咖啡日语论坛

 找回密码
 注~册
搜索
楼主: shixinglan

[好书推荐] 窓際のトットちゃん(每日更新....全文完!)

[复制链接]
头像被屏蔽
 楼主| 发表于 2006-4-16 19:44:28 | 显示全部楼层
夏休みも終わりに近くなって、いよいよ、トモエの生徒にとっては、メイン・イベントとでもいうべき、温泉旅行への出発の日が来た。たいがいのことに驚かないママも、夏休み前の、ある日、トットちゃんが学校から帰ってきて、
「みんなと、温泉旅行に行ってもいい?」
と聞いたときは、びっくりした。お爺さんとか、お婆さんが揃って温泉に出かける、というのなら、わかるけど、小学校の一年生が……。でも、よくよく校長先生からの手紙を読んでみると、なるほど面白そうだ、と、ママは感心した。静岡の伊豆半島に土肥というところがあり、そこは、海の中に温泉が湧いていて、子供達が、泳いだり、温泉に入ったり出来る、という、「臨海学校」のお知らせだった。二泊三日。トモエの生徒のお父さんの別荘が、そこにあり、一年から六年までの全校生徒、約五十人が泊まれる、ということだった。ママは、勿論、賛成した。
そんなわけで、今日、トモエの生徒は、温泉旅行に出かける支度をして、学校に集まったのだった。校庭にみんなが来ると、校長先生は、いった。
「いいかい?汽車にも船にも乗るよ。迷子にだけは、なるなよな。じゃ、出発だ!」
校長先生の注意は、これだけだった。でも、自由が丘の駅から東横線に乗り込んだみんなは、びっくりするほど、静かで、走り回る子もいなかったし、話すときは、隣にいる子だけど、おとなしく話した。トモエの生徒は一回も、「一列にお行儀よく並んで歩くこと!」とか、「電車の中は静かに!」とか、「食べ物の、かすを捨ててはいけません」とか、学校で教わったことはなかった。ただ、自分より小さい人や弱い人を押しのけることや、乱暴をするのは、恥ずかしいことだ、ということや、散らかっているところを見たら、自分で勝手に掃除をする、とか、人の迷惑になることは、なるべくしないように、というようなことが、毎日の生活の中で、いつの間にか、体の中に入っていた。それにしても、たった数ヶ月前、授業中に窓からチンドン屋さんと話して、みんなに迷惑をかけていたトットちゃんが、トモエに来たその日から、ちゃんと、自分の机に座って勉強するようになったことも、考えてみれば不思議なことだった。ともかく、今、トットちゃんは、前の学校の先生が見たら、「人違いですわ」というくらい、ちゃんと、みんなと一緒に腰掛けて、旅行をしていた。
沼津からは、みんなの夢の、船だった。そんなに大きい船じゃなかったけど、みんな興奮して、あっちをのぞいたり、さわったり、ぶら下がってみたりした。そして、いよいよ船が港を出るときは、町の人たちにも、手を振ったりした。ところが、途中から雨になり、みんな甲板から船室に入らなければならなくなり、おまけに、ひどく揺れてきた。そのうち、トットちゃんは、気持ちが悪くなってきた。他にも、そういう子がいた。そんな時、上級生の男の子が、揺れる船の真ん中に重心をとる形で立って、揺れてくると、
「オットットットット!」
といって、左に飛んでったり、右に飛んでったりした。それを見たら、おかしくて、みんな気持ちが悪くて半分、泣きそうだったけど、笑っちゃって、笑っているうちに土肥に着いた。そして、可哀そうだけど、おかしかった事情は、船から降りて、みんなが元気になった頃、「オットットットット!」の子だけが、気持ち悪くなったことだった。
土肥温泉は、静かなところで、海と林と、海に面した小高い丘などがある美しい村だった。一休みしたあと、先生達に連れられて、みんな、海に出かけた。学校のプールと違うから、海に入るときは、みんな海水着を着た。
海の中の温泉、というのは、変わっていた。何しろ、どこからどこまでが温泉で、どこからが海、という、線とか囲いがあるわけじゃないから、
「ここが温泉ですよ」
といわれたところを憶えて,しゃがむと,ちょうど首のとこるまでお湯が来て、本当に、お風呂と同じに暖かくて気持ちがよかった。そして、お風呂から海に行こうと思うときは、横ばいになって五メートルくらい歩くと、段々ぬるくなってきて、それからもっといくと、つめたくなるから、「そこからは海だ!」とわかるのだった。だから、みんな海で泳いで寒くなると、大急ぎで、暖かい温泉にもどって、首まで使った。そうすると、なんだか、家に帰ったみたいな気がした。おかしなことは、海の部分に行けば、海水帽をぴっちりかぶって泳ぐ子供達が、見たところは海と同じなのに、温泉に入っているときは、輪になって気楽な恰好で、話しをしていることだった。きっと、はたから誰かが見たら、結局、小学生でも温泉に入ると、お爺さんやお婆さんと同じ、と思ったかも知れなかった。
その頃の海は、ほとんど、よその人がいなくて、海岸も温泉も、トモエの生徒の専用みたいだった。みんな、精一杯,この珍しい、温泉海水浴を楽しんだ。だから、夕方、別荘に帰ったときは、どの子も、あんまり永く水につかっていたので、指先の皮がシワシワになっていたほどだった。
夜は夜で、おふとんに入ってから、交代に“おばけ”の話しをした。トットちゃん達一年生は、みんな、怖くて泣いた。そして、泣きながら、
「それから?」
というのだった。
この土肥温泉の三日間は、これまでの、学校の中での野宿とか、胆試しと違って、実際の生活だった。例えば、晩御飯の材料を買いに、順番で、八百屋さんや魚屋さんに行かされたし、知らない大人のひとたちから、「どこの学校の生徒?」とか「どこから来たの? 」と聞かれたとき、ちゃんと答えなきゃ、ならなかった。それから、林の中で迷子になりそうになった子もいたし、遠くまで泳いでしまって、帰ってこられなくなり、みんなを心配させた子もいた。浜辺に落ちて板ガラスで足を切った子もいた。そのたびに、みんなは、どうしたら、一番自分が役に立つか、考えた。
でも、楽しいことも多かった。大きな林があって、セミはいっぱい、いたし、アイスキャンデー屋さんもいた。それから、海岸で、一人で大きい木の船を作っている、おじさんとも遭った。かなり船の形が出来上がっていたから、朝起きると、みんな、どれくらい昨日より、出来ているか、走って、見に行った。トットちゃんは、薄く長く出来た、カンナクズを、おじさんから、おみやげに、もらった。
お別れの日、校長先生がいった。
「どうだい。記念写真を撮ろうじゃないか」
それまで、みんな一緒に写真って、撮ったことがなかったから、また、みんなは興奮した。だから、
「はい、撮りますよ」
って女の先生が言うとき、誰かがトイレに行ってたり、
「さあ、いいですね」
というと、運動靴の右と左が逆だったから、はき直す,という子がいたり、その間中、ずーっと緊張してポーズを取っていて、本当に、
「じゃ、いきます!」
というときに、
「ああ、疲れた。もうダメだ!」
といって、ねっころがる子もいて、とっても時間がかかった。
でも、海を後ろにして、思い思いのポーズをして撮った写真は、子供達も宝物になった。その写真を見れば、船のことも、温泉のことも、オバケの話しのことも、「オットットットット!」の子の事も,一度に思い出せるからだった。
こうして、トットちゃんの初めての夏休みは、絶対に忘れることの出来ない、いろんな楽しい思い出を残して過ぎていった。
まだ東京でも、近くに池には、ザリガニがたくさんいて、大きい牛が、ゴミ屋さんの車を引っ張って歩いている頃の、ことだった。
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-4-17 11:16:12 | 显示全部楼层
加油 支持中
回复 支持 反对

