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日志

菊と刀10

已有 907 次阅读2006-8-22 03:44

天气: 晴朗
心情: 高兴
六 『アンダーグラウンド』における問題提起 ― 地下鉄サリン事件の「二次災害」と恥の文化

 『アンダーグラウンド』は、1997年に村上春樹氏が発表したノンフィクションです。ここでは、1999年に講談社文庫の1冊として発行されたものにしたがって話を進めます。

 それは、1995年3月20日に東京で起こった地下鉄サリン事件の被害者のうちの56名と、事件にかゝわりのある医師、弁護士のうちの4名、計60名に村上氏がインタビューした記録をまとめた本です。彼が実際にインタビューした相手(インタビュイー)はもっと多かったそうですが、談話の印刷刊行を拒否した人があって最終的にこの数になったということです。そのインタビューの一つ一つを『菊と刀』の視点から見ていくと数々の興味深い事柄が見いだせますが、それを一挙にここに載せるわけには参りませんので、いずれ機会を見て紹介しスいと思います。ここではそれ以前の問題として、村上氏がこういう本を出そうと考えた動機に注目します。これもまた『菊と刀』の視点から分析すべき対象の一つと考えられるからです。

 ここで一つ注意をしておきますが、私がここで『アンダーグラウンド』を取り挙げるのはオウム真理教について何らかのコメントをしたいからでもなければ、地下鉄サリン事件に特に関心を寄せているからでもありません。私が関心を持っているのは、日本人らしさです。できるだけ多様な場面で日本人らしさを追究し、それぞれの場面での日本人の思考と行動を分析することによって『菊と刀』という鋭利な知的ツールの切れ味を明らかにしたいと念じているのです。それには社会的に大きい注目を引いた出来事について冷静な観察をした文書が好個の資料になります。そういう意味で『アンダーグラウンド』は適切な資料です。

 本題に入る前に、村上氏がその本を執筆するにあたって取った姿勢を見ておきましょう。それについて彼はいろいろなことを述べていますが、肝心の点は26ページにある次の文で表わされているように思われます。

 我々は始めから終わりまで、あくまで証言者本人の自発性を尊重するという姿勢でこの取材を続けており、もちろん場合によってはある程度の説明や説得を行うこともあったが、それでも「ノー」と言われれば、引き下がった。

 逆の言い方をすれば、この本に収められた人々の証言は、完全に自発的であり、前向きなものである。そこには文章的装飾もなければ、誘導もなく、やらせもない。私の文章力は(もしそういうものがいくらかでもあるとすればだが)、「人々の語った言葉をありのままのかたちで使って、それでいていかに読みやすくするか」という一点のみに集中された。

 この姿勢は、基本的には科学者のものです。それは、対象がまだ十分に解明されていないものを含んでいるからには欠くことのできないものであったと考えられます。それは客観的であることを最優先する態度の反映であり、粉飾や潤色を排除する姿勢であって、芸術家のものではありません。この姿勢を取らなければ、証言者の信頼感は得られず、問題の核心に迫ることはできなくなります。これがあるので『アンダーグラウンド』は質の高いノンフィクションとなったのです。

 前置きはこれくらいにして本題に入りましょう。村上氏はなぜそういう調査をし、その結果を公表したのでしょうか。彼自身が書いたところによるとそれは、一被害者の妻がある雑誌に寄せた投書を読んでそこにただ「気の毒に」と言うだけではすまされない大きい問題が伏在することに気付いたからだということです。その投書のことを彼は16-17ページにこう書いています。

 手紙は、地下鉄サリン事件のために職を失った夫を持つ、一人の女性によって書かれていた。彼女の夫は会社に通勤している途中で運悪くサリン事件に遭遇した。倒れて病院に運び込まれ、数日後に退院はできたものの、不幸にも後遺症が残り、思うように仕事をすることができなくなった。最初のうちはまだ良かったのだけれど、事件後時間が経つと、上司や同僚がちくちくと嫌みを言うようになった。夫はそのような冷たい環境に耐えきれずに、ほとんど追い出されるようなかっこうで仕事を辞めた。

 雑誌がいま手元に見つからないので、正確な文章までは思い出せないけれど、だいたいそういう内容だったと思う。  記憶している限りでは、それほど「切々とした」という文面ではなかった。またとくに怒っているというのでもなかった。どちらかといえば物静かで、むしろ「愚痴っぽい」ほうに近かったかもしれない。「いったいどうしてこんなことになってしまったのかしら……?」と戸惑っているような感じもあった。運命の急激な変転がまだうまくのみこめずに、首をひねっているような。

