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楼主: shixinglan

[好书推荐] 窓際のトットちゃん(每日更新....全文完!)

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 楼主| 发表于 2006-4-28 21:53:37 | 显示全部楼层
今日の午後、自由が丘の改札口の近くのところで、トットちゃんより、少し大きい男の子が二人と、女の子が一人、ちょっと見ると、ジャンケンをしてるのかな?と思うような格好で話していた。でもよく見ると、それはジャンケンの、チョキとグー、パーより、いっぱい、いろんな形があったから、(とても面白そうだ!)と、トットちゃんは思って、近くに寄って、よく見てみた。三人は、話してるみたいだけど、声は出していなくって、一人、誰かが手を動かして、いろんな形をやると、次の誰かが、それを見ていて、すぐ、別の何か形を手で、いろいろやって、三人目が、少しやると、突然、とっても面白そうに少し声を出して、大笑いをしたりした。だから、トットちゃんは、しばらく見ているうちに、それは、手でお話しているのだとわかった。
(私も、手でお話、できたらいいのになあ)
と、トットちゃんは、うらやましく思った。で、仲間に入ろうか、と思ったけど、どうやって、手で、
「私も入れて?」
ってやるのかわからないし、トモエの生徒じゃないのに、お話したら失礼だと思って、トットちゃんは、三人が、東横線のホームの上がって行ってしまうまで、黙ったまま、それを見ていた。そして、いつか必ず、
「私も、みんなと、手でお話しする人になる!」
と、心の中で決めていた。
まだ、トットちゃんには、耳の不自由な人がいる、という事や、その子達が、トットちゃんと同じ大井町の終点の、大井町にある、府立の、聾唖学校の生徒だ、という事も、わかっていなかった。
ただ、トットちゃんにとっては、目を輝かして、相手の指の動きを見ている子供たちが、とても美しいと思え、いつか、お友達になりたい、と、そんな風に考えていたのだった。
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 楼主| 发表于 2006-5-2 22:23:08 | 显示全部楼层
  
トモエの小林先生の教育方法は、独特であったけど、多分に、ヨーロッパや、そのほかの外国の影響も、受けていた。例えば、リトミックをはじめとする新しいリズム教育。お食事や、お散歩のときなどのマナー。お弁当のときに歌う、
 よーく 噛めよ 食べ物を……
は、イギリスの、
ロー ロー ロー ユアー ボート
の替え歌だったし、その他にも、いろいろあった。ところが、この小林先生の、片腕というか、普通の学校なら、教頭先生に当たる、丸山先生という先生は、全く、ある点、小林先生と違っていた。丸山先生は、名前の丸と同じに、真ん丸い頭で、そのてっぺんには毛が一本もなくて、ツルツルだけど、よく見ると、耳の横から、後ろにかけては、短くて光っている白い毛が、ずーっと生えている、というところや、真ん丸い眼鏡に、真っ赤な頬っぺたという、見たところが、まず小林先生とは違っていたけど、それよりも、時々、
ベンケイ シクシク 夜 河をわたる
という詩吟を、みんなに聞かせるところが、とても違っていた。本当は、
鞭声 粛々 夜 河を過る
というのだけれど、トットちゃんたちは、弁慶が、シクシクと泣きながら、夜、川を渡っていくときの歌だと信じていた。それにしても、丸山先生の「ベンケイ シクシクは有名だった。
ところで、十二月の十四日のことだった。朝、みんなが学校に集まると、丸山先生は、いった。
「今日は、四十七士が討ち入りをした日なので、泉岳寺まで、歩いて、お参りに行きます。お家のほうには、もう連絡してありますから」
小林先生は、この丸山先生の、やりたい事に、反対はしなかった。どう思っていたかは、わからないけど、反対しなかった。という事は、「悪くない」と思っていた事になるのだから。それにしても、やっぱり、トモエと四十七士お墓参りと言うのは、なんとなく、取り合わせが面白い、と、トットちゃんのママなどは思っていた。
出発の前に、丸山先生は、四十七士の大体の筋を説明した。中でも、四十七士に武具を調達した、天野屋利兵衛という人が、幕府の役人に、どんなに追及されても、
「天野屋利兵衛は、男でござる」
といって、仇討ちの秘密を、漏らさなかった、というところを、繰り返し、みんなに話した。生徒たちは、四十七士のことは、あまりよくわからなかったけど、授業がなくて、九品仏のお寺より、遠いところまで、お弁当を持って散歩に行く、という事に興奮していた。校長先生や、ほかの先生に、
「行ってまいりまーす」
をして、全校生徒、五十人が、丸山先生を先頭に歩き出した。そのうち、列の、あっちでも、こっちでも、
「天野屋利兵衛は男でござる」
という声が聞こえた。女の子も、大きい声で、
「……男でござる」
などと叫んだから、道を歩く人は、笑って振り返ったりした。自由が丘から泉岳寺までは、約三里(十二キロ)の道のりだった。でも車もほとんどなく、空は青い、十二月の東京、
「天野屋利兵衛は男でござる」
を連発しながら、ゾロゾロ歩く子供たちにとっては、ちっとも苦にならない道だった。
泉岳寺に着くと、丸山先生、みんなに、お線香や、水や、花を渡した。九品仏のお寺よりは、小さかったけど、お墓は、たくさん、並んでいた。
そして、ここに、「シジュウシチシ」という人が、お祭りしてあるのだ、と思うと、トットちゃんも、おごそかな気分になって、お線香や、お花を供えて、黙って、丸山先生のするように、お辞儀した。生徒たちの間に、静寂、というようなものが広がった。トモエには珍しく、静かになった。どのお墓の前のお線香も、長く長く、空に、煙で絵を描いていた。
その日以来、トットちゃんにとって、お線香のにおいは、丸山先生の、においになった。そして、それは、また、
「ベンケイ シクシク」
のにおいでもあり、
「天野屋利兵衛」
の、においでもあり、
「静か……」
の、においでもあった。
子供たちは、ベンケイも四十七士も、あんまり、よくは、わからなかったけど、それを、熱を込めて、子供たちに話す丸山先生を、小林先生とは、また違った意味で、尊敬し、親しく思っていた。それから、丸山先生の度の強い、とても厚いレンズの向こうの、小さい目と、大きい体に似合わない、やさしい声を、トットちゃんは、大好きだと思っていた。
お正月は、もう、そこまで来ていた。
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 楼主| 发表于 2006-5-3 10:34:13 | 显示全部楼层
    
  トットちゃんが、家から駅に行ったり、帰ったりする途中に、朝鮮の人が、住んでいる長屋があった。トットちゃんには、もちろん、その人たちが、朝鮮の人、ということは、わからなかった。ただ、わかっていることは、その中の一人の、おばさんが、髪の毛を、真ん中から分けて、ひっつめに結っていて、少し太っていて、先のとがった、小さいボートみたいな白いゴムの靴に、長いスカートで、胸に大きく、リボンみたいのを結んだ洋服を着ていることと、いつも、大きな声で、
「マサオちゃーん!」
と、自分の子供を探していることだった。本当に、このおばさんは、いつも、マサオちゃんの名前呼んでいた。それも、ふつうなら、
「マサオちゃん」
というふうに、「サ」と「オ」にアクセントが、くるんだけど、このおばさんは、
「マサオちゃーん」
と、「サ」だけが大きくなって、しかも、「ちゃーん」と、伸ばすところが、高い声になるので、それがトットちゃんには、悲しいみたいに聞こえた。
この長屋は、トットちゃんの乗る大井町線の線路に面していて、少し高く、ガケのようになっているところにあった。
マサオちゃんを、トットちゃんは知っていた。トットちゃんより、少し大きく、二年生くらいで、どこの学校に行っているのかは、わからなかったけど、モシャモシャの髪の毛をして、いつも犬を連れて、歩いていた。