使用道具 举报

头像被屏蔽
 楼主| 发表于 2006-4-17 21:18:57 | 显示全部楼层
夏休みも終わり、二学期が始まった。夏休みの間、いろんな集まりのたびに、トットちゃんは、クラスのみんなとは勿論、上級生の一人一人とも親しくなった。そして、トモエ学園のことが、もっともっと好きになっていた。
 トモエは、普通の小学校と授業方法が変わっている他に、音楽の時間が、とても多かった。音楽の勉強にも、いろいろあったけど、中でも「リトミック」の時間は、毎日あった。リトミックというのは、ダルクローズという人が考えた、特別のリズム教育で、この研究が発表されると、1905年(明治三十八年)頃のとこなんだけど、全ヨーロッパ、アメリカなどが、いち早く注目して、各国に、その養成所とか、研究所とか、できたくらいだった。で、どうして、このトモエにダルクローズ先生のリトミックが入って来たのか、といえば、こういう、いきさつだった。
 校長の小林宗作先生は、トモエ学園を始める前に、外国では、子供の教育を、どんな風にやっているかを見るために、ヨーロッパに出発した。そして、いろんな小学校を見学したり、教育者といわれる人達を聞いたりしていた。そんな時、パリで、小林先生は、素晴らしい作曲者でもあり、教育者でもあるダルクローズ、という人に出逢い、このダルクローズが、長い間、
 「どうしたら、音楽を耳でなく、“心で聞き、感じる”ということを子供に教えられるだろうか。生気のない教育ではなく、動きのある生きている音楽を感じ取ってもらうには……。どうしたら子供の感覚を目覚めさせられるだろうか?」
 ということを考えていて、遂に、子供達の、自由に飛び跳ねるのを見ていて発見し、創作したリズム体操、「リトミック」というものがあることを知った。そこで、小林先生は、パリのこのダルクローズ学校に一年いようも滞在して、リトミックを身につけた。少し歴史的な話になるけれど、日本人で、このダルローズの影響を受けた人は多く、山田耕作を始め、モダンダンスの創始者石井漠、歌舞伎の二代目市川左団次、新劇運動の先駆者小山内薫、舞踊家伊藤道郎。こう言った人達も、リトミックが、あらゆる芸術の基礎である、ということで、ダルクローズに学んだ。でも、このリトミックを、小学校の教育に取り入れてみようとしたのは、小林先生が初めてだった。
 「リトミックって、どういうものですか?」
 という質問に、小林先生は、こう答えた。
 「リトミックは、体の機械組織を、さらに精巧にするための遊戯です。リトミックは、心に運動術を教える遊戯です。リトミックは、心と体に、リズムを理解させる遊戯です。リトミックを行うと、正確が、リズミカルになります。リズミカルな性格は美しく、強く、素直に、自然の法則に従います。」
 まだ、いろいろあるけれど、とにかく、トットちゃん達のクラスは、体にリズムを理解させることから始まった。行動の小さいステージの上のピアノを校長先生が弾く。それに合わせて、生徒は、思い思いの場所から歩き始める。どう歩いてもいいけど、人の流れと逆流して歩くと、ぶつかって、気持ちが悪いから、なんとなく、同じ方向に、つまり、輪になる形で、でも一列とかじゃなく、自由に流れるように歩くのだった。そして、音楽を聴いて、それが“二拍子”だと思ったら、両手を大きく指揮者のように上下に二拍子に振りながら、歩く。足は、ドタドタじゃなく、そうかといって、バレエのような、つま先立ちでもなく、どっちかっていえば、「足の親指を引きずるように、体を楽に、自由にゆすれる形で、歩くのが、いい」と先生はいった。でも、いずれにしても、自然が第一だったから、その生徒の感じる歩き方でよかった。そして、リズムが三拍子になったら両腕は、すぐに三拍子を大きくとり、歩き方も、テンポに合わせて、早くなったり、遅くなったりさせなきゃ、いけなかった。そして、両腕の指揮風上げ下ろしも、六拍子まであったから、四拍子くらいだと、まだ
 「下げて、まわして、横から、上に」
 ぐらいだけど、五拍子になると、
 「下げて、まわして、前に出して、横にひいて、そのまま上に」
 で、六拍子になると、もう、
 「下げて、まわして、前に出して、もう一度、胸の前で、まわして、横にひいて、そのまま上に」
 だから、拍子が、どんどん変わると、結構難しかった。そして、もっと難しいのは、校長先生が、時々ピアノを弾きながら、
 「ピアノが変わっても、すぐには変わるな!」
 と大きい声で、いうときだった。例えば、それは、初め、“二拍子”のリズムで歩いていると、ピアノが“三拍子”になる。だけど、三拍子を聞きながら、二拍子のままで歩く。これは、とても苦しいけど、こういうときに、かなり、子供の集中力とか、自分の、しっかりした意志なども養うことが出来る、と校長先生は考えたようだった。
 さて、先生が叫ぶ。
 「いいよ!」
 生徒は、「ああ、うれしい……」と思って、すぐ三拍子にするのだけど、このときに、まごついてはダメ、瞬間的に、さっきの二拍子を忘れて、頭の命令を体で、つまり筋肉の実行に移し、三拍子のリズムに順応しなければ、いけない、と思った途端に、ピアノは、五拍子になる、という具合だった。初めは、手も足も、目茶苦茶だったり、口々に。
 「先生、待ってよ、待ってよ」
 といいながら、ウンウンやったけど、馴れてくると、とても気持ちがよく、自分でも、いろんなことを考え出してやれることもあって、楽しみだった。たいがいは、流れの中で一人でやるんだけど、気が向いたときは、誰かと並んでやったり、二拍子のときだけ、片手をつないだままやったり、目をつぶってやってみたり。ただ、しゃべることは、いけないとされていた。
 ママ達も、たまに父兄会のときなんかに、そーっと外から見ることもあったけど、子供達がそれぞれ、その子らしい表情で、のびのびと手足を動かし、いかにも気持ちよさそうに、飛び跳ねて、しかも、リズムに、きっちり、あっている、という光景は、いいものだった。
 リトミックは、こんな風に、体と心にリズムを理解させることから始まり、これが、精神と肉体との調和を助け、やがては、想像力を醒まし、創造力を発達させるようになればいい、という考えのものだった。だから、初めての日、トットちゃんが、学校の門のところで、ママに、
 「トモエって、なあに?」
と聞こうとしたけど、この学校の「トモエ」、というのは、白と黒から出来ている紋所の一種の二つ巴で子供達の身心両面の発達と調和を願う、校長先生の心の現われだった。
 リトミックの種類は、まだたくさんあったけど、とにかく、校長先生は、子供達の、生まれつき持ってる素質を、どう、周りの大人たちが、損なわないで、大きくしてやれるか、ということを、いつも考えていた。だから、このリトミックにしても、
 「文字と言葉に頼り過ぎた現代の教育は、子供達に、自然を心で見て、神の囁きを聞き、霊感に触れるというような、官能を衰退させたのではなかろうか?
古池や 蛙とびこむ 水の音……池の中に蛙がとびこむ現象を見た者は、芭蕉のみでは、なかったろうに、湯気たぎる鉄瓶を見た者、林檎の落ちるのを見た者は、古今東西に於いて、ワット一人、ニュートン一人というわけで、あるまいに。
世に恐るべきものは、目あれど美を知らず、耳あれども楽を聴かず、心あれども真を解せず、感激せざれば、燃えもせず……の類である」
などと嘆いていた校長先生が、きっと、いい結果を生むに違いないと授業に入れたものだった。そして、トットちゃんは、イサドラ・ダンカン風に、はだしで走りまわり、とびまわって、それが、授業だなんて、すごく嬉しいと思っていた。
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-4-18 10:32:06 | 显示全部楼层
どうも
回复 支持 反对

