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发表于 2005-6-20 14:42:00
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年々歳々花相似たり 5 D0 S# i+ x# F' H% w. ~0 q& I
$ b/ i% V P1 c8 {. w8 a 初唐の頃の詩人劉廷芝は、詩を作ろうとして苦吟していた。
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「今年花落ちて顔色改まり、明年花開くとき復た誰か在る」
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- K9 `) g1 \, N8 K という句を得たが、あんまり縁起のいい句ではなかったので捨てよう V3 I1 k8 f* U
とした。しかるに更に頭を捻っている内に、こんどは、
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' N* j, u' D( M+ m" u1 \, C& \: H 「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」
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という句を得た。《ふむ、この句があるなら前の句も並用して活きて' \6 ] E$ j3 z8 `
くるわい》 というわけで、この二つの区を中心にして作り上げたのが
; y6 D! D" C& F' y* w有名な、「白頭を悲しむ翁に代わる」と題する下の詩である。+ n( V8 v( b/ {! f D
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洛陽城東桃李の花; }. p8 C/ X# V
飛び来たり飛び去って誰が家にか落つる: k) v' F! N0 Z0 l
洛陽の女児顔色を惜しみ! P5 c& l% O3 \- {7 U
行く行く落花に逢って長く嘆息す
3 U* P: q; v! a* b 今年花落ちて顔色改まり- u6 a0 N6 _3 a1 `' {
明年花開くとき復た誰か在る
) z& u/ o2 I' \; D 己に見る松柏の摧かれて薪と為り. n. k, ]( ~! O' w1 p3 ]! z
更に聞く桑田の変じて海と成るを9 s0 ]6 ?9 G. ?9 W9 p
古人復た洛城の東に無し" r$ w* z" k i; h) E! Y1 l3 ^
今人復た対す落花の風; H# f4 S, t/ K! p8 Z" n
年々歳々花相似たり0 E4 z e" T9 R% |8 E: Q
歳々年々人同じからず' I; ?$ }4 q$ k
言を寄す全盛の紅顔子" e/ ~6 ^: N! c5 u& a* P
応に憐れむべし半死の白頭翁 (後略)
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ここらあたり洛陽の城東は今春の初めで、桃や李の花盛り、
/ p0 b c$ [1 \4 d: @. Z その花びらが、風のまにまに、どこかの家へ散ってゆく。道を3 T1 Z& ^$ j& |7 v
行きながら、洛陽の女が、散り落ちる花を眺めて、ホゥッと深 k& x$ X3 o$ ^* z# X, i: a" ^
い溜め息をもらしたが、年とともに衰えてゆく容色をいとおし
4 _0 t3 k, F6 K) O! b8 b んでのことであろう。考えてみれば、今年こうやって花が散り
8 l' e5 `9 L& b, V' ]8 Q9 _$ u" r 落ちれば、それだけ私達も容色が衰えてゆく理であって、来年
- Y4 s) k& L) t o0 w 再び花開くとき、今年この花を見た人々のうち、誰が生き残っ1 r( J5 Z4 N* _; T' @
ていることだろう? 古人は、「墓標にと植えてあった松や柏, D, r J" T; h! t4 z2 r( G
のような常緑樹さえも、いつしか薪に伐られ摧かれ、墓所のあ9 C% T7 ` q2 n; A4 r6 R9 p5 H$ P; x
りかも解らなくなってしまった」と嘆いているし(漢代の作、1 M4 d6 E9 z( w6 T7 S1 b
古詩十九首中の句)、更に、「かつては桑田であったところが、
% B* F) T1 ?; W2 |3 m, i; w7 u5 F いつしか海となり、海となったところが、いつしかまた桑田と2 o' [ y9 w9 k2 P7 p3 D1 H w9 G
なり、僅かな間に三度も変わった」(晉・葛洪作「神仙伝」)
2 C0 ^+ j4 T( U( w- j) W" |, G という嘆声も聞いているが、まことに、常住不変のものは何も
1 k, b( q6 }4 D! _6 R8 m! b ないのだ。現に、洛陽城東でこの桃や李の花を楽しんでいたで
5 b+ t6 e. \" V$ P* N あろう古人は、今はもう誰もいず、ただ、今の人たちばかりが、
6 B$ @! Q* m# v) ^5 O0 F0 l 古人と同じように、花を散らすこの風に対しているだけなので
3 ]( [1 n0 j# M% N7 h4 P, R ある。年々歳々花を見る人の方は替わってしまう。―――そこ
3 `, W6 ^6 z# Z2 Q+ Q1 s% M% s7 Q$ M で、今を盛りの紅顔の少年諸君よ、その髪は諸君と同じように
$ R, _; |8 ~$ g. E 紅顔の少年であったこの人、今や死期も間近いこの白頭の翁は、/ |# c! D4 o' |& M
まことにお気の毒ではないか、0 ^1 [6 L/ I% o1 g) a- Y
諸君はそうは思わないだろうか?)
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4 n9 s$ A/ E. F と、老いの哀しみと人生のうつろいやすさを嘆いている。ところがこ( X7 P2 \0 f7 t6 I1 ^) R/ J) o9 z
の詩は劉廷芝の作ではなく、その舅の宗之問の作であるという説があっ" N+ [$ J5 I% x5 H
て、それにはこんな話がある。
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, h/ w' J) D1 B0 I. w 「年々歳々花相似たり云々」の句を廷芝が作って、まだ誰にも見せて4 l7 `* ^/ e) u- i+ x
いないことを知った舅の宗之門は、この句にすっかり感じ入っていたの+ y: \' i, x; h8 p- ~; A
で、密かに廷芝にこの句を譲ってもらいたいと申し込んだ。廷芝は舅の% b+ y& \8 H1 V7 [( n& m: t# x
ことであるし、一度やむなくこの申し出を承知したが、しかし結局は譲) [+ K8 T7 Y# r0 h/ Z1 K
ろうとしなかった。宗之問は恥を掻いた上、約束を破られたというので
5 t, p/ z/ b: R4 vカンカンに憤って、ついに廷芝を土嚢でもって圧殺してしまった。, B* i/ N5 [5 g9 i7 |* T
(「唐才子伝」)
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2 { O/ p; T% z) | というのである。2 z3 {6 c6 O: f% e- z! ?5 c5 f/ ^, [
3 s2 B: T3 n/ F. f この説は何処まで信憑性があるか疑わしいが、昔からこの名詞句にま0 E+ R; @7 R1 Q$ q% l/ Z* r. P
つわる一つのエピソードとして見るならば興味がある。なお宗之問作と d( d, j5 R4 g7 V* B* E
されるものは、第三句「洛陽」が「幽閠」、第四句「行く行く見る」が
- s, n0 [' t! d' \+ N「坐して見る」など、数カ所に亘って字句の異同がある。, @8 F. x6 A( e2 b( C- q( W/ z ^; F
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