あるとき、トットちゃんが、学校の帰りに、この小さいガケの下を通ったときだった。マサオちゃんが、そこに仁王立ちに立っていた。両手を腰に当てて、えらそうな恰好で、突然、トットちゃんに、大きい声で叫んだ。
「チョーセンジン!」
それは、とても憎しみのこもった、鋭い声で、トットちゃんは、怖かった。そして、何にも話をしたことも、意地悪をしたこともない男の子が、何か、憎しみを込めて、高いところから、自分に、そんなこと、いったことにも、びっくりした。
トットちゃんは、家に帰ると、ママに報告した。
「私のこと、マサオちゃんが、チョーセンジン!といった」
ママは、トットちゃんの報告を聞くと、手を口に当てた。そして、みるみるうちに、ママの目に、涙が、いっぱいになった。トットちゃんは驚いた。何か、とても悪いことなのかと思ったから、すると、ママは、鼻の頭を赤くして、涙を拭きもしないで、こういった。
「かわいそうに……。きっとみんながマサオちゃんに、『朝鮮人!朝鮮人!』と言うんでしょうね。だから、『朝鮮人!』というのは、人に対しての悪口の言葉だと思っているのね。マサオちゃんには、まだ、わからないのよ、小さいから。よく、みんなが、悪口を言うとき、『馬鹿!』なんて言うでしょう?」マサオちゃんは、そんな風に、誰かに悪口を言いたかったので、いつも自分が、人から言われているように、『チョーセンジン!』と、あなたに、いってみたんでしょう。なんて、みんなは、ひどいことをいうのかしらね……」
それから、ママは涙をふくと、トットちゃんに、ゆっくり、こういった。
「トットちゃんは、日本人で、マサオちゃんは、朝鮮という国の人なの。だけど、あなたも、マサオちゃんも、同じ子供なの。だから、絶対に、『あの人は日本人』とか、『あの人は朝鮮人』とか、そんなことで区別しないでね。マサオちゃんに、親切にしてあげるのよ。朝鮮の人だからって、それだけで、悪口言われるなんて、なんて気の毒なんでしょう」
トットちゃんは、まだ、そういうことは、難しかったけど、少なくとも、あのマサオちゃんが、理由なく、人から悪口を言われている子供だってことは、わかった。そして、だから、いつもお母さんが、マサオちゃんを心配して探しているのだろう、と考えた。だから次の朝、またガケの下を通ったとき、お母さんが、かん高い声で、
「マサオちゃーん!」
と呼んでるのを聞きながら、
(マサオちゃんは、どこに行ったのかしら?)
と思い、
(私はチョーセンジンという人じゃないらしいけど、もし、マサオちゃんが、また私に、そういったら、『みんな同じ子供!』といって、お友達になろう)と考えていた。
それにしても、マサオちゃんのお母さんの声は、いらだたしい、という感じと、不安とがまざった。特別の響きで、長く尾を引いていた。そして、それが、時には、そばを通る電車の音に消されることもあった。でも、
「マサオちゃーん!」
それは、一度聞いたら、忘れられないくらい、さびしく、泣いているような声でも、あったのだった。
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 楼主| 发表于 2006-5-3 18:54:52 | 显示全部楼层
トットちゃんの憧れは、このところ、“ふたつ”あった。この前の、運動会のブルーマー。もうひとつは、三つの編みの、おさげだった。電車の中で、大きいお姉さんの、おさげをみたとき、
(ああいう髪の毛の人になろう!)
と、決めたのだった。
だから、みんなは短いオカッパ頭にしてたけど、トットちゃんは、横わけにして、少しだけリボンで結び、毛は長くたらしていた。それは、ママの趣味でもあったけど、いつか、おさげにしよう、という気持ちが、トットちゃんにあったから。そして今日、とうとう、トットちゃんは、ママに、三つの編みの、おさげにしてもらったのだった。輪ゴムで先っちょを止め、細いリボンを結ぶと、もう上級生になったみたいでうれしかった。鏡で、どんなにステキ化、確かめると、(本当は、お姉さんたちに比べると、毛も少なく、短くて、子豚のしっぽみたいだったんだけど)犬のロッキーのところに走っていって、大事そうに、つまんでみせた。ロッキーは、目を二回か三回、パチパチさせた。トットちゃんは言った。
「あんたの毛も、おさげにできたら、いいのにね」
それからトットちゃんは、「くずれるといけない!」と考えて、頭を動かさないようにして電車に乗った。もしかすると、電車の中で、\
「あら、ステキな、おさげ!!」
なんて、誰かが言ってくれないかな?などとも考えていたけど、誰も言ってくれなかった。それでも学校に着くと、同級生の、ミヨちゃん、サッコちゃん、青木恵子ちゃんが、
「わあ!おさげにしてる!」
と一斉にいったので、とても満足した。だから、ちょっとずつ、三つ編みを、さわらしてあげたりもした。でも、男の子は、誰も、「わあ!」とは、いってくれないみたいだった。
ところが、お弁当の時間が終わったときだった。同級生の大栄君が、突然、
「あれえ?トットちゃんの毛、いつもと違う!」
と大きい声で言った。トットちゃんは、(男の子も気がついた!)と、うれしくなって、得意そうに、
「そう。おさげ」
といった。すると大栄君は、トットちゃんのそばに来て、いきなり両手で、おさげをつかむと、
「ああ、今日は疲れたから、ぶら下がるのにちょうどいい。電車の、つり革より、ラクチンだ!」
と歌うようにいったのだった。そして、トットちゃんの悲しみは、それだけでは終わらなかった。というのは、大栄君は、クラスの中でも、一番、体が大きくて肥っていた。だから、痩せて小さいトットちゃんの倍くらいあるようにみえた。その大栄君が、
「ラクチンだ!」
といって、後ろに引っ張ったから、トットちゃんは、よろけて、尻もちをついてしまったのだった。「つり革」なんていわれて傷ついて、しかも尻もちまでついたトットちゃんが、
「ワァ!!」
と泣いたのは、次に、大栄君が、立たせてくれようとして、おさげを持ったまま、冗談に、
「オーエス!オーエス!」
といって、運動会の綱引きみたいに、かけ声をかけて、ひっぱったときだった。
トットちゃんにしてみれば、おさげは、「大人の女の子になった」という”しるし”のはずだった。だから、おさげをしてるトットちゃんを見て、みんなが、
「おそれいりました」
といってくれるさえ思っていたのに……。トットちゃんは、
「ワァ!!」
と泣くと、そのまま走って、校長室まで行った。
トットちゃんが泣きながら、ノックをすると、校長先生は、ドアを開けて、いつもみたいに、トットちゃんと同じ目の高さになるまで、体を低くして、聞いた。
「どうしたんだい?」
トットちゃんは、おさげが、まだ、ちゃんとそのままになっているかどうか、たしかめてから、
「大栄君が、これを引っ張って、オーエス!オーエス!といった」
といった。校長先生は、トットちゃんを見た。細くて短いおさげは、なき顔と反対に、元気そうで、踊ってるみたいだった。先生は、椅子にかけ、トットちゃんを前のいすに座らせると、普段の通り、歯の抜けているのを気にしないでニコニコしていった。
「泣くなよ。君の髪は、ステキだよ」
トットちゃんは、涙でビショビショの顔を上げると、少し恥ずかしそうに、いった。
「先生、これ好き?」
先生は言った。
「いいじゃないか」
この一言で、トットちゃんの涙が止まった。トットちゃんはいすから降りると、いった。
「もう、大栄君が、オーエス!といっても、泣かない」
校長先生は、うなずいてから笑った。トットちゃんも笑った。笑い顔は、おさげに似合った。
トットちゃんは、お辞儀をすると、運動場に走っていって、みんなと遊び始めた。
そして、トットちゃんが、泣いたことを、ほとんど忘れかけたころだった。大栄君が、頭をかきかき、トットちゃんの前に立って、少し間のびのした、大きい声で、こういった。
「ゴメン!さっき、引っ張って。校長先生に叱られたよ。女の子には親切に、だって。女の子は大切に、やさしくあげなきゃ、いけないってサ!」
