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本帖最后由 yamoli 于 2014-10-4 15:36 编辑
水曜の午後ピクニック(4)
彼女のおいたちについて、僕はくわしくは知らない。誰かが教えてくれたような気もするし、ベッドの中で彼女自身の口から聞いたような気もする。高校一年生の夏に父親と大喧嘩して家を(ついでに高校を)とびだした、たしかそんな話だ。いったい何処に住んでいるのか、何で生計を立てているのか、誰も知らなかった。
她以前的经历,我并不太清楚。好像是谁告诉我的,也有印象是在床上从她的口述听到的。在高中一年级的夏天,她和父亲大吵一架之后就离开家跑到学校。也就只知道这一点。到底现在住在哪里?靠什么来生活?这些谁也不知道。
彼女は一日中ロック喫茶の椅子に座って何杯もコーヒーを飲み、際限なく煙草を吸い、本のページを繰りながらコーヒー代と煙草代(当時の我々にとってはちょっとした金額だ)を払ってくれる相手が現れるのを待ち、そして大抵はその相手と寝た。
在一天之中她一直坐在喝咖啡的椅子上,喝几杯咖啡,无限制地抽烟,一边不停地翻着书。她期待着替她付咖啡钱和烟钱(当时这些钱对我们来说是微不足道的)的人出现,而且付钱之后就和那付钱的人睡觉。
それが彼女について僕が知っている全て(すべて)だった。
这就是我所知道的她的全部。
その年の秋から翌年の春にかけて、週に一度、火曜日の夜に彼女は三鷹のはずれにある僕のアパートを訪れるようになった。彼女は僕の作る簡単な夕食を食べ、灰皿をいっぱいにし、FENのロック番組を大音量で聴きながらセックスをした。水曜の朝に目醒めると雑木林を散歩しながらICUのキャンパスまで歩き、食堂に寄って昼食を食べた。そして午後にはラウンジで薄いコーヒーを飲み、天気がよければキャンパスの芝生に寝転んで空を見上げた。
从那一年的秋天到第二年的春天,每周一次,星期二的晚上就请她到三鹰旁边的我的公寓去。她吃我做的简单的晚饭,用烟头把烟灰缸塞满,用大音量一边听着FEN节目一边和我睡觉。到星期三早上醒来去杂木林中散步走到学校,然后在食堂吃午饭。午后在休息室少量喝点咖啡,若天气好就躺在校园的草坪上仰望天空。
水曜日のピクニック、と彼女は呼んだ。
她把这叫做星期三的郊游。
「ここに来るたびに、本当のピクニックに来たような気がするのよ」
“每每来到这里,就让人觉得才像真正的郊游。”
「本当のピクニック?」
“真的像郊游?”
「うん、広々として、何処までも芝生が続いていて、人々は幸せそうに見えて……」
“是的,这么宽广,走到哪里都有草坪连着,看起来人们是多么的幸福。”
彼女は芝生の上に腰を下ろし、何本もマッチを無駄にしながら煙草に火を点けた。
她坐到草坪上,无聊地划着几根火柴点着香烟。
「太陽が上がって、そして沈んで、人がやってきて、そして去って、空気みたいに時間が流れていくの。なんだかピクニックみたいじゃない?」
“太阳升上来,接着又沉下去;人走过来,然后又匆匆离去。就像空气流动那样时间在流失着。这不像是在郊游吗?”
その時僕は二十一歳で、あと何週間かのうちに二十二になろうとしていた。当分のあいだ大学を卒業出来る見込みはなく、かといって大学をやめるだけの確(かく)たる理由もなかった。奇妙に絡みあった絶望的な状況の中で、何ヵ月ものあいだ僕は新しい一歩を踏み出せずにいた。
那时我21岁,再过几个星期就要22岁了。在那段时间大学要毕业的可能性几乎没有,虽然如此但停止上学的理由也并不充分。在奇妙的紧密相连的绝望状态中,在后来的几个月中我不会迈出新的一步。
世界中が働きつづけ、僕だけが同じ場所に留まっているような気がした。一九七〇年の秋には、目に映る何もかも物哀しく、そして何もかもが急速に色褪せていくようだった。太陽の光や草の匂い、そして小さな雨音さえもが僕を苛立たせた。
世界在不停地运转中,而只有我留在原地一动不动。在1970年的秋天,映入眼中的所有东西都那么可怜,而且所有的东西都在那么快速地腿色。太阴的光线、草的芬香还有就连那小雨声都让我急不可耐。
何度も夜行列車の夢を見た。いつも同じ夢だった。煙草の煙と便所の匂いと人いきれでムッとした夜行列車だ。足の踏み場もないほど混みあっていて、シートには古い反吐がこびりついている。僕は我慢しきれずに席を立ち、どこかの駅に下りる。それは人家の灯りひとつ見えぬ荒涼とした土地だった。駅員の姿さえない。時計も時刻表も、何もない――そんな夢だった。
我做过几次在夜行列车上度过的梦,而且总是相同的梦。夜行列车中充满了香烟所冒的烟和厕所的臭味,很闷热,让人憋得慌。车内连落脚的地方都没有,非常拥挤。在座位上还黏着以前的呕吐物。我实在无法忍受,离开座位,在一个车站下了车。在那里看不到一个人烟的灯光,十分荒凉。也看不到车站的工作人员。连时钟和时刻表都没有,什么也没有。就是这样的梦。
そんな時期に、何度か彼女に辛くあたったような気がする。どんな風にあたったのか、今となってはうまく思い出せない。あるいは僕が僕自身にあたっていただけなのかもしれない。しかしいずれにせよ、彼女はそれが一向に気にならない様子だった。あるいは(極端に言うなら)それを結構楽しんでもいた。何故だかはわからない。結局のところ彼女が僕に求めていたのは優しさではなかったのだろう。そう思うと、今でも不思議な気持ちになる。空中に浮かんだ目に見えぬ壁にふと手を触れてしまったような悲しい気持ちになる。
在那段时间里,对她也有几次不痛快地发过脾气。具体是什么情况,到现在已回想不起来了。或者也许只是我只对我自身发脾气。但是她总是完全无所谓的样子。或者(极端地)说,她也正乐意出现那种状态。并不明白是什么原因。到最后她企求的也并不那么恳切。现在这样一想都有点不可思议。就像用手摸到悬浮在空中但却又看不到的墙壁那样,很悲伤。
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