使用道具 举报

头像被屏蔽
 楼主| 发表于 2006-4-18 21:33:20 | 显示全部楼层
 トットちゃんは生まれて初めて、縁日に行った。縁日は、前に行ってた学校のそばにある洗足池の、弁天様がある小さい島でやっていた。パパとママに連れられて薄暗い道を歩いて行って、急に明るくなったと思ったら、それが縁日で、いろんな電気がついているのだった。一目見ただけで、もう興奮したトットちゃんは、小さな夜店のひとつひとつに頭を突っ込んだ。あっちでもこっちでも、ピーとかポンとかシュルシュルという音がして、いろんな、においがして、今まで見たことのないものだらけだった。赤や黄色やピンクのリリアンにぶら下がったハッカパイプ。犬とか猫とかベティーサンなどの顔がパイプになっている。そして綿アメ、ベッコウアメ。ずんだ音がする山吹鉄砲。あと、刀を飲み込んだり、ガラスを食べちゃうおじさんが、芸を道で見せてるかと思うと、お丼のヘリにつけると、お丼がワアーンと鳴る“粉”を売るおじさんも、いる。それから、お金が消えてしまう手品の「金の輪」とか日光写真とか、水中花……。
 キョロキョロしながら歩いてるトットちゃんが、
 「わあー!」
 といって足を止めたもの、それは、真っ黄色のヒヨコだった。小さくて、まん丸のヒヨコは小さい箱の中に、いっぱいいて、みんなピイピイ鳴いていた。
「欲しい!」
トットちゃんは、パパとママの手を引っ張った。
「ねえ、これ買って?」
ヒヨコは、トットちゃんのほうを向き、小さい尻尾を振るわせ、くちばしを上に向けて、もっと大きい声で鳴いた。
「可愛い……」
トットちゃんはしゃがみこんだ。こんなに小さく可愛いものって、前に見たことがない、と思った。
「ねえ?」
トットちゃんは、パパとママを見上げた。ところがびっくりしたことに、パパとママは、トットちゃんの手を引っ張って、歩き出そうとしたのだった。
「ね、何か買ってあげるって言ったじゃないの。私、これ欲しい!」
ママが小さい声で言った。
「このヒヨコは、すぐ死ぬから、可哀そうなの。およしなさい」
「どうして?」
トットちゃんは泣き声になった。パパは、ヒヨコの売り屋さんに聞こえないように、少し離れたところで説明した。
「あれは、今は可愛いけど、体は弱いからすぐ死んで、トット助が泣く事になるから、パパ達は、いってるんだよ」
でも、もうトットちゃんは、ヒヨコを見ちゃったkら、説明を聞きたくなかった。
「絶対に死なせない。面倒見るから、お願い?」
それでも、パパとママは頑固に、トットちゃんを、ヒヨコの箱の前から、ひっぱった。トットちゃんは、引っ張られながら、ヒヨコ達を見た。ヒヨコは、みんなトットちゃんに連れてって欲しそうに、もっと鳴いた。トットちゃんは、もうヒヨコじゃなきゃ、何も要らないと思った。パパとママに、お辞儀をしていった。
「ねえ、お願い。ヒヨコを買ってください。」
でも、ママもパパも頑張った。
「あなたが泣く事になるから、よしたほうがいいって思うのよ」
トットちゃんはベソベソ泣き出した。そして家のほうに泣きながら歩き出した。そして、暗いところまで来たとき、しゃくりあげながらいった。
「お願いします。一生のお願い。死ぬまで何か買ってって、いいません。あのヒヨコ買ってください」
というとパパもママも折れてしまった。
さっき鳴いた烏かもう笑った、というくらい、嬉しそうな顔のトットちゃんの手の中の小さい箱には、二羽のヒヨコが入っていた。
次の日、ママが大工さんに頼んで、桟つきの特別製の箱を作ってもらい、中に電球を入れて、暖めた。トットちゃんは、一日中、ヒヨコを見て暮らした。黄色いヒヨコは可愛かった。ところが突然、四日目に一羽が。五日目にもう一羽が、動かなくなってしまった。どんなに手でさすっても、呼んでも、もう二度とピイピイとはいわなかった。そして、いつまで待っても目を開かなかった。パパとママの言ったことは正しかった。トットちゃんは、ひとりで泣きながら庭に穴を掘って、二羽を埋めた。そして、小さいお花を、お供えした。ヒヨコのいなくなった箱は、ガランとして大きく見えた。箱の中のほうに、小さい黄色の羽が落ちてるのを見つけたとき、縁日でトットちゃんを見て鳴いてたときの姿を思い出し、トットちゃんは、歯を食いしばって泣いた。
一生のお願いが、こんなに早く、なくなってしまった……。これがトットちゃんが人生で最初に味わった「別れ」というものだった。
回复 支持 反对

使用道具 举报

头像被屏蔽
 楼主| 发表于 2006-4-19 18:26:00 | 显示全部楼层
校長先生は、トモエの生徒の父兄に、
「一番わるい洋服を着せて、学校に寄こしてください」
と、いつもいっていた。というのは、“汚したら、お母さんにしかられる”とか、“破けるから、みんなと遊ばない”ということは、子供にとって、とてもつまらないことだから、どんなに泥んこになっても、破けても、かまわない、一番わるい洋服を着させてください、というお願いだった。トモエの近くの小学校には、制服を着てる子もいたし、セーラー服とか、学生服に半ズボン、という服装もあった。だけど、トモエの子は、本当に普段着で学校に来た。そして先生のお許しがあるわけだから、洋服のことを気にしないで、もうできるだけ遊んだ。でも今のように、ジーンズなど丈夫な布地のない時代だったから、どの子のズボンも、つぎがあたっていたし、女の子のスカートも、出来るだけ、丈夫な布で作ってあった。
トットちゃんの、最も大好きな遊びは、よその家の垣根や、原っぱの垣根の下をくぐることだったから、洋服のことを考えなくていいのは、都合がよかった。その頃の垣根は、子供達が「デツジュウモウ(鉄条網)」と呼んでいる有刺鉄線というか、バラ線が、柵の周りに張り巡らしてあるのが多かった。中には、地面につくくらい下のほうまで、しっかり、絡んでいるのもよくあった。これに、どうやってもぐりこむか、といえば、この垣根の下に頭を突っ込んで、テツジョウモウを押し上げ、穴を掘って、もぐる、ちょうど、犬と同じやり方だった。そして、このとき、トットちゃんも、気をつけてはいるのだけれど、どうしても、トゲトゲの鉄線に洋服がひっかかって、破けてしまうのだった。いつかなどは、かなり古くて、「しょう」の抜けているメリンス風の布地のワンピースを着てるときだったけど、このときは、スカートが破ける、とか、引っかかった、というのじゃなく、背中からお尻にかけて、七ヶ所くらい、ジャキジャキに破けて、どう見ても、背中にハタキを背負ってる、という風になってしまった。古いけど、ママが、この洋服を気に入ってる、と知っているトットちゃんは、一生懸命に考えた。つまり、「テツジョウモウをもぐってて破けた」といっては、ママに気の毒だから、なんか嘘をついてでも、
「どうしても破けるのは仕方がなかった」
という風に説明したほうがいい、と考えたのだった。やっと思いついた嘘を、家に帰るなり、トットちゃんは、ママに言った。
「さっきさ、道歩いてたら、よその子が、みんなで、私の背中にナイフ投げたから、こんなに破けたの」
いいながら、(ママが、いろいろ、詳しく聞いたら困るな)と思っていた。ところが、嬉しいことに、ママは、
「あら、そう、大変だったわね」
といっただけだった。「ああ、よかった」と、トットちゃんは安心して、(これなら、ママの好きな洋服が破れたのも仕方がなかった……って、ママにもわかってもらえた)と思った。
勿論、ママはナイフで破けたなんて話を信じたわけではなかった。だいたい、後ろからナイフを背中に投げて、体に怪我もしないで、洋服だけビリビリになるなんてことは、あり得なかったし、第一、トットちゃんが、全然、怖かった、という風でもないのだから、すぐ嘘とわかった。でも、なんとなく、トットちゃんにしては、言い訳をするなんて、いつもと違うから、きっと洋服のことを気にしてるに違いない、と考え、(いい子だわ)と思った。ただ、ママは、前から聞きたい、と思っていたことを、この際、トットちゃんに聞いてみようと思って、いった。
「洋服が、ナイフとか、いろんなもので破けるのは、わかるけど、パンツまで、毎日、毎日、ジャキジャキになるの?」
木綿のレースなんかがついているゴム入りの白いパンツのお尻のあたりが、毎日、破けているのが、ママには、ちょっとわからなかった。
(パンツが泥んことか、すれてる程度なら、おすべりとか、しりもちとかで、そうなった、とわかるけど、ビリビリになるのは、どうしてかしら?)
トットちゃんは、すこし考えてからいった。
「たってさ、もぐるときは、絶対、初めはスカートが引っかかっちゃうんだけど、出るときはお尻からで、そいで、垣根のはじっこから、ずーっと、“ごめんくださいませ”と、“では、さようなら”をやるから、パンツなんか、すぐ破けちゃうんだ!」
なんだかわかんないけど、ママは、おかしくなった。
「それで、それは面白いの?」
ママの質問に、トットちゃんは、びっくりしたような顔で、ママを見て、いった。
「ママだって、やってみれば?絶対に面白いから。でさ、ママだって、パンツ破けちゃうと思うんだ!?」
トットちゃんが、どんなにスリルがあって楽しいか、という遊びは、こうだった。
つまり、テツジョウモウのはってある長い空地の垣根を見つけると、はじのほうから、トゲトゲを持ち上げ、穴を張って中にもぐりこむのが、まず「ごめんくださいませ」で、次に、今、もぐった、ちょっと隣のトゲトゲを、今度は、中から持ち上げ、また穴を掘って、このときは、「では、さようなら」といって、お尻から出る。このとき、つまりお尻から出るときに、スカートがまくれて、パンツがテツジョウモウに引っかかるのだ、と、ママにも、やっとわかった。こんな風に、次々と、穴を掘り、スカートやパンツも引っ掛けながら、「ごめんくださいませ」そして、「では、さようなら」をくり返す。つまり上から見ていたら、垣根の、はしからはしまで、ジグザグに、入ったりでたりするのだから、パンツも破けるわけだった。
(それにしても、大人なら、疲れるだけで、何が面白いか、と思えるこういうことが、子供にとっては、本当に楽しいことなんだから、なんて、うらやましいこと……)。ママは、髪の毛は勿論、爪や耳の中まで泥だらけのトットちゃんを見ながら思った。そして、校長先生の、「汚してもかまわない洋服」の提案は、本当に子供のことを、よくわかっている大人の考えだ、といつものことだけど、ママは感心したのだった。
回复 支持 反对

