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楼主 |
发表于 2011-6-10 12:32:43
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少なくとも、自分にとっての基準は母親だ。しかし、彼女よりも優れた人間に、未だかつて、会ったことがない。つまり、自分の周囲には、死んだら惜しいと思う人間は誰一人いないということだ。そこには、残念ながら父親も含まれる。田舎の電気屋の店主らしく、陽気で快活、それだけだ。嫌いではないが、生きている価値があるとは思えない。
どんなに聡明な人間にもスランプの時期はある。本人に落ち度はないのに、他者から迷惑を被るというツイでいない時期もある。母親が父親に出会ったのは、まさにそんな時期の真っ只中だった。
帰国子女であり、日本のトップクラスの大学の博士課程で電子工学を専攻していた母親は、自身が進めてきた研究の最終段階で大きな壁にぶちあたってしまった。その上、時を同じくして、交通事故に遭ってしまう。
学会でこの地方の国立大学を訪れた帰りのことだった。東京行きの夜行バスが、運転手の居眠りで、崖に衝突してしまったのだ。死傷者が十名以上も出るという、大惨事だった。そのとき、顔面を強打し、気を失いかけている母親を車外に連れ出し、最初に到着した救急車に乗せてくれたのが、同じバスに乗っていた父親だった。彼は学生時代の友人の結婚式に向かう途中だったそうだ。
それをきっかけに二人は結婚し、自分が生まれた。いや、順番は逆だったかもしれない。課題を残したまま、博士課程を修了した母親は、磨き続けてきた才能を生かすことなく、この田舎町にやってきたのだ。
それは、ある意味、彼女のリアビリ期間だったのかもしれない。
徐々に寂れていく商店街の電気屋の片隅で、母親はいつも自分に、彼女の持っている知識のほんの一部をわかりやすく教えてくれた。時には、小さな目覚まし時計の蓋を開いて、時には、大きなテレビを解体して、発明には終わりがないのだ、ということを語り続けてくれた。
「修ちゃんは、とっても頭のいい子。ママが果たせなかった夢を託せるのは、修ちゃんだけよ」
そんなふうに言いながら、断念してしまった研究を、小学校の低学年の子供でも理解できるように、繰り返し説明しているうちに、何か閃くものがあったのかもしれない。母親は父親に内緒で論文を書き上げ、それをアメリカの学会に送った。自分が九歳のときだ。
しばらくすると、母親がいた研究室の教授だという男が、彼女に大学に戻るよう説得にきた。隣室で聞き耳を立てていた自分は、母親がいなくなってしまうかもしれないという不安よりも、彼女を高く評価してくれる人がいるという喜びの方が優っていた。
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