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日志

菊と刀9

已有 788 次阅读2006-8-22 03:42 |个人分类:书刊

天气: 晴朗
心情: 高兴
五 『海と毒薬』 ― 文化の型の前の個人のはかなさ ②

 話は少し遡りますが、主人公勝呂が生体解剖に参加することを承諾した後、幾夜か寝床の中で考えた事を述べた文を見ましょう。

 俺は何故、この解剖にたちあうことを言いふくめられたのだろうと勝呂は眼がさめた時、考える。言いふくめられたというのは間違いだ。たしかにあの午後、柴田助教授の部屋で断ろうと思えば俺は断れたのだ。それを黙って承諾してしまったのは戸田に引きずられたためだろうか。それともあの日の頭痛と吐き気のためだろうか。炭火が青白く燃え、戸田の吸う煙草の臭いのために頭はぼんやりとしていた。「どうする。勝呂君」浅井助手が縁なしの眼鏡を光らせながら顔を近づけてきた。「君の自由なんだよ。本当に」…(中略)…

 どうでもいい。俺が解剖を引きうけたのはあの青白い炭火のためかもしれない。戸田の煙草のためかもしれない。あれでもそれでも、どうでもいいことだ、考えぬこと。眠ること。考えても仕方のないこと。俺一人ではどうにもならぬ世の中なのだ。

 眠っては眼があき、眼があくとまたうとうとと勝呂は眠った。夢の中で彼は黒い海に破片のように押し流される自分の姿を見た。

 前回触れましたが、勝呂は人間がぼろ屑のように扱われ、実験の材料にされることに理不尽さを感じる感覚を持っていました。そしてそれが当時のF大学医学部では例外だったのです。例外だったので、黒い海に破片のように押し流されながら「俺一人ではどうにもならぬ世の中なのだ」と投げやりな心でしか居られなかったのです。

 彼をそういう心境にさせた要因を追究してみましょう。第一に考慮すべきものは、彼の周囲の人が何を期待していたかということです。この「期待」が重要であることについてはすでに『舞姫』を分析したときにも、中教審の答申を分析したときにも注意しました。そのとき『菊と刀』の第十二章「子供は学ぶ」から若干の文を引用しましたが、それをもう一度見ましょう。

 しかしながら日本人は、自らに多大の要求を課する。世人から仲間はずれにされ、誹謗を受けるという大きな脅威を避けるために、彼等はせっかく味を覚えた個人的な楽しみを棄てなければならない。彼らは人生の重大事においては、これらの衝動を抑制しなければならない。このような型に違反するごく少数の人びとは、自らに対する尊敬の念すら喪失するという危険におちいる。自らを尊重する(「自重」する)人間は、「善」か「悪」かではなくて、「期待どおりの人間」になるか、「期待はずれの人間」になるか、ということを目安としてその進路を定め、世人一般の「期待」にそうために、自己の個人的要求を棄てる。こういう人たちこそ、「恥を知り」、無限に慎重なすぐれた人間である。こういう人たちこそ、自分の家に、自分の村に、また自分の国に名誉をもたらす人びとである。

 勝呂の前にあった選択肢は、「善」か「悪」かではなくて、「期待どおりの人間」になるか、「期待はずれの人間」になるか、ということでした。そこでは、人間の命が消耗品のように扱われるのを理不尽と思うのは、個人的な楽しみと同じ水準の問題に過ぎなかったのです。「世人」すなわちF大学医学部の人たちは、勝呂だけを例外として、立身出世のためあるいは保身のために患者の生命を利用し、しばしばそれを消耗品のように扱っていました。そして生体解剖の話を持ち出したときにも、口先では「強制しているんじゃない」と言いながら、明らかに勝呂も参加することを期待していました。そういう期待に背くことはなかなか難しいことです。しかも期待しているのは目上の人たちです。 相手が目上であるということがどんなに大きい意味を持つかを改めて説明するまでもないかもしれませんが、ベネディクトがこれをアメリカ人に理解させるために書いた文を見ておくのも無駄ではないでしょう。『菊と刀』の第三章「各々其ノ所ヲ得」の冒頭にそれがあります。