 その手紙に書かれていることがその当人一人あるいはその家族に限られた問題とは考えられなかったのです。事件当日の朝まで平凡な市民として生活していた日本人のうち幾人かが、たまたま現場に居合わせたというだけで、本人が肉体的被害を受けただけでなく、後遺症のために職場で差別され、事件後長い期間にわたって本人とその家族を巻き込む社会生活上のさまざまな苦痛を味わうことが強いられるというような、社会的被害をも受けたのです。この事実の一端がその投書に書かれていたのです。彼らが経験した苦痛の一部分は、「二次災害」とも言うべきものであって、村上氏の表現によれば「私たちのまわりのどこにでもある平常な社会が生み出す暴力」(17-18ページ)に由来します。この場合一次災害は、地下鉄の車内にサリンを撒き散らすという、これまで誰もしたことのない、したがって「異常な社会が生み出した暴力」ですが、しかしだからといって被害者の立場に立ってみれば、その二つを分けて考えることにどれほどの意味があるでしょうか。村上氏は、「考えれば考えるほど、それらは目に見える形こそ違え、同じ地下の根っこから生えてきている同質のものであるように思えてくる」と言っています。『アンダーグラウンド』という書名の由来がここに暗示されています。それは単に地下鉄を意味するだけでなく、社会的な出来事の根底にありながら通常は顕在化しないものをも指しているのです。

 地下鉄サリン事件は日本人の社会の内部で起こったものであるのでそれ自体と「二次災害」とを分けて考えるのが難しいのですが、戦争という場面を考えると、「二次災害」の性質を見るのが比較的容易になります。1945年8月に広島市と長崎市がアメリカ軍による原爆攻撃を受けましたが、辛うじて生命をとりとめた市民の中には核爆発に際して発生した強烈な熱のために顔や首にケロイド(赤みを帯びた硬い皮膚の隆起)が発生した人が多数ありました。それは一種の火傷であって、決して不潔なものではありませんが、見たところ醜い感じがします。当時の外科技術でもそれを完全に治すことは可能でしたが、戦後の極端な物資不足と医療事情の悪さのために治療を受けることもできない人々が居ました。そのまま生活することを余儀なくされた人たちは、そういう知識を持たない一般人の偏見から生まれた「二次災害」に悩まされました。彼らは、人々が自分の方を指差してひそひそ話をするのを感じたり、こっそり後をつけてきた数人の子供たちが突然声高に悪口を叫んで走り去るのを見送ったり、食糧の配給を受ける人たちの列に加わろうとして露骨にいやな顔をされたり、銭湯に入るのを拒否されたりしました。就職や縁談にそれが差し障ったことは言うまでもありません。

 もしかすると外国にもこれに似た例があるかもしれません。明白な表徴を持った社会的弱者が差別されるのは、よくあることです。アメリカでも皮膚の色によって人を差別することが公然と行なわれたことがあり、今でさえそれを復活しようとする人たちが居ます。しかしそういう差別に対して社会が全体としてどういう態度を取るかということは、どこの国でも同じというわけではありません。

 たとえばアメリカ合衆国は、「われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、その中に生命、自由および幸福の追求の含まれることを信ずる」と宣言することによって、そして現実にそのために身命を捧げた人たちによって独立を達成した国です。アメリカ人の間には、自由平等に対する強い信仰があります。だから、性別や、人種や、肉体的ハンディキャップによって人を差別するのは悪いことだという共通の思想が行き渡っており、差別を法的に禁じる場合にも厳しく徹底した規定を設け、実行します。

 わが国でも憲法を始めいろいろな法規によって差別が禁じられていますが、その根本にアメリカ合衆国の独立宣言に盛られたような思想があるとは言えません。そのことを象徴するのが天皇制です。天皇の地位は世襲されると憲法に明記されています。皇室典範は、女性が天皇の地位に就く道を閉ざしています。これは、日本人にとっては平等よりも大切なものがあることを暗示しています。ベネディクトは、日本人が明治時代の憲法を改正するより前にすでに日本における差別が根絶できないことを見抜き、『菊と刀』の第三章「各々其ノ所ヲ得」の冒頭で次のように喝破しました。

 いやしくも日本人を理解しようとするに当たって、まず取り上げねばならないのは、「各人が自分にふさわしい位置を占める」ということの意味について、日本人はどう考えているかということである。彼らの秩序と階層制度に対する信頼と、われわれの自由平等に対する信仰とは、極端に異なった態度であって、われわれには階層制度を一つの可能な社会機構として正しく理解することは困難である。日本の階層制度に対する信頼こそ、人間相互間の関係、ならびに人間と国家との関係に関して日本人の抱いている観念全体の基礎をなすものであって、家族、国家、宗教生活および経済生活などの如き、彼らの国民的制度を記述することによってはじめて、われわれは彼らの人生観を理解することができる。

 またそれから数ページ後で彼女は、「不平等ということが何世紀もの間を通じて、まさにもっとも容易に予言しうる、また最も広く一般に是認されている点における、彼らの組織された生活の規則となってきたのである。階層制度を認める行動は、呼吸をすることと同じくらいに彼らにとって自然なことである」とも言っています。これは日本人が憲法や諸法律をどのように改正しようとも不平等な階層制度が残るということを予言したもので、その予言はまさに的中したわけです。 私の見るところでは、ベネディクトがこのように言い表わした「日本の階層制度に対する信頼」が、さきほどの投書者の「それほど〈切々とした〉という文面ではなかった。またとくに怒っているというのでもなかった。どちらかといえば物静かで、むしろ〈愚痴っぽい〉ほうに近かったかもしれない」という態度に反映しているように思えます。しかしこのことには説明が必要です。その説明をしましょう。

