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本帖最后由 yanwenting 于 2011-3-17 12:13 编辑
行く川の流れは絶えずして……の「方丈記」は、達意の筆で無常をつづる。著者の鴨長明(かもの・ちょうめい)は平安末から鎌倉初期の人物。若いときに竜巻や飢饉(ききん)、地震といった災害を続けざまに体験した
逝川流水不绝……《方丈记》以传情达意之笔书写着无常。作者鸭长明生活在平安末至镰仓初期。年轻时接二连三地遭遇龙卷风、饥荒、地震等灾难。
▼1185年の元暦(げんりゃく)の大地震を克明に記している。「山はくづれて河を埋み、海は傾きて陸地(くがち)をひたせり」「家の内に居れば、たちまちにひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く」。そして、様々な天災のうちでも「恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震(なゐ)なりけり」と書き残した
他细致地记录了1185年元历时的大地震。“山崩河埋,海水倾斜浸漫陆地。”“呆在家里,随时有被挤压成碎块之惧。跑到屋外,地面裂得不成样子”。然后作者又写道在各种天灾之中“恐惧之中最恐惧者莫过于地震吧”。
▼その長明が「なごり、しばしは絶えず」とおびえた余震が、いま、東日本を不気味に揺さぶっている。テレビ映像はたびたび途切れて、緊急地震速報に変わる。長野と静岡では震度6強の地震が起きた。そんな中で原発が煙を噴き、被災地は雪に凍える
鸭长明所惧怕的“不曾间断”的余震此刻正在可怕地摇晃着东日本。电视机的图像屡屡被切断,改播紧急地震预报。长野和静冈发生了6点多级的地震。这种情况下,核电站喷烟,受灾地区遭遇雪冻。
▼悲嘆と恐怖が被災地を包み、首都圏は停電の不便を忍ぶ。西日本とて不安に包まれていよう。だが勇気づけられる話も多く聞く。大げさな行為でなくとも、たとえば声欄にも、胸に灯のともるような投書が届く
悲叹和恐怖包围着受灾地区,首都圈的人民忍受着停电带来的不便。就连西日本也处于不安之中。然而,我还能听到很多能让人鼓起勇气的事迹。尽管不是什么大事迹,但是专栏还是收到了能让人燃起希望之灯的投稿。
▼帰宅難民であふれた東京で、配られた毛布をお年寄りに譲った若い女性。タクシー待ちの長蛇の列に、「しているだけで少しは暖かいから」とマスクを配っていた女性2人。ささやかな、ゆえに尊い、分かち合いである
东京到处都是难以归家的难民,年轻女性把发下来的毯子让给老年人。在等待出租车的长队中,“因为带上能够稍微暖和点”,两位女性向大家发放口罩。这同甘共苦的精神微不足道,故而弥足珍贵。
▼「人とはなんて美しいものだろう、人が人であるときには」。古代ギリシャにこんな名文句があった。黙々と耐える被災地。一条の光さえ見えない方も多かろう。近くからも遠くからも、私たちは「人である」ことで励ましたい。
古希腊有这样一句名句“人是多么美啊,当人身为真正的人时”。默默忍受着的受灾地区。也许有很多人连一丝光都看不到吧。无论是近还是远,希望能用我们都是“真正的人”这句话来共勉。 |
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