 いやしくも日本人を理解しようとするに当たって、まず取り上げねばならないのは、「各人が自分にふさわしい位置を占める」ということの意味について、日本人はどう考えているかということである。彼等の秩序と階層制度に対する信頼と、われわれの自由平等に対する信仰とは、極端に異なった態度であって、われわれには階層制度を一つの可能な社会機構として正しく理解することは困難である。日本の階層制度に対する信頼こそ、人間相互間の関係、ならびに人間と国家との関係に関して日本人の抱いている観念全体の基礎をなすものであって、家族、国家、宗教生活および経済生活などの如き、彼らの国民的制度を記述することによってはじめて、われわれは彼らの人生観を理解することができる。

 「彼等(日本人)の秩序と階層制度に対する信頼」と、「われわれ(アメリカ人)の自由平等に対する信仰」とが対置されていることから明らかなように、日本人はアメリカ人が言う意味で「自由」でもないし、「平等」でもないのです。

 ここで、勝呂と同じ立場に居た戸田が柴田助教授の要請をどう受け止めたのかということに注目しましょう。戸田もまた喜んで生体解剖に参加したのではありません。自分は運命に押し流されていると感じ、その逃れられないものから自由にしてくれるものがあるとすればそれは神であろうと考えています。そして神が存在するかどうかということには確信が持てないのです。

 その戸田が勝呂と違っていたのは、子供のときから一種狡猾な生き方を身に付けていたことです。彼の手記にはその事が次のように綴られています。

 毎学年、学芸会では必ず主役をやらされ、展覧会では絵にも書き方にもきまって優等の金紙をはられるようになると、ぼくは大人たちを無意識のうちにダマしにかかった。大人たちというのは詰襟を着た師範出の教師たちのことであり、また父親や母親のことでもあった。どうすれば彼等がよろこぶか、どうすればホメられるかを素早くその眼や表情から読み取り、時には無邪気ぶったり、時には利口な子のふりを演じてみせるにはそれほど苦労もいらなかった。本能的にぼくは大人たちがぼくに期待しているものが、純真であることと賢いことの二つだと見抜いていた。あまり純真でありすぎてもいけない。けれどもあまり賢すぎてもいけない。その二つをうまく小出しにさえすれば彼等は必ずぼくをホメてくれたのである。

 こう書いたからと言って現在のぼくはあの頃の自分を特に狡(ずる)い小利口な少年だったと思ってはいない。あなた達も自分の子供のころを思いだしてほしい。多少、知恵のある子供はすべてこの位のズルさは持っているものだし、それに彼等はそうすることによって自分が善い子だと何時か錯覚していくのである。

 そして作文を書かされると、自分が友人に大切なものを与えた行為が、実際には貧しい子に対する優越感を求めたのに、いかにも良心的であったように見せかける文を書いて教師の賞賛を得ました。ただ、東京から転校してきた一人の生徒にはそれを見破られたようでしたが、その転校生も彼を断罪したわけではなく、同種の秘密を抱くものとして、相手の中に自分を見たに過ぎなかったのです。そのとき戸田が感じたのは、良心の呵責ではなく、自分の秘密を握られたという屈辱感でした。

 戸田は、中学生のときも、高校(旧制)生のときも、大学に入ってからも、世間に知れれば激しい非難をこうむらねばならないようなことをいくつかしました。それらに関連して次のように書いています。

 そのくせ、長い間、ぼくは自分が良心の麻痺した男だと考えたことはなかった。良心の呵責とは今まで書いた通り、子どもの時からぼくにとっては、他人の眼、社会の罰にたいする恐怖だけだったのである。勿論、自分が善人だとは思いもしなかったが、どの友人も一皮むけば、ぼくと同じだと考えていたのだ。偶然の結果かもしれないがぼくがやった事はいつも罰をうけることはなく、社会の非難をあびることはなかった。

 ここには、前回『菊と刀』から引用した「異なった諸文化の……」に始まる文で言われているところの恥の文化の特色がありありと見えます。そして彼がした非行が世人に糾弾されることもなくうやむやになったときの安堵感をわが身の事のように感じることのできる日本人が決して少なくないことも否定できないように思われます。そして生体解剖は、その感覚の延長線上にありました。それを実行したときにはまだポツダム宣言は発せられていませんでしたから、日本軍が戦闘能力を失って、「吾等は、日本人を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも、吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えらるべし」という条文を含む連合国の要求に屈服するというようなことはまったく予想できなかったのです。