トットちゃんは、少しびっくりした。だって「女の子に親切にする」なんてこと、これまで、聞いたことがなかったkら。偉いのはいつも男の子だった。トットちゃんの知っている、子供のいっぱいいる家でも、いつも、ご飯でも、おやつでも、男の子から先だったし、何かその家の女の子が、言うと、お母さんが、
「女の子は、黙ってらっしゃい」
といった。それなのに、校長先生は、「女の子に大切に」って大栄君に言ったんだ。トットちゃんは不思議な気持ちがした。それから、うれしい気もした。誰だって、大切にされるのは、うれしいことだもの。
大栄君にとっても、この日のことは、強いショックだった。「女の子には、やさしく、親切に!」そして、これは、いつまでも忘れられない思い出になった。どうしてかって、いえば、大栄君がトモエにいた間、校長先生に叱られたのは、後にも先にも、このときだけだったんだから。
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 楼主| 发表于 2006-5-4 19:46:54 | 显示全部楼层
冬休みになった。夏休みと違って、学校に集まることはなくて、みんな、家族と過ごすことになっていた。右田君は、
「おじいちゃんのいる九州で、お正月をするんだ!」
と、みんなにいいふらしていたし、科学の実験の好きな泰ちゃんは、
「お兄さんと、どっかの物理の研究所に見学に行くんだ」
と楽しみそうにしていた。みんなも、いろいろいいながら、
「またね、またね」
と、別れていった。
トットちゃんは、パパやママと、スキーだった。パパのお友達で、同じオーケストラのチェリストで指揮者の斉藤秀雄さんが、とても上等のお家を、志賀高原に持っていた。そこに、毎年、冬に、お邪魔するようになっていたので、トットちゃんは、幼稚園の頃から、スキーを始めていた。
駅から馬橇に乗って志賀高原に着くと、真っ白の雪の世界で、リフトとか、何にもなくて、すべる所には、ときどき、木の切り株なんかが、出っ張ったりしていた。斉藤さんのお家みたいのが、志賀高原にない人の泊まるところは、旅館が一つと、ホテルが一つあるだけど、ママが言っていた。でも、面白いことに、外国の人が多かった。
それまでの年と今年とでトットちゃんが違うことは、一年生になったことと、英語をひとつ、覚えたことだった。パパから教わったのだけど、それは、
「サンキュー」
というのだった。いつも雪の上にスキーをはいて、トットちゃんが立っていると、外国の人達が、そばを通りながら、みんなトットちゃんに、何か言う。きっと「可愛い」とか、何とか、そんなふうなことだったかも知れないけど、トットちゃんには、わからなかった。だから昨年までは、黙っていたけど、今年からは、そういう時、頭だけ、ちょっと、さげて、
「サンキュー」
と、いちいち、、いってみた。それを聞くと、外国の人達は、みんな、ますますニコニコして、口々に、何かいって、中には、トットちゃんのほっぺたに、自分のほっぺたをくっつける女の人や、ギューっと、抱き閉める、おじいさんなんかもいた。トットちゃんは、「サンキュー」だけで、みんなと、こんなに、お近づきになれるなんて、面白い、と思っていた。ある日、そんな中にいた、優しそうな若い男の人が、トットちゃんに近づくと、
「自分のスキーの、前のところに、乗りませんか?」
というジェスチャーをした。パパに聞いたら、「いい」というので、トットちゃんは、
「サンキュー」
とその人にいった、その人は、自分の足元のスキーの上にトットちゃんをしゃがませると、両方のスキーを揃えたまま、滑り降りた。トットちゃんの耳のそばで、空気が、ビューンビューンと音を立てた。トットちゃんは、両手でひざを抱えて、前につんのめらないように、注意した。少し怖かったけど、とてもとても楽しいことだった。滑り終わると、見てた人が、拍手をした。トットちゃんは、スキーの先っちょから上がると、皆さんに、頭を少し下げて、
「サンキュー」
といった。みんなは、ますます拍手をした。
この人が、シュナイダーという、世界でも有名なスキーの名人で、珍しい、銀のシュトックを、いつも持っている、なんてことがわかったのは、あとになってからのことだった。トットちゃんがこの人を好きだ、と思ったのは、滑り終わって、トットちゃんが、みんなから拍手された後、この人が、腰をかがめ、トットちゃんの手をとって、とても、トットちゃんを大切な人のように見てから、
「サンキュー」
といったときだった。その人は、トットちゃんを、「子供」という風じゃなく、ちゃんとした大人の女の人のように、扱ってくれた。そして、その男の人が、腰をかがめたとき、それは、トットちゃんが、心の底から、その人の優しさを感じるような、そんな姿だった。そして、その人の後ろには、真っ白な世界が、どこまでも、どこまでも、続いていた。
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 楼主| 发表于 2006-5-5 21:49:33 | 显示全部楼层
冬休みが終わって、学校に集まった生徒たちは、休みの間に、素晴らしいことが起こっていたのを発見して叫び声を上げた。
それは、みんなの教室用の電車が並んでいるのと反対側に……つまり弘道をはさんだ向こうの花壇のわきに、もう一台、電車が来ていたんだけど、それが、冬休みの間に、図書室になっていたからだった。そして、何でもできちゃって、みんなが尊敬している小使いのおじさんの良ちゃんが、よほどがんばってくれたとみえて、電車の中には、たくさんの棚が出来ていて、いろんな字や色の本が、ズラリと並んでいた。そして、そこで本が読めるように、机や椅子も並んでいた。
校長先生は、いった。
「これは、君たちの図書室だよ、ここにある本は、誰でも、どれでも読んでいい。『何年生だから、どの本』とか、そういう事は考えることはないし、いつでも、好きなときに、図書室に入ってかまわない。借りたい本があったら、家に持って帰って読んでいい。その代わり、読んだら、返しとけよ。家にあるので、みんなに読ませたい本があったら持ってきてくれるのも、先生は、うれしいよ。とにかく、本をたくさん、読んでください」
みんなは、口々に先生に言った。
「ねえ、今日の一時間目は、図書室にしよう!!」
「そうかい」
と、校長先生は、みんなが興奮しているのを見て、ちょっと、うれしそうに笑ってから、いった。
「じゃ、そうしようじゃないか」
そこで、トモエの生徒、全員、五十人が一台の電車に乗り込んだ。みんなが大騒ぎで、それぞれ本を選んだあと、椅子に座ろうとしたけど、すわれたのは半分くらいで、あとは立ったままだった。だから、本当に、それは、満員電車の中で、立ったまま本を読んでるような光景で、見てるだけでも、おかしかった。でも、みんな、もう、うれしくて、たまらなかった。
トットちゃんは、まだ、字は、そんなにたくさん読めなかったkら、「面白そうな絵」の入ってる本を読むことにした。
みんなが本を手にして、ページをめくり始めると、ちょっと静かになった。でも、それは、ほんのちょっとの間で、そのうち、あっちでも、こっちでも、読みあがる声だの、わからない字を誰かに聞く声だの、本をとりかえっこしようとしてる声だの、笑い声で、いっぱいになった。中には、”歌いながら絵を描く本”というのを読み始めたために、大きい声で、
マールコテン マールコテン
タテタテ ヨコヨコ
丸かいて チョン
マール子さん
毛が三本 毛が三本 毛が三本
あっという間に おかみさん

なんて、大きい声で歌いながら、まるまげを結った、お上さんの絵を描いてる子もいた。毎日、自分の好きな科目から勉強してよくて、『”人の声がうるさいと、自分の勉強が出来ない”というようじゃ困る。どんなに、周りが、うるさくても、すぐ集中できるように!』という風に教育されるトモエの子にとっては、このマールコテンも別に気にならず、一緒に同調して歌ってる子もいたけれど、みんな自分の本に、熱中していた。
トットちゃんのは、民話の本みたいのだったけど、「おなら」をするので、お嫁にいけないお金持ちの娘が、やっと、お嫁にいけたので、うれしくなって、結婚式の晩、いつもより、もっと大きい、おならをしたので、寝ていたお婿さんが、その風で、部屋を七まわり半して、気絶する、というような話だった。「面白そうな絵」というのは、男の人が、部屋の中を飛んでいるところだった。(この本は、後で、みんなの引っ張りダコになった)