使用道具 举报

头像被屏蔽
 楼主| 发表于 2006-4-20 20:16:06 | 显示全部楼层
今朝、みんなが校庭で走ったりしてるとき、校長先生が、いった。
「新しい友達が来たよ。高橋君だ。一年生の電車の仲間だよ。いいね。」
トットちゃん達は、高橋君を見た。高橋君は、帽子を脱いで、おじぎをすると、
「こんちは」
と、小さい声でいった。トットちゃん達も、まだ一年生で小さかったけど、高橋君は男の子なのに、背がうんと低かったし、手や足も短かった。帽子を握ってる手も小さかった。でも、肩幅はガッシリしていた。高橋君は、心細そうに立っていた。トットちゃんは、ミヨちゃんや、サッコちゃんに、
「はなし、してみよう」
といって高橋君に近づいた。トットちゃん達が近づくと、高橋君は、人なつっこそうに笑った。だから、トットちゃん達も、すぐ笑った。高橋君の目はクリクリして、何かを話したそうにしている目だった。
「電車の教室、見る?」
と、トットちゃんが先輩らしく言った。高橋君は、帽子を頭にチョコンと載せると、
「うん」
といった。トットちゃんは、早く見せたいので、すごい、いきおいで電車の中に入ると、ドアのところで、
「早くいらっしゃい!」
と呼んだ。高橋君は、忙しそうに歩いていた。でも、まだ、ずーっとむこうのほうにいた。チョコチョコと走るみたいな形で高橋君は言った。
「ごめんね、今行くから……」
トットちゃんは、小児麻痺の泰明ちゃんみたいに、足を引きずって歩かない高橋君が、なかなか電車に着かないのに気がついた。トットちゃんは、もう叫ばないで、高橋君を見た。高橋君は、一生懸命に、トットちゃんのほうに向かって走っていた。今トットちゃんには、「早く!」っていわなくても、高橋君の急いでいることが、よくわかった。高橋君の足は、とても短くて、ガニ股の形に曲がっていたのだった。先生や大人には、高橋君の身長が、このまま止まってしまう、とわかっていた。高橋君は、トットちゃんが、じーっと見ているのに気がつくと、両手を前後に振りながら、もっと急いだ。そしてドアのところに着くと、
「君は早いな」
といった。それから、
「僕、大阪から来たんだ」
といった。
「大阪?」
トットちゃんは、とても大きな声で、聞き返した。だって、トットちゃんにとって、大阪は、幻の町、まだ見たことのない町だったんだ。というのは、ママの弟で、大学生になる叔父さんは、トットちゃんの家に来ると、トットちゃんの両方の耳のあたりを両手で挟むと、そのままの形で、トットちゃんの体を高く持ち上げて、
「大阪見物させてやる。大阪は見えるかい?」
と聞くのだった。これは、小さい子と遊んでくれる大人が、よくやるいたずらだったけど、トットちゃんは本気にしたから、顔の皮が、全部、上のほうに伸びて、目もつりあがって、耳も少し痛かったけど、必死にキョロキョロして遠くを見た。いつも大阪は見えなかった。でも、いつかは、見えるのかと思って、その叔父さんが来ると、
「大阪見物させて?させて?」
と頼んだ。だから、トットちゃんにとって、大阪は、見たことのない、憧れの町なのだった。そこから来た高橋君!
「大阪の話、して?」
トットちゃんはいった。高橋君は、嬉しそうに笑った。
「大阪の話か……」
歯切れのいい、大人っぽい声だった。その時、始業のベルが鳴った。
「残念!」
と、トットちゃんは、いった。高橋君は、ランドセルにかくれて、見えないくらいの小さい体をゆすりながら、元気に、一番前の席に座った。トットちゃんは、急いで隣に座った。こういうとき、この学校の自由席制度は、ありがたかった。だってトットちゃんは、(離れちゃうのが惜しい)そんな気持ちだったのだから。こうして高橋君も仲間になった。
回复 支持 反对

使用道具 举报

头像被屏蔽
 楼主| 发表于 2006-4-21 21:54:08 | 显示全部楼层
学校からの帰り道、家の近くまで来たとき、トットちゃんは、道路のはじのほうに、いい物を見つけた。それは、大きい砂の山だった。(海でもないのに砂があるなんて!こんな夢みたいな話って、あるかしら?)すっかり嬉しくなったトットちゃんは、一回、ポン!と高くとびあがってはずみをつけると、それからは、全速力で駆けて行って、その砂の山のてっぺんに、ポン!!と、飛び乗った。ところが、砂の山と思ったのは間違いで、中は、すっかり練った、ねずみ色の壁土だったから、「ズボッ!」という音と同時に、ランドセルに草履袋という形のまま、トットちゃんは、そのネチャネチャの中に銅像のように、胸までつかってしまった。出ようと思っても、もがくと、足のしたがツルツルにすべって、靴が脱げそうになるし、気をつけないと、頭までネチャネチャの中に、埋まってしまう危険もあった。だから、トットちゃんは、左手の草履袋もネチャネチャの中に入れたまま、ずーっと立っていた。時々、通りかかる、誰か知らないおばさんに、
「あの……」
と小さい声でいうんだけど、みんな遊んでるのかと思って、ニコニコして行ってしまうのだった。
夕方、薄暗くなったごろ、探しに来たママは、びっくりした。砂の山からトットちゃんが、顔を出していたのだから。ママは棒を探して来て、それの片方をトットちゃんに渡すと、引っ張って、山から出してくれた。手で引っ張ったら、ママの足もネチャネチャの中に入ってしまうからだった。ほとんど、全身、ねずみ色の壁みたい担ってるとっとちゃんに、ママは言った。
「この前もいったけど、何か面白いもの見つけたとき、すぐ、とび込んじゃダメなの。よく、そばに行って、調べてからにしてちょうだい!」
この前というのは、学校の昼休みのことだったけど、トットちゃんが講堂の裏の細い道を、ぶらぶら歩いていると、道の真ん中に、新聞紙が置いてあった。(面白そう!)そう思ったトットちゃんは、
「わーい!」
というといつものように、少し後ろにさがって、ポン...と飛び上がって、はずみをつけ、新聞紙の、真ん中めがけて全速力で、駈けて飛び乗った。ところが、それは、この前、お財布を落とした、あのトイレの汲み取り口で、小使いのおじさんが、仕事の途中に出かけるかなにかで、におうといけないので、コンクリートのふたを取った、その上に、新聞紙を載せて置いてあったのだった。だから、トットちゃんは、そのまま、「ドボン!」と、トイレの中に落ちたのだった。そのあと、いろいろ大変だったけど、とにかく、運良く、トットちゃんは、きれいな子に戻った。その時のことを、ママは言ったのだった。
「もう、とびこまない」
トットちゃんは、壁みたいに静かにいった。ママは安心した。ところが、そのあとの、トットちゃんのいったことを聞いて、(やっぱり安心するのは早かった)と、ママは思った。なぜなら、トットちゃんが、そのあとで、こういったからだった。
「新聞紙と、砂の山には、もう飛び込まない」
……つまり、ほかのものなら、また、とび込むに違いないことは、ママに、はっきりと、したのだった。
そろそろ、日の暮れるのが、早くなってきていた。
回复 支持 反对

