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非常时期的“日常”
2011/3/31
1945年6月といえば、終戦の2カ月前である。焼け野原の東京に、ベートーベンの「第9」が響いたという。日本交響楽団が日比谷公会堂で開いた演奏会だ。テノールの木下保は「日本はまだ大丈夫だ」と戦地に手紙を送っている。
1945年6月,那是二战结束前两个月。据说在一片焦土的东京,这个时候居然还响起贝多芬第九交响曲的乐声。那是日本交响乐团在日比谷共会堂举行演奏会。男高音木下保还给战地发了封信说:“日本还没垮。”
戦時中は音楽会も芝居も町内のお祭りも、すべてが消えた――。後世の私たちはそう思いがちなのだが、じつは多くの催しが健在だった。杉村春子がのちの代表作となる「女の一生」を初めて演じたのは、なんと東京大空襲の翌月だ。東京・浅草では、終戦直前の夏も焦土の上に恒例のほおずき市が立ったという。
战时,音乐会啊、演出啊、市里举办的活动什么的,全都没有了——。我们后世的人大都这么认为。但其实当时很多活动都在举办。后来成为杉村春子代表作的《女人的一生》,首次公演居然就在东京大轰炸后的第二个月。在东京浅草,据说在战争马上要结束的那个夏天还在一片焦土上举办了每年一度的酸浆节。
こんどの大震災は、さながら戦争のように「日常」を奪っている。被災地への心配りと、節電への協力で様々なイベントの中止が相次ぐ。とても楽しめる気分じゃない、のも確かだ。が、こんなときの「日常」が人々を勇気づけることも心に留め置こう。空襲下の「第9」も「女の一生」もそうだったに違いない。
这次大地震宛如战争一样夺去了我们的“日常生活”。考虑到受灾地区人们的心情以及为了省电,很多活动都相继取消。的确,现在不是一个可以纵情玩乐的时候,不过,我们也不应该忽视,这个时候的“日常生活”是可以给大家增添勇气的。空袭下的《第九交响曲》和《女人的一生》一定也起到了这样的作用。
あちこちから花だよりが届き始めた。今年は桜祭りも取りやめのところが多いというが、ドンチャン騒ぎは別として花に酔ういつもの春はあってもいい。作家の池波正太郎が書いている。軍隊にいた池波は、故郷のほおずき市が焼け跡で開かれたのを母親からの手紙で知った。そのとき、生きる希望を得たのだと。
樱花绽放的消息开始从各地传来。据说今年很多地方的樱花节也取消了。只要不是锣鼓喧天,像往年一样流连于花海之中其实也不错。作家池波正太郎的一篇文章里这样写道:身在军队中的我,收到母亲的来信,告诉我家乡的酸浆节在战火燃烧后的废墟上举办了。那一刻,我获得了生存下去的希望。 |
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