注~册 登录
咖啡日语论坛 返回首页

的个人空间 http://coffeejp.com/bbs/?0 [收藏] [复制] [RSS]

日志

菊と刀8

已有 1169 次阅读2006-8-22 03:40 |个人分类:书刊

天气: 晴朗
心情: 高兴
五 『海と毒薬』 ― 文化の型の前の個人のはかなさ ①

 今回もまた文学作品の分析です。こういう作業をする際の筆者の方針についてはすでに『舞姫』の分析の初め(シリーズ第5回)に述べましたが、念のためにもう一度言っておきましょう。ここでする作業は、文芸批評ではありません。取り挙げる文学作品の芸術的価値については一切触れません。注目されるのは、そこに描写されている事柄と『菊と刀』の内容とがどう交わるかということです。そこに注目することによって『菊と刀』がどれほど日本人の心の内にあるものを鋭くとらえているかを見ることができると考えられるのです。

 遠藤周作作『海と毒薬』は、1957(昭和32)年に発表されました。作者がすでに『菊と刀』を読んでいたニいうことは十分にあり得ます。それゆえその小説の上に『菊と刀』の影響が認められるとしても、それが偶然だとは言い切れません。しかしどういうわけか、これまでその影響を指摘した人は居ません。その理由は、筆者の見るところでは、その小説を批評した人たちが『菊と刀』をよく理解していなかったからだと思われます。

 その小説の要約をしておきましょう。主人公は勝呂二郎という名の医師 ― というよりむしろF医大の研究生 ― です。第二次大戦末期、アメリカ軍による日本本土空襲が激化しつつあった頃、その大学の医学部長が急死し、その後任をめぐって第一外科の橋本教授と第二外科の権藤教授の間に暗闘が起こりました。そこへ陸軍から極秘の実験計画が持ちこまれました。捕虜になった米軍兵士を使って、外科手術の際に問題になる二、三のパラメータをどこまで高めれば生命を失うかを確かめようというのです。当時の軍部の勢力ということもありますが、第一外科と第二外科が張り合っていて消極的な態度を取り難かったこともあり、更に重大なことには、人命軽視という、大学医学部の存在の根幹にかかわる矛盾が矛盾と思われていなかったことによって、その計画は受け入れられました。小説の主要な部分は、勝呂が所属する第一外科のいろいろな人物の心がその実験をめぐってどう動いたかということの叙述で占められています。もちろんそれがすべてではなく、入院患者と医局員とのやりとりとか、橋本教授夫人でドイツ人であるヒルダと看護婦との間の一種の文化摩擦などをも交え、さらに若干の人物の回想記を加えるなどして、主な登場人物それぞれの人物像や医局の雰囲気を浮き彫りにすることにも抜かりはありません。これが『海と毒薬』の概要です。

 小説の導入部では、戦後約10年を経た昭和30年頃、東京の近郊で開業医として生活している勝呂の環境が語られるうちに、その近隣に住む小市民の中に、戦時中に外地で一般住民に対する残虐行為を行なった兵隊であった者が複数居る事が述べられています。戦時下の日本における人命軽視を暗示するこの話をいわば枕として、物語は昭和20年早春に遡るのですが、捕虜を生体解剖して死に至らせる話に入る前に、当時のF大学附属病院で患者の生命が軽んじられていたことを示唆する二、三のエピソードが語られています。そして話の進行の合間には、アメリカ軍によるF市の爆撃が繰り返し描写されます。そして何度となく、登場人物の口から「みんな死んでいく時代」という句が漏れます。死ぬこと、それも自然死ではなく殺されることがほとんど日常的であったのです。そして病院という特殊な場所では、さすがに公然とは行なわれなかったものの、人を殺すこともまたほとんど日常的な行為であったのです。

 前医学部長の親類に当たる田部夫人の手術は、事前に必要とされる治療を省略し、最適と考えられる時期より大幅に繰り上げて、橋本教授の執刀で行なわれました。橋本は次期部長選出の会議に胸を張って臨もうとして、その会議の前に目立つ仕事をしておこうと考えたのです。その手術にはその教授の配下の医師、看護婦のほとんど全員が動員され、一般の病棟には看護婦が一人だけ詰めているという状態でした。その時病棟で一人の重症患者が危険な発作を起こし、その看護婦が手術室へ電話で急を知らせましたが、手術室ではトラブルが発生し、田部夫人が死にそうになっていました。電話に出た助手は、初めは放っとけと言いましたが、ひどく苦しんでいると聞くと、「どうせ助からん患者だろ。麻酔薬をうって……」と言っただけで電話を切ってしまいました。ちょうどその時、看護婦の経験のあるヒルダが偶然病棟を訪れました。ヒルダが機敏に適切な処置をしたので発作を起こした患者は助かりましたが、助手が言った通りにすれば死ぬところでした。ところがその助手は、ヒルダが当番の看護婦の処置を非難したことを知ると、自分は麻酔薬をうてなどと言っていないと言い張りました。