 生体解剖が行なわれた後、日が暮れてから、医学部の屋上で勝呂と戸田の間で次の会話がありました。

「どうなるやろなあ」と彼はひくい声で言った。「俺たちはどうなるやろ」

「どうもなりはせん。同じこっちゃ。なにも変らん」

「でも今日のこと、お前、苦しゅうはないのか」

「苦しい? なんで苦しいんや」戸田は皮肉な調子で「なにも苦しむようなことはないやないか」

 勝呂は黙りこんだ。やがて彼は自分に言いきかせでもするように弱々しい声で、

「お前は強いなあ。俺あ……今日、手術室で眼をつむっておった。どう考えてよいんか、俺にはさっぱり今でも、わからん」

「なにが、苦しいんや」戸田は苦いものが咽喉もとにこみあげてくるのを感じながら言った。

「あの捕虜を殺したことか。だが、あの捕虜のおかげで何千人の結核患者の治療法がわかるとすれば、あれは殺したんやないぜ。生かしたんや。人間の良心なんて、考えよう一つで、どうにも変るもんやわ」

 戸田は眼をあげて真黒な空を眺めた。あの六甲小学校の夏休み、中学の校庭に立たされていた山口の姿、むし暑かった湖の夜、薬院の下宿で小さな血の塊をミツの子宮からとり出した思い出が彼の心をゆっくり横切っていった。本当になにも変らず、なにも同じだった。

「でも俺たち、いつか罰を受けるやろ」勝呂は急に体を近づけて囁いた。「え、そやないか。罰をうけても当たり前やけんど」

「罰って世間の罰か。世間の罰だけじゃ、なにも変らんぜ」戸田はまたおおきな欠伸をみせながら「俺もお前もこんな時代のこんな医学部にいたから捕虜を解剖しただけや。俺たちを罰する連中かて同じ立場におかれたら、どうなったかわからんぜ。世間の罰など、まずまず、そんなもんや」

 だが言いようのない疲労感をおぼえて戸田は口を噤(つぐ)んだ。勝呂などに説明してもどうにもなるものではないという苦い諦めが胸に覆いかぶさってくる。「俺はもう下におりるぜ」

 前に『舞姫』について考察したときに、『菅原伝授手習鑑』にも言及して、「エリスの精神を錯乱させたのも、小太郎の首をはねたのも、人間の社会における状況です」と言ったことを覚えて居られるでしょう。戸田の思想はそれに当たります。捕虜の生体解剖も、人間の社会の状況がさせたのであり、それを裁くものがあるとしても人間の社会の状況を越えるものであるはずがないと考えていたのです。彼は、人間を超越する絶対者というもののことは少しも考慮していませんでした。勝呂はそこに不安を感じたのです。

 その後どうなったかは、小説の初めのほうで語られています。生体解剖に関与した医局員(看護婦を含む)12名は、米軍による軍事裁判にかけられました。そのうち教授1名が判決言い渡しの前に自殺しましたが、その他の被告にはすべて有罪判決が下されました。勝呂はその中で最も軽い刑で、懲役2年ということでした。これは、罪の文化の国であるアメリカの判事が下した判決でした。

 すでに言った通り、生体解剖に参加した人たちの中では勝呂は例外でした。筆者の見るところでは、作者がその人々を日本人のサンプルとして描いているように思えます。日本人の中にも人間を超越する絶対者を認める人が少数ながら居るのです。そういう人たちは、恥の文化よりはむしろ罪の文化に馴染むのではなかろうかと考えられるものの考え方をします。しかしながら、日本人がほんの数人集まっただけで、大勢は恥の文化の方に赴くのです。例外的人物は、それに逆らおうとすれば社会から疎外されてしまうのです。

 『海と毒薬』と『菊と刀』との関係についてはもっといろいろな事が言えるかもしれませんが、一応ここで話を終わります。次回は、村上春樹氏のノンフィクション『アンダーグラウンド』の一部分を分析しようと思います


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