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楼主 |
发表于 2011-2-14 11:51:12
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愛美の死の真相を確かめるため、私はAを化学室に呼び出しました。あのとき、本当に、自分はここでどうにかできなかったのか。そんな自責の念に駆け立てられる場所でした。放課後、といっても短縮授業でしたので昼過ぎですが、何食わぬ顔でやって来たAに、私はわたうさちゃんのポシェットを差し出しました。いいもの入ってるから開けてみて。あのときのAのように言ってみましたが、当然Aはそれに触ろうともしません。残念です。改良してスタンガン並の威力を持たせていたのに。そういうことです。こんなもの少し勉強すれば誰でも作れるのです。実際に作るかどうかという個人の倫理観が問題なのです。
やっと気付いたんだね。私が呼び出した理由を察したAは、まるでこの日を待っていたかのように、意気揚々と真相を語り始めました。あの財布はやはり、Aの言うところの処刑マシーンでした。
完成した自信作をAはまず同級生のビデオ仲間で試してみました。「すげえ」とは言われても、 びっくり箱程度の反応にAは不満でした。こいつらは僕のすごさをわかっていない、ならばわかる奴に見せてやろう。そこで私のところに持って来たのです。私の反応はAを満足させるものでした。Aは勘違いしていました。私は危険と感じたのは財布ではなくAの倫理観です。危険=財布と思い込んでいたAは、これで処刑マシーンのすごさがみんなに伝わるぞと確信し、さらに、わざと私を挑発するようなことを言って出ていきました。しかしAの予想は外れました。騒いでいたのは結局、私だけだったのですから。Aは考えました。このまま財布をウェブサイトで公表しても、見るのはどうぜこれのすごさがわからない奴らばかりだ。それなら、わかる奴らに見せてやろう。
そこで、中高生科学工作展に出展したのです。審査員にはなぜかSF作家もいましたが、大半は理工学の分野で立派な肩書きを持つ人たちばかりでした。公の場で有名人に危険性を指摘されることによって、処刑マシーンは認知され、自分は危険人物として注目される。これがAの思惑でした。しかし、予選の段階で財布が危険物とみなされ、審査対象から外されてしまってはたまりません。そのため、レポートからはできるだけ正義感と子供らしさが感じられるように工夫しました。工夫のかいがあったのでしょうか、最後までAは健全な中学生として評価されました。全国大会の会場では、クイズ番組にも時々出演されている有名な大学教授に「すごいね君は、僕にはこんなものつくれないよ」と褒められました。これは、お手伝いロボット的な作品が多かった中で、防犯対策に着目し、かつブザー等ではなく財布自体に防犯システムを持たせた、という発想に対してのコメントでした。しかし、Aは自分の技術と才能が高く評価されたと勘違いしたのです。やはりこのあたりが子供ですね。危険人物とみなされないまま、地元紙のインタビューも受けたAは「思惑とはちょっと違ったけど、これはこれでありかな」と満足感を味わっていました。私も、嬉しそうにインタビューに答えているAを見て、「この子はみんなに注目されたかっただけなんだな、このままエネルギーをプラスの方向に持っていってくれればいいな」と安心した気持ちになり、いろいろと気を揉んだけど、解決したなと思いました。
夏休み後半、Aが新聞の地元版に大きく取り上げられたその日、一面を飾ったのが『T市・一家五人殺害事件』でした。以後、テレビも週刊誌もその話題で持ちきりです。二学期が始まり、始業式の後、全校生徒の前で表彰されたにもかかわらず、誰もAが新聞に載っていたことや偉い先生に褒められたことなど触れてきません。話題はルナシー事件一色でした。いいことで褒められたって誰も注目しないじゃないか。ルナシーなんかちっともすごくない。青酸カリだって?もともとあるもので殺しただけじゃないか。僕なら殺すアイテムも自分で作り出すことができる。そうすればもっともっと注目される。事件が騒がれれば騒がれほど、Aの嫉妬は膨れ上がりました。そして、処刑マシーンの開発に没頭していったのです。
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