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本帖最后由 yanwenting 于 2011-3-15 07:30 编辑
国文学者の歌人、窪田空穂(うつぼ)は関東大震災の直後、甥(おい)の安否を尋ねて東京市中を歩いた。目にした惨状を克明に、一連の歌に残している。〈妻も子も死ねり死ねりとひとりごち火を吐く橋板踏みて男ゆく〉。あるいは〈梁(はり)の下になれる娘の火中(ほなか)より助け呼ぶこゑを後も聞く親〉
日本文学者歌人--窪田空穂在关东大地震发生后为了打听外甥是否平安而走遍了东京市,并在一系列和歌中细致地描写了自己目睹的惨状。<妻儿遇难 孑然一身的男子踏上冒火的桥板><被压在梁下的女儿被火焰包围 双亲彷佛还能听到她的求救声 >
▼88年前に被害を甚大にしたのは燃えさかる「火」だった。今回は津波による「水」である。時は流れて科学も技術も進歩した。だが、自然の猛威を前にした人間の小ささは変わらない。愛(いと)しい人を亡くした人の悲しみにも、変わりのあろうはずがない
88年前导致受害甚为严重的是熊熊燃烧的“火”。而此次则是海啸所带来的“水”。时过境迁,无论是科学还是技术都取得了进步。然而,在凶猛的自然面前,人类还是一如既往地弱小。失去至亲的悲痛,也不可能发生改变。
▼亡くなった人は宮城県だけで「万」にのぼる見通しだという。市街地ばかりでなく、各所で小集落が根こそぎ消えた。「全滅」という言葉を今回の取材で何回聞いたことか、と被災地に入った記者が書いている
预计仅宫城县就会出现“上万”的遇难者。不仅是市区街道,连各处的小村落都消失的无影无踪。进入受灾地采访的记者写道:这次采访中,“尽毁无余”这个词已经停了不知道多少次了。
▼おののくような数字の一つ一つに、空穂の歌の悲嘆があろう。記事は伝える。病気の息子を連れ出せなかった老親。仕事から戻る夫のために、むいたリンゴを残して濁流に消えた妻――。数字は、ただの数字ではない
令人战栗的一个个数字中,都含有空穂所写和歌的悲叹。新闻报道传达的事实:年迈的父母未能带生病的儿子逃离出来。妻子为下班归来的丈夫削好苹果,自己却消失在浊流中……数字不仅仅是数字。
▼気象予報によれば、被災地は今日からいっそうの寒さに見舞われるという。三寒四温の「三寒」がこれほど恨めしい春はない。日本全体の試練である。物心の苦難を分かち持つ決意が私たちに要る
据天气预报报道,受灾地区今天会出现降温。这个春天,三寒四温的“三寒”尤为可恨。这是对整个日本的考验。我们需要抱有同甘共苦的决心。
▼紙の墓碑を思わせる東京の紙面にきのう、被災地で生まれた赤ちゃんの記事があった。〈子どもはなおもひとつの喜び/あらゆる恐怖のただなかにさえ〉。谷川俊太郎さんの詩の一節を思い浮かべた。命の微笑を、力に変えたい。
被看作纸墓碑的东京报纸上昨天刊载了受灾地区出生的婴儿的报道。让我想起了谷川俊太郎的一句诗,<孩子更是一大欣喜 即便正面临所有恐惧>。希望能将生命的微笑化为力量。 |
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