今年の3月に書いた文章ですが、今読むと、またあの親切な三浦先生の笑顔を思い出します。
三浦先生
魯迅氏の「藤野先生」と言う名文がある。その文章を読むと、自然に中国人学生と日本人先生の貴重な友情が思い出した。当然、私は魯迅氏のような偉い作家ではない、ただ自分は三浦先生と言う日本人の先生が私に対してあの愛着を文字で表したい。
すべてのことは夢のように、知らず知らずの内に、一年間はあっという間に過ごした。去年の今日、三浦先生は遠い日本からいらっしゃった。そして、十日後、通訳を募集するため、面接の四人のうちに、三浦先生は私を選んだ。なぜ私だけを選んだのか、ご縁しかない。
一年間、本田出身の三浦先生から仕事のやり方ではなく、三浦先生自らあの人格の偉さもを深く感じた。中国人に対して、三浦先生は日本人としての優しさは周りの人にも感動した。特に、三浦先生は私を自分の子供みたく愛していることは、永遠に心に残る、忘れない。
今思い出すと、一語で三浦先生のことが言い切れない。昨日、空港で三浦先生を見送るとき、私は意外と何も言えなかった。三浦先生に話したい言葉がただ“また合いましょう、五月にぜっひとも武漢に来てください”。私はその言葉を言っている時、涙が目の中に溢れていて、出るそうになった。しかし、三浦先生に見せられないため、私が頭を下げた。三浦先生も何か泣きそうに、声もすこし変わった。
“また、会いましょう”三浦先生はそう言って、入り口に入った。私は三浦先生の背影を見て、心に何か悲しさが湧き上がって、“三浦先生、また会いましょう、私は武漢で三浦先生を待っている。”
三浦先生、いつもお元気で、ご活躍ください。
私はずっと三浦先生のことを思っている、末永く覚えている。