とにかく、全校生徒が、ギュウヅメでも、電車の窓から差し込む朝の光の中で、一生懸命、本を読んでる姿は、校長先生にとって、うれしいことに違いなかった。
結局、その日は、一日中、みんな図書室で過ごすことになった。
そして、それからは、雨で外に出られないときとか、いろんなとき、この図書室は、みんなの集会所にもなった。
そして、ある日、校長先生は、いった。
「そのうち、図書室の近くに便所を作ろうな」
なぜなら、みんな、ギリギリまで我慢して本を読むので、誰もが、すごい恰好で、講堂の向こうのトイレまで、走って行くからだった。
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 楼主| 发表于 2006-5-7 16:17:32 | 显示全部楼层
今日の午後のことだった。放課後、家に帰ろうと支度をしてるトットちゃんのところに、大栄君が、走って来て、声をひそめて、いった。
「校長先生が、怒ってる」
「どこで?」
と、トットちゃんは聞いた。だって、校長先生が怒るなんて、それまで知らなかったから、とっても、びっくりしたからだった。大栄君は、大急ぎで走って来たのと、おどろいたらしいので、人の良さそうな目を、まん丸にして、それから、少し鼻をふくらませて、いった。
「校長先生の家の台所のところ」
「行こう!」
トットちゃんは、大栄君の手をつかむと、先生の家の台所のほうに向かって走り出した。校長先生の家は、講堂の横から続いていて、お台所は、校庭の裏口に近いところにあった。いつかトットちゃんが、トイレの汲み取り口に飛び込んだとき、すっかり、きれいに洗っていただいたのも、この、お台所からはいった、お風呂場のところだったし、お弁当のときの「海のもの」と「山のもの」の、おかずが出来るのも、この、お台所だった。
そーっと、二人が足をしのばせて、近づくと、閉まってる戸の中から、本当に、校長先生の怒ってるらしい声がした。その声は、いった。
「どうして、あなたは、そんなに、気軽に、高橋君に、『しっぽがある』なんて、いったんですか?」
その怒ってる声に、トットちゃん達の受け持ちの女の先生の、答えるのが聞こえた。
「そんな深い意味じゃなく、私は、高橋君が目に入って、可愛いと思ったので、いっただけなんです。」
「それが、どんなに深い意味があるか、あなたには、わかってもらえないんですか。僕が、どんなに、高橋君に対しても、気を配っているか、あなたに、どうしたら、わかってもらえるんだろうか!」
トットちゃんは、今日の朝の授業のときのことを思い出した。今朝、この受け持ちの先生は、
「昔、人間には、しっぽが、あった」
という話をしてくれたのだった。これは、とても、楽しい話で、みんな、気に入った。大人の言葉で言えば、進化論の初歩の話、ということになるのだろうけど、とにかく、とても珍しい事で、特に、先生が、
「だから、今でも、みんなに、ビテイコツ、というのが、残っているんです」
といったときは、トットちゃんをはじめとしてみんな、お互いに、どれが、ビテイコツか、で、教室は、大騒ぎになった。そして、その話の最後のとき、その先生が、冗談に、
「まだ、しっぽの残ってる人も、いるかな?高橋君は、あるんじゃないの?」
といったのだった。高橋君は、急いで立ち上がると、小さい手を振って、真剣に、
「ありません」
といった。そのときのことを、校長先生が怒っているのだ、と、トットちゃんには、わかった。
校長先生の声は、怒ってる、というより、悲しそうな声に変わっていた。
「あなたには、高橋君が、あなたに、尻尾がある、といわれて、どんなに気がするだろうか、と考えてみたんですか?」
女の先生の、返事は聞こえなかった。トットちゃんには、どうして、校長先生が、こんなに、この、しっぽのことで、怒るのか、わからない、と思った。(もし、私が、先生から、しっぽがあるの?と聞かれたら、うれしくなっちゃうのにな)
確かに、そうだった。トットちゃんは、体には、何の障害もなかった。だから、「しっぽがあるか?」と聞かれても、平気だった。でも、高橋君は、背が、伸びない体質で、自分でも、もう、それを知っていた。だから、校長先生は、運動会でも、高橋君が勝つような競技を考えたり、体の障害という羞恥心を無くすために、みんな海水着なしで、プールに一緒に入るように考えたり、とにかく、高橋君や、泰明ちゃんや、其の他、肉体的な障害のある子から、そのコンプレックスや、「他の子より、劣ってる」という考えをとるために、出来るだけの事を、していたし、事実、みんな、コンプレックスを持っていなかった。それなのに、いくら、可愛く見えたからといって、よりによって高橋君に、「しっぽがあるんじゃない?」というような不用意な発言は、校長先生には、考えられないことだった。これは偶然、朝の授業を、校長先生が、後ろで参観して、わかったことだった。
女の先生が、涙声で、こういうのが、トットちゃんに聞こえた。
「本当に、私が、間違ってました。高橋君に、なんて、あやまったら、いいんでしょう……」
校長先生はだまっていた。そのとき、トットちゃんは、ガラス戸で見えない校長先生に(逢いたい)と、思った。わけは、わからないけど、好調先鋭は、本当に、私たちの、友達だと、いつもより、もっと強く感じたからだった。大栄君も同じ考えだったに、違いなかった。
校長先生が、ほかの先生のいる職員室じゃなく、台所で、受け持ちの先生に怒っていた事を、トットちゃんは、忘れなかった。(そこに、小林先生の、本当の教育者としての姿があったから……)という事は、トットちゃんには、わかっていなかったんだけど、なぜか、いつまでも、心の残る、先生の声だった。
春が……トットちゃんにとって、トモエでの、二度目の春が、もう、本当に、近くまで、来ていた。
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 楼主| 发表于 2006-5-8 19:27:21 | 显示全部楼层
校庭の木には、緑色の柔らな葉っぱが、どんどん生まれていた。花壇の花も、咲くのに大忙しだった。クロッカスや、ラッパ水仙、三色スミレなどが、次々と、トモエの生徒たちに、
「はじめまして」
をいった。チューリップも、背伸びをするように茎を伸ばし、桜の蕾は、まるで”用意ドン!!”の合図を待っているような恰好で、そよ風に揺られていた。
プールの横にある、小さくて四角いコンクリートの足洗い場に住んでる金魚は、黒の出目金をはじめ、みんな、それめ、じーっとしていたのが、のびのびと楽しそうに体を動かしていた。
何もかもが、光って、新しく、生き生きと見える、この季節は、誰かが口に出していわなくても、もう、「春!」って、すぐわかった。
トットちゃんが、ママに連れられて、初めてトモエ学園に来た朝、地面から生えてる校門に驚き、電車の教室を見て、飛び上がるほど、喜び、校長先生である小林宗作氏を、「友達だ!」と決めてから、ちょうど、一年たち、トットちゃん達は、めでたく、ピカピカの二年生になったのだった。そして新しい一年生が、昔、トットちゃん達が、そうだったように、キョロキョロと学校に入って来た。
トットちゃんにとって、この一年は、本当に充実していて、毎朝が待ち切れない一年だった。チンドン屋さんを好きなことには、代わりはなかったけど、もっともっと、いろんな好きなことが、自分の周りにあることを知った。前の学校で、「もてあましもの」として退学になったトットちゃんが、今は、もっとも、トモエの生徒らしいように育っていた。
でも、「トモエの生徒らしい……」。これは、ある点、親にとっては、心配でもあった。校長先生に、すべての面で、子供を預け、信頼してるトットちゃんのパパとママですら、たまには、(大丈夫かな?)と思うことがあった。まして、小林先生の教育方針を半信半疑で見て、現在のことだけで、すべてを決めようとする親の中には、
(これ以上、子供を預けておいては、大変!!)
