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发表于 2006-4-17 21:18:57
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夏休みも終わり、二学期が始まった。夏休みの間、いろんな集まりのたびに、トットちゃんは、クラスのみんなとは勿論、上級生の一人一人とも親しくなった。そして、トモエ学園のことが、もっともっと好きになっていた。
トモエは、普通の小学校と授業方法が変わっている他に、音楽の時間が、とても多かった。音楽の勉強にも、いろいろあったけど、中でも「リトミック」の時間は、毎日あった。リトミックというのは、ダルクローズという人が考えた、特別のリズム教育で、この研究が発表されると、1905年(明治三十八年)頃のとこなんだけど、全ヨーロッパ、アメリカなどが、いち早く注目して、各国に、その養成所とか、研究所とか、できたくらいだった。で、どうして、このトモエにダルクローズ先生のリトミックが入って来たのか、といえば、こういう、いきさつだった。
校長の小林宗作先生は、トモエ学園を始める前に、外国では、子供の教育を、どんな風にやっているかを見るために、ヨーロッパに出発した。そして、いろんな小学校を見学したり、教育者といわれる人達を聞いたりしていた。そんな時、パリで、小林先生は、素晴らしい作曲者でもあり、教育者でもあるダルクローズ、という人に出逢い、このダルクローズが、長い間、
「どうしたら、音楽を耳でなく、“心で聞き、感じる”ということを子供に教えられるだろうか。生気のない教育ではなく、動きのある生きている音楽を感じ取ってもらうには……。どうしたら子供の感覚を目覚めさせられるだろうか?」
ということを考えていて、遂に、子供達の、自由に飛び跳ねるのを見ていて発見し、創作したリズム体操、「リトミック」というものがあることを知った。そこで、小林先生は、パリのこのダルクローズ学校に一年いようも滞在して、リトミックを身につけた。少し歴史的な話になるけれど、日本人で、このダルローズの影響を受けた人は多く、山田耕作を始め、モダンダンスの創始者石井漠、歌舞伎の二代目市川左団次、新劇運動の先駆者小山内薫、舞踊家伊藤道郎。こう言った人達も、リトミックが、あらゆる芸術の基礎である、ということで、ダルクローズに学んだ。でも、このリトミックを、小学校の教育に取り入れてみようとしたのは、小林先生が初めてだった。
「リトミックって、どういうものですか?」
という質問に、小林先生は、こう答えた。
「リトミックは、体の機械組織を、さらに精巧にするための遊戯です。リトミックは、心に運動術を教える遊戯です。リトミックは、心と体に、リズムを理解させる遊戯です。リトミックを行うと、正確が、リズミカルになります。リズミカルな性格は美しく、強く、素直に、自然の法則に従います。」
まだ、いろいろあるけれど、とにかく、トットちゃん達のクラスは、体にリズムを理解させることから始まった。行動の小さいステージの上のピアノを校長先生が弾く。それに合わせて、生徒は、思い思いの場所から歩き始める。どう歩いてもいいけど、人の流れと逆流して歩くと、ぶつかって、気持ちが悪いから、なんとなく、同じ方向に、つまり、輪になる形で、でも一列とかじゃなく、自由に流れるように歩くのだった。そして、音楽を聴いて、それが“二拍子”だと思ったら、両手を大きく指揮者のように上下に二拍子に振りながら、歩く。足は、ドタドタじゃなく、そうかといって、バレエのような、つま先立ちでもなく、どっちかっていえば、「足の親指を引きずるように、体を楽に、自由にゆすれる形で、歩くのが、いい」と先生はいった。でも、いずれにしても、自然が第一だったから、その生徒の感じる歩き方でよかった。そして、リズムが三拍子になったら両腕は、すぐに三拍子を大きくとり、歩き方も、テンポに合わせて、早くなったり、遅くなったりさせなきゃ、いけなかった。そして、両腕の指揮風上げ下ろしも、六拍子まであったから、四拍子くらいだと、まだ
「下げて、まわして、横から、上に」
ぐらいだけど、五拍子になると、
「下げて、まわして、前に出して、横にひいて、そのまま上に」
で、六拍子になると、もう、
「下げて、まわして、前に出して、もう一度、胸の前で、まわして、横にひいて、そのまま上に」
だから、拍子が、どんどん変わると、結構難しかった。そして、もっと難しいのは、校長先生が、時々ピアノを弾きながら、
「ピアノが変わっても、すぐには変わるな!」
と大きい声で、いうときだった。例えば、それは、初め、“二拍子”のリズムで歩いていると、ピアノが“三拍子”になる。だけど、三拍子を聞きながら、二拍子のままで歩く。これは、とても苦しいけど、こういうときに、かなり、子供の集中力とか、自分の、しっかりした意志なども養うことが出来る、と校長先生は考えたようだった。
さて、先生が叫ぶ。
「いいよ!」
生徒は、「ああ、うれしい……」と思って、すぐ三拍子にするのだけど、このときに、まごついてはダメ、瞬間的に、さっきの二拍子を忘れて、頭の命令を体で、つまり筋肉の実行に移し、三拍子のリズムに順応しなければ、いけない、と思った途端に、ピアノは、五拍子になる、という具合だった。初めは、手も足も、目茶苦茶だったり、口々に。
「先生、待ってよ、待ってよ」
といいながら、ウンウンやったけど、馴れてくると、とても気持ちがよく、自分でも、いろんなことを考え出してやれることもあって、楽しみだった。たいがいは、流れの中で一人でやるんだけど、気が向いたときは、誰かと並んでやったり、二拍子のときだけ、片手をつないだままやったり、目をつぶってやってみたり。ただ、しゃべることは、いけないとされていた。
ママ達も、たまに父兄会のときなんかに、そーっと外から見ることもあったけど、子供達がそれぞれ、その子らしい表情で、のびのびと手足を動かし、いかにも気持ちよさそうに、飛び跳ねて、しかも、リズムに、きっちり、あっている、という光景は、いいものだった。
リトミックは、こんな風に、体と心にリズムを理解させることから始まり、これが、精神と肉体との調和を助け、やがては、想像力を醒まし、創造力を発達させるようになればいい、という考えのものだった。だから、初めての日、トットちゃんが、学校の門のところで、ママに、
「トモエって、なあに?」
と聞こうとしたけど、この学校の「トモエ」、というのは、白と黒から出来ている紋所の一種の二つ巴で子供達の身心両面の発達と調和を願う、校長先生の心の現われだった。
リトミックの種類は、まだたくさんあったけど、とにかく、校長先生は、子供達の、生まれつき持ってる素質を、どう、周りの大人たちが、損なわないで、大きくしてやれるか、ということを、いつも考えていた。だから、このリトミックにしても、
「文字と言葉に頼り過ぎた現代の教育は、子供達に、自然を心で見て、神の囁きを聞き、霊感に触れるというような、官能を衰退させたのではなかろうか?
古池や 蛙とびこむ 水の音……池の中に蛙がとびこむ現象を見た者は、芭蕉のみでは、なかったろうに、湯気たぎる鉄瓶を見た者、林檎の落ちるのを見た者は、古今東西に於いて、ワット一人、ニュートン一人というわけで、あるまいに。
世に恐るべきものは、目あれど美を知らず、耳あれども楽を聴かず、心あれども真を解せず、感激せざれば、燃えもせず……の類である」
などと嘆いていた校長先生が、きっと、いい結果を生むに違いないと授業に入れたものだった。そして、トットちゃんは、イサドラ・ダンカン風に、はだしで走りまわり、とびまわって、それが、授業だなんて、すごく嬉しいと思っていた。 |
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