【天声人語】
2005年10月03日(月曜日)付
「耳マーク」をご覧になったことがあるだろうか。役場や病院で窓口に掲げているところがある。「耳の不自由な方は筆談します」というような文言が添えられている。一方で、耳マークのカードやシールを持ち歩いている人がいる。そこには「耳が不自由です」と書かれている。
您见过“耳朵标记”吗?现在在一些政府机关和医院的办事窗口上可以看得到这个标记。下面还附有“失聪人士笔谈处”之类的文字说明。另一方面,手持印有耳朵标记的卡片或纸条上街的人也出现了。那上面写的文字是“我是失聪人士”。
普及活動をしているのは全日本難聴者・中途失聴者団体連合会だ。耳マーク部長を務める長田由美子さん(61)は「聴覚障害は外見ではわかりにくい。人生の途中で耳が不自由になった私たちは、普通に話せるので、なおさらです」という。耳マークを身につけることで、障害を周りの人に知ってもらう。窓口に置いてもらえば、筆談を頼みやすい。
推广这一活动的是全日本听觉障碍者・中途失聪者团体联合会。担任耳朵标记部部长的长田由美子女士(现年61岁)介绍说:“听觉障碍者从外表很难看得出来。像我们这种中途失聪的人,因为可以像普通人一样讲话,所以更难分辨。”而把耳朵标记带在身上,可以让周围的人知道。让办事窗口贴上这标记的话,也方便失聪人士提出希望进行笔谈。
とはいえ、それほど知られているとはいえない。「理由の一つは、中途での失聴者や難聴者が自分の障害を隠しがちだからです。私もかつてはそうでした」
尽管如此,推广工作并非如想象中顺利。“理由之一,是中途失聪者和听觉障碍者有掩盖自己残疾的倾向。我自己曾经就是这样的。”
長田さんは幼い頃に中耳炎を患い、徐々に聴力が落ちた。出産後、補聴器をつけた。聞き取れなくても聞こえるふりをしていた。転機になったのは8年前、父を亡くした時だ。葬儀の後、親族の間でどんどん話し合いが進んでいく。「私はわからない」と声を荒らげてしまった。その時、ようやく難聴という障害を受け入れることができた。
长田女士小时候患了中耳炎,听力慢慢下降。生了孩子后就戴上了助听器。那时,她即使听不见也装出听见了的样子。转变发生在8年前,父亲去世的时候。葬礼结束后,亲戚们你一言我一语不停地在说话。当时,她失声喊出了一句话:“我什么都听不到”。那一刻,她才真正接受了自己是听力障碍者这一事实。
一口に聴覚障害者といっても障害の状況は同じではない。手話や筆談など意思疎通の手段も様々だ。足並みは必ずしもそろわない。
其实,笼统地说听力障碍者,其实每个人的障碍程度也不一样。沟通手段也有手语、笔谈等很多种。所以也没必要让所有听力障碍人士、所有地方都使用耳朵标记。
それでも、長田さんは外出にはいつも耳マークのバッジをつける。一人でも多くの人に聴覚障害者の実情を知ってもらいたいからだ。
但长田女士还是坚持在外出时都佩带有耳朵标记的胸章。“因为我希望更多的人来了解听力障碍者的实际状况。”她说道。 |