使用道具 举报

头像被屏蔽
 楼主| 发表于 2006-4-22 22:42:09 | 显示全部楼层
ふだんでも、みんなが楽しみにしてる、トモエのお弁当の時間に、最近になって、面白いことが、また増えた。
トモエのお弁当の時間は、今までは、校長先生が、全校生徒五十人の「海のもの」と「山のもの」の、おかずの点検があって、その海か山か、どっちかが、足りないとわかった子に、校長先生の奥さんが、両手に一つずつ持って歩いてる海と山の、お鍋から、おかずが配られて、それから、「よーく 噛めよ たべもの……を、みんなで歌って、
「いただきまーす」
になったのだけど、今度から、この「いただきまーす」のあとに、
「誰かさんの、“おはなし”」
というのが入ることになったのだ。
この間、校長先生が、
「みんな、もっと話しが上手になったほうが、いいな。どうだい、今度から、お弁当の時、みんなが食べてる間、毎日、違う誰かさんが、一人、みんなの輪の真ん中に入って、お話する、ってのは?」
といった。子供達は、(自分で話すのは上手じゃないけど、聞くのは面白いな)とか、(わあー、みんなにお話してあげるのなんか、スッゴク好き)とか、いろんな風に考えた。トットちゃんは、(どんな話をすればいいか、まだわかんないけど、やってみる!)と思った。
こんなわけで、ほとんどが校長先生の考えに賛成だったので、次の日から、この「おはなし」が始まったのだった。
校長先生は、自分の外国生活の経験から、普通、日本では、「ご飯の時は、黙って食べなさい」と、家で言われている子供達に、
「食事というのは、できるだけ楽しく。だから、急いで食べないで、時間をかけて、お弁当の時間には、いろんな話をしながら食べていい」
といつもいっていた。そして、もうひとつ、
(これから子供は、人の前に出て、自分の考えを、はっきりと自由に、恥ずかしがらずに表現できるようになることが、絶対に必要だ)
と考えていたから、そろそろ始めてみよう、と決めたのだった。だから、校長先生は、みんなが、
「賛成!」
といったとき、こういった。トットちゃんは一生懸命に聞いた。
「いいかい。上手にお話しようとか、そんな風に思わなくていいんだよ。そして話も、自分のしたいこと、なんでもいいからね。とにかく、やってみようじゃないか?」
なんとなく順番も決まった。お話をする番になった人だけは、「よーく 噛めよ……を歌ったら、一人だけ、急いで食べていいことも決まった。
ところが、三人ぐらいとかの、小さいグループの中で、休み時間に話すのと違って、全校生徒、五十人の真ん中で、話す、というのは、勇気もいるし、難しいことだった。初めの頃は、照れちゃって、ただ「イヒイヒイヒイヒ」笑ってばかりの子や、必死になって考えてきたのに、出たとたんに忘れちゃって、話しの題名らしい、
「蛙の横っちょ飛び」
というのだけを何回も、くり返した挙句、結局、
「雨が降ると……、おしまい」
といって、お辞儀をして席に帰る子もいた。
トットちゃんは、まだ番が来なかったけど、来たら、やっぱり、自分の一番好きな、「お姫さまと王子さま」の話しよう、と決めていた。でも、トットちゃんの「お姫さまと王子さま」の話は有名で、いつもお休みの時間にしてあげると、みんなが、「もう飽きたよ」というぐらいだったけど、やっぱり、それにしよう、と思っていた。
こうやって、毎日、変わりばんこに前に出て話す習慣が少しずつついて来た、ある日、絶対に順番が来ても、「しない」と言い張る子がいた。それは、
「話は、何にも無い!」
という男の子だった。トットちゃんは、(話なんか無い)という子がいたことに、とても、びっくりした。ところが、その子は、無い!のだった。校長先生は、その子の空になったお弁当箱の、のった机の前にいくと、いった。
「君は話が、ないのかあ……」
「なんにも無い!」
その子は、いった。決して、ひねくれたり、抵抗してるんじゃなくて、本当に無いようだった。
校長先生は、
「ハ、ハ、ハ、ハ」
と歯の抜けているのを気にしないで笑って、それからいった。
「じゃ、作ろうじゃないか!」
「作るの?」
その子は、びっくりしたようにいった。
それから校長先生は、その子は、みんなの座ってるりんの真ん中に立たすと、自分は、その子の席に座った。そして、いった。
「君が、今朝、起きてから、学校に来るまでのことを、思い出してごらん!最初に、何をした?」
その男の子は、頭の毛をボリボリ掻きながら、まず、
「えーと」
といった。そしたら校長先生が言った。
「ほら、君は、『えーと』っていったよ。話すこと、あったじゃないか。『えーと』の次は、どうした?」
すると、その子は、また頭をボリボリ掻きながら、
「えーと、朝起きた」
といった。トットちゃんやみんなは、少し、おかしくなったけど、注目していた。それから、その子は、
「そいでさあ!」
といって、また、頭をボリボリやった。先生は、じーっと、その子の様子を、ニコニコした顔で、手を机の上に組んでみていたけど、そのとき、いった。
「いいんだよ、それで。君が朝起きた、ってことが、これで、みんなにわかったんだから。面白いことや、笑わせること話したから偉いって言うことじゃないんだ。『話が無い!』っていった君が、話を見つけたことが、大切なんだよ」
するとその子は、すごく大きな声で、こういった。
「それからさあ!」
みんなは、一斉に身を乗り出した。その子は、大きく息を吸うと、いった。\
「それからさあ!、お母さんがさあー、歯を磨きなさい、っていったから、みがいた」
校長先生は拍手した。みんなも、した。すると、その子は、前よりも、もっと大きい声で、いった。
「それからさあ!」
みんなは拍手をやめ、もっと耳を済ませて、ますます身をのり出した。その子は、得意そうな顔になって、いった。
「それからさあー、学校に来た!」
身をのり出した上級生の中には、少しつんのめったのか、お弁当箱に、頭をぶつける子もいた。でも、みんなは、とてもいれしくなった。
(あの子に、話しがあった!)
先生は大きく拍手をした。トットちゃん達も、うんとした。真ん中に立ってる「それからさあー」の子も、一緒になって、拍手をした。講堂は、拍手だらけになった。
この拍手のことを、この子は、おそらく大人になっても、忘れないに違いなかった。
回复 支持 反对

