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本帖最后由 cike207 于 2010-12-6 00:36 编辑
问题7 找到了原文
いまはコミュニケーション能力が過剰に求められる時代である。職場でも学校でも、あるいはもっと
プライベートな空間でもいい。あらゆる人間関係において、自分の価値を認めてもらうためには高度な
コミュニケーション能力が必要とされる。書店に行けばコミュニケーション能力を高めるための自己啓発
本が余るほどでているし、わざわざそのための学校に通う人もいるほどだ。
確かに、いまの産業のありかたをみると、コミュニケーション富を生み出す経済活動の中心にきている
ことがわかる。製造業は人件費の安い海外に工場をどんどん移転させ、国内に残っているのは、マネジメ
ントや企画、研究開発、マーケティングといった本社機能的な仕事ばかり。そこでは、組織をまとめあげる、
アイデァをだす、交渉する、プレゼンをする、ディスカッションをするといった、高いコミュニケーション能力が
必要とされる活動がどうしても物を言う。社会のあり方が、工場中心からコミュニケーション中心へと大きく転
換しているのである。
しかし、コミュニケーション能力が、人々の価値を決める独占的な尺度になることは、はたして健全なのだろうか。
事実、コミュニケーションべたで自己アピールにそれほど長けていなくても、能力のある人はいっぱいいる。
私も大学でゼミを指導していると、ゼミの議論では目だっていてもリポートの出来はそれほどでもない学生や、
逆にゼミではおとなしくてもすばらしいリポートを書いてくる学生に頻繁に出会う。コミュニケーションの巧みさと
本人の能力は必ずしも一致しない。
引きこもりは、社会のなかで要求されるコミュニケーション能力があまりに高いため、一度他者とのコミュニ
ケーションにつまづくと、なかなか新たなコミュニケーションに踏み出せなくなってしまうことから生まれる。引き
こもりまでいかなくても、周りとのコミュニケーションのなかで自分がまともに相手にされなければ、誰だって心を
閉ざしてしまい、内にこもりがちになるだろう。コミュニケーション能力をめぐる競争が激しい社会は、
それにつまづいてしまった人にとても冷淡だ。
また、いじめは、子供たちのコミュニケーション能力の欠如からおきているのではなく、逆に、みんなが空気を
読みすぎることで生じるストレスのはけ口を特定の人間に向けることでおきている。こうしたストレスや重圧は、
子供に限った問題ではない。空気を壊してはならないという圧力は、人々にコミュニケーション能力をさらに要求
するだろう。しかしそれが進めば、社会のなかで同調圧力が強まり、社会そのものが萎縮してしまうだけである。
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