 田部夫人は、教授のミスのために死にました。しかしそのことは厳重に秘密とされ、遺体は家族にも見せないようにして、リンゲルの点滴をするなど術後の処置をしているように装いながら一晩病室に置き、翌朝死んだことにしました。そうすることによって教授が責任を追及されないように工作したのです。この秘密は、いつのまにか学部内には知れ渡りましたが、世間に漏れることはありませんでした。

 それとは別に、一人の貧しい、重症の施療患者(生活保護を受ける患者)に対して、助教授が論文の種にするためにきわめて危険な手術をしようと企てました。実際にはその手術を実行する前に患者が死んだので無かったことになりましたが、これらの一連の挿話は次の事を指し示しています。すなわちその病院では、陸軍から生体解剖の実験の話が持ちこまれる以前にすでに人の命が消耗品のように扱われていたのです。

 筆者は、こういう背景の下で行なわれた生体解剖が恥の文化を強く反映していると考えます。ベネディクトが「罪の文化」と「恥の文化」との対比を述べた段落に注目しましょう。それは『菊と刀』の第十章「徳のジレンマ」にあります。ただし、次の引用文の最初のセンテンスは、長谷川松治の訳と違っています。なぜ違うのかは、『「菊と刀」再発見』の第七章をご覧下さい。

 異なった諸文化の人類学的研究においては、大いに恥を信頼する文化と、大いに罪を信頼する文化との区別は大切な事柄の一つである。道徳の絶対的標準を説き、良心の啓発を頼みにする社会は、罪の文化‘guilt culture’と定義する事ができる。…(中略)…恥が主要な強制力となっているところにおいては、たとえ相手が懺悔聴聞僧であっても、あやまちを告白しても一向気が楽にならない。それどころか逆に、悪い行いが「世人の前に露顕」しない限り、思いわずらう必要はないのであって、告白はかえって自ら苦労を求める事になると考えられている。したがって、恥の文化‘shame culture’には、人間に対してはもとより、神に対してさえも告白するという習慣はない。幸運を祈願する儀式はあるが、贖罪の儀式はない。

 「世人の前に露顕」は、原文では‘get out into the world’です。「世人」という日本語は『菊と刀』の訳本の中に何度となく現れますが、原文を当たってみればそれらの原語が一定でないことがわかります。それゆえ訳文は必ずしも適切でなく、注意が必要です。ここでは the world で、最も広い範囲を意味しています。

 その‘get out into the world’という句には、原文ですでに引用符が付けられています。それが慣用句だからそうしたのでしょうが、この表現で次の事が暗示されています。すなわち the world より狭いある特定の範囲内に自分の過ちを知っている人が居ても思いわずらう必要のない場合があるということです。橋本教授が初歩的なミスのために患者を死なせてしまった事は、その時手術室に居た医局員は知っていました。そればかりか、何日か後にはF大学医学部のほとんど全員がそれを知りました。それでも新聞に載ったり、ラジオで語られたりしたわけではありません。言いかえると‘get out into the world’にならなかったのです。それで橋本教授は、傷つきながらもその地位にとどまっていたのです。

 そこで、やはり『菊と刀』の第十章にある次の文が思い出されます。

 日本人の生活において恥が最高の地位を占めているということは、恥を深刻に感じる部族または国民がすべてそうであるように、各人が自己の行動に対する世評に気をくばるということを意味する。彼はただ他人がどういう判断を下すであろうか、ということを推測しさえすればよいのであって、その他人の判断を基準にして自己の行動の方針を定める。みんなが同じ規則に従ってゲームを行ない、お互いに支持しあっている時には、日本人は快活にやすやすと行動することができる。

