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发表于 2006-4-18 17:32:15
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「私にとって『紙屋悦子の青春』は、あの時代を生きた若者たちに捧(ささ)げるレクイエムでもあります——」。映画監督・黒木和雄さんは、最新作のパンフレットに、そう書いた。\
电影导演 黑木和雄在最新作品的宣传册上,这样写道:“对我而言,《纸屋悦子的青春》是献给生活在那个时代的青年人的安魂曲。”
8月の公開に向けて、試写会やパンフの印刷が進んでいた。そのさなかに脳こうそくで倒れ、75歳で急逝した。少年時代の空襲体験に基づく「美しい夏キリシマ」や、原爆投下後の広島を舞台にした井上ひさしさんの戯曲による「父と暮せば」などを監督、「あの時代」を庶民の目線で描き続けた。
他正在为8月公映,准备着试映会以及宣传册的印刷。就在这个时候,不幸患脑血栓去世,享年75岁。他曾经到导演过《雾岛的美丽夏天》《如果与父亲一起生活》等电影。这些电影以平民的视角描绘了那个时代。《雾》取材于少年时代的空袭经历,《如》则是改编自井上庇以被原子弹轰炸后的广岛为背景的戏剧。
松田正隆さんの戯曲を映画化した「紙屋悦子の青春」は、昭和20年の鹿児島を舞台に、特攻で出撃する青年と、その友や知人の娘との交流を描く。タイトルを掲げる冒頭と最後を除いて、音楽が入っていない。
《纸屋悦子的青春》改编自田正隆的戏剧,以1945年的鹿儿岛为背景,描述了即将参加特攻出击活动的青年,与他的朋友以及熟人女儿之间的交流故事。除了出现电影名的开头与最后,电影中没有加入任何音乐。
現実の世界では、映画のように演出として音楽が流れることはあまりない。音楽を入れないことで、感傷に流れるのを押しとどめようとしたのではないか。映画では、その人々の日常が「時代」によってつくられ、また壊されてゆくさまが淡々とつづられる。
现实世界,并没有电影中那样的背景音乐。正因为没有加入音乐,才避免了流于伤感之嫌吧。电影白描了由时代创造,又被时代所破坏的人间日常生活。
やがて友と娘は結ばれ、共に老いたある日、夕闇の迫る中でこんな会話をする。「今日の続きのあるとですか」と妻が言う。「うん……ずっと続くったい。いつまででん」。今日の続きが「ある」と言えなかった人たちへの鎮魂のように聞こえる。
朋友最终与女孩结为连理,白头偕老。一天,这两个老人在渐迫的日暮中对话。妻子说,“还能延续今天么?”“嗯。真想一直延续下去,直到天荒地老。”听起来,仿佛是对那些不能延续今天的人们一种安魂。
黒木さんには一度お会いしたが、静かなたたずまいの中に、生と死の深い淵(ふち)からもの見るような面ざしがあった。作品は、「あの時代」を二度と繰り返さないようにという願いであり、伝言なのだろう。
我曾经见过黑木一次。安静的身姿中,露出在生与死的深渊中观察的神色。他的作品,是在表达那种时代不要重现的愿望吧。 |
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