と考えて、よその学校に転校させる手続きをする人もいた。でも、子供はトモエと別れたくなくて、泣いた。トットちゃんのクラスには、幸いなことに誰もいなかったけど、ひとつ上のクラスの男の子は、転んだときに出来た、膝小僧の、かさぶたをブラブラさせながら、涙をポロポロこぼして、黙って校長先生の背中を、握りこぶしで、叩いていた。校長先生の目も、真っ赤だった。でも結局、その子は、お父さんとお母さんに連れられて、学校を出て行った。何度も何度も振り返りながら、手を振って、出ていった……
でも、悲しいことは、それくらいで、また驚きと、喜びの毎日が来るに違いない二年生に、トットちゃんは、なったのだった。
ランドセルも、もう、すっかり、背中とお馴染みになっていた。
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 楼主| 发表于 2006-5-9 18:30:38 | 显示全部楼层
  トットちゃんは、日比谷公会堂に、、バレーの“白鳥の湖”を見に連れて行ってもらった。それは、パパがヴァイオリンで“白鳥の湖”のソロを弾くからと、とても、いいバレー団が踊るからだった。トットちゃんにとって、バレーは初めだった。白鳥のお姫さまは、キラキラ光る小さい冠を頭にかぶって、本当の白鳥のように、軽々と空中を飛んだ(ように、トットちゃんには見えた)。王子さまは、白鳥のお姫さまを好きになったkら、そうじゃない女の人は、誰がなんと言っても、
「要りませーん!」
という風に踊った。そして、最後に、やっとのことで、二人で仲良く踊った。音楽も、とても、とても気に入った。家に帰っても、トットちゃんは、ずーっと、このことを考え、感動していた。だから、次の日、目が覚めるとすぐ、モシャモシャの頭のまま、台所で用事をしてるママの所に行って、いった。
「私、スパイと、チンドン屋さんと、駅の切符を売る人と、全部やめて、白鳥を踊るバレリーナになる」
ママは、驚いた風もなく、
「そう?」
といった。
トットちゃんにとって、バレーを見たのは初めてだけど、校長先生から、イサドラ・ダンカンという、素晴らしいダンスをするアメリカの女の人の話を、前から、よく聞いていた。ダンカンも、小林先生と同じように、ダルクローズの影響をうけていた。尊敬する小林先生が好きだというダンカンを、トットちゃんは当然、認めていたし、(見たことがなくても)親しく感じていた。だから、トットちゃんにとって、踊る人になる、という事は、そう特別のことでもないように思えた。
折も折、ちょうど具合のいいことに、その頃、トモエには、小林先生の友達で、リトミックを教えに来ている先生がいて、学校のすぐそばに、ダンスのスタジオを持っている、ということだった。ママは、その先生にお願いして、放課後、そのスタジオでレッスンを受けるように、取りはからってくれた。ママは、「何々をしなさい」とかは、決していわなかったけど、トットちゃんが、「何々をしたい」というと、「いいわよ」といって、別に、いろいろ聞かずに、子供では出来ない手続きといった事を、かわりにやってくれるのだった。
トットちゃんは、一日も早く、白鳥の湖を踊る人になろうと、ワクワクして、そのスタジオに通った。ところが、その先生の教え方は、かわっていた。トモエでやるリトミックの他に、ピアノやレコードの音楽にあわせて、「お山は晴天」とかいって、ぶらぶら歩いていて、突然先生が、
「ポーズ!」
というと、生徒は、いろんな形を自分で作って、その形で、静止をするのだった。先生も、ポーズのときは、生徒と一緒に、「アハ!」というような声を出して、「天を仰ぐ恰好」とか、ときには、「苦しんでいる人」のように両手で頭を抱えて、うずくまったりした。
ところが、トットちゃんのイメージにあるのは、キラキラ光る冠と、白いフワフワした衣裳を着た白鳥であって、
「お山は晴天」
でも、
「アハ!」
でもなかった。
トットちゃんは、ある日、勇気を出すと、その先生のそばに行った。先生は男だけど、頭の毛の前髪を、おかっぱのように切っていて、毛も少し、縮れていた。トットちゃんは、両手を大きく広げ、白鳥のように、ひらひらさせながらいった。
「こういうの、やんないの?」
鼻が高く、目が大きく、立派な顔の、その先生は言った。
「僕の家じゃ、そういうの、やんないの」
……それ以来、トットちゃんは、この先生のスタジオに、だんだん行かなくなってしまった。確かに、バレーの靴も履かず、はだしで飛び回って、自分の考えたポーズをするのも、トットちゃんは好きだった。でも、キラキラ光る小さい冠を、どうしても、かぶりたかったんだもの。
別れ際に先生はいった。
「白鳥もいいけど、自分で創って踊るの、君、好きになって、くれないかなあ」
この先生が、実は、石井漠という、日本の自由舞踊の創始者であり、この、小さい町に止まる東横線の駅に、
「自由が丘」
という名前をつけた人だ、などということを知ったのは、大人になってからのことだった。それにしても、当時五十歳の、この石井漠は、小さいトットちゃんにも、心をこめて、
「自由に踊る楽しさ」
を教えてくれようとしたのだった。
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 楼主| 发表于 2006-5-10 19:46:23 | 显示全部楼层
「いいかい?今日の先生だよ。何でも教えてくださるからね」
校長先生は、こう言って、一人の男の先生を、みんなに紹介した。トットちゃんは、つくづくとその先生を観察した。何しろ、その先生の恰好は、変わっていた。上着は縞のハンテンで、胸からは、メリヤスのシャツが、のぞいていて、ネクタイの変わりに、首には手ぬぐいが、ぶら下がっていた。そして、ズボンは、紺の木綿のバッチ風の細いのだし、靴じゃなくて、地下足袋だった。おまけに、頭には、少し破れた麦藁帽子をかぶっていた。
今トットちゃん達が、どこにいるのか、といえば、九品仏の池のほとりだった。
しばらく、その先生をジロジロ見ていたトットちゃんは、その先生に、見覚えがあることを発見した。
「えーと、えーと…」
顔色は日焼けして、真っ黒だった。そして、その顔に、しわはあるけど、やさしそうだった。腰に結んであるベルトみたいな黒い紐にぶら下げてあるキセルも、何か始めて見る感じじゃなかった……
(わかった!)
