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本帖最后由 chenjinyongy 于 2011-4-5 21:24 编辑
ティッシュは今の日常の生活ではもう欠かせない物になっている。鼻をかむ時、トイレに行く時などいろいろなところに使われている。もしある日ティッシュがなくなったら皆さんの生活はどうなるだろうか。D1クラスの皆さんに聞いたところ、「ううん、想像できないなあ」とか、「生活はこれまでのように続けられなくなるかも、やっぱり消えないでほしい」との返事だった。私はというと、消えるどろこか、恐らくティッシュのない日が一日さえ我慢できない。
貴方にもこういう経験がないだろうか。風邪をひいたのに、ティッシュを持っておらず、周りの人たちも見知らぬ人ばかりで、しかも、バス中のため売店に買いに行くこともできない。一生懸命鼻水を啜りながら、鼻水を垂らさないようにと頑張っていた。何というつらく情けない事だろう。その気持ちは実際に体験しないかぎり、分かるわけがないと思う。薄くて柔らかく便利なティッシュ。こんな素敵なものがあるだろうか。
ところで、ティッシュのように普段は当たり前の存在で気にも留めないが実は必要不可欠なものはいっぱいある。普段はそんなものは別にいいよ大したものではないと思うのだが、使えなくなって初めてそれがないと生きられない自分に気が付くのだ。
経済が発展するに従って、現代人の生活様式もすっかり変わり、携帯電話、パソコンのようなものが次々登場して、私たちの日常生活にたいへん役に立っているのである。バスに乗っては、よくこんな光景が目に入っている。「メールを送っくている若者、携帯やMP4で音楽を聴いてる中学生、携帯でインターネットに登録する女子高校生までもいる」。昔中国には「家では両親が頼り、外では友達が頼り」という諺があった。今のこの状況は、言うならば「家ではパソコンに頼り、外では携帯に頼り」と言ったほうがいいのではないか。経済が発展すればするほど、私たちの生活は電子製品などに縛られていくのである。毎日パソコンや携帯の世界に夢中になって、一日だって離れてはいられない。人間の手でそういう物を作ったのに、かえって自分が製品に縛られるなんて皮肉な事ではないだろうか。
なぜこんな状況になってしまったのか。人と人のコミュニケーションがなくなったのは原因の一つであろうと思われる。コミュニケーションというものは子供の世界にせよ、大人の世界にせよ、欠かせないものだが、現に世の中の若者は直接人と接触するのより、インターネットや携帯で見も知らぬ人たちとコミュニケーションするほうが楽しいことだと思っているようだ。確かに、普通に会う人たちとは思いがけず再会する可能性があるし、自分のことを詳しく知っている人たちと話すのは恥ずかしくて、怖い事かもしれない。だからこそ、多くの人たちがインターネットの見知らぬ人たちと日々の生活について話すことを楽しんで、それをストレスの解消に役立つ方法のひとつだと思っているのだろう。今日たくさんの人たちがコミュニケーション能力の不足に悩んで、人と話すことさえ恐れている。コミュニケーション能力の問題は彼らの生活にも影響を与えて、勉強でも仕事でも、コミュニケーションのせいで、なかなかうまくできない。
コミュニケーションとともに消えてしまった物がもうひとつある。家族との結びつきである。学校から帰ったとたんに、パソコンをつけて、インターネットの旅をはじめてしまい、毎日自分の部屋に閉じこもって、ご飯の時だけ「お母さん、ご飯できた」と自分の親を出前扱いしている。家族の結びつきだけでなく、外の世界との結びつきもだんだん切れそうになっている。人間の開発した商品が次々出てきて、人々もその冷たい発明とともに毎日を過ごしているのだ。元々私たちの遊び道具だったそれらに、いつの間にかかえって私たちの方が「遊ばされて」しまっているのである。
ティッシュにせよ、電子製品にせよ、どんな物でも頼りすぎると、かえってあなたの邪魔になってしょう。それは私たちが物を使う時に覚えておくべき事である。
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