|
羽ばたくチョウの絵に詩が添えられている。「チョウが はねを うごかすと/くうきも いっしょに うごく。(略)きみが いま/すいこんだ くうきの なかにも/いつかの アゲハチョウの はばたきが/はいっていた かもしれない」(『くうきのかお』福音館書店)。
90年に来日し、日本語で詩を書いている米国人、アーサー・ビナードさんの詩の一節だ。近著『日本語ぽこりぽこり』(小学館)が、講談社エッセイ賞に選ばれた。
4年前には『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞を受けた。幼い頃、よく魚釣りに連れていってくれた父を、ミシガン州の思い出の川で追憶する。
「ものは少しずつ姿を消し 記憶も/いっしょに持ち去られて行くのか。(略)記憶は ひんやりとした流れの中に立って/糸を静かに投げ入れ 釣り上げては/流れの中へまた/放すがいい」。透き通った表現の中に、生あるものの哀(かな)しみと躍動とが宿っている。
本紙の東京本社版の夕刊などに連載中のコラム「日々の非常口」では、時に、辛口の言葉を投げかける。先日のテーマは総選挙だった。
米国の大統領選では、国民は共和党か民主党かという二者選択のシャワーを浴びせられ、議論が深まらないようにしむけられる、と語る。「日本における二大政党への流れを、『民主主義の成熟した形』などといって、耳に聞こえがいいが、米国人としての体験からいうと、『民主主義の行き詰まりの形』だ」。今も、米国の投票権を持つ。大統領選では毎回、国際書留郵便で一票を送る。
在蝴蝶图中,写有这样一段诗“蝴蝶轻轻地扇动翅膀,空气也随之流动。(略)在你吸入的空气中,也许有几只凤蝶已消消地扇动翅膀飞了进来。”(《空气的表情》福音馆书店)。
摘自90年就来到了日本,一直用日语写诗的美国人,亚瑟•维纳得诗中的一段,最近作品“日语锁事”(小学馆),被评为讲谈社散文奖。
他在4年前写的《鱼儿上钩了》(思潮社)也获得了中原中也奖。这篇文章是追忆作者在小时候,经常带他去钓鱼的父亲,和密歇根州的河水。
“随着事物的消失,记忆也随之而去。(略)记忆在凉爽的流淌的水中出现,静悄悄地把线放入水中,鱼儿上来了,在流淌着的水中,再轻轻放走。” 从其清澈的表现手法可以看出,存在着对生命的一种怜惜之情。
东京本社版的晚报等报纸中,在头版位置连载的栏目“每日头条”中,他经常会投一些尖锐的话过去。前些日子就是以大选为主题的。
在美国大选中,国民一直沉浸在共和党和民主党二者的争夺中,对其不可进行深究。“在日本的二大政党中,可以听到‘成熟的民主政治’这种说法,从作为美国人的角度来看,其实是一种‘民主停滞’的状态。”现在,手中有着美国的投票权,每次美国的大选,他都是通过国际挂号信送去的。 |
|