トットちゃんは、思い出した。
「ねえ、先生って、いつも、あそこの川のそばの畠にいる、お百姓さんじゃないの?」
トットちゃんは、すっかり、うれしくなって、いった。すると、地下足袋の、その先生は、白い歯を見せ、顔中を、しわくちゃにして、笑っていった。
「そうだよ。みんな、九品仏のお寺に散歩に行くとき、家のそばを通るじゃねえの?今、菜の花が咲いてる、あすこの畠。あれが家のだから」
「わあ!おじさんが、今日は先生なのか!?」
トットちゃん達は、すっかり興奮した。人の良さそうな、おじさんは手を振っていった。
「いやいや、私は先生なんかじゃなくて、百姓です。今日は、校長先生に頼まれたんでね」
校長先生は、お百姓さん先生の隣に並ぶと、いった。
「いや、これから、畠の作り方を、あなたに教えてもらうのだから。畠のことについては、あなたは先生です。パンの作り方を習うときは、パン屋さんに先生になってもらうのと同じです。さあ、どんどん、子供たちに指図して、始めてください」
きっと、普通の小学校では、生徒に、何かを教える人には、「先生の資格」とか、いろいろ規則があるだろうけど、小林先生は、かまわなかった。子供たちに、「本物」を見せることが必要なのだし、それが、大切なことだ、と先生は考えていた。
「じゃ、始めっかな」
畠の先生にいった。みんなの、立っている場所は、九品仏の池にまわりでも、特に静かなところにあり、木が池に影を落としているという、感じのいいところだった。校長先生は、すでに、スコップとか、くわ、とか、そのほか、畠に必要な道具をしまっておく物置にするために、普通の一台の半分の電車を、運んで来てあった。半分の電車は、小さい畠になる予定の土地の、丁度真ん中に、こぢんまりと、静かにおいてあった。\
電車の中から、スコップとか、くわを運び出すように生徒に言うと、畠の先生は、まず草むしりから始めた。先生は雑草について話した。「雑草が、どんなに丈夫なものか」という事や、「雑草によっては、作物より、伸びるのが、早いのがあって、おかげで作物に日が当たらなくなってしまう」とか、「雑草は、悪い虫の、いい、隠れ場所だ」とか、「雑草は、土から栄養を取ってしまうから困るのだ」とか、もう次から次と、教えてくれた。しかも、話しながら、手は休むことなく雑草を、ひきぬいた。みんなも同じようにやった。それから先生は、くわで耕すこと、うねを作ること、大根などの、種のまき方、肥料のやり方など、畠に必要なことを、実際に、やって見せてくれながら説明した。途中で、小さい蛇が頭を出して、上級生のタアーちゃんが、もう少しで手を噛まれそうになったりもしたけど、畠の先生は、
「このあたりの蛇は毒もないし、こっちが、何かしなければ、あっちから噛み付いてくることもないのだから」
と安心させてくれたりもした。とにかく、畠の先生は、畠の作り方だけじゃなく、虫のこと、鳥のこと、蝶々のこと、天気のこと、もう、いろんなことを、面白く話してくれた。節くれだった先生の丈夫な手が、そういう話は、どれもこれも、畠の先生が体験し、自分で発見したのだ、ということを証明しているようだった。みんなは、汗びっしょりで、先生に手をとってもらって、ついに畠は完成した。どこから見ても……少しグニャぐにゃのうねはあったけど……完璧な畠だった。
この日以来、トモエの生徒は、その、おじさんに逢うと、
「畠の先生!」
と、遠くからでも、尊敬をこめて、叫んだ。畠の先生は、自分の畠に余った肥料を、学校の畠に、少しまいといてくれることもあった。みんなの畠は、順調に成長した。毎日、誰かが、見回りに出かけては、校長先生やみんなに、畠の様子を報告した。「自分のまいた種から、芽が出る」ということが、どんなに不思議であり、驚きであり、そして、喜びであるかを、子供たちは、知った。みんな、何人か集まると、畠の成長について、話し合った。
世界の、いろいろなところで、少しずつ恐ろしいことが始まっていた。でも、この小さいな畠について真剣に話し合ってる子供たちは、ありがたいことに、まだ、平和そのものの中に、いたのだった。
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 楼主| 发表于 2006-5-11 18:40:01 | 显示全部楼层
   
  トットちゃんは、放課後、学校を出ると、誰にも話しかけず、さよならもいわずに、、口の中でブツブツ何かを言いながら、急ぎ足で自由が丘の駅まで来た。まるで落語のようだけど、トットちゃんは、いま、
「トドロキケイコクハンゴウスイサン」
という難しい言葉を、言い続けているのだった。だって、もし誰かが隣に来て、
「ジュゲムジュゲムゴコウのスリキレ」
なんていったら、とたんに忘れちゃうに決まっているし、「よいしょ」なんて水たまりを飛び越えたら、もう、わかんなくなっちゃうから、とにかく口の中で、繰り返しているのが一番いいと考えたのだった。ありがたいことに、電車の中でも誰にも話しかけられず、なるたけ面白そうなことも見つけようとしなかったので、「あれ?」と思うことも起らないで済んで、家に帰る駅で、電車を降りた。でも駅を出るとき、顔なじみの駅のおじさんが、
「おかえり」
といったとき、もう少しで、
「ただいま」
といおうと思ったけど、いっちゃうと、そのあとから、
「ただいまスイサン」
なんて、なっちゃいそうだったんで、右手でバイバイをして、左手で口お押さえて、走って家まで帰ったのだった。
帰るなり、トットちゃんは、玄関でママに、すごい声で叫んだ。
「トドロキケイコクハンゴウスイサン!」
一瞬ママは、四十七士の討ち入りか、道場破りの真似かと思った。でも、すぐママには、わかった。
「等々力渓谷、飯盒炊爨!」
等々力というのは、トットちゃんの小学校のある自由が丘から三つ先の駅で、そこに、東京名所のひとつである、滝と小川とか林の美しい”等々力渓谷”と呼ばれる所があり、そこで、ご飯を炊いて食べるのだ、と理解したのだった。
(それにしても)
とママは思った。
(こんなに難しい言葉を、よく憶えること。子供というのは、自分に興味のある事なら、しっかり憶えるものなのね)
トットちゃんは、やっと難しい言葉から解放されたので、次から次と、ママに話しかけた。今度の金曜に、朝、学校に集まって行く。もって行くものは、お茶碗と、おわんと、お箸と、お米を一合。
「一合っていうのは、お茶碗に、ちょうど、一杯くらいだって、そして、炊くと、お茶碗二杯くらいになるんだって」
と忘れずに、付け加えた。それから、豚汁を作るので、中に入れるお肉とか、お野菜。それから、おやつも、少し持って行っていい。
その日から、トットちゃんは、台所で仕事をするママに、ぴったりくっついて、包丁の使い方、おなべの持ち方、ご飯のよそい方、などを研究した。ママが働いているのを見るのは、とても気持ちがよかったけど、中でもトットちゃんの気に入ったのは、ママが、おなべのふたなどを手に持って、
「あちちちち……」
なんていったとき、その手を、急いで耳たぶに持っていくことだった。
「耳たぶが冷たいからよ」
とママは説明した。トットちゃんは、この動作が何よりも、大人っぽく、台所の専門家がすることのように見えたから、
(私も、ああいう風に、トドロキケイコクハンゴウスイサンのときには、やしましょう)
と決めた。
いよいよ、その日が来た。電車から降りて、みんなが、等々力渓谷に到着すると、林の中で、校長先生は生徒を見た。高い木の上から差し込む光の中で、子供たちの顔はピカピカと光って、可愛かった。どの子もリュックサックをふくらませて、校長先生の言うことも待っていた。生徒たちの、後ろには、有名な滝の、豊かな水が、力強く、そして美しいリズムを作っていた。先生は言った。
