日本とほかのアジアの国々との「距離感」が変容しているのではないか、しばしばそう思うことがある。特に二十代、三十代の日本人と話していると、アジアに出かけることと日本国内の見知らぬ土地へ行くこととの感覚的な違いが、ほとんど見出せない。私は、アジアで出会う日本人たちに必ずカルチャー・ショックについてたずねることにしていたが、
「一番びっくりしたのは、カルチャー・ショックがぜんぜんなかったということなんです」といった答えの多さに、かえってこちらのほうがカルチャー・ショックに似たものを感じるほどだった。韓国や台湾に住む日本人は、冗談めかしてこんなことを言う。
「ここから日本までの飛行時間よりも、成田空港から実家までの時間のほうがよっぽっどかかりますよ」
こうした距離感の短縮は、文化的距離感の「短縮」に直接結びついている。私見だが、徒歩や船での移動しか知らない歴史をごく最近まで生きてきた人類には、移動の速度の急激な変化に伴う感覚のずれが、無自覚のうちに生じているのではないか。
問題:「カルチャー・ショックに似たもの」はどんなものか。
1アジアに出かけることと日本国内の見知らぬ土地へ行くこととの感覚
2日本とほかのアジアの国々との「距離感」が変容していること
3カルチャー・ショックがぜんぜんなかったという答えの多さ
4韓国や台湾に住む日本人が、冗談めかして言ったこと
这道题选的是3,为什么不选1或者是2? |