使用道具 举报

头像被屏蔽
 楼主| 发表于 2006-4-23 20:59:37 | 显示全部楼层
今日は、トットちゃんに大事件が起こった。それは、学校から帰って来て、晩御飯までの間、ちょっと遊んでるときのことだった。はじめは、冗談から始まったのだけれど、トットちゃんの部屋で、トットちゃんとロッキーが、「狼ごっこ」をしてるときに、それは起こった。
「狼ごっこ」の前は、普通みたいに、お互いが、部屋の反対側から、ゴロゴロ転がって来て、ぶつかったところで、少し、お相撲みたいに、取っ組み合いを少しやって、少しやったら、「パッー」と離れるのを、繰り返していた。そのうち、もう少し、「難しいのをやってみよう」ということになって……といっても、トットちゃんが一方的に決めたんだけど……、ゴロゴロころがって来て、ぶつかったとき、
「狼みたいに、見えたほうが勝ち!」
というのをやろう、ということになった。シェパードのロッキーにとって、狼になるのは、そう難しいことじゃなかった。耳をピーンとさせて、口を大きく開ければ、歯は奥のほうまで、いっぱいあったし、目だって、怖く出来た。でも、トットちゃんにとっては、少し大変だったけど、とにかく両手を耳みたいに頭のところにやって、口を出来るだけ大きく開け、目だって、精一杯大きくして、
「ウ~、ウ~」
とうなって、こうやって狼みたいに、やってるうちに、まだ子供のロッキーには、冗談と、本当の見境がつかなくなってきて、突然、まねじゃなくて、本当に噛み付いた。
子供といっても、体はトットちゃんの倍近くあったし、歯だって、とがっていたから、トットちゃんが、「あっ!」と思って気がついたときは、トットちゃんの右の耳が、ブラブラになっていた。血がダラダラ、いっぱい出て来た。
「あーあ!!」
叫び声で、ママがお台所から飛んで来たとき、トットちゃんは、右の耳を両手で押さえて、ロッキーと部屋の隅っこのほうにいた、洋服も、そのあたりも、血でいっぱいだった。応接間でヴァイオリンの練習をしていたパパも、飛んで来た.ロッキーは、今になって、自分が大変なことをしたことに気がついたのか、尻尾をたらし、トットちゃんの顔を上目づかいに見た。
このとき、トットちゃんの頭の中には、ひとつのことしかなかった。それは、
(もし、パパとママが、凄く怒って、ロッキーを捨てたり、よそにやったりしたら、どうしよう)
ということだった。トットちゃんにとって、何よりも、それは、悲しくて、こわいことだった。だから、トットちゃんは、ロッキーにくっついて、うずくまって、右の耳を押さえながら、大きな声で、繰り返し、こういった。
「ロッキーを叱らないで!ロッキーを叱らないで!」
パパとママは、そんなことより、耳がどうなったのか知ろうとして、トットちゃんの手を耳からどかそうとした。トットちゃんは、手を離さないで、叫ぶようにいった。
「痛くなんかない!ロッキーのこと、怒らないで!怒らないで!」
トットちゃんは、このとき、本当に痛さは感じていなかった。ロッキーのことだけが心配だった。
そういってる間にも、血がどんどん流れていた。パパとママに、やっとロッキーが噛んだらしい、ということがわかったけど、とにかく、「怒らない」と約束した。それで、やっと、トットちゃんは、手を離した。ブラブラになってる耳を見て、ママは悲鳴をあげた。それから、ママが道案内をして、パパが、トットちゃんを抱えて、耳のお医者様に行った。とにかく、手当てが早かったのと、運がよかったのとで、耳は、もと通りに、つく、ということがわかった。パパとママは、やっと安心した。でも、トットちゃんは、パパとママが、「怒らない」って言う約束を守ってくれるかだけが、心配だった。
トットちゃんは包帯で、頭から、あごから、耳から、グルグル巻きにされてまるで白兎のようになって、家に帰った。怒らないと約束したけど、パパは、(ひとこと、ロッキーにいわなくては気が済まない)と思っていた。でも、ママが、「約束したんだから」と目で知らせて、パパは、やっと我慢した。
トットちゃんは、ロッキーに、「もう大丈夫!誰も怒っていない」ということを、早く知らせたくて、急いで家に入った。でも、ロッキーは、どこにも見えなかった。このとき、トットちゃんは、はじめて、泣いた。お医者様のところでも、一生懸命、我慢して、泣かなかったのに、泣けば、その分だけロッキーが叱られると思ったから。でもいまは、涙が止まらなかった。泣きながら、トットちゃんは、名前を呼んだ。
「ロッキー!ロッキー!いないの?」
何度が呼んだとき、トットちゃんの涙でいっぱいの顔が、ニッコリした。だって見馴れた茶色の背中がソファーの後ろから、少しずつ見えて来たから……。ロッキーは、トットちゃんに近づくと、包帯の隙間から見えてる、トットちゃんの、大丈夫のほうの耳を、そーっと、なめた。トットちゃんは、ロッキーの首を抱くと、耳の中のにおいをかいだ。パパもママも、「くさい」というけど、トットちゃんには、なつかしく、いいにおいだった。
ロッキーもトットちゃんも疲れて眠くなった。
夏の終わりの月は、前よりもっと仲良くなった、この包帯だらけの女の子と、もう絶対に「狼ごっこ」をやらない犬を、庭の少し上のほうから、見ていたようだった。
回复 支持 反对

使用道具 举报

头像被屏蔽
 楼主| 发表于 2006-4-25 21:33:03 | 显示全部楼层
トモエの運動会は「十一月三日」と決まっていた。それは、校長先生が、いろんなところに問い合わせた結果、秋で、雨の降ることが最も少ないのが、この十一月三日とわかったので、そう決めて以来、毎年、この日にやることになっていた。前の日から、すっかり校庭にいろんな準備や飾り付けをして楽しみにしてる子供達の運動会に、できる限り雨が降らないでほしいと願う校長先生の、お天気データ集めが成功したのか、その気持ちが、空の雲や、お日様に通じたのか、本当に不思議なくらい、この日は雨が降らなかった。
ところで、トモエ学園には随分いろんなことが、普通の学校と違っていたけど、運動会は、とりわけユニークなものだった。普通の小学校と同じものは、綱引きと、二人三脚くらいのもので、あとは全部、校長先生の考えた競技だった。それも、特別な道具を使うとか、大げさなものは、何一つなく、すべて、学校にあるおなじみのもので、まにあった。
例えば、「鯉のぼり競争」というのは、出発点から、ヨーイドン!で、少し走って、校庭の真ん中においてある、というか、寝ている、大きい布の鯉のぼりの、口から入って、しっぽから出て、また出発点まで帰って来る、というのだった。鯉は、青い色が二匹と赤いのが一匹で、合計三匹いたから、三人が同時にヨーイドン!で出発した。でも、これは、やさしいようで、案外難しかった。というのは、中に入ると、真っ暗で、胴体が長いから、しばらくゴソゴソやってるうちに、どっちから入ったのかわからなくなって、トットちゃんみたいに、何度も、鯉の口から顔を出して外も見ては、また、急いで中に、もぐっていく、というふうになってしまうからだった。これは、見ている子供たちにとっても、面白かった。というのは、中で誰かがゴソゴソ行ったり来たりしていると、まるで、鯉が生きてるように見えたから。
それからまた、「お母さん探し競争」というのもあった。これは、ヨーイドン!で、少し走って、横に長く置いて立ててある、木の梯子の、段と段の間を通り抜け、その向こうにある籠の中の封筒から、紙を取り出し、例えばそれに、\
「サッコちゃんのお母さん」
と書いてあったら、見物人の中に行って、サッコちゃんのお母さんを探し、手をつないでゴールインするのだった。これは、横にしてある梯子の四角い穴をくぐるのだから、よほど猫みたいに、うまくやらないと、お尻とかが引っかかった。それから、
「サッコちゃんのお母さん」
だったら知ってても、
「奥先生のお姉さん」とか、「津江先生のお母さん」とか、「国則先生の息子さん」になると、逢ったことがないから、見物人のところに行って、
「奥先生のお姉さん!」
と、大きい声で呼ばなきゃならなかったから、少し勇気も必要だった。だから、偶然、自分のお母さんにあたった子は、大喜びで、
「お母さん!お母さん!早く!」
と、飛び上がりながら叫ぶのだった。そして、この競争は、子供もだけど、見物人も、しっかりしてることが必要だった。子供が次々に走って来て、誰かのお母さんの名前を言うから、呼ばれたお母さんは、ぼんやりしてないで、すぐ、座っているベンチや、ゴザのところから立ち上がって、他の座ってるお父さんやお母さん達の間を、「恐れ入ります」なんていいながら、しかも、急いで、すり抜けて、誰かの子供と手をつないで走らなくちゃいけなかったし。だから、お父さん達も、子供が走って来て、大人の前に止まると、一斉に息を止めて、誰の名前を言うか、その子供に注目した。そんなわけで、大人たちも、雑談したり、なにか食べてる暇はなく、いつも子供達と、一緒にやってる気分だった。
綱引きは、校長先生を始め、全部の先生も二組に別れて、子供達の中に混じって、
「オー・エス・オー・エス!!」
と引っ張った。綱の真ん中の、ハンカチの縛ってあるところに、いつも注意して、
「どっちの組が勝ち!」
というのは、泰明ちゃんとか、体の不自由で、引っ張ることの出来ない子供達も役目だった。
そして、最後の全校リレーが、また、トモエらしいのだった。何しろ、リレーといっても、長く走るところは、あまりなく、勝負どころは、学校の中央にあたる、つまり門に向いて、お扇子型に広がっている、講堂に上がるコンクリートの階段を、かけのぼって、駆け降りて来る、という、他には類のないリレーコースだった。ところが、一見、たわいなく見えるのに、この階段の一段一段の高さが、普通の階段より、ずーっと低く、傾斜がゆるく、しかも、このリレーのときは、何段も一足飛びにやってはいけなく、丁寧に、一段一段上って一段一段降りて来る、というのだから、足の長い子や、背の高い子には、むしろ、むずかしかった。でも、これは、子供達にとって、毎日、お弁当の時間に駆け上がる階段が、「運動会用」となると、また別のもののように思えて面白く、新鮮で、みんなキャアキャアいって、上がったり、降りたりした。それは遠くから見ていると、美しく、万華鏡のようにさえ、見えた。階段は、てっぺんまで入れて、八段あった。
さてトットちゃん達一年生にとって、初めての運動会は、校長先生の希望通り、晴天で始まった。みんなで、前の日から、折り紙で作った、くさりとか、金色の星とか、いっぱい飾ったからとってもお祭りみたいだったし、レコードの音楽も気持ちがウキウキするようなマーチだった。
トットちゃんは、白いブラウスに、紺のショートパンツ、という、いでたちだった。本当は、絶対に、ひだのたくさんはいった、ブルーマーがよかったんだけど……。トットちゃんは、ブルーマーに憧れていた。それは、この前、トットちゃん達の授業が終わったあと、校長先生がお幼稚園の保母さん達に、校庭でリトミックの講習というのをしてるとき、数人の女の人が、ブルーマーをはいていて、それがトットちゃんの目を引いたのだった。なぜ、ブルーマーがよかったかというと、そのブルーマーをはいたお姉さんが、足を、「トン!」と地面につけると、ブルーマーから出ている腿が、“プルルン”と揺れて、それがなんとも、大人っぽくてトットちゃんは、
(いいなあ)
回复 支持 反对