「いい会。何人でグループを作って、まず、先生たちが持ってきたレンガを使って、カマドを作ろう。それから、手分けして、河でお米を洗って、火にかけたら、あとは豚汁だ。さあ、始めようか!」
生徒たちは、ジャンケンとか、いろんな方法で、グループに分かれた。全校生徒で五十人たらずなのだから、六つくらいのグループが、すぐ出来た。穴を掘って、レンガを、かこいのように積む。その上に鉄の細いさんのようなものを乗せて、おなべと飯盒を載せる台を作る。誰かさん達は、その間に、林の中で、たくさん、落ちている薪を拾って来る。それから、河にお米をとぎに行く子。いろんな役目を自分たちで作って分担した。トットちゃんは、自分で推薦して、お野菜を切る、「豚汁のかかり」になった。もう一人、トットちゃんより二年上の男の子も野菜を切る役目だったけど。この子がやると、すごく大きいのや小さいのや、目茶苦茶な形になった。でも、その男の子は、鼻の頭に汗をいっぱいかいて、格闘していた。トットちゃんは、みんなの持ってきた、おなすや、じゃがいも、お葱、ごぼうなどを、ママがするように、上手に、食べやすい大きさに切った。それから思いついて、キューリとおなすを薄く切って、お塩でもんで、ご丁寧に、お漬物まで作った。そして、時々、格闘してる上級生に、「こうやれば?」なんて教えたりもした。だから、なんとなく、もう、お母さんに、なったような気さえした。みんなは、トットちゃんの、お漬物に感心した。トットちゃんは、両手を腰にあてて、謙遜した風にいった。
「ちょっと、やってみただけよ」
豚汁の味付けは、みんなの意見で決めることのした。どのグループからも、「キャア!」とか、「わあーい」とか「いやだあー」とか、笑う声がしていた。林の中の、いろんな鳥たちも、一緒に大騒ぎをしているように、さえずっていた。そのうちに、どの、おなべからも、いいにおいがしてきた。これまで、ほとんどの子は、自分の家で、おなべをじーっと見つめたり、火加減を自分でするって言うことはなく、たいがい、テーブルに出されたものを食べるのに馴れていた。だから、こんな風に自分たちで作る、ということの楽しさと、当時に、大変さと、それから食べ物が出来るまでの、さまざまな、ものの変化などを知ったのは、大発見だった。いよいよ、どのカマドも完成した。校長先生は、草の上に、丸くなって座るように、場所を作ろう、といった。おなべや、飯盒が、それぞれのグループの前に運ばれた。でも、トットちゃんのグループは、トットちゃんが絶対にしようと決めていた、あの動作……おなべのふたを取って、
「あちちちち……」
をするまで、出来上がりを運ぶのを待たなければならなかった。そして、トットちゃんが、少し、わざとらしく、\
「あちちちち……」
といって、両手の指を両耳たぶにつけて、それから、
「いいわよ」
といったので、なんだかわからないけど、運んだのだった。この耳たぶの動作を、誰も「ステキ」とは言ってくれなかったけど、トットちゃんは、もう満足していた。
みんなは、自分の前のお茶碗と、おわんの中の湯気の立っているものを、見つめた。お腹も空いていたし、第一に、自分たちで作ったお料理なんだから。
よーく 噛めよ たべものを……の歌に続いて、「いただきまーす」といったあと、林の中は、急に静かになった。滝の音だけになった。
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 楼主| 发表于 2006-5-12 21:22:01 | 显示全部楼层
 
  校長先生は、トットちゃんを見かけると、いつも、いった。
「君は、本当は、いい子なんだよ!」
そのたびにトットちゃんは、ニッコリして、とびはねながら答えた。
「そうです、私は、いい子です!」
そして、自分でもいい子だと思っていた。
確かにトットちゃんは、いいこのところもたくさんあった。みんなに親切だったし、特に肉体的なハンディキャップがあるために、よその学校の子にいじめられたりする友達のためには、ほかの学校の生徒に、むしゃぶりついていって、自分が泣かされても、そういうこの力のなろうとしたし、加賀をした動物を見つけると、必死で看病もした。でも当時に、珍しいのや、興味のあることを見つけたときには、その自分の好奇心を満たすために、先生たちが、びっくりするような事件を、いくつも起こしていた。
たとえば、朝礼で進行をするときに、頭の毛を二本のおさげにして、それぞれの尻尾を、後ろから、両方の、わきの下から出し、腕で、はさんで、見せびらかして歩いてみたり。お掃除の当番のとき、電車の教室の床のふたを上げて……、ごみを捨てて、いざ閉めようとしたら、もうしまらないので、大騒ぎになったり。また、ある日は、誰かから、牛肉は大きな肉の固まりが、鉤からぶら下がってると聞くと、朝から一番高い鉄棒に片手だけで、ぶら下がって、いつまでも、そのままでいる。女の先生が、「どうしたの?」と聞くと、「私は今日、牛肉!」と叫び、とたんに落ちて、「ウッ!」といったまま、一日中、声が出なくなったり。お昼休み、学校の裏をブラブラ歩いていて、道に新聞紙がひろげて置いてあるので、とてもうれしくなって、遠くから、はずみをつけて、凄い、勢いで走って来て、その新聞紙に、飛び乗ったら、それは掃除の人が、トイレの汲み取り口をどかして、におうといけないので、乗せてあっただけだから、そのまま、汲み取り口に、ズボ!っと、胸まで、つかってしまったり……。そんな風に、自分自身が、痛い目にあう事も、しょっちゅうだった。でも校長先生は、そういうことがおきたときに、絶対に、パパやママを呼び出すことはなかった。ほかの生徒でもおなじ事だった。いつも、それは、校長先生と、生徒との間で解決した。初めて学校に来た日に、トットちゃんの話を、四時間も聞いてくれたように、校長先生は、事件を起こした、どの生徒の話も、聞いてくれた。その上、いいわけだって、聞いてくれた。そして、本当に、「その子のした事が悪い」とき、そして、
「その子が自分で悪い」と納得したとき、
「あやまりなさい」
といった。でも、おそらく、トットちゃんに関しては、苦情や心配の声が、生徒の父兄や、ほかの先生たちから、校長先生の耳に届いているに違いなかった。だから校長先生は、トットちゃんに、機会あるごとに、
「君は、本当に、いい子なんだよ」
といった。その言葉を、もし、よく気をつけて大人が聞けば、この「本当」に、とても大きな意味があるのに、気がついたはずだった。
「いい子じゃないと、君は、人に思われているところが、いろいろあるけど、君の本当の性格は悪くなくて、いいところがあって、校長先生には、それが、よくわかっているんだよ」
校長の小林先生は、こう、トットちゃんに伝えたかったに違いなかった。残念だけど、トットちゃんが、この本当の意味がわかったのは、何十年も、経ってからのことだった。でも、本当の意味は、わからなくても、トットちゃんの心の中に、「私は、いい子なんだ」という自信をつけてくれたんは、事実だった。だって、いつも、何かをやるとき、この先生の言葉を思い出していたんだから。ただ、やったあとで、「あれ?」と思うことは、ときどき、あったんだけど。
そして、トットちゃんの一生を決定したのかも知れないくらい、大切な、この言葉を、トットちゃんが、トモエにいる間じゅう、小林先生は、言い続けてくれたのだった。
「トットちゃんは、君は、本当は、いい子なんだよ」って。
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 楼主| 发表于 2006-5-13 21:08:15 | 显示全部楼层