 ここにも注意すべき言葉があります。それは「世評」で、原文では‘public opinion’です。しかしそこに public と書かれているからといって、日本人全体というような大きい集団を考えなければならないというものではありません。第八章「汚名をすすぐ」の終わりに近いところに「日本人から見れば、自分の属している世界で尊敬されれば、それでもう十分な報いである」とあることに注意しましょう。「自分の属している世界」とは、the world ではなく、 his world です。それは、自分の生活に影響の及ぶ範囲とでも言えば大体のところは当たっているでしょう。「世評」と言っても、その程度の範囲内が問題なのです。ただ、‘get out into the world’ということになってしまうと、his world は拡大され、the world に一致することもあります。しかしそうならない限り、狭い his world の範囲の中で「他人がどういう判断を下すであろうか、ということを推測しさえすればよい」のです。そして「みんなが同じ規則に従ってゲームを行ない、お互いに支持しあっている時には、日本人は快活にやすやすと行動することができる」のです。それで、外科医が手術のミスで患者を死なせてしまうというよな大きい過誤をしても、‘get out into the world’という事態を招かないように大いに気をつけますが、罪の意識は彼の行動を支配するほどにはなりません。

 今しがた『菊と刀』から引用した文の最後のセンテンスに注意しましょう。「みんなが同じ規則に従ってゲームを行ない、お互いに支持しあっている時には、日本人は快活にやすやすと行動することができる」とありますね。『海と毒薬』では、橋本教授が率いる医局の柴田助教授も、浅井助手も、戸田研究生も、看護婦たちも、「同じ規則に従ってゲームを行ない、お互いに支持しあって」いました。ただし勝呂研究生は唯一の例外でした。

 勝呂が例外であることは、生体解剖の話が始まる前にすでに暗示されています。彼は、大学で高い地位に就くというような野心を持っておらず、平凡な医者として大衆の健康を守ることを考えていました。そして施療患者の中のひとりの中年を過ぎた女性に注意を払っていました。一人の人間がぼろ屑のように扱われ、実験の材料にされることに理不尽さを感じていたのです。その患者は実験が行なわれる前に死にましたが、そういうところに理不尽を感じるということがすでに例外だったのです。

 勝呂が捕虜の生体解剖の計画を聞いたのは、柴田助教授、浅井助手、戸田研究生と彼の四人が居る席でした。柴田と浅井が、二人の研究生に参加を求めたのです。それは、「強制しているんじゃない」とはっきり言われた事で、形式的には断ることのできる要請でした。勝呂は、煮え切らない態度のまま、結局は承諾しました。

 勝呂は、手術台の上の捕虜が麻酔をかけられるまでは医師団の一人として役割を果たしましたが、いよいよこれから解剖が始まるという時になって「俺あ、とても駄目だ」と言い出し、何もできなくなりました。結局彼は、解剖が終わるまで医師団や、看護婦や、立会いの軍人たちの背後で壁にもたれていました。

 戸田は、気おくれすることもなく教授や助教授を補佐して自分の役割を果たしました。生体解剖が終わった後で浅井助手と戸田との間で次の会話がありました。

「戸田君」助手はまた唇に謎のような微笑をうかべると、手術皿を持った彼の腕を押えた。 「話があるんだがねえ。君、大学に今後、残りたい気持はないの」 「大学にですか」 「そう、副手として。柴田さんもこの間からそう言っているんだ。もし君さえ、その気ならね」 「さあ、ぼくより他に適当な人がいるでしょう」助手の言葉の裏にひそむものに気づいた戸田はうつむいたまま、答えた。「勝呂だって」 「勝呂君はダメ。あれは見込みがないよ。君、それに彼、今日、大事な時に何処へ行っていたんだ」 「手術室にいましたよ。うしろで見ていた筈です」 「しゃべらないだろうね、あの男」突然、浅井助手は不安そうに顔をちかづけてきた。「万一、外部にでも洩れると……」 「大丈夫でしょう。気の弱い男ですから」 「なら安心です。で、今、言ったことだが、よく考えてくれ給えよ。いいかい。君、おやじなんか、もう駄目なんだ。今後は柴田助教授とぼくとがくんで第一外科をたてなおすつもりなんだよ。だから、ぼく等(ら)と手を握ってくれれば君の副手推薦なんてチョロいものですよ。それに第一、今日のことでぼく等は今後、一心同体にならなくちゃ、たがいに損だからねえ」

 これは、ベネディクトの言う「みんなが同じ規則に従ってゲームを行ない、お互いに支持しあっている」姿の一例です。そしてこの会話からは、同じ規則に従わない人間が疎外されることも読み取れます。

 このように、『海と毒薬』には『菊と刀』と交わる個所がたしかにあります。しかし今回はすでに予定のボリュームに達してしまいましたので、更なる分析は次回に述べることにしましょう。


雷人

鲜花

鸡蛋

路过

握手

评论 (0 个评论)

facelist doodle 涂鸦板

您需要登录后才可以评论 登录 | 注~册

小黑屋|手机版|咖啡日语

GMT+8, 2024-5-4 02:21

Powered by Discuz! X3.4

© 2001-2017 Comsenz Inc.

返回顶部