”的,“交情”淡薄时代了吗?  辻さんは『スロー・イズ・ビューティフル――遅さとしての文化』(平凡社)の後書きに、長田弘さんの詩「ふろふきの食べかた」を引いていた。「そうして、深い鍋に放り込む。/底に夢を敷いておいて、/冷たい水をかぶるくらい差して、/弱火でコトコト煮込んでゆく。/自分の一日をやわらかに/静かに熱く煮込んでゆくんだ」  有線電話をベルが発明したのは、1876年、明治9年だった。明治の初期は、電話よりも「伝話」の方がよく使われ、テレホンは「得利風」とも書かれた(『無線百話』クリエイト・クルーズ)。 辻先生在《慢就是美——慢的文化》(平凡社)的后记中,引用了长田弘先生的诗《烩萝卜的吃法》。 “就这样倒进深深的锅里。 锅底铺上梦 加满冷水 小火咕嘟咕嘟地慢慢煮着。 将自己的一天也放松 平静地、滚烫地煮着"。 贝尔发明有线电话是在1876年,明治9年。而在明治初期,“带口信”比电话更普及,当时把电话写作‘得利風”(《无线百话》 克里埃得•克鲁斯)。 ベルが今よみがえったら、怪しむだろう。「彼らは透明人間と話しているのか」 贝尔如果现在从长眠中醒来,也会感惊奇吧。他也许会问,“他们在和透明人说话吗?”。
回复

使用道具 举报

您需要登录后才可以回帖 登录 | 注~册

本版积分规则

小黑屋|手机版|咖啡日语

GMT+8, 2025-8-23 11:16

Powered by Discuz! X3.4

© 2001-2017 Comsenz Inc.

快速回复 返回顶部 返回列表