今日、トットちゃんは、悲しかった。
もう、トットちゃんは、三年生になっていて、同級生の泰ちゃんを、とても好きだと思っていた。頭がよくて、物理が出来た。英語を勉強していて、最初に「キツネ」という英語を教えてくれたのも、泰ちゃんだった。
「トットちゃん、キツネは、フォックスだよ」
(フォックスかあ……)
その日、トットちゃんは、一日”フォックス”という響きに、ひたったくらいだった。だから、毎朝、電車の教室に行くと、最初にする事は、泰ちゃんの筆箱の中の鉛筆を、全部ナイフで、きれいに、けずってあげる事だった。自分の鉛筆ときたら、歯でむしりとって、使っているというのに。
ところが、今日、その泰ちゃんが、トットちゃんを呼び止めた。そのとき、トットちゃんは、昼休みなので、プラプラと講堂の裏の、れのトイレの汲み取り口のあたりを散歩してたんだけど、
「トットちゃん!」
という泰ちゃんの声が、怒ってるみたいなので、びっくりして立ち止った。泰ちゃんは、一息つくと、いった。
「大きくなって、君がどんなに頼んでも、僕のお嫁さんには、してあげないからね!」
それだけいうと、泰ちゃんは、下を向いたまま、歩いて行ってしまった。トットちゃんは、ポカンとして、その泰ちゃんの頭が……脳味噌が、いっぱい詰まっている、自分の尊敬してる頭、仮分数、という仇名の頭が……見えなくなるまで見ていた。
トットちゃんは、ポケットに手を突っ込んだまま考えた。思いあたる事は、ないように思えた。仕方なく、トットちゃんは、同級生のミヨちゃんに相談した。ミヨちゃんは、トットちゃんの話を聞くと、大人っぽい口調で、こういった。
「そりゃ、そうよ。だって、トットちゃん、今日、お相撲の時間に、泰ちゃんのこと、投げ飛ばしたじゃないの。泰ちゃんは、頭が重いから、すーっと、と土俵の外に、すっとんだんだもの。そりゃ、怒るわよ」
トットちゃんは、心のそこから後悔した。(そうだった)、毎日、鉛筆をけっずてあげるくらい好きな人を、なんて、おすもうの時間に、すっかり忘れて、投げ飛ばしちゃったんだろう……。でも、もう遅かった。トットちゃんが、泰ちゃんのお嫁さんになれない事は、決まってしまった。
(でも、明日から、やっぱり、鉛筆は、けずってあげよう)
だって、好きなんだもの。
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发表于 2006-5-15 20:43:40 | 显示全部楼层
加油哦
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 楼主| 发表于 2006-5-15 23:05:56 | 显示全部楼层
トットちゃんの前の学校のときも、そうだったけど、小学生が、「はやし歌」を、声をそろえて歌うのが、はやっていた。例えば、トットちゃんが、退学になった、その前の学校では、放課後、学校の門を出てから、自分たちの校舎を振り返りながら、生徒たちは、こう歌った。
「赤松学校、ボロ学校!入ってみたら、いい学校!」
そして、このとき、たまたま、よその学校の子が通りかかったりすると、その、よその子は、赤松小学校のほうを指さしながら、こう大声で、けなした。
「赤松学校、いい学校!入ってみたら、ボロ学校!わーい!!」
どうやら、建物が、新しいとか、古いとかいう、見たところで、「ボロ」か、どうか決めるんだけど、やはり大切なのは、「入ってみたら……」のところで、子供とはいっても、学校は、建物より、内容で、「入ってみたら、いい学校!」のほうが、「いい」という真実をついてるところも、この歌には、あった。この「はやし歌」は、もちろん、一人のときは、歌わなくて、五人とか六人とか、人数の多いときに、やるのだった。
さて、今日の午後のことだった。トモエの生徒は、みんな放課後、思い思いのことをして、遊んでいた。みんなが決めた呼び方、”追い出しのベル”という最終的なベルがなるまで、好きなことをしていて、いいのだった。校長先生は、子供に、自分の好きなことをさせる自由時間が、とても大切と考えていたから、放課後の、この時間は、ふつうの小学校より、少し長めに、とっていた。
校庭でボール遊びをする子、鉄棒や、お砂場で、ドロンコになっている子、花壇の手入れをする子もいたし、ポーチ風の小さい階段に腰をかけて、お茶べりしてる上級生の女の子もいた。それから、木登りの子もいた。みんな勝手にやっていた。中には、泰ちゃんのように、教室に残って、物理というか、化学の続きのフラスコを、ブクブクさせたり、試験管などを、あれこれテストしたりしてる子もいたし、図書室で、本を読んでいる子だの、動物好きの天寺君のように、拾って来た猫を、ひっくり返したり、耳の中を、のぞきこんで研究してる子もいた。とにかく、みんな、楽しんでいた。
そんな時、突然、学校の外から、大きな、「はやし歌」が聞こえた。
「トモエ学園、ボロ学校!入ってみても、ボロ学校!」
(これは、ひどい!)
と、トットちゃんは思った。ちょうどそのとき、トットちゃんは、校門(といっても、根つこのある、葉っぱが生えてる木なんだけど)その、そばにいたから、その歌は、よく聞こえた。
(ひどすぎる。どっちも、「ボロ」なんて!)
ほかの子も、そう思ったから、門のほうに走って来た。そうすると、その、よその学校の男の子たちは、
「ボロ学校!ワーイ!!」
と叫びながら、逃げ始めた。トットちゃんは、とっても憤慨した。だから、その気持ちを、静めるために、その男の子たちを追いかけた。たった一人で。でも、その子達は、とても足が早くて、「あっ!」という間に、横丁を曲がって、見えなくなってしまった。トットちゃんは、残念に思いながら、ブラブラ歩きながら、学校のほうに、もどって来た。
このとき、なんとなく、自分の口から歌が出た。それは、こうだった。
「トモエ学園、いい学校!」
それから、二歩くらい歩くと、続きが出た。「入ってみても、いい学校!」
トットちゃんは、この歌に、満足した。だから、学校に戻ると、わざと、よその学校の子みたいに、垣根から、頭を突っ込んで、大声で、歌った。みんなに聞こえるように。
「トモエ学園、いい学校!入ってみても、いい学校!」
校庭のみんなは、はじめは、わけがわからないらしく、シーンとしたけど、それが、トットちゃんとわかると、みんなも面白がって、外に出てきて、一緒に、はやし始めた。そして、とうとう、みんなは、肩を組んだり、手をつないだりしながら、列になって、学校の周りを、回り始めた。回りながら、みんな声をそろえて歌った。本当は、声よりも、心が揃っていたんだけど、そんな事には、気がつかないで、ただ面白くて、楽しいから、みんな、何度も、何度も、グルグルグルグル学校の周りを、行進しながら歌ったのだった。
「トモエ学園、いい学校!入ってみても、いい学校!」
校長室の校長先生が、どんなに、うれしい思いで、この歌を、耳を済ませて聞いていたか、生徒は、もちろん、知らなかった。
どの教育者もそうであるように、特に、本当に、子供のことを考えている教育者にとっては、毎日が、悩みの連続に違いなかった。まして、このトモエ学園のように、なにから、なにまで、変わっている学校が、異なる教育方針を持っている人たちから、非難を、受けないはずはなかった。そんな中の、この生徒たちの合唱は、校長先生にとって、なによりの、贈り物だった。
そして、子供たちは、飽きもしないで、いつまでも、いつまでも、繰り返し、歌うのだった。
その日は、いつもより、”追い出しのベル”は、遅く、鳴った。
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