口をとがらせて不服そうに言ったが、私は泣きそうになっていた。いやな冗談だ、と思った。蕗子さんはロープをしばり直し、身軽に土を蹴って上がってくる。他の人が落ちないように、私たちは章吾の体操着袋が手に入るまで、そこにすのこをのせておくことにした。
帰り道、蕗子さんはいつにもまして上機嫌だった。重大な任務を遂行した人のようにすがすがしい解放感にひたり、歩きながら目を細めて、ぼそぼそとはな歌さえうたった。その蕗子さんの横を少しはなれて歩きながら「私たちは一度も手をつないで歩いたことなどない。これは、私が蕗子さんとの友情について自慢できることの一つだ」、反対に私はどんどん憂鬱になった。復讐など気が重い。毎晩布団の中で残酷な想像をふくらませ、もう十分だったのだ。私の中で、小羊の逆襲はすでに終わっていた。
三ヶ月分の家賃を滞納したまま蕗子さんがいなくなったのは、それからすぐのことだった。もともと荷物らしい荷物もなかったが、それにしても見事な去り際で、私たちはみんな唖然とした。私は、彼女がすのこの下に隠れているような気がして探しに行ったが、穴はきちんと埋めたてられていた。私は大いそぎで用務員室に行き、穴を埋めのが用務員さんかどうか問いただした。
「穴?穴って何の穴だい」
眼鏡をかけた用務員さんが、やかんのお湯をポットに移しながらきょとんときき返し、とたんにいやな予感がした。血の気がひく、というのはああいうことをいうのだと思う。私は家に駆けもどり、息をあえがせながら、蕗子さんは土の中で冬眠してしまったのだ、と母に訴えた。当然のことながら母は全く信用せず、私は仕方なく、一人で蕗子さんを発見すべく連日穴を掘った。もちろん、いくら掘っても何もみつからなかった。
母は激怒していた。家賃のことよりも彼女の出て行き方「後脚で砂をかけるような、と母は言った」に腹をたてており、おとし穴のことは母の神経を逆なでした。おとし穴など危険千万だし、幼い娘に復讐だの逆襲だの人を傷つける手ほどきをしたり、あげくの果てに冬眠などとでたらめをふきこんで、一体どういうつもりなのだ、というのだ。子供を手懐けるなんて、と言って母は憤怒の表情をうかべた。しかし、すべてはあとの祭で、大学に問いあわせると、蕗子さんはすでに退学手続きをとっていた。部屋の中を探したがお金も手がかりも一切なく、しばらくやっきになって行方を調べていた母も、結局あきらめざるを得なかった。まるで、最初から蕗子さんなんて存在していなかったみたいに、世の中は普通に平和に動いていたし、私と母は二人きりの生活に、ちゃんと慣れていった。
私は、蕗子さんの短い髪やめったにみせない笑顔、低い声や澄んだ目をよく覚えている。無愛想なほど単刀直入な物言いも、相手がとまどって目をそらしてしまうくらい正直な視線も、ありありと思い描ける。たぶんそこで元気にやっている、と思う。あれからずいぶんと時間がたち、私は、あのときの蕗子さんとおなじ、二十六になった。 |