使用道具 举报

头像被屏蔽
 楼主| 发表于 2006-4-25 21:34:51 | 显示全部楼层
昨天电脑运行不了,没能贴。实在是抱歉
本打算今天补上的,加班刚回来没有力气啦
下次再补
回复 支持 反对

使用道具 举报

头像被屏蔽
 楼主| 发表于 2006-4-25 22:34:52 | 显示全部楼层
と、憧れたのだった。だからとっとちゃんは、走って家に帰ると、自分のショートパンツを引っ張り出し、「トン!」とやってみた。でも、まだ一年生の女の子の、やせた腿では、”プルルン”にならなかった。何度もやってみた結果、トットちゃんはこう考えた。
「あのお姉さんのはいていたのなら”プルルン”になる!」
ママにお姉さんのはいてたのを説明したら、それが”ブルーマー”というものだとわかった。だからトットちゃんは、絶対に運動会には、「ブルーマー」とママに頼んでいたんだけど、小さいサイズが手に入らないということで、残念ながら、”ブルーマー”なしの、ショートパンツ、というのが、今日のトットちゃんの、いでたち、というわけだった。
さて、運動会が始まって、驚くことが起こった。それは、どの競技も(たいがい全校生徒が一緒にやるのだけれど)、学校で、一番、手足が短く背の小さい、高橋君が一等になっちゃうことだった。それは本当に信じられないことだった。みんなが、モゾモゾしてる鯉のぼりを、高橋君は、ササーッ!と通り抜けてしまったし、梯子に、みんなが頭を突っ込んでる頃、すでに梯子をくぐった高橋君は、さっさと何メートル先を走っていた。そして講堂の階段のぼりのリレーに到っては、みんながブキッチョに、一段一段やってる時、高橋君の短い足は、まるでピストンのように一気に上りつめ、映画の早回しフィルムのように、降りて来た。結局、みんなが、
「高橋君に勝とう!!」
と、誓い合い、真剣にやったのにもかかわらず、全部、一等になったのは、高橋君だった。トットちゃんも随分、頑張ったけど、ひとつも高橋君には勝てなかった。普通に走るところでは勝つけれど、その先の、いろんなことで、結局、負けちゃうのだった。高橋君は、自慢そうに、鼻をすこしピクピクさせ、うれしさと喜びを、いっぱいに体で表現しながら、一等のごほうびを受け取った。どれも一等だから、いくつも、いくつも、受け取った。みんなは、うらやましく、それを見ていた。
「来年は高橋君に勝とう!」
みんな、心の中でそう思った。(でも、結局、毎年、運動会の花形は、高橋君になるのだけど……)\
ところで、この運動会の、ごほうびというか、賞品が、また校長先生らしいものだった。何しろ、一等が「大根一本」、二等は「ゴボウ二本」、三等は「ホーレン草一束」という具合なんだから。だからトットちゃんは、随分、大きくなるまで、運動会のごほうびは、「どこでも、野菜」だと思っていたくらいだった。\
その頃、ほかの学校では、たいがい、ノートや鉛筆や、消しゴムなどだった。でも、ほかの学校のことを知らなくても、みんな、野菜というのには、少し抵抗があった。というのは、トットちゃんにしても、ゴボウとおねぎをいただいたんだけど、それを持って電車に乗るのはなんだか恥ずかしい気がした。そして、この野菜のごほうびは、三等以下にも、いろんな名目で配られたから、運動会の終わったとき、トモエの生徒、みんなが野菜を持っていた。何で野菜を持って学校から帰るのが恥ずかしいのか、よくわかんなかったkど、「ちょっと、かわってる」といわれるといやだといった子も、いたようだった。お母さんに頼まれて、家から、おつかいカゴなんかもって八百屋さんに行くのなら、恥ずかしくないんだけど。
キャベツがあったデブの男の子は、持ちにくそうに、あれこれ、抱え方を研究してたけど、とうとう、
「やーだよ。こんなの持ってかえるの恥ずかしいよオー。捨てちゃおうかなあー」
といった。校長先生は、みんながグズグズ言ってるらしいって聞いたのか、人参だの、大根だのを、ぶら下げてるみんなのところに来て、いった。
「何だ、いやかい?今晩、お母さんに、これを料理してもらってごらん?君達が自分で手に入れた野菜だ。これで、家の人みんなの、おかずが出来るんだぞ。いいじゃないか!きっと、うまいぞ!」
そういわれてみると、たしかにそうだった。トットちゃんにしても、自分の力で、晩御飯のおかずを手に入れたことは、生まれて初めてだった。だから、トットちゃんは、校長先生にいった。
「私のゴボウで、キンピラをままに作ってもらう!おねぎは、まだわかんないけど……」
そうなると、みんなも口々に、自分の考えた献立を先生に言った。先生は、顔を真っ赤にして笑いながら、うれしそうにいった。
「そうか!わかってくれたかい?」
校長先生は、この野菜で、晩御飯を食べながら、家族で楽しく、今日の運動会のことを話してくれたらいい、と思ってたかも知れない。そして、特に、自分で手に入れた一等賞で、食卓が溢れた高橋君が、「その、喜びを覚えてくれるといい」。背が伸びない、小さい、という肉体的なコンプレックスを持ってしまう前に、「一等になった自信を、忘れないでほしい」と校長先生は考えていたに違いなかった。そして、もしかすると、もしかだけど、校長先生の考えたトモエ風競技は、どれも高橋君が一等になるように、出来ていたのかも、知れなかった……
回复 支持 反对

