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发表于 2005-6-20 17:42:09
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何の面目あってか之を見ん - [& c+ N. v+ N* S& B/ g4 V
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漢の高祖の五年(BC.202)、漢楚の争いは大詰めに入った。項羽は垓下
( ]. S2 I8 Q& C1 R" V! D" W& |, B4 fに追いこまれて、「四面楚歌」をきき、ついに劉邦(高祖)の前に力尽き
e2 C# O% z E$ t: _& |$ p, t; i& Kた。
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S5 v/ P9 y+ `* D ~7 V 虞美人と別れ、愛馬の騅にまたがり、わずか八百余騎で囲みを突破し8 F" U3 N3 C4 x$ m
た項羽は、やがて二十八騎になったのを見て、最後の決意をかためてい" y+ q+ v, i7 N( o
たが、臨淮で漢軍をかきまわしたのち、いつしか、南へ南へと向かって2 R) I: U# A" z7 J
いる自分に気付いていた。やがて、長江の北岸に出た。烏江を東へ渡ろ
$ g" c1 `. n( ?0 Mうとしたのである。渡ればそこは、自分が挙兵した江東の地であった。. J2 s3 S) _2 I+ [
そのとき烏江の亭長が舟をつけて、かれを待っているのが眼に入った。0 w! L/ T$ W$ g# l! y! M# _2 n
その亭長は、項羽を見ると言った。! ~, z) d+ n: S% s5 }- f
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「江東は、天下からみれば、小そうございますが、
! [0 E* \! {5 F2 y) \ 地方千里、民惺颉/ ]- _( b6 {1 ]& a; m
なお王たるに足りるところです。
( Z# L8 h" q, g# i$ A, Q0 U どうか大王には、いそいでお渡り下さい。
$ P' G2 C+ {; Z* I0 X' m 他に舟はございませんから、
: c* V0 ^; x# Q/ @/ b N% I: e; J8 b0 } 漢軍が追いつきましても、渡れません。」
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: I" P( A; z9 S7 e, M- b1 i& } すると項羽は珍しく笑って、それをことわった。5 x& G( }# L4 f/ {: k9 r- g+ o
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「もはや、天が自分をほろばしたのだ。
: G( m! @) A! G 自分は渡らんぞ。( Y4 z1 K5 n! Z( C& }! o
そればかりではない。- d" a8 L* P$ F1 e( `
八年前、自分は江東の子弟八千人と、* @5 t& |+ k3 U Z! T8 d
この江を渡って西に向かったが、
! Q, S5 i- T$ }/ h* y いま自分と帰るものは一人もいない。
) s& K M) N1 N" V; M2 ?& ` たとえ江東の父兄があわれんで王にしてくれても、: v! F, S4 z# c7 l
どうして会わせる顔があろう。(我、何の面目あってか之を見ん)」2 z" M2 M' Q# b* e" R
# c: t1 r; Q3 H$ \7 H w, ?4 U. k 項羽は、漢軍のはげしい追撃をうけて、苦戦の余り、江東に心ひかれ
1 b4 E5 V( F! }. M- e# p+ Oてそこまで来た自分を恥じたのであろう。数年前、咸陽を陥れた時、
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「澶蜃扭埔剐肖绀贰筡
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と言って故郷へ帰った自分が、いまは単騎、戦塵にまみれ、尾羽うち
; q/ a7 M; o4 g6 s- l枯らし、逃げまわっていることを思い知ったのであろう。4 a, K3 Z' C7 l0 j$ l
# M5 C6 ?8 B1 A3 D9 |8 @6 w8 W- J 「何の面目あってか之を見ん」、それはいかにも戦国の覇王が自分に4 z' [% x4 V" f& N
言いきかせるのに、ふさわしい、最後の言葉であった。
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! ] d6 P: O/ b: d3 c' a+ y6 ~* b 項羽は愛馬を亭長に与えると、もはや心残りもなく、むらがる漢軍の1 F3 a: z2 [) `8 x% S/ r0 w
中へ斬り込んでいった。数百人を殺したのち、漢軍の中に旧友を見つけ
i. [% g! D- F! f+ @8 `( G5 ]た彼は、1 j' Z( B5 \# s1 m
( Q' S4 ^: J! c7 D4 g" D1 L 「自分の首を切って、ほうびをもらえ。」
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そう言って、みずから首をはねて死んだ。まだ三十一歳の若さであっ- G/ p# \/ K& T: Q2 r
た。その首には、千金と万戸の邑の賞がかけられていた。むらがる漢兵
: L. |5 K, X1 v. H0 l# Pのため、身体はバラバラにされた。奪い合いで数十人の者が同士討ちを5 E5 p3 w) Q6 d
して死んだ。バラバラの死体は再びつなぎ合わされて、項羽の死体であ" }# b4 K2 h, v
ることが確かめられ、それぞれ賞の領地を与えられた。
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) m. a1 G8 [- x' a1 _; p+ M. E その風景は、「何の面目あってか之を見ん」と言った項羽の言葉とい$ V* |: y4 ^: c$ _& l
ちじるしく対照的であった。腸をどろりと出し、ゴロリところがされ、
0 }3 V: C; e( x5 Q( Z2 gつなぎ合わされた、異様な死体は、十二月の寒風に吹きさらされて、浅
! C% q3 l n# k2 dましい人間の世界を嘲笑しているように見えた。
1 V, r& l h. G7 ? (「史記」項羽本紀) |
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