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[美文推荐] 一人の時間(江国香織)

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发表于 2005-12-8 23:29:49 | 显示全部楼层 |阅读模式
愛情というのはある種の病気だなと思う。それがあるためになにもかも厄介になる。
だから、このあいだ知っている編集者に、
「なんだかんだ言っても旦那さんを愛してるんですよねぇ」
と言われたときには憂鬱になった。そうなのだ。そのとおり。愛してさえいなければ、すぐ離婚するのに。
離婚をしたら、と、ときどき私は考える。すごく身軽になるだろう。少なくとも部屋はきれいに保てるし、自分の食べたい味のごはんをつくれる。犬も飼えるし、騒々しいテレビを始終つけていなくてもよくなる。帰りの予定を決めない旅行にだっていかれる。心しずかに暮らせるだろう。そうして、なにより夫をもっと好きになれる。
きっと私は夫とけんかしたりしない。どなったり、逆上してつかみかかったり、蹴ったりもしない。もっとずっと感じよくふるまう。
夫も、たぶんずっと礼儀正しくしてくれるだろう。離婚をしたら。
そこまで考えて、私はいつもふいに淋しくなってしまう。その考えは目新しいものじゃないから。それどころか、したしい、昔なじみのものだから。やあ、と言ってふいにあらわれる、忘れていた知りあいみたい。
少し距離のある関係の方が”comfortable”で素敵だ、というふうにしか考えられなかったのに、いいえ結婚をするのだ、わずらわしいことをひきうけるのだ、ともに現実に塗れて戦うのだ、と無謀にも思えてしまったあの不思議な歪を、私はいまでも美しいものだったと思っている。美しくてばかげていて幸福ななにかだった、と。
錯覚でもまちがいでもちっともかまわない。私をあのしずかな場所――完結した場所――からつれだしてくれたというその一点において、私は夫に感謝している(冗談じゃない、つれだされたのはこっちだ、と、夫は言うかもしれないけれど)。
離婚をしたら。
そうしてそれにもかかわらず、私はやっぱりときどきそう考える。存外な熱心さで。
結婚したときもそうだったように、役所には私が届けにいくのだろう。夫は会社があるし、すごくめんどうくさがりだから。
窓口で書類が受理されたとたんに、私はきっとなにかとり返すのつかないことをしてしまったような気がする。そのくせ絶望的にほっとするだろう。
届け出をすませておもてにでると、風景が全部ちがってしまっている。ちがう眼球でみているから。
「そういうの想像することない?」
「ない」
夫は機械的に即答する。テレビから目もはなさずに。
「一度も?」
「一度も」
ふうん、と言いながら、私はたちまち嬉しくなってしまう。嘘でも形式でも、ともかくそうこたえてくれたことに。
だいたい、私はすぐに楽になりたがる性質なのだ。夫は、楽をすると必ずつけがまわってくると思っているようだ。
バランスがいいというのか、かけはなれているというのか。一体どうやって結婚したのだっただろう。どういうふうにして、というのはさっぱり上手く思いだせないが、ともかくとてつもない強引さでそうしたいと思ったことは憶えている。
世のなかの、結婚している(あるいはしたことのある)たくさんの人たちが、結婚について多くを語らないのはなぜなのか、自分がしてみてようやくわかった。蜜のように幸福で、惜しくて言いたくないわけでは勿論ないし、だからといって辛苦にみちていて、憂鬱で言えないわけでもやっぱりない。単純に、みんな口をつぐむしかないのだ。その結婚があまりにも特殊で個人的で、偶然と必然がねじりパンのようにねじれていて、説明不可能な様相を呈していて。
それは、たとえばけんかの理由が千差万別なのと似ている。深刻で滑稽で数かぎりない―――うっかり掘りあててしまった石油のように、こんこんと湧きで続ける―――けんかの理由。
よくみつけるね、と、夫は言う。
みつけるわけじゃないわ、発生するのよ、と、私は言う。あなたが目の前に差しだすんじゃないの。
夫は、きこえないふりをする。
ふりをする、というのは夫の得意技の一つだ。このひとは私の言うことをわからない訓練をしているのじゃないかしら、と思うことがしばしばある。どういうふうに言っても、何度言っても、私がなにを言おうとしているのか、夫にはさっぱりわからないようにみえるから。
わからないふりをしているのだ、と、ある日忽然と思いあたった。辻褄があう。賢いひとだから、考えてみれば、ほんとうにわからないはずはないのだ。
夫の自衛手段なのだろう。それを認めるわけではないけれど、逃げる場所がないのは気の毒だと思う。一人になれる場所。
私は昼間一人でうちのなかにいるけれど、夫は会社にいっている。会社にはたくさんの人がいる。夜うちに帰れば、私が待ちかまえている。
無論誰にだって一人の時間は必要で、私など、それがなかったら絶対に精神的安定をたもてない、という自信があるので、夫のこともできるだけ一人にしてあげたいとは思う。そうは思っているのだけれど、でも駄目。夫は朝はやくでていって、夜おそくまで帰らないんだもの。帰ってきたら、ついそばにくっついてしまう。夫がごはんを食べているあいだ、私はそばでみている。新聞を読んでいるあいだは、そばで本を読んでいる。夫がテレビをみていれば、そばでピアノをひいている。
ピアノは最近買った。ヘッドホンをつけて消音にできる電子ピアノなので、素晴らしく重宝。お互いに、うるさい思いをせずに一緒にいられるから。
「こんなにずっとくっついていられたら大変よね」
つい先日、私は反省をこめて言ってみた。
「たまには一人になりたいわよね」
夫は奇異なものでもみるような顔をした。
「たまにはって?」
夫の顔に、ほんのわずか怒りのかげがさす。
「きのうだって留守だったじゃないか。先週は二度も朝帰りをしたし」
そういえば、と思った。
「その前の週だって、うちにはいたけど仕事場からでてこなかったじゃないか」
「あれは、だって締切りがあったから。ひどくぎりぎりになっちゃってて」
私はしどろもどろになった。
「たまにはってどういう意味だよ」
あきれた、という顔で言う夫に、私は返す言葉がなかった。
すっかり忘れていた。いつもいつも夫にまとわりついている、と思っていたが、それは、うちにいるときはいつもいつも、なのであって、それも、締切り前の土壇場をのぞく、という条件つきなのだった。
「よかった」
仕方なく私は言った。
「私、ちゃんとあなたを一人にしてあげてるのね」
それからがばりと抱擁をした。棒立ちになっている無言の夫に。
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