 ベネディクトが言ったところの「日本の階層制度に対する信頼」については、私はすでに『「菊と刀」再発見』でも、『みなしご「菊と刀」の嘆き』でも詳しく論じました。とくに後者の二・三節「〈階層制度に対する信頼〉に対する和辻氏の誤解」にある次の段落は分かりやすいでしょう。

 「階層制度に対する信頼」という言葉は、ベネディクト女史以外の人は使っていないので馴染みにくいかも知れませんが、別に難しいことではありません。少し説明をしておきましょう。たとえば、日本では兄と弟、あるいは姉と妹は、言葉のうえでも区別され、社会的にも上下関係を保つものとされますが、アメリカではそういう区別を設けません。また、日本の学校の卒業生は、卒業年によって区別され、先輩と後輩の序列は終生変わることなく厳格に守られますが、アメリカではそうでありません。これらをひっくるめて言うとこうなります。日本では、ある社会に先に登場した者は後から登場した者より上位に位置付けられるのです。こういう位置付けの仕方は、どこの国にもあるわけではありません。つまり日本人は、他の国の人々が階層の指標とは考えないものまで指標にして階層を作り出すのです。それは、年令や卒業年次ばかりではありません。夏目漱石作『坊ちゃん』に登場する老婆のように、「月給の多いほうが豪(えら)いのじゃろうがなもし」という考え方がされる場合もあります。また、かつては田舎者は都会人に比べて低い階層に属すると考える人も珍しくありませんでした。このように日本人は、人と人との間になんとかして階層差を見いだそうと努力し、西洋人には思いもよらぬような指標によって階層を区別しようとします。それは、必ずしも意識的に行なわれるわけではありません。時に意識的であり、また時に無意識的ではありますが、日本人はそこに階層差を見つけて一種の安心感を持つのです。階層差を認識することによって、たとえば「誰が誰におじぎをするか」を間違えて恥をかくということが避けられるのです。

 ある人にケロイドとか、日常的な仕事を処理する能力における顕著な欠陥というようなマイノリティー的な表徴が現われたときには、「人と人との間になんとかして階層差を見いだそうと努力」している人たちはそれを見逃しません。階層制度の上位にいる人々や同程度の所に居る人たちは、その表徴をとらえて彼または彼女が現に属している階層にふさわしくないものとみなし、容赦なく排除しようとかかってきます。一般の、すなわちマイノリティー的な表徴の無い人々は、それを持つ人を排除しなければ安心できないのです。これが村上氏の言う「私たちのまわりのどこにでもある平常な社会が生み出す暴力」の正体です。

 そのような暴力を受けた人は当然不快感を持ちますが、その人もまた階層制度を強く信頼しているので、その暴力に厳しく立ち向かうことはしません。この点が、かつて公民権運動に立ち上がったアメリカ人と違うのです。地下鉄サリン事件の被害者たちは、自分たちが「平常な社会が生み出す暴力」を問題にしても一般の人々の期待から外れた行動になってしまうことをよく知っており、自分の心の傷を個人の問題として胸の奥にしまいこみました。先程の投書にあったサリン事件被害者の場合には、中毒の後遺症が癒されないままに社会的、経済的不利益だけが押しつけられたのに、投書者はその暴力を告発する姿勢を取らず、わが身の不運を嘆く文を発表するにとどまりました。そこにはサリン中毒の後遺症を個人の問題とする考え方があります。そして投書者は、意識していなかったでしょうが、ベネディクトが『菊と刀』の第十二章「子供は学ぶ」の中で言った次のことを裏書きする態度に終始しました。

 しかしながら日本人は、自らに多大の要求を課する。世人から仲間はずれにされ、誹謗を受けるという大きな脅威を避けるために、彼らはせっかく味を覚えた個人的な楽しみを棄てなければならない。彼らは人生の重大事においては、これらの衝動を抑制しなければならない。このような型に違反するごく少数の人びとは、自らに対する尊敬の念すら喪失するという危険におちいる。自らを尊重する(「自重」する)人間は、「善」か「悪」かではなくて、「期待どおりの人間」になるか、「期待はずれの人間」になるか、ということを目安としてその進路を定め、世人一般の「期待」にそうために、自己の個人的要求を棄てる。こういう人たちこそ、「恥を知り」、無限に慎重なすぐれた人間である。こういう人たちこそ、自分の家に、自分の村に、また自分の国に名誉をもたらす人びとである。

   このように、村上氏が『アンダーグラウンド』という本を書こうと企てたそもそもの発端においてすでに『菊と刀』によって説明を与えられる現象が大きい役割を持っていたのです。ベネディクトは日本人の心の奥底に人間の不平等を是認する考え方があることを指摘しましたが、われわれは、この事が日本で起こる社会的現象にとってどれほど大きい意味を持つかを改めて認識する必要があります。


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