使用道具 举报

头像被屏蔽
 楼主| 发表于 2006-4-26 21:26:47 | 显示全部楼层
生徒たちは、校長先生を、
「小林一茶!一茶の親父のはげ頭!」
などと呼ぶことが、よくあった。それは、校長先生の名前が「小林宗作」であり、また、校長先生が、よく俳句の話をして、中でも素晴らしいのが、「小林一茶」である、といつも言っていたから、生徒たちは、両方を混ぜて、先生をそう呼び、校長先生はもちろんだけど、一茶さんをも、友達のように思っていた。先生は、一茶の句が率直であり、生活の中から出ていることが好きだった。
何十万人いたかわからない当時の俳人の中で、誰も真似の出来ない自分だけの世界を作り、こんな、子供みたいな句が作れる人を尊敬もし、うらやましくも思っていた。だから、折りあるごとに、子供たちに一茶の句を教え、子供たちも、みんなそれを暗誦していた。
「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」
「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」
「やれ打つな 蠅が手をする 足をする」
それから、小林先生が即興に作曲したメロディーで、
「われと来て 遊べや 親のない雀」
を、みんなで歌うこともあった。授業の中に、はっきり入っていたわけではないけれど、校長先生の「俳句」の時間は、よくあった。
トットちゃんの初めて作った俳句、
「のらくろは 兵隊やめて 大陸へ行く」
……自分の思ってることを、正直に句にしてごらん、と校長先生は言ったけど、トットちゃんの句は、俳句とはいえなかった。でも……”そのときトットちゃんが、何に関心を持っていたか”は、少なくとも、これでよくわかった。数えてみると、五・七・五ではなくて、五・七・七になっちゃったけど、一茶のおじさんだって、
「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」
では、五・八・七だから(いいや!)と、トットちゃんは思ったのだった。
九品仏に散歩に行くとき。雨が降って、みんな外で遊べないで行動に集まったとき。トモエの小林一茶は、子供たちに、俳句のこと、また俳句を通して、人間について、自然について、考えることを教えた。そして、一茶の句はトモエに、合っていた。

雪とけて 村いっぱいの 子供かな(一茶)
回复 支持 反对

使用道具 举报

头像被屏蔽
 楼主| 发表于 2006-4-28 21:37:56 | 显示全部楼层
トットちゃんは、昨日、生まれて初めて、お金を拾った。どこで拾ったかといえば、それは、学校から帰ってくる電車の中だった。自由が丘から大井町線に乗って、次の、緑が丘の駅に着く前に、大きいカーブがあって、いつも電車がキキィーと傾くから、トットちゃんは昨日も、ちゃんと両足をふんばって、オットトット!なんて、ならないように準備していた。トットちゃんの立つ場所は、走ってる電車の最後尾の、進行方向に向かって右側のドア、といつもきまっていた。それは、自分の駅に着いたら、右が開くから、すぐ降りられるし、駅の階段に、一番近いのが、このドアだったからだった。
さて、昨日のことだけど、キキィーとなった! と思ったとき、トットちゃんは足の近くに、ちょっと、お金みたいなものが落ちているのに気がついた。でも、前にお金だと思って拾ったら、ボタンだったこともあったから、
(よく見てから、お金かどうか、考えよう)
と思って、キキィーの後、電車が、まっすぐになってから、顔を近づけて、よく見てみた。それは、紛れもなく、お金で、五銭玉だった。その辺の誰かが落として、それが、傾いたときに飛んできたのかと思ったけど、そのとき、そこにたっているのは、トットちゃんだけだった。
(どうしよう?……)
そのとき、「お金を拾ったときは、すぐ交番へ」って、誰かが言ったことを思い出した。
(でも、電車の中には交番は、ないじゃないの?)
そのとき、最後部の車掌室にいた車掌さんが、ドアを開けて、トットちゃんのいる車両に入って来た。そのとき、どんな事が、トットちゃんの頭に浮かんだのか、トットちゃんは自分でも、よくわかんなかったけど、とっさに、その五銭玉の上に、右足を乗っけてしまった。顔見知りの車掌さんは、トットちゃんを見るとニコニコした。でもトットちゃんは、右足の下が気になって、心から笑うことはできなかったけど、少しは、笑った。そのとき電車は、トットちゃんの降りる駅のひとつ前の大岡山につき、反対側のドアが開いた。ところが、どういうわけか、いつもより大人がいっぱい乗り込んで来て、トットちゃんを押した。右足を動かすわけにいかないから、トットちゃんは必死に防いだ。防ぎながら、こう考えていた。
(降りるとき、このお金を持って降りて、交番に届けることにする!)
でも、また、そこで新しい考えが浮かんだ。
(でも、足の下から、お金を取るとき、もし、大人が見たら、泥棒!と思うかもしれない!)
その頃の五銭というお金は、小さいキャラメルが一箱か、板チョコが一枚、買えるくらいの金額だった。だから、大人にすれば、たいした額ではないけど、トットちゃんにとっては、大金だったから、とても心配になった。
(そうだ!「あっ!私、お金落としたから、ひろわなくちゃ」って小さい声で言ってから、拾えば、みんなが、私のお金だと思うに違いない!)
 でも、またすぐ、違う心配の考えが浮かんだ。
(もし、そんなこと私が言って、みんなが私を見たら、誰かが、「それは、おれのだ」って言うかもしれない。そしたら、怖くなっちゃう……)
いろいろ思い巡らした結果、降りる駅の近くになったとき、しゃがんで、靴の紐を結ぶふりをして、そーっと、拾うことを思いつき、それに成功した。
汗びっしょりで、五銭玉を手にプラットホームに降り立ったとき、トットちゃんは、とっても疲れたような気がした。そして、ここから、うんと違い交番まで、届けに行ったら、遅くなって、ママが心配する、と思った。だから、駅の階段をとんとんと降りながら真剣に考えて、こういうことにすることに決めた。
(今日は、誰も知らないところにしまっておいて、明日、学校に行くとき持っていって、みんなに相談する。それに、お金拾った子なんていないんだから、「これが、拾ったお金!」って見せてあげなきゃ)
それから、トットちゃんは、お金の隠し場所について考えた。家に持って帰ったら、ママが、
「これ、どうしたの?」
って聞くかもしれないから、家じゃないところ。
そこで、駅のすぐそばの、木の茂みの中に、もぐってみた。そこは誰からも見られないし、誰かが入ってくる心配もなさそうで、とても安全に見えた。トットちゃんは、棒で小さな穴を掘り、その真ん中に、大切な五銭玉を入れ、土を充分にかけた。そして、目印に、形の変わった石を見つけてきて、その上にのせた。それからトットちゃんは、茂みを出ると、大急行で家に向かって、かけだした。
その夜、いつもだと、「もう寝る時間よ!」とママに言われるまで、学校のことをしゃべるんだけど、あんまりしゃべらずに、早く寝た。
そして、今日の朝!(なんだか、とても大切なことがあった!)と思い出したとき、トットちゃんは、とても、うれしかった。
いつもより、少し早く家を出たトットちゃんは、ロッキーと、かけっこをしながら、しげみに、とびこんだ。
「あった!あった!」
昨日、トットちゃんが、ちゃんと置いといた、目印の石が、ちゃんと、そのままだった。トットちゃんは、ロッキーに、
「いい物を見せてあげるからね」
といって、石をどかして、そーっと穴を掘った。ところが、こんなに不思議な事は、またとない、と思うんだけど、あの五銭玉は、消えていた。トットちゃんは、こんなに、びっくりした事はなかった。“誰かが、隠すところを見てたのかな? ”とか、”石の動いたのかな?”とか、いろいろ推理をして、あっちこっち掘ったりしてみたけど、ついに、五銭玉は、どこからも出て来なかった。トットちゃんは、トモエのみんなに見せてあげられなくなったことが、とても残念だったけど、それよりも、「不思議!」と思うほうが強かった。
その後も、そこを通るたびに、茂みに、潜って掘ってみたけど、二度と再び、あの、拾った五銭玉は出て来なかった。
(もぐらが持ってったのかなあ?)
とか、
(あれは昨日の夢だったのかな?)
とか、
(神様が見てたのかな?)
とか、トットちゃんは考えた。でもどんな風に考えてみても、これは不思議なことで、いつまでも、いつまでも、忘れられない不思議なことだった。
回复 支持 反对

使用道具 举报

您需要登录后才可以回帖 登录 | 注~册

本版积分规则

小黑屋|手机版|咖啡日语

GMT+8, 2024-4-28 04:04

Powered by Discuz! X3.4

© 2001-2017 Comsenz Inc.

快速